episode35 ビギナーのための情報取引
公園に現れた瀬戸麗美は、化粧っ気もなく髪も乱れていた。
欠伸交じりに手を振ってくる麗美を見て、もしかしたら朝が弱いのかもしれないな、とユメノは思った。何より約束の時間を30分は過ぎている。時間にルーズなタイプなのだろうか、そうは思えなかったけれど。
のんびりと歩いてきた麗美が、目の前まで来て口を開く。
「でえ? 何の情報がほしいって?」
そう、麗美を呼び出したのはユメノだ。『教えてほしいことがある』と確かにそういった。ユメノは少し緊張した面持ちで、
「あたしね、
と、まず切り出す。
瞬間、目を見開いた麗美がユメノの肩を抱いて強引に移動させた。「あんた! 今ちょうどホットでスパイシーな話題をそう軽々と喋るな!」と怒られる。
ホットでスパイシーな話題だとは知らなかった。というか、ホットでスパイシーな話題、とは?
とりあえず謝って、「話聞いてくれる?」と上目遣いで尋ねてみる。麗美は肩をすくめて、「場所を変えましょ。あんたのところの酒場は、今日は人がいるの?」と言ってきた。
いる。けれど、タイラは外に出ていたはずだし、恐らく都と実結とカツトシだけだ。
「あたしの部屋に来てくれる? レミさん、お金って必要かな」
「もちろん。情報に応じて、こっちも商売ですから」
「ね、交換しようよ」
「交換?」
「あたしの持ってるジョウホウと、交換しよ」
訝しげにユメノを見てから、「聞いてから考える」と麗美は言った。それから、「あんた先に帰ってなさい。私は朝食済ませてからまた行くから」とすたすた歩いて行ってしまう。何だかいつもよりクールだ。低血圧だろうか。
言われたとおりに酒場で待っていると、麗美はなぜかキッチンのほうから現れた。カウンターに立っていたカツトシが、背後の人影に驚きすぎて悲鳴を上げながら銃器を抜こうとする。
不機嫌そうな麗美が、「うるっさいわね、このメンヘラオネェ!」と一喝した。口をぽかんと開けて、その場にいた全員――――カツトシ、ユメノ、都と実結が麗美に注目する。
「大体、なんで裏口の鍵かけてないわけ? ガバガバじゃないの、泥棒に入られたことないの?」
カツトシとユメノは顔を見合わせ、恐る恐る「タイラにもそう言われるんだけど」ともごもご言ってみた。案の定、「なら尚更戸締りしなさいよ」と怒られる。肩をすくめながら、「そういう文化圏じゃなかったから、つい」とカツトシが言い訳をした。苛立った様子で、麗美は「そこの!」と言いながら都を指さす。
「ちゃんと管理なさい! タイラワイチは放任主義が過ぎるのだから、実質保護者はあんたなのよ!」
「は、はい……ごめんなさい」
萎縮しきった様子の都が、無意識なのかお手上げのポーズをとった。都は、この瀬戸麗美という女性にどことなく弱い。
ふう、と一息ついた麗美が、ユメノに対して早く案内しろという顔をした。ここにきてようやく、麗美がここへ現れた理由を思い出す。慌てて、「レミさん、こっち」とユメノは階段のほうへ案内した。
物珍しげに建物の構造を見ながら、麗美はついてくる。3階まで上って、「けったいな場所ね」と感想を漏らした。
「初めて入った?」
「そうね、まあ」
「意外。タイラと仲いいから」
「仲良くないっつうの。……あの男は、仕事用の携帯とプライベート用の携帯を分けるタイプでしょ。案外、そういうところがあんのよ。あんたたち、自分らがどんだけ例外なのかわかってないでしょ」
わかってないでしょ、と言っておきながら麗美は特に説明を始める素振りは見せない。仕方なく、ユメノの方から「例外?」と尋ねてみる。ユメノの部屋の前で、麗美は瞬きを一つした。
「私はあいつの連絡先を、一つしか知らない。それが仕事用なのかプライベート用なのかも、知らない」
「教えてあげよっか」
「ばーか」
言葉とは裏腹に、麗美はどこか可笑しそうにユメノを見ている。不思議に思いながらも、ユメノは部屋のドアを開けた。目を細めた麗美が、部屋に入る前に口を開く。
「あの男が“仕事用”と称しているあの携帯の番号。その実態は、『タイラワイチが生きている限り必ずつながる連絡先』なのよ。あの男が、絶対に取りこぼしたくない声を取りこぼさないために用意した機械であり番号なわけ。それは確かに、客といえば客なのだから仕事用と呼ぶんだろうけど」
部屋にそっと入りながら麗美は、「お客サマじゃないあんたたちが、なんで当然のようにその番号を知らされてるかわからないわけ?」と、悪戯っぽく言った。ぽかんとしたユメノに、麗美は「入らないの?」と誘う。まったく、誰の部屋だかわからない。
部屋の鍵をかけた麗美が、当たり前のようにベッドの上に腰を下ろす。ユメノも特に何も考えず、その隣に座った。
「……で、何の話?」
ユメノは緊張したように手を合わせ、「どこから話したほうがいいのかな」と尋ねてみる。下手くそ、と麗美がストレートに突っ込んできた。膝を突き合わせて、苛立っている麗美の顔を見る。
身長は同じくらいだろうか、何か果実のにおいがした。
「聞いてもらったら答えるよ」と不器用に言えば、ため息交じりに「わかりました」と麗美は空咳をする。
「美雨と会ったって言ってたけど、なぜ?」
「アイちゃんが、よくわからない宗教に巻き込まれちゃって、迎えに行ったらそこにいた」
「あなただけ? タイラも美雨に会ったの?」
「会った。ねえ、あの2人ってめちゃくちゃ仲悪い?」
「今は私の質問に答えて。タイラと美雨は言葉を交わした?」
「喋ってた。美雨って人は、『今後一切関わり合いにならない』ことを提案してたけど、タイラはそれに答えてない。『殺すのをやめておく』みたいなことは言ってた」
しばらく真面目な顔をしていた麗美が、ふっと笑ってユメノの鼻先を人差し指で軽く小突いた。「いいわよ、あなた。情報の価値をさっぱり知らないあたりが最高だわ」と囁く。なんとなく馬鹿にされたような気がして、少し不満だった。「レミさんっていじわるだよね」と唇を尖らせれば、「あら可愛い」と頭を撫でられる。
「そう……まあ、あいつらなりに休戦協定でも結んだのかしらね」
「ショーくんとオーナーも、タイラに言いに来てたよ。『手を出さないで』って」
「は?」
目を見開いて、麗美はユメノを見た。自分は何かおかしなことを言ったろうかと、ユメノは委縮する。「詳しく」と言われて戸惑った。
「えっと、昨日……最初に来たのがショーくんで」
「
「うん。それで、お土産にケーキ持ってきてくれて、なんだっけな、タルトみたいなやつ。何か載ってたんだけど、」
「それどうでもいいから。どうせ桃でしょ」
そう、麗美が面倒そうに促す。ユメノはまた唇を尖らせた。情報とは難しいものだ。どこがどう必要で、価値のあるものなのかよくわからない。
「ショーくんが、タイラに“お願い”しにきたの。『口出さないこと、手を出さないこと』って。で、タイラは『言われるまでもない』ってりょーかいした」
「……そのやり取りは、あなたの前で?」
「あたしもいたし、アイちゃんとミユちゃんもいたよ。一緒に聞いてた」
「若松裕司の方は?」
「ショーくんが帰ってしばらく経った後に来た。その時はタイラしかいなかったけど、あたしは隠れて聞いてた」
「つまり若松裕司と平和一2人だけのやり取りだったわけね、それをあなたが盗み聞きしたと」
盗み聞きと言われればその通りなので、今更に罪悪感がわく。話していいことではなかったかもしれないな、と逡巡するユメノの心中を察したように、「とりあえず話してみなさい。その情報、どう扱うべきか教えてあげるから」と麗美がため息まじりに言った。ここまで話しておいて、疑っても仕方がない。そう覚悟を決めて、ユメノは口を開く。
「タイラは、疲れてたっていうか、苛立ってた。オーナーに怒ってたみたいだけど、なんかちょっと八つ当たりっぽかった。それでオーナーは……あたしにはよくわかんなかったんだけど、難しくて。ショーくんと、そのお母さんがどう動いてくるかわからない……『連携が取れていない』って言ってた。だからタイラに、『動かないことをスイショウする』って言った」
ユメノが話し終えたとき、麗美はゆっくりと頬杖をついて何か考えている様子だった。「あんたそれ、私以外に話した?」と端的に確認され、首を横に振る。しばらく黙って、麗美はようやく「いいわ」と言いながら指を立てた。
「あなたが今話したこと、優先順位をつけて整理してみましょ」
そう、告げられる。
ユメノは強くうなづいた。そうしてもらえると有り難い。麗美はわかりやすいようにゆっくりと、しかし明瞭な声で続けた。
「1つ、荒木章と若松裕司が繋がっていない。今のところ対立とまではいかないまでも、連携を取らず事に当たろうとしている」
「2つ、荒木章は平和一に『手を出さないでほしい』と“お願い”する際、なぜか他人がいる場所を選んだ。この情報を広めてくださいと言わんばかりの条件の中で話し合いを進めた」
「3つ、平和一はそれに“同意”した。手を出さない、全て黙殺することを了承した」
「4つ、この状況で平和一が首を突っ込めば、荒木章、それより前に『関わり合いにならないこと』を提案してきた美雨とも約束を違える。そうなれば2人が総力を挙げて潰しにかかってくることは明白、だから若松裕司は平和一に“推奨”という形で警告をした」
一息ついて、麗美はデニムパンツのポケットから煙草のパッケージを出す。「灰皿ないよ」と控えめに言っておいた。そもそも、人の部屋で何の断りもなく喫煙しようとするのはいかがなものか。「ああ、そう」と麗美はアンニュイに目を細める。
「というか、今の話わかった?」
「あんまり」
「簡単に言えば、あれよ。あなたたちに関係ありそうなのは2つ。まず、荒木章と若松裕司が今までみたいに仲良しこよししてないってこと。もう1つが、少なくとも荒木章に関しては平和一に『手を出さないでほしい』と口では言っておきながら、恐らくそれを望んでいないってこと。むしろ、平和一が動かざるを得ない状態を待っている。あの男が『勝手に約束を違えた』という事実を作りたがっている」
「よくわからないんですけど。そしたらタイラが潰されるだけじゃん」
「潰したがってんのよ、なんだかわからないけど」
「そんなことぜったいないよ! ショーくん、タイラのこと好きじゃん」
「……そうだといいけど? わざわざあなたたちのいる前で、そんな話をした理由がそれくらいしか思い浮かばないから。大体が平和一との口約束なんて意味をなさないのよ、あいつはやりたいようにやるんだから。それを荒木章もわかっているはず。それを口にしたことがそもそも理解できない。破るとわかっていて約束をさせるその意味が」
ふう、と息をついて麗美はユメノを肘で小突いた。「タイラとオーナーのやり取りは他で言わないように。なんかそれだけ、ガチくさいから」とだけ言う。『ガチくさい』とはどういう意味なのか、よくわからない。けれど麗美は、それ以外の話はどうでもいいと言う。なぜかと問うと、「おそらく1週間後にはみんな知っているから」と答えた。
「美雨とタイラの接触も、荒木のぼっちゃんがタイラに『手出ししないこと』と頼んでタイラがそれを了承したことも。たぶん1週間あれば知れ渡っている。大したことじゃないわ。それぞれがそれぞれの人脈で、広めたい情報なんて簡単に広めるんだから。私は情報屋だから情報をチップの代わりにすることもあるけれど、彼らは情報を手札の一つとしか見ない。……ええ、でもあなたの情報はとっても有益だったわよ。この段階で知れてよかった」
それで、と麗美は薄く笑いながらユメノの髪をかき上げる。「あなたは何が知りたいの?」と囁かれ、ユメノはハッとした。そういえば、自分で『聞きたいことがある』と麗美を呼び出したのだった。すっかり忘れてこちらが全て話すつもりでいた。
あのね、とユメノは空咳をする。
「7年前のこと、教えてほしくて。何があったのかなって」
「は? そんなこと」
拍子抜けした様子の麗美が、目を丸くして呟いた。「そんなことだったら、特にお代なんていらなかったのに」と。え、と口を半開きにしてユメノも拍子抜けしてしまう。麗美は自分の首のあたりを触って、困った顔をした。
「7年前何があったか……正直、私にもよくわかってないし。自分で見聞きしたものに、人から聞いたことを補っていって、つぎはぎで出来損ないのストーリーを作ってみただけ。正解じゃない。それでもいいなら、聞く?」
「聞く! 教えて」
身を乗り出したユメノに苦笑しながら、麗美は「美雨と会ったって言ったわね。どう思った?」と尋ねてくる。首を傾げたユメノに、「タイラと美雨についてよ、どう思う」と再度問うてきた。
「どう、っていうのはよくわからないけど……」
少し目をそらして、ユメノは考える。言っていいことかどうか自信がなくて声が小さくなりながらも、「ちょっと、似てる感じがした」と答えた。
そう、タイラと美雨はどこか――――言葉にしづらいところでよく似ていた。
返答を聞いて、麗美は笑顔のまま目を伏せる。そうね、と柔らかく肯定した。
「あの頃、タイラには相棒がいた。そして荒木章の父親が生きていて、美雨という嫁がいた。それぞれがそれぞれの苛烈さを持った……ええ、とてもよく似た4人組だった」
タイラの相棒の名は
そう名前だけ一息に告げて、それからゆっくりと、麗美は語り始めた。7年前のこと、そしてその事の発端を。
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