Track-8 らーめんフロンティア

 夏休み2週目。ボクはそわそわしながら家の階段下の受話器の前に座っていた。


 こないだアイスと一緒に買った『セクロスF』のウエハースに入っていたカードが当たったのだ。カードにはヒロインの「マンカ」ちゃんの電話番号が書いてある。そう。いまから、マンカちゃんと生トークだぜ!ボクははやる気持ちを抑えながら黒電話のダイヤルを回した。


 「もしも~し!セクロスフロンティアのマンカ・スーで~す!元気~?」


 うほほ!マンカちゃん、キター!!いかん、レディの前、ここはひとつ、冷静にならねば。ボクは下ろしかけていたパンツを穿き渋めの声でこう答えた。


 「こんにちは。マンカちゃん。突然だけど、いま、何色のパンツを穿いてるのかな?」

 「え、なに~?もっと、はっきり、大きな声で言ってもらえるかな~?」


 え?ボクが手元のカードを裏返すと「※電話するときは大きくはっきりとした声で会話してください」と書いてある。


 ふぅ。注文の多いレィデェは嫌いじゃないぜ。ボクは息を吸い込んでマンカちゃんに質問した。


 「あのさぁ!マンカちゃん、何色のパンツ穿いてんの?」「カルトくんはいま何してるのかな~」「おい!パンツは!」「逢いたいよ~カルトくぅ~ん」


 なんだこいつ。会話が成立しねぇ。ボクは先日のライブの失敗で少し気が立っていた。


 「おいてめぇ!いま何の生地で!どんな形状で!!何色のパンツ穿いてんのか聞いてんだよ!!!」「カルトくぅ~ん」ボクは遂にブチギレた。


 「こっちの質問に答えやがれ!このキ○ガイ緑蟲が!!!」

 「昼間っからなにほざいてるんだい!このキチ○イドラ息子が!!!」


 台所で一部始終を聞いていたマッマがブチ切れた。「...もう、いい加減にしてよ...」ぽろぽろと母が急に涙を流し始めた。まったく。


 さっきまでキレてたと思ったら急に号泣ですか。女ってのはよくわかんないぜ! 「...あんた、バイトは?」「はぁ?バイトならこないだクビになったけど」


 母が膝から崩れ落ちた。「か、かぁさん!」「...大丈夫...お母さん、すこし疲れたみたい...ちょっとお薬飲んだら横になるね」


 そういい残すと母はボクが肩にかけた手を払い台所にとぼとぼと向かった。最近母は抗鬱剤の飲みすぎで後頭部に10円ハゲが出来ていた。


 ...やれやれ、ここは家族の長男である俺が働きにでなければなるまい。ボクは受話器を拾い上げ、まだひとりで会話しているマンカちゃんに「幻滅しました。シュリルちゃんファンになります」と言い残しガチャ切りするとあの店のダイヤルを回した。



 「よくきたね。そろそろやってくる頃だと思ったよ」


 らーめん屋ひいらぎの店長、一ノ瀬鏡が作務衣に着替えているボクの背中に言った。ボクは振り返ると無言で頭を下げた。


 「まーた店に迷惑かけに戻ってきたのか。このイジメられっ子が」


 更衣室に入ってきた一ノ瀬司くんを鏡店長が睨む。司くんは不服そうに舌打ちすると「...ちっわかったよ」と言い残し自分の持ち場である厨房に戻って行った。店長が電話での内容を復唱する。


 「キミが今日一日ノークレームで接客を終えればキミをウチで長期のアルバイトとして採用しよう。ただし、一件でもお客さんから苦情が来たらその場で帰ってもらう。いいね?」


 「はい。わかってます」ボクは静かにうなづいた。


 「キミの仕事は前回とおなじ。お客さんから注文を受けてどんぶりを運び、時間があれば洗い場で食器の洗浄。メニューがひとつ増えたので確認しておくように」


 機械みたいな声で店長が今回の採用ゲームのルールを発表すると更衣室を出、階段を降りて行った。冗談じゃない。あんた達はゲーム感覚かもしれないけどこっちは生活が懸かってんだ!客に文句ひとつ言わせねぇ!ボクは額のハチマキをぎっちりしめなおすと「おっし!」と気合を入れ階段を駆け降りた。



 「いらっしゃいませー!!らーめんひいらぎへようこそゥ!!」


 ボクはリーマン風の男4人組をテーブル席に招き、食券を受け取ると店長に向かって叫んだ。「とんこつ3丁、麺かため!しお一丁お願いシマース!!」


 「とんこつ3丁、麺かため。しお一丁ね。かしこまりました!」店長がメニューを復唱する。食券を店長の見える所に置くとボクはすぐさまじゃぶじゃぶと食器の洗いに入った。「お~お~、そんなにトバして夜まで持つかねぇ」厨房の入り口で司くんがあごひげをイジりながらボクを嘲笑う。クソが。お前の相手をしてるヒマはねぇんだよ。「いらっしゃいませぇ~」自動ドアが開くとボクはお客さんを出迎えに行った。



 「とんこつ2丁、バリカタ、麺かため、お待たせしました!」

 「ありがとうございまーす!」お昼のラッシュがやってきた。


 ボクは店長からどんぶりを受け取ると急いでお客さんの座っているテーブルへ持って行った。途中、床のアブラでスリップするが、そこは気合で耐え、リア充カップルにあつあつのらーめんをお届けした。「次!超とんこつらーめん睡蓮と泥沼、お待たせいたしました」「はい、ありがとうございまーす!」


 来たか。店長の新作らーめん「睡蓮」。モネという画家の絵を参考にネギやなるとを浮かばせたこの創作らーめんは街のタウン情報誌で紹介されるほどの人気になっていた。こんな時に余計な事してくれるぜ。緑色のスープが全然美味そうに見えない。ボクは次から次へとオーダーされるメニューと出来上がったどんぶりを機械のように正確に、そして早く、お客さんの所へ届けて行った。


 ぼーん。2時半を告げる時計の音が店内に鳴り響いた。ボクにとって気が遠くなるほど長く、そして忙しいピーク時間が終わった。とりあえず一安心だ。大きく息を吐き出すと呼吸を整えながらボクは洗い場へ向かった。


 どんぶりをお湯につけていると店長がやってきた。「お客さんは全員出はらった。少し休憩しな」そういうと店長は隠し持っていた缶コーヒーをボクに手渡した。


 「ありがとうございます!」ボクは店長の好意に甘え、コーヒーをがらっがらの喉に流し込んだ。店長がボクの姿を見て言った。


 「さっきはああ言ったが、俺にあんな言われ方をしたからもう二度と来ないのかと思ったよ」

 「ああ、あん時のオヤジの目、マジだったからな」チャーシューをつまみ食いしていた司くんが厨房から出てきた。コーヒーを飲み干すとボクは少し自虐的に2人に身の上話を打ち明けた。


 「うち、とうちゃんが会社クビになっちゃって。母さんも俺が学校で事件おこしたりして迷惑かけてるんで少しでも楽させてやろうかな、って働くことにしたんですよ。おまけにヤクザの息子に目ぇつけられちゃって。これもう、今流行りのツンデレ系じゃなくて詰んでる系?

なんちゃって。はは...」


 「...そうか」


 店内に無言の空気が流れる。


 「あ!いや!全然気にしないでください!全部俺のせいだし、自分でケリをつけなきゃいけない問題だと思ってますし、おすし!ほら!司くんもそんな顔すんなよ!」


 ボクが肘で司くんを突くが、司くんはなにやら神妙な顔つきをしている。いつもなら「タメ語つかってんじゃねぇ!しね!」と返してくれる所なのに。ブーン。自動ドアが開く。「いらっしゃいませー」「とんこつらーめんひとつ」


 背広を着た中年がカウンターの椅子を引く。


 「あのぉ~うちは食券制になってるんですが...」「なんだ、対応悪いな。俺にもう一度立てって言うのかい?」「いや、そういう訳では…」


 「なんだよ、もういいよ」


 そう捨てゼリフを残すとおっさんは店の外へ出て行った。「なんなんだあのオヤジ」司くんが吐き捨てるように言うがボクは入り口に向かって走り出していた。


 「おい!」「すいません!すぐ戻ります!」ボクは店長に言い残すと店を出て商店街を走り出した。あのおっさん、どこに行ったんだ。


 ボクが左右を見渡すと茶色の背広の中年が路地に入っていくのが見えた。よし、見つけた。ボクは全速力で路地に向かって走った。


 ガシャーン!!路地の入り口でボクは配達中のそば屋のバイクに撥ねられた。「だ、だいじょぶか!?あんちゃん!!」


 心配そうに駆け寄るおっちゃんの手を払いのけ、立ち上がるとボクは背広の中年を追った。右足を前に出すたび沼に沈むような感覚に陥る。


 「待って!待ってください!」膝が折れ、這いずり回るようにしてボクは中年のズボンの裾を掴んだ「な!?なに!?」おっさんが声を裏返す。


 ボクは声を振り絞ってお客さんにこう伝えた。


「う、ウチの店は...口頭での注文も承ってますんで、どうか、ウチで食べていってくださいいぃぃぃいいい~」「ひい~」


 商店街におっさんの悲鳴が鳴り響いた。



 ブーン。らーめん屋ひいらぎのドアが開く音。「おい!おまえ、遅かったじゃねぇか!...っておい!」


 司くんがボクを見て声を失う。ボクに肩を貸していた禿げ頭で、腹が出ている中年のおっさんは店長にこうオーダーした。


 「どうやら少し気が立っていたようだ。この少年の魂のシャウト、受け取ったよ。私の分はいい。この子にらーめんを作ってやってくれ。この店で一番上等ならーめんをな」


 そういい残すとおっさんはボクをカウンターに座らせ店の外へ出て行った。店長はボクを見て笑顔で親指を突き出した。



 「平野洋一くん。ようこそ。ウチの店、らーめん屋ひいらぎへ!」


 全身ぼろぼろのボクの前に超らーめん睡蓮のどんぶりが置かれた。「これ...食べてもいいんですか?」「ああ。ウチの店の仲間入りを果たした証だ。どうぞ。召し上がってくれ」


 腹が減っていたのでボクは無心でどんぶりの中の麺をすすっていた。


 「キミがみせてくれた一人のお客さんに対する思いやり。それが俺たち親子に足りなかったものだ。そのことを内心見下していたキミに気付かされた。私は店長失格だ。本当に一人前のらーめん屋になるためにもキミと一緒に働かせてくれないか」


 「よろしく頼むぜ!平野洋一!」司くんが調子良くボクの肩を小突く。



 「うげぇぇぇええええ~!レロレロレロ!!」

 「あー!なにしてんだよ!てめぇ!!」


 ボクは全力で走った後にバイクに撥ねられ、血液を大量に失った状態で濃厚とんこつらーめんを食ったので気持ち悪くなり全てを吐き出した。


 「...やっぱ、お前は信用できねーわ」


 司くんがボクを見て笑うが以前のような悪意がこもった笑い方じゃない。ボクは一度「不合格」を言い渡されたらーめん屋から「合格」の通知を頂いた。かぁちゃん、やっと少しだけ安心させてあげられるかな。ボクは病院に向かうバスの中でそんな事を考えていた。


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