12・楽しいお泊り

 初めていとこ同士三人で過ごす晩、子どもたちは寝台に入ったあとも興奮してなかなか寝つけなかった。色々と喋り合っていたが、まずユーリンダが昼間の疲れから、ことんと眠ってしまった。既に親友のようになっていたアトラウスとファルシスは、その後もだいぶ目を輝かせて、同じ布団の中で話に興じていたが、日付が変わる頃には流石にファルシスもまぶたを閉じていた。

 アトラウスは眠くなかった。これまでずっと、地下の部屋で、昼も夜もない生活を送っていたからだ。初めての経験、そして母がずっと見守ってくれると言った言葉が嬉しくて、なかなか寝られない。

(お母さま、明日来てくれるかな?)

 怖いお父さまから離れて、お母さまと、優しい伯父さまと伯母さま、楽しいいとこたちと、いつでも一緒にいられる日が来るなんて! 

(でも、『罪の子』なのに、そんなにすてきなことが本当になっていいのかな?)

 そんな不安もあった。もしかしたら、今日の事はぜんぶ夢で、目が覚めたらまたあの地下の部屋にいるのかも知れない。そう思うと、眠るのが怖い。もしもこれが夢だったとしても、すてきな夢を見られたのだからあんまりがっかりしないようにしよう。アトラウスはそんな風に自分に言い聞かせもした。


 まったく、素晴らしい夜だった。

 アルフォンスは、妻のカレリンダだけに事情を告げ、他の者にはただ、たまたまカルシスの館に来ていた小貴族の子がファルシスたちと仲良くなったので暫く預かる事にしたのだ、と話した。執事は、子どもたちがアトラウス、と呼んでいるのを聞いて、薄々何かわけがあると察したようだったが、他の者たちは主人の言うことに何ほどの疑問も持たず、アトラウスを客人として親切に丁寧に接した。侍女や従者たちにそのように扱われるのも、アトラウスには初めての事だった。世話係のオルガは、いつも哀れみを持った目で、腫れ物に触るように接して、彼の問いかけにも殆ど、はいかいいえでしか返答してくれなかった。

「まあまあ、ずいぶんと細い腕でいらっしゃる。坊ちゃま、さあさ、たんとお召し上がり下さいな」

 ふたごの乳母のマーサは小太りで笑顔をたやさない女で、晩餐の時から就寝までずっと傍でにこやかに世話を焼いてくれた。

 カレリンダは夫から話を聞き、陰で涙を流した。

「そんなことが……ああ、わたくしがもっと頻繁にシルヴィアを見舞ってあげればよかった。そうすれば或いは、もっと早く真相が分かったかも知れませんのに! わたくしはシルヴィアに対してつい遠慮してしまって……子どもの頃は、仲良く遊んだ事もありましたのに。わたくし、明日シルヴィアに会いに行きますわ。それにしてもアトラウス……可哀想な子! ファルシスと変わらない歳でそんな暮らしをしていたなんて!」

「ああ、早くこちらに来てアトラウスと一緒にいてやるよう、シルヴィアを説得しよう。カルシスが心から詫びて、嫡男としてきちんと育てると約束しない限り、絶対にアトラウスを帰す訳にはいかん」

「そうですわね。それまでアトラウスに、五年分の楽しい事をたくさん経験させてあげなくては!」

「ああ、是非そうしてやろう」

 夫妻はアトラウスをアルフォンスの血の繋がった甥と信じたし、もしも万が一そうでないとしても、シルヴィアの子であることには違いない。不遇な身の子どもを、哀れみ愛おしむ気持ちでいっぱいだった。カレリンダは自ら厨房へ行って、あれこれと手配して子どもが喜びそうな料理や菓子を次から次に晩餐の食卓に運ばせるようにした。アトラウスはまだ五歳とはいっても聡明な子ども、正式な晩餐の作法は無論教わっていないからそれで恥ずかしい思いをしないよう、とにかくくだけて楽しく過ごせるよう、様々な配慮をした。急遽芸人も呼び寄せられ、幼い子どもたちが喜ぶような様々な芸を披露した。子どもたちは笑い転げた。

 本当はそんな趣向などなくとも、アトラウスは充分に満ち足りていた。今までずっと、地下の部屋で一人きりで食事をしていたのだから。世話係のオルガは、料理も上手でそれなりに心を込めて栄養のある献立を考えてくれてはいたが、薄暗い部屋で幼子がたったひとりで食べる食卓に、喜びなどある筈もなかった。食事とは、アトラウスにとってこれまで、ただ飢えを満たす為のものでしかなかったのだ。アトラウスは、皆で笑い合う夢のように楽しい時間に酔い、そして、お母さまも一緒に来ればもっとよかったのに、とばかり思っていた。隣にお母さまがいて、一緒に笑っていて下さったら、もうそれ以上の嬉しいことは想像もできない。

(お母さま、今頃何をしてるのかな。お父さまにいじめられてないかな)

 時折そんな心配が浮かんだが、とにかく初めての楽しいことが次々に起きるので、幼いアトラウスは次第に、母親のことを想う暇がなくなってきた。

「アトラウス! ぼくの宝物を見せてあげるよ!」

「私のも見てね!」

 楽しい晩餐が済むと、ふたごに手を引かれて子ども部屋へ導かれた。大きな窓のある広くて清潔な部屋。天井には童話をモチーフにした美しい天井画が描かれている。まだ四歳であるので、兄妹のベッドは隣り合わせに並んでいた。マーサに真新しい夜着を着せられたアトラウスは、ファルシスの寝台にもぐりこんだが、それでもまだ充分な広さがある。そして三人は色々な楽しい話に興じた。


 夜も更けて、カレリンダはそっと子供部屋を覗いた。三人の子どもはすやすやと寝息を立てている。カレリンダは傍に近づいて、乱れた夜具をかけ直してやりながらアトラウスの顔を見つめた。やはり全体的にはシルヴィアによく似ている。かつてそのシルヴィアとカレリンダは、恋敵の関係にあった。

 カレリンダは夫アルフォンスと同年の23歳。シルヴィアはふたつ年下で、母親同士が従姉妹という事もあって、子どもの頃は仲良く遊んだものだった。だが少女時代になると、カレリンダは殆ど人前に出る事がなくなった。父親はヴィーン分家の筆頭、そして母親はヴィーン本家に生まれた『聖炎の神子』。両親はあまり仲が良いとは言えない間柄で、夫婦間の溝が深まるにつれて、カレリンダの母は一人娘のカレリンダと共にルルア大神殿で生活する事が多くなっていったのだ。『光輝く聖炎の神子』と後に吟遊詩人がうたった程の稀なる美少女なので、外界に触れて変に誰かに見初められでもしてはいけない、との周囲の気配りもあった。それゆえにカレリンダは、神殿の中で聖典と魔道を学ぶばかりの世間知らずで無垢な少女として育っていった。同年代の貴族の娘との交流も殆どなく、高貴な身分の彼女に対して神官たちも一歩引いて接するので、母以外に心を開いて話せるのは、無邪気に彼女を慕ってきた幼い神官見習いの少女くらい、という環境だったが、それでも、ルルアの愛し子たる『聖炎の神子』の後継者である彼女にとって神殿は居心地の良い場所ではあった。

 『聖炎の神子』、それは聖女エルマの血を濃く受け継ぐヴィーン家の女子に代々受け継がれてきた大事な役目である。ヴィーン家には強い魔力を生まれながらに備えた者が多いが、その中でも最も秀でた男子がルルア大神官、女子が聖炎の神子となる。大神官が、国内各地にあるルルア神殿の総本山であるアルマヴィラのルルア大神殿の長であり、同時に国内最高の宗教権威者として、政治的な権限は持たないものの王にも直接意見出来るような立場であるのに比べ、聖炎の神子は女神ルルア信仰の象徴的な役割を担う。聖都アルマヴィラにあって様々な祭事を司り、また、アルマヴィラを守護する聖炎を灯すという守護魔道も聖炎の神子の務めである。聖炎の神子は長い歴史の中で殆ど、母親から娘へと引き継がれてきた。カレリンダも、五歳の頃には次期聖炎の神子と認められていた。そして、ヴィーン家の濃い血を次代に引き継ぎべく、アルフォンスにシルヴィアが一族から定められていたように、彼女にも、ヴィーン本家の次期当主との縁組が少女の頃から決められていた。

 たまに会う許婚と神官以外の男性とは殆ど口をきく機会すらなく何年も過ごして乙女となったカレリンダと、次期ルーン公として非の打ち所ない模範的な公子であったアルフォンスの出会い……それは出会うべくして出会ったものではあったけれども、その出会いが、薔薇色の人生を約束されていたシルヴィアの運命を大きく曲げてしまった事は誰にも否定のしようがない。

 シルヴィアにとってカレリンダは、愛する許婚を奪った女。たとえ、自分自身でアルフォンスの背を押したにせよ、恨みに思う気持ちもどこかに残っているだろう……そう思うと、カレリンダはシルヴィアに対する負い目を拭いきれなかった。シルヴィアとカルシスの新婚生活が順調にいっていた頃には、我が事のように安堵していたが、シルヴィアの出産以降の暗転、それに引き換え自分は愛らしく利発な双子の男女に恵まれて、彼女を見舞いに行くのもかえって傷つける事になるかも知れない、と遠慮気味になっていたのだった。

 カレリンダは、眠り込んでいるアトラウスの頬をそっと撫でた。シルヴィアとこの子が幸福に暮らせるよう手助けすることで、今度こそシルヴィアに借りを返せると思った。無論それは意地などではなく、自分を幸せにしてくれたシルヴィアにも、真に幸福になって欲しい、という願う気持ちである。これからはまた、子どもの頃のようにシルヴィアと親しく付き合い、子どもたちもきょうだいのように仲良く育つだろう。あどけない寝顔を見せているアトラウスのこれまでの暮らしぶりを思い、もしも自分の宝であるふたごがそんな環境に置かれたら、と想像するだけで胸が締め付けられ、涙が滲む。

(可哀想な子……でも、これからは幸せになるのよ。立派なルーン家の公子として成人するよう、アルフとわたくしが護ってあげるから……)

 やせこけたアトラウスの顔を愛情を込めた眼で見つめながら、カレリンダは心の中でそう呟いた。

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