焦り

***

 また後ろから襲われた。別に背後を気にしていないわけではない。ピアやこの男ほどではないだけだ。

 言い訳じみたことを考えていると、ナディアが笑うのを感じる。そもそもこの竜には階段下に潜んでいる人影が見えていた筈なのに、ここまで放っておくだなんて。なにが愛しているだ。

「危害は加えません。協力しますから、それを降ろしてもらえませんか」

「本当に悪いと思ってるよ。本当だ」

 母屋の一階――まだ学校だった頃、教室の詰まっていた範囲――を見て回りながら、アレイシアは五度目のお願いをした。男は最初こそ拒否の姿勢だったが、回を重ねるにつれぞんざいになだめるようになった。

「本当にここの生徒だったのか」

 男はかなり焦っている。背に武器を押しつけられすぎてあざになっていそうだ。

 廊下に人気はない。兵士が大勢いても困るが、少なくとも捕虜を捕らえておくなら歩哨くらいするだろう。ここは空振りだ。

「本当です。広いですし、今はもう使われていないみたいですから、手近な一階を使っていると考えていました」

 百年以上前、学校として使われる前は修道院だったという。アレイシアが学生だった頃にも、隠し部屋が山ほどあると噂があった。捕虜など、その気になればどこへでも隠せるだろうが、颯を捕らえている方はそんな場所を探している余裕などなかっただろう。

 上階、はない。荷物を抱えて階段を上るだろうか。そもそも彼らは探されると思っていないのだ。

「地下だと思います」

 よし。言って男が急かす。急かされるまま歩きながら、地下の構造を必死に思い出した。当時生徒は立ち入り禁止だった。行ったことはある。が、建物とは比較にならないほど複雑だ。

 地下への階段は玄関ホールの隅に隠されている。ホールに入ると、上階から響いてくる足音があった。ひそひそと話す声の内容までは聞こえない。

 アレイシアの背を押していた男が、階段下へ引きずりこむ。頭上を足音が過ぎていった瞬間、男に突き飛ばされた。よろけて振り返ると、男は武器でひたとこちらを狙っている。下手なことを言ったら殺す、だ。

 アレイシアは階段を見上げた。姿を現した途端になにも飛んでこなかったことに少し安心する。

「レイさん!」

 飛んできたのは暮葉のきんきんした声だった。翼も彼女と一緒だったが、ちらり、こちらが階段下を見たのに気がついたらしい。腰の後ろからあの黒い武器を取り、足音を殺して油断なく階段を下りてくる。

「無事だったんですね! 良かった!」

 暮葉が抱きついてくる。受け止めるが、どう反応したものか困る。しかも目の前では恐らく兄弟が物騒な再会を果たそうとしている。口を開いたが、翼が人差し指を立てたのを見て、結局なにも言えず閉じた。階段下の男がそれを見て気がついたらしい。武器を構え飛び出す。

 あおい髪の男が二人、黒い武器を構えて向かい合う。その緊迫感にやっと気がついた暮葉が素っ頓狂な声をあげた。

 先に動いたのは兄の方だった。親指に武器を引っかけ、両手をあげる。反対に弟はきつく武器を握りこんだ。

 先に口を開いたのは弟のほうだ。

「いまさら、なぜこんなところにいる」

「颯を助けに来た」

「ここにいるとなぜ知ってる」

「国境で聞いた」

「なぜ?」

 繰り返し理由を聞く翼に、兄は素っ気なく答えた。弟から押しつけられる、端から見ても過剰な嫌悪を兄はうまくかわしている。それが弟の嫌悪に輪を掛けるのだろう。

「異人部隊が来るより先に知らせるためだ。榊麻耶が吐いた。あの女、部隊に颯をやらせる気だ」

「それをどうにかできるから、あいつを渡したんじゃないのか」

 そうだな。兄は呟く。反論がありそうだが、それを口にするつもりはない様だった。

「文句は後で好きなだけ聞いてやる。上にはいなかったのか」

 翼の構える武器が大きくぶれる。

「撃ちたきゃ撃て。だが考えろ。お前一人で女二人を連れ出せるか? 国境をどうやって越える?」

 からん、兄が武器を弟の足下へ放る。背を向け、玄関ホールを見回した。地下への階段を探している。

 翼はどうするだろう? アレイシアは男を階段へ案内せずに翼を待った。

 この兄弟にどんな事情があるのかは知らない。絵に描いた好青年の翼が殺意にも似た嫌悪を向けるのに、それは相手にもされない。兄は馬鹿にしているのでも侮っているのでもないように見える。彼はもしかしたら、弟が「撃つ」ことを期待しているのかもしれない。根拠はないが、きっとそうだ。

 翼が武器を降ろした。ほっとするのと同時にがっかりする。いや、がっかりしているのはナディアだ。アレイシアは自身にそう言い聞かせた。

「上には誰もいなかった」

 そうか。応える兄は振り向かない。彼が手招きする。地下は。短くそれだけ言った声からはなにかを見いだすことはできない。アレイシアは彼を玄関ホールの隅へ案内した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る