たね

水円 岳

第一話 番人

 僕らがそれに気付いたのは、いつからだったんだろう。覚えてない。


 いつも、ヒロシやナガとくっちゃべりながら通り過ぎるバス停のベンチの端に、いつも座ってる変なじいさん。


 僕らがバスに乗ることはめったにないから、僕らが単に意識してなかっただけなのかもしれないけど。学校への行き帰りにバス停の横を通る度に、いつもそのじいさんがいるってことに気が付いた。バス停には他のお客さんもいて、バスを待ってる。その中に年寄りがいても何も不思議じゃないし、みんなもそう思ってるのかじいさんを気にしない。

 だけど……。僕が気付いたのか、それともヒロシやナガが気付いたのか、どっちが先かは分かんないけど。僕らは気付いちゃった。あのじいさんが変だってこと。


 いつものように三人でふざけ合いながら、バス停の横を通り過ぎる。ちらっとベンチを見る。じいさんは……今日も、いる。バス停を少し通り過ぎたところで、僕は思い切ってヒロシとナガに疑問をぶつけてみた。


「なあ、ヒロシ、ナガ。あのバス停のベンチの端っこにさ、いっつも同じじーさんが座ってっだろ」


 ふっと後ろを振り返ったヒロシが、声を潜める。


「やっぱ、クロも気ぃついてたかあ」

「うん。ナガは?」

「そういや、そうだよな」


 ちらっと後ろを振り返るナガ。


「なんか……変だよな」

「うん」


 だけど、僕らは変だって以外の感想は持ってなかった。気にはなったけど、そのまま行き過ぎる。


「それよかさー。なんか、かったりぃよなー。三年だぜ」


 ヒロシがそう言って、足元に落ちてたお菓子の空き箱をばすんと車道に蹴り出す。


「考えたくないけど、受験なんだよなー」


 ナガもゆううつって顔をしてる。もちろん僕だって考えたくない。どの高校に行くか、すぐに決めろってことはないんだと思う。でも、だんだんと僕らは追い詰められていくんだろう。親は口を揃えて、それが僕らのためだからって言う。ほんとかな? そんな、何一つ分かんない未来のために、したくもない苦労をしないとならないのかな? 何もかもぶん投げたいけど、そんな勇気はないし。


「ヒロシはいいよなー。野球すんだろ? 引っ張りだこやん。幸巡レイダーズのエースで四番」


 僕がそう言ったら、ヒロシが舌打ちした。


「ちぇ。試験なしで入れてくれるんならめっちゃラッキーだけどよ、そんなわけにはいかねーんだと」

「ありゃ」

「まあ、ジュニアもラストだし。いっちょ派手に暴れてやろうって思ってるけどよ」

「すげえなあ……」


 ナガも、ヒロシにそんけーの眼差しを向ける。


「そういうナガだって、この前の学テ、うちの一桁台だろ? 受験なんてすいすいじゃん」

「そうはいかないよ」


 うんざり顔のナガ。


「親が私立行かそうとしてっけど、そこはレベルがバカ高いんだよ。僕は行きたくねーなー」


 大きな溜息をついて、ナガがしょげる。でも、ヒロシもナガも野球と学力っていう武器があるじゃん。いいよなー。僕は平凡で、そんなん何もないもん。


 小学校の時から仲良し三人組ってだけで、それ以外に共通点ないって、なんかすっごいみじめ。ヒロシもナガももてるけど、僕は女の子には人気ないしぃ。はあ……。今でさえガッコ行きたくないって思ってるのに、受験とか高校とか、もっと考えたくない。なんか楽しいことないんかなー。


 なんとなく話が途切れたままで、いつもの三叉路に着く。


「じゃあ、明日なー」

「おう」

「ばい」


◇ ◇ ◇


 玄関を開けて、カバンを放り投げる。お袋がすぐに怒鳴った。


「そんなとこに置かないでっ! 自分の部屋に持ってきなさいっ!」


 返事をすんのもかったるい。黙ってカバンを持って二階に上がる。


 iPodに付けたままのヘッドフォンをして、大音響でロックを鳴らす。洋楽なんてちっとも分かんない。けど、今は歌詞が分かる曲を聞きたくない。なんとなくすかっとする曲ならなんでもいい。


 僕はそのままなんにもしないでベッドに転がってた。プレイリストが終わっても、そのまま。じっと天井を見てた。なんか下の部屋から声がしてたけど、無視した。目をつぶる。僕を放っといて欲しい。ウザい。何もかも。何にも考えたくない。めんどくさい。いきなり、ヘッドフォンがむしり取られて、僕は現実に連れ戻された。


「ご飯だって言ってるでしょ! さっさと食べてっ!」


 ちくしょう。ぶん殴りたくなる。でも、そんな勇気はどこにもない。


 ぶすくれたままで、下に降りてご飯を掻き込む。愛理はもう食べ終わったのか、ソファーでお笑い番組を見ながらげらげら笑ってる。小学生はいいよなー。僕だって、あのくらいの時は楽しいことばっかだった。勉強はいい加減でよかったし。親にがちゃがちゃ言われることもなかったし。はあ……。


 黙って部屋に戻る。ゲームでもすっかな。またヘッドフォンをかけてロックを聞きながら、DSで遊ぶ。ゲームの中で勇者になるのは簡単だけど、ゲンジツの僕はその他大勢だ。それでいらいらして、ゲームにのめり込めない。


「オンゲの方がおもしろいんかなあ……」


 でも、親がそんなのを許してくれるわけないよね。これから受験だっていうのに、何バカなこと言ってるんだって。くそったれ! 何もおもしろいことがない。つまんない。勢いつけてベッドに倒れ込んだところに、親父が入ってきた。ノックくらいしろよな。


「タカシ。お前、最近態度悪いぞ」


 説教かよ。酔っぱらった親父がぐだぐだ文句を吐き散らかすのを、なんとなくスルーする。完全に無視したら拳が飛んで来るかもしれないから、てきとーにうなずいて。まだ腕力じゃ敵わないから、用心しないと。親にぼこられたなんてバレたら、後で友達にどんなにいじられるか分かったもんじゃない。


 僕が大人しく愚痴を聞いてたのに満足したのか、親父がよたよたと階段を降りてった。あんなのが親父か。僕にエラそうなこと言うけど、小さい会社の平社員で、みん

なにぺこぺこするしか能がないじゃん。酔っぱらって帰って来ては、会社の愚痴ばっかこぼしてる。やだやだ。あんなオトナには絶対になりたくないね。


 でも。じゃあ、どんなオトナがいいのかって言われたら困っちゃう。そもそもオトナになんかなりたくない。ばかばかしい。未来にどんな意味があるってんだ。知るかよっ!


◇ ◇ ◇


 期末試験が終わって、終業式ももうすぐだ。普通なら、春休みにがっちり遊べるって喜ぶところなんだろうけど、これから受験に突入してく僕らはどっか楽しみきれ

ない。三年になったらすぐに進路相談が始まるし、そこできっちり絞られるだろう。クロ、おまえ普通校行きたいなら、よっぽどがんばらんといかんぞ。そう言われるのはもう分かってる。気が重い。


 ヒロシとナガとでいつものように下校してる間、僕はそればっか気になってゆううつだった。


「どした、クロ? 元気ないじゃん」


 ナガにそう言われて、受験のことは口に出せなかった。だめだめの僕を思い知らされるのはイヤだ。ふと顔を上げたら、バス停のベンチにあの変なじいさんが座っているのが見えた。いや、かっこが変てわけじゃない。頭にニットの帽子を被って、チョッキを着て、杖を持って、それに少し前のめりに寄りかかるようにして座ってる。静かな表情。髪は真っ白で、鼻の下に立派な白ひげがある。いつも手ぶらで何も持ってない。


 ちょうど僕らが通りかかった時、じいさんの他には誰もバス待ちの人がいなかった。僕はナガの意識を僕からそらしたくて、じいさんに何の気なしに声を掛けた。


「こんにちは、おじいさん。いつもここにいるんですね」


 ヒロシもナガもびっくりしたんだろう。おい大丈夫かよって感じで、僕の制服の袖を引っ張った。じいさんは特に表情を変えることもなく、目だけ動かして僕を見た。


「ほう。わしが見えるのかい」


 え? 僕らはうろたえた。ち、ちょっとヤバいんちゃう? その様子を見ていたじいさんが、少しだけ笑った。


「ああ、心配いらんよ。わしはここにいるだけだ。あんたらとはなんの関わりもない。さっさと行くがよい」


 幽霊とかそう言うのかと思ったけど、そんな感じじゃない。ヒロシとナガが早く行こうぜって急かしたけど、僕はじいさんの前で足を停めた。


「あの……」

「なんだ?」


 表情を変えずに、じいさんが僕を見上げる。


「あなたは……なんですか?」


 変な聞き方だけど、誰っていうのはおかしいなと、なんとなく思った。じいさんは真っ直ぐ前を向くと、杖をちょっと持ち上げて、とんと地面を突いた。


「番人じゃよ。滅多にそう言われることはないがな」

「番人?」

「そう」


 じいさんは、杖を肩に担ぐようにして言った。


「わしの背後には裂け目があってな。そこを勝手に出入りされると困るんでな。こうして見張っておる」


 ヒロシが僕の背後から言った。


「おい、クロ。このじいさんやべぇよ。さっさと行こうぜ」


 だけど……。僕は足が地面に糊付けされたみたいに、その前から動けなくなっていた。


「あの……」

「なんじゃ」

「番人て言われることがなかったら、いつもはなんて言われてるんですか?」


 じいさんが顔を上げて、僕らを見回した。それからところどころ歯の抜けた口を開けて、しゃがれ声で笑った。


「はっはっは。いろいろさ。悪魔、鬼、悪霊、死神、なんでもござれだ」


 ぞっ。


「じゃが、さっき言うたようにわしは番人だ。ここから動くことは出来ん。なんと呼ばれようと、わしは痛くも痒くもない」


 三人で顔を見合わす。このじーさんが何を言ってるのか、よく分かんない。ナガがびくびくしながら聞く。


「あのー、番人ってことは、神様じゃないんですか?」

「違う。わしは刈るだけじゃ」

「刈る?」

「そう。いずれあんたらはわしのところに来るからな。その時に刈るだけよ」


 何言ってんだ、このじいさん。気ぃ狂ってんちゃうの? でも、その時には僕だけでなくて、ヒロシもナガも動けなくなっていた。


 じいさんがズボンのポケットに手を突っ込んだ。


「あんたら、たねは要らんか?」


 たね? 僕らは互いに顔を見回した。


 ポケットから手を出したじいさんが、握っていた手を開く。しわくちゃの手に握られていたのは、三つの玉みたいなの。これが……たね?


「あんたらはすでに蒔かれたたねだ。それはわしにはどうにも出来ん。じゃが、このたねはあんたらの中で育つもの。あんたらとは違う」


 声が……出ない。


「まあ、どちらも刈らねばならんがの」


 僕らは開かれた手の上のたねを見る。白と黒と灰色の玉。


「あの……」

「なんじゃ」

「それは、いいものなんですか?」

「知らん」


 じいさんがぼそっと言い捨てた。


「あんたらが誰から生まれるか選べんように、このたねの意味も選べん。それだけだ」


 気味の悪いたね。僕はそんなのは要らない。もういいや。僕は逃げ出したかった。でも、ヒロシがぐいっと手を伸ばして白いたねを掴んだ。つられるようにナガが黒いたねを手に取る。あっ!


「あんたはどうする?」


 なんか……僕だけ要らないっていうのも。残り物になってしまったことにいやな感じはしたけど、しょうがない。僕はしぶしぶ灰色のたねを手に取った。


 ヒロシが聞いた。


「これ、どうやって蒔くんですか?」


 じいさんが小声で答えた。


「右手でたねを握る」


 みんなそれぞれたねを握った。


「たねは蒔かれた」


 えっ!? 驚いて手を広げる。そこにはさっき握ったはずのたねは……残っていなかった。そして、僕らの目の前にいるはずのじいさんも。影も形もなかった。


「な、なんだあ!?」


 ヒロシがすっとんきょうな声を出した。僕は急に震えが来た。


「お、おい、早く帰ろうぜ」


 ナガの声も震えてる。僕らは後ろを振り返らずに、一目散に走って帰った。



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