第004話 02月18日(木曜日)「魔女さんたちって、使い魔、使うんでしょ?」
――座標軸:風見ナミ
この国だけではなく、世界の大抵の地域で、人は、まるで皆が皆、魔女・魔力持ちであるかのように、「通称」と「真名」を使い分けている。
因みに。こうした複数名を持つという習慣は、元々は魔女・魔力持ちに特有のものだった。それが長い歴史の変遷を経て、いつしか現代社会では、魔力のある無しに関わらず、また国を問わず、真名と通称を分けて使うことが、ごく一般的な習慣として広まっている。
現在の和国でもまた、魔力無しであっても、通称と真名を使い分けることはほぼ当然のこととなっている。そうはいっても、流石に魔女、魔力持ちのように、真名を隠匿することにまで至らないのだが。
「彼女」の知っている範囲で、真名のまま、通称を使わずに日常生活を送っている人間は、神矢悟朗くらいだ。
「カザミ。今日の夕方、暇?」
風見ナミの一番親しい友人、隣のクラスの葉山サキがやってきたのは、昼休みも終わりに近い頃だった。
葉山サキは、ナミの知る限り、その真名の綴りは「葉山早姫」である。読みの音は一緒だ。長女だから早い姫、と親から名前を付けられたのだという。
サキは一緒にいたサエとカヤにも元気な声を掛け、近くの椅子を引っ張ってくると、3人の輪の中へと混ざる。
「サエちゃんとカヤちゃんもだけどさー。猫、興味ある?」
「猫?」
「ねこ?」
「ネコ?」
「うん、猫」
ニヤリ。サキの涼やかな一重まぶたの下ですっきりと輝く瞳が、残る3人の少女の顔を、順繰りにゆっくりと見渡していく。
「カザミ。あんた昔、猫飼いたいとかって言ってたでしょ」
「うん、そうだけど……」
このメンツなら、ナミが一人暮らしであるという情報を全員が共有している。勿論、それは魔女としての生き方故、という前提も同時に。そして、一人暮らしで動物の飼育は流石に難しいだろう、というのがそれまでの対外的な彼女の言い訳の一つであることも、また。
「カヤちゃんもサエちゃんも歓迎なんだけどさ」
と、続けるサキ。
彼女の切れ長の目は、本当にいい形をしている。場違いな感想を持ちながら、ナミは友人の次のことばを待った。
「いやー従姉妹のお姉さんが、また猫拾っちゃってね。子猫。可愛いのよ、それが」
その貰い手候補として、サキはナミたちに声をかけてきた、ということだ。
ひょっとしたら、彼女は先に自分のクラスの仲の良い子にその話を持って行った後かもしれない。そう、ナミは想像を巡らせ、同時にこの学校の事情を思い起こす。
この学校に通う生徒は、集合住宅たる「団地」からの通学者が多い。集合住宅だから当然、ペットの飼育は基本的に禁止である。
そもそも声かけをしている葉山サキ自身の家も団地である。彼女の家でも、動物の引き取りも飼育もできない。
偶然ではあるが、カヤもサエも家は一戸建てで団地ではない。
だが、そのことと家で動物が飼えるかどうかはまた別だ。可能というハードルが少し低い、ということはあるにしても。
「まあ、飼育がどうこうってのは置いて、とにかく可愛いわけよ。猫が」
だって子猫よ、子猫! やや興奮気味に、サキが喋り続ける。既に携帯を取り出し、画面をタップし、あれこれと写真を見せながら。
「そうね……見に行くくらいはいいんじゃない? カワイイし」
ぬいぐるみのように愛らしい猫写真の数々に心を奪われたのか、色良い返事をしたのは、サエだ。いつものおっとりとした、とろけるような笑顔で、ゴーサインを出す。
「ウチでの飼育は難しいけれども、見るだけなら見たいわね」
サエの声が呼び水となって、ナミもそんな声を洩らす……やはり、写真の子猫たちはふわふわで、可愛い。そう思いながら。
猫。使い魔になるかもしれない、生きもの。勿論、そうした意味でも興味は多大に持っている。
「そういえば。サキ、悟朗に声はかけた? 悟朗ン家は広いし、道場に来る人も大勢いるよ」
剣道部繋がりということで、ナミはサキに軽く尋ねる。神矢家は拳道も剣道も併せて門下生が大勢通って来る。そうした人たちが猫の里親候補ともなり得ると踏んでの話だ。
「神矢悟朗かー。私が直接拾ったとかっていうんならいいんだけど、そうじゃなくて、従姉妹だからさ。先ずは、私の目の届く範囲の人に、ってことで。ほら、その先の道場の人とかってなると、収集がつかなくなりそうだし」
そのサキの返事に、ナミは素直に頷き返す。その間も、サキはこの画像が、などと言いつつ、次々と従姉妹から送られてきたという子猫たちの写真を展開する。皆、サキの携帯画面の猫たちに目が釘付けだ。
「サキ。いきなりだけど、それ、今日のことよね。いいの?」
「うん、早いに越したことはないしね。それに子猫って、育つの、あっという間よ。小さい可愛い内に見られるだけ見ておいた方がいいよ」
たとえ飼えなくても。そう付け加えて、サキが椅子を戻す。時計を見ると、そろそろ予鈴が鳴る時間を示している。
「カヤちゃんは部活?」
「うん。今日は部活あるわー、私。でも、猫、見たいなあ」
「私は部活パスしちゃおうかな」
手芸部のサエは、何かと厳しいバスケ部よりも融通をつけやすい。それ以前に、ここにいる皆は三年生だから、三学期のこの時期ともなれば部活を休む理由などいくらでもつけられる。
しかしカヤは、流石に部活を優先したいらしい。仲間と一緒の時間が卒業まであと僅かしかないということもある。バスケ部女子間の友情は篤く、その結束は校内でも3本指に入ると言われている程だ。
「じゃあ、カヤちゃんは改めて、別の日に一緒に見に行こうか」
基本、ナミを介して仲好くなっているカヤとサキだが、いずれも気さくな性格二人は二人だけで遊びに行ったりする程度には親しいし、そういう選択も在りだろう。うむうむと相談を続ける二人を見て、そう思いつつナミは頷く。
「じゃあ、帰りに呼びに来るね」
「うん、よろしく!」
「待ってるー!」
「あーあ、残念!」
ナミ、サエ、カヤが、三人三様、バラバラの反応をサキに返す。丁度そのタイミングで、予鈴が鳴った。
――座標軸:風見ナミ
「お邪魔しまーす。アカネさーん、猫、見に来たよー!」
ガラガラと大きな音を立てて、葉山サキはその家の玄関の引き戸を開け、彼女は従姉妹の「アカネさん」がいると思しき家の奥へと声をかける。
平屋の一戸建て。室内にモノが溢れ生活臭の漂うその小さな家の中は、サイケということばがピッタリな程、カラフルだった。物が多いだけではない。それぞれの「モノ」が、実に原色、あるいは蛍光色、ビビッドカラー……そう呼んでよい色合いのもの……が妙に集まっているのだ。それも、全く異なる系統の色が。
だが不思議と、そのカラフルな色合いの家の中は、そう居心地が悪く感じられないと、ナミは受け止める。少々の驚きと共に。
子猫のいる家へと向かう道すがら、サキから語られた従姉妹の人となりは、見た目は地味目で平凡なお姉さん、けれども性根は豪快な姐御肌、といったところらしい。ナミの魔女の知り合いにも姐御肌の人間は複数いるが、サキの話からするとアカネの大らかさはどうやらそこのレベルにも匹敵しそうだ。
「お、来たね。サキちゃん、皆さん」
家主と思しき若い女性が、溢れるモノの隙間から、ひょいと顔を出した。
「上がってよ。ちょっととっ散らかってるけど。猫の遊び場になっちゃってるっていうか。まあ、猫のストレス解消にこういうのはいいのよ」
それ、絶対違うから。三人の女子中学生は、それぞれ内心に同じような文言を思い浮かべたが、口にしない程度の礼儀は弁えているので、適当な笑顔をそれぞれ貼り付けて室内へと上がった。
「私、サキの従姉妹で葉山アカネ。一応これでも塾講師してるのよ。丁度みんなくらいの子を教えてるわ。よろしくね」
温かい雰囲気を纏った、大学生のような外見の女性が、三人を笑顔で迎え入れてくれた。淡い黄色のワンピースに、同系色、萌黄色のエプロンをつけている。料理でもしていたのか。そうナミは思ったが、同じことを思ったのだろう、サキが従姉妹の彼女にそのことを口にすると、「拾いたての猫を構うときの基本的な戦闘服だ」というボキャブラリーで返事が返ってきた。
続く話からすると、今日は授業のシフトが遅い時間にしか入っていないらしい。紹介者のサキが昼間に声をかけ当日中に猫を見に来るというやや強引なスケジュールを組んだ理由は、どうやらそこにありそうだ。そう理解して、ナミは小さく頷く。
襖を開くと、猫がいた。
ニャー
ニャー
ニャー
ニャー
ニャー
子猫。五匹。いずれもぬいぐるみよりもはるかに愛らしく、小さい。写真でも相当だったが、動きのある立体として迫ってくるその毛玉の可愛らしさは、破壊力が強すぎた。三人の少女たちは動きが止まり、目尻が下がる。
道すがらのサキの説明では数日前にアカネの家の近くで捨てられていたところを保護したとのことだったが、同じ説明が当人からもなされる。動物病院での健康チェック済みだ、ということも。尤も、サキの話では五匹ではなく六匹とのことであったが。ということは、早くも貰い手がつき始めているのだろうかと、ナミは想像をする。
「お茶淹れるから、適当に子猫たちと遊んでてね」
所狭しと物が積み上げられた部屋は、恐らくは六畳間なのだろが、どうあがいても三畳くらいの広さしかない。衣装箪笥と本棚だけではなく、何が入っているのかは定かではないが、段ボール箱がやたらと多い。サキの話では引っ越し直後という話は一切出ていなかったとナミは思い返すが、そう思える程、雑然ととっ散らかっている。女子中学生三人が猫たちを囲んでペタンと座り込むと、もう場所は無い。アカネ自身はどこに座るつもりなのだろう、とナミはふと不安になる。
「この狭さを考えると、カヤちゃんが部活だったのは良かったかもね」
家主が台所方面へと去ったことを確認して、ナミは仲介者であるサキに素直な感想を小声で漏らす。
「ま、そうだねー」
そう言いながら、早速サキはふわふわの子猫たちをかき集めて、手でじゃれさせ始める。猫たちはそこそこに俊敏だ。
「アカネさーん、この子たちもう乳離れってしてるのー?」
「うん。昨日500グラムは越えたから。もう普通食で平気」
猫を飼育した経験のない中学生たちは、いきなり体重で猫の発育状態を説明するアカネの話が、どうもピンとこない。猫を手に、三人は顔を見合せながら目をぱちくりと瞬かせる。
「よっと」
行儀も気にせず、足で襖を開けて、アカネが部屋に入ってくる。
「トイレも済ませたし食事もしたばかりだから。この子たち、ちょっと眠そうでしょ」
しかし子猫初体験のナミにしてみれば、眠そうとはいっても相応にどの子猫も活発に見える。そしてその動きもまた、愛らしい。
そのアカネの手にはお盆、その上には茶碗が四つが乗っている。更にお茶請けらしい小さな一口どら焼きのようなものが山盛り、大量だ。
「どうぞ、お構いなく」
大人しめの声で、サエちゃんがアカネに声をかける。
「すみません、お気遣いいただいて」
次いでナミも、お菓子とお茶の礼を言う。それにしても、この部屋、掃除したことあるのかな……と一瞬、失礼な事が頭に過ぎったナミだが、見ると茶碗は綺麗なものだし、どうやら子猫が複数いることで家主も手が回らず、そこで物理的に部屋が散らかり過ぎているだけらしい、ということに思い至った。
来る途中にナミたちが聞いていた話では、それまでは電話とメールでのやりとりだけで、サキ自身も子猫たち本猫を見るのは初めてとのことだった。普段、少しばかり格好をつけてクールを気取っている、剣道部の部長であるサキが、その普段の様子からは想像もつかない表情で、子猫のご機嫌を取ろうと必死である。そしてナミも、そして隣のサエも、目にハートが浮かぶような勢いで、5匹の子猫をあーでもないこーでもないと優しげにつまみ上げ、膝の上で優しく撫でようと恐る恐るといった手つきで触れている。
「アカネさん、この五匹で全員?」
改めてサキが、自分の従姉妹に尋ねる。
「実は、あともう一匹いるんだけどさー……『キャリア』なんだよね」
ナミの耳に馴染みの無い単語が、アカネの口から洩れる。
「キャリア?」
ナミが質問をする前に、サキがその疑問を口にしていた。
「ネコノマタマタマタ症候群。猫エイズよりかはましだけど、発症してしまうとかなーり厄介な病気なのよ、これが。先に検査しといてよかったよー。他の子たちは陰性だから問題無しなんだけどさ。その一匹だけはね、一緒にできないの。だから、そっちの貰い手を探すのはちょっと難しいし、場合によっては私が飼い続けるしかないかもー、なんだわ、これが。まあ、ここは大家さんが動物オッケーって言ってくれている物件だからそれはいいんだけど。ウチ、狭いでしょ。キャリアの猫とノンキャリアの猫をずっと棲み分けさせて育てるのは、物理的に無理だから」
まー、あとは結婚してチョー大きな家に移り住むとかねー、って相手はいないけど。そう冗談めかしてアカネが続ける。
「この子可愛い、美形」
中でも一番見栄えのする茶トラ猫をずっと構っていたサエが、両手で怖々と支えつつ皆によく見せようと優しく抱き上げる。
「ホント、可愛い。アカネさん、こういう茶トラの子、好きでしょ?」
ずっと構っていた斑柄の美麗なキジトラに逃げられたサキが、サエの手元の猫を見て、次いでアカネに話題を振った。
「そうねー、でもそういう綺麗な子から貰い手がつくからさ、私は我慢よ、我慢」
スカートの皺を気にすることなく、そのまま胡坐をかいて無造作にどら焼きの袋を一つ取ると、音を立てて袋を破き、大きく開けた口の中に放り込む。口の中に菓子を含んだまま、アカネは、三人の少女にそれぞれの猫の性格やら特徴やらを適当な口調で説明していく。
「ほら、この斑の子。丁度、鼻糞みたいな位置に黒い柄が来ちゃってるでしょ。ファニーなんだけどさ、こういう美形の条件から外れる子って、貰い手つけるのがちょっと厄介なのよねー。性格はいいのにさー」
アカネの瞳の色は心配そうな色を浮かべているのだが、その声はやや作っているかのように明るい。
「あと、もしも飼育するんだったら、きょうだい猫、まとめての方が楽よ。モチロン終生面倒を見るとなると、飼育費用は倍とかかかるから、それなりの覚悟はいるけど。でも、1匹だけになると結構、人の手が必要になるから。きょうだい同士だと勝手に猫たちだけで遊んでくれるのよ、これが。ご飯代や医療費は倍とはいっても、猫のメンタルには、仲良しきょうだい一緒にって、たぶんいいと思う。条件がオッケーなら複数の方がオススメ」
それからアカネは、話をあっちへ飛び、こっちへ飛び、とさせながら、これまで自身が拾い育てた猫の話、また里親に託した猫たちの話、その里親たちの話を、繰り出していく。
「そうそう、私、一人だけなんだけど、お顔を知らない里親さんがいるのよー。普通は人柄を見て、おうちのことも確認して、それから猫の貰い手になってもらうから、この人だけは超レアケースなんだけど。もう10年よ、10年。私が高校の時だからさー。でね、貰ってくれた人は何度か会ったことのある、人柄もまあ解っている夫の人の方なんだけどさー。その後割とすぐに、そこのご夫婦が離婚しちゃってねー。大学に入る前だったかなー。で、その奥さんだった女の人の方が猫を引き取ったわけ。でもその女の人が律儀な人でね。必ず毎年、猫の近況を紹介した年賀状をくれるわけよ。こっちもだから、頑張って文通してるわけ。年に一度なんだけどね。私が知っているのは夫さんの方だけで、結構いい人だったと思うんだけども。どうして別れちゃったんだろう、って時々思うわね」
そこでまたアカネはお菓子を一つつまみ上げ、口の中に放り込む。
「まー、人間なんてそういうもんかもしんないけどねー。猫以上に、相性が難しいわけだから」
そう、アカネはぼんやりと呟く。それまでの元気がちょっとだけ欠けているその声に、ナミはアカネの顔を見る。ナミからの視線に気づいたのか、ニッと笑顔をつくったアカネは再び大きな声で話を続けた。
「でもね。失敗してもやり直しはできるんだから。夫婦だったら。それはまあいいわ。これが親子だったら、そうはいかないもの。やり直しがきかないんだから。でね、これ、猫もおんなじ。人間が、産んだ我が子を気に入らないから捨てちゃえ、なんてできないように、猫だって最後まできちんと飼える人に貰ってもらわないとね」
うん、うん、と隣でサエが真剣に頷いている。サキも、手の中の斑猫に目を向けながら「そうだよね」と小声で、しかし強い思いを込めた声で同意する。
「猫って寿命、どのくらいまで生きるんですか?」
少し間を置いてから、ナミはアカネへと問い掛けた。
「長い子だと20年はいくわよ、上手く育てれば。平均寿命だともっと短いかもしれないけど。でもって、それ以上に長い子もいるし。尤も早い子は、早くに虹の橋を渡ってしまうんだけれども」
虹の橋を渡る、とは猫が死ぬことの湾曲表現だろうか。後で、調べよう。ナミは、心のメモに忘れないように、一人、口の中でそのことばをもう一度呟く。
「おばあちゃんとこの猫は……サキ、あの猫は長生きよね」
「ああ、そうそう。三毛猫は長生きなんだって言ってたわー。あの猫、私が生まれる前からおばあちゃんのとこに居るって話じゃなかった?」
「サキが今年16になるんだっけー? それ以上かー。うん、長いわ。きっと平均寿命、越えてるね」
今から飼い始めたら、みんなその猫を見送る時は結婚しているわよー、下手すりゃ子どももいるよー、あ、結婚の時は嫁入り道具に猫のトイレを忘れないようにねー、と、自分の分を取る前にみんなの手の中にお菓子を放り込みながら、アカネが話を続ける。
「だから、飼いたくなったらいつでも言って。でも、飼うからには責任が出てくるから、きちんと考えて。命だからね。それと、お友だちに信頼できそうな人がいるんだったら、いつでもウチのことを話してくれて構わないから」
そしてふと、ふんわりと優しい笑顔になって、ナミに目を向けた。
「貴女、魔女さんでしょ?」
「え? あ、はい。分かります?」
「うん。その両方のピアス、両方の指輪。対になっている宝珠で守護をかたちどるのは、あなたたちの文化だものね」
あと、男の人も髪伸ばすんでしょ、と彼女は続けた。
「はい、大体合ってます。男児だと刺青する子も昔はいたけれども、最近はもうそっちの習慣は廃れていますね。アカネさんの塾にも、魔力持ちの生徒さんがいるんですか」
「ええ、いるわ。学校で教えていた時も……そうそう、私、一昨年まで公立高校で教師をしていたのよ、これでも」
手の中で暫く持っていたお菓子を、アカネはまたもサッと口に入れる。
「まあ、荒れた高校でね。2年と持たなかったわー、私」
それまでの口調から少し声が小さくなったような気がして、ナミだけでなく少女たち三人が三人ともアカネの顔へと真っ直ぐ視線を向ける。
「まあ、こんなガサツな性格じゃない、私ってさ。やっぱ学校の先生って合わなかったのよね。職業適性の面で」
保健体育でも教えていそうな雰囲気の彼女は、学校では化学専門だったのだという。現在の職場では理科系の教科全般を小器用にこなしているらしい。理系にはとても見えない雰囲気に、二人は驚き、その事実を知るサキはフムフム、とその驚きがさも当然であるかのように二人の少女に同意のゼスチャーを示した。
「魔女……魔力持ちの子でいじめられている子をね、守れなかったのが、悔しかったなあ」
ぼんやりと、アカネが上を向いて、呟くようにことばを洩らした。
しかしすぐに、心配そうな顔をして見ていたナミの視線に気がついたのだろう。ゆっくりと、温かくて深みのある微笑みをかたちづくって、彼女はナミの目線をしっかりと捉える。その彼女の瞳には、もう力が戻っていた。凛とした笑顔だ。
それでね、とアカネは続ける。
「魔女さんたちって、使い魔、使うんでしょ?」
「はい。でも、わたしはまだ……」
「使い魔って、ただのペットじゃなくて、ある意味パートナーよね。大事にしているんでしょ? 会話とかできたりするの?」
「そこまでメルヘンなことは無いです。でも知り合いたちは、使い魔をみんなとても大事にしています。猫だけじゃなくって、他の生きものでも」
多分ペットよりも、とは思ったが、道具としての使役の面も大きいだけに、目の前のこの人の好さそうな女性にその事実を伝えるのは気が引け、ナミはことばを濁す。
「わたしは生きている使い魔を使役したことがないんで、知っている魔力持ちの様子を傍から見ているだけですけれども」
「今回は、ひょっとしてその下見?」
「いえ。今のわたしは一人暮らしなんです。だから、動物を引き取って面倒を見られる環境じゃないんで。今日は、むしろサキと話がしたかったし、サエちゃんのお伴のつもりで」
ここは、本心であったので、ナミは気持ちよく笑顔を向ける。
「そう……、じゃあサエちゃんの家はどう?」
「ウチは共働きで、昼間の留守がネックですねー」
彼女が、この訪問の前にパートに出ている母親に寄り道をして帰ることをメールで送っていたことを、ナミは思い出す。両親が共に仕事を持ち、家を留守にしている時間が長いという彼女の家。そうなると猫の飼育は無理なのか、と解釈する。
「まあ、ご家族の総意がないと無理だから、そこはゆっくり考えなさい」
なんやかやで教師のような物言いをして、アカネはお茶の残りを啜った。
そうしてナミが見るともなしに部屋の時計を見ると、思った以上に時間が経っていた。子猫の可愛さに惹かれて、遊び過ぎていたということを自覚する。
すると、
「あ、キャリアの子だけ、ほったらかしだわ。私、ちょっと餌とトイレの状態を見てくるから。こっちの猫たちとゆっくり遊んでいて」
そう言い、アカネは立ち上がる。
その瞬間、ナミは、自分でも意識をしないまま、彼女と一緒に立ち上がって声を掛けていた。
「あの……っ!」
まさか一緒に立ち上がる人間がいるとは思わなかったのだろう。アカネが、やや大げさな程に驚いた顔でナミを見るが、すぐに笑顔に戻って彼女に声をかける。
「えーっと、トイレ?」
「……いえ」
ナミも、どうして自分が声を掛けたのか、一緒に立ち上がったのかが判らないまま、言い淀む。そして、意を決し、彼女自身の中の気持ちをなんとか言語化して、目の前の女性に語りかけた。
「ネコノマタマタマタ症候群って、人にはうつらないんですよね?」
「ええ、そうよ。よく知ってるねー。そこんとこは猫エイズも一緒だけどね。でも、猫同士はダメなのよ。一緒にできないわ。その点ではヒトのHIVと同じような課題があるかな。厳密にはいろいろと違うけど」
「あの……」
ナミは、自分の顔が少し赤くなっていることを自覚する。
「飼うことはできないと思うんですけど……」
少し嬉しそうに、アカネが腰を折ってナミへと顔を寄せてくる。
「会ってみる? キャリアの子に」
「……はいっ!」
(つづく)
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