廻りだした環 第3話

 身体に纏わりつく風に潮が含まれ始める。べたべたとした湿り気を含んだ風がケリーの向かう方角から吹き付けてくる。

 月のない新月の夜。漂う雲間をすり抜け星空の中を滑るようにケリーは飛んでいく。

 軽やかに羽根をはためかせながらーー一身不乱に目的地ーーラケナリアへと向かった。


「いいかい、ケリー。けして間違えてはいけないよ。額の祝福の紋章がくすんでいる者だけが花園へ迎え入れられるのだから」


 念を押すようにフィデリオはケリーに言った。嫌と言うほど習ったのだから間違えるわけがないとケリーは口を尖らせる。それでもフィデリオは、

「祝福の紋章がくすんでいる者は、皆、花園へ。行けばすぐにわかるから」と繰り返し言った。


 目の前に夜の闇よりも暗く、真っ黒な海が広がり始めた。眼下にはラケナリアの村が見える。誰もいないのか。村の明かりは申し訳程度にところどころ点いているだけだった。

 ケリーが村へと降下する。

 村の入り口に立ったケリーは、初めて嗅ぐ異臭に顔を顰めながら、人気の無い道を進み、一軒一軒家を開け、中を調べる。だがどこにも村人の姿は無かった。

 道をそのまま進んでいくと広場に出た。通りの真ん中には大きな噴水が水を噴き出している。そこには多くの街灯が立ち並び、本来ならば村人の憩いの場となっているのだろう。だが今はひっそりと静まり返り、息を殺しているようにも見えた。

 ケリーの視線が噴水のある一点に釘付けになる。

 オブジェなのだろうか。噴水の周りになにかが積み上げられている。ケリーは訝しげに歩を進めた。緊張からか喉がひどく渇いた。唾を飲み込もうにも口の中はからからに渇いていて、軽い痛みさえも伴う。

 噴水の前に立ったケリーは愕然とした。

ーーこれは……なに?

 噴水の前に積み上げられていたのは、まさしくケリーが捜し歩いていたラケナリアの村人たちだった。

 村に入った頃から漂っていた異臭はここから発していたらしく、先ほどとは比べようがないほどの悪臭が立ち上っていた。

 とにかく紋章を調べようと近づいてみる。

 しかし、彼らは統べ括られた、狩られる者たちだった。

 どこの誰がやったのか、ご丁寧にもそれらを一箇所に集めておいたのだ。

ーー皆を花園へ……。

 ケリーは熱に浮かされたうわ言のように呟いた。

 緊張の余り手が震える。神苑の剣を呼び出すのに手こずってしまう。

 風が吹き、噴水の飛沫がケリーの顔にかかるが、その風に潮の香りが含まれていないことにケリーは気づかない。焦りの表情を浮かべながら、剣を呼び出すのに必死である。


ーー月に仕えし我が主。御霊迎えの神苑の剣。


 ようやく思い出した呪文を唱え終えると、ケリーの身体はすぐに輝き始める。

 ケリーの額にスプレケリアの花が浮かび上がり、そこからゆっくりと剣が現れる。目の前に下りてきた剣の鞘をケリーは掴み、それを腰に携え、大きく息を吐いた。

ーーえっと。大人数の場合は剣を地に刺して。

 謀られたように絶妙のタイミングでケリーは出がけにこれを反復させられた。

ーー花園をイメージして。それから。

 しかし、ケリーは疑問も抱かずフィデリオに言われた通り、花園をイメージしながら土中へと剣を突き刺した。

 深々と地に刺さった剣から風と光が沸き起こり、渦を成したそれは噴水の周りを駆け巡る。

 風は噴水の水をも巻き込み、ケリーはぐっしょりと濡れそぼった。

 一時の間。ケリーは動けずにいた。

 頬に張り付いた髪の毛から雫が幾筋も流れ落ちていく。激しく体力を消耗したケリーの両肩は、乱れた息で大きく上下に揺れている。

 両手で頭を支えながら山積みになっていた村人たちへと視線を移した。

 彼らは跡形もなく消え去っている。風と水で吹き荒れた形跡だけが花狩りの証であり、彼らが確かにそこに在ったという証でもあった。

 潮気のない風は止んではいなかったが、ケリーはこの初仕事に幾らかの満足感を得ていた。

 これならフィデリオにも褒められるだろう。後は、村にくすんだ紋章を持つ村人が残されていないかを確認するだけだった。

 とん。

 ケリーの腰の辺りになにかが当たった。ケリーは剣を鞘に収めながら振り返る。

ーー女の子?

 こんな夜更けにこんな場所でとケリーは不思議に思った。

 少女の額の紋章は眩しいほどに輝いているから、彼女は対象外のようだ。だがその紋章の輝きとは裏腹に、彼女の瞳は暗く、ケリーの姿を映してはいなかった。

ーーなんでこんな所にいるの? おうちの人が心配するよ? ああ。ぼくの言葉はわからないか。

 ケリーはそこまで言って、彼女が握り締めている黄色い花に視線を落とした。

 一輪の月見草。

 摘まれたばかりで花はまだ生き生きとしていた。

 ケリーは顔を綻ばせながら、

ーー誰かにあげるんだね。カスケードみたいに。

 少女の頭に手を乗せ、くしゃりと撫でてやる。その感触に反応した少女が顔を上げた。

 暗い瞳がゆっくりとケリーをその視界に留めると、ぽつりと大粒の涙を零した。

 ざわざわと風が騒ぎ始める。潮気を含まない、それでいて纏わりつくような生臭い風がラケナリアを覆う。

 ケリーは踵を返し、少女に背を向けて駆け出した。

 救いを求めるように……。真っ暗な闇の中へ手を伸ばし、見えない何かに縋りつこうともがきながら空へと飛び立った。

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