ChapterXX 虚空 02

「さぁーて。順を追って話しましょう……と、言いたいトコだけど。如何せんドコから手をつけたモンかなぁ」

 ふむぅ、ヘルガは頬をかく。

「あぁーそうそう。言い忘れてたけど、この部屋はアタシが霊力で編み上げたモノでさ。何て言うか、そう、安全地帯セーフハウス? まぁ防御手段とかゼンゼン無いただのハリボテだけどさ。もしファントム5が予備知識ナシでいきなり起きたら、なんもワカンナイまま虚空領域こくうりょういきに溶けてっちゃっただろうし」

「つまりは目隠し、ですか」

 あるいは保健室のベッドのカーテン、と入った所か。

「そっそ、そゆこと。で、次は……えーと」

 またもや頬をかくヘルガ。人と話すのが久し振りだと言っていたが、それ以上に説明が苦手なのかもしれない。

 なので、風葉かざはは水を向ける事にした。

「じゃあ、手近な所から説明お願い出来ますか?」

 即ち。正面の立体映像モニタに映っている、歪な自分自身の姿へ。

 そして何故、自分がこんな場所に居るのかを。

「おっとそう来られましたか。でもまぁそうだよねーイチバン気になるトコだよねー」

 うんうんと頷いた後、ヘルガはニッと歯を見せた。

「んじゃまあ説明しましょうか。一ヶ月前、キミの身に何が起きたのかをね」

「え」

 一瞬、風葉の思考はフリーズした。

「一、ヶ、月? そ、んなに、時間が経ってたんですか!?」

「そだよー? ま、虚空領域ここで時間の概念なんてモノは、あって無いようなモンだけどねぇ。さーてと」

 ぱきん。ヘルガが指を鳴らすと、正面の立体映像モニタへ映像が灯る。

「始めましょうか。一ヶ月前、モーリシャス沖のEフィールドで、一体何が起きたのか……もっとも、コレ見りゃ一発だろうけどネー」

 映りだしたのは、様々な光が踊り続ける黒色の空間。即ち、虚空領域そとの風景だ。もっともリアルタイム映像でないようだが――。

「あのう」

 これが、何か。そう風葉が言いかけた矢先、黒色の只中へ亀裂が走った。

「あ」

 目を見開く風葉。その大きな瞳の中で、亀裂はみるみる広がる。ばきばきと割れ始める。

 そして黒色は、虚空領域は、ガラスよりも呆気なく爆ぜ割れた。

 広がる裂け目。その向こうから間欠泉じみて噴出するのは、莫大な量の霊力。

「あの、灰銀色、は」

 その霊力を、一体誰がもたらしたのか。

 風葉は、一目で理解した。

「わた、し」

「そ。ファントム4が放った一撃で、ファントム5の霊泉領域れいせんりょういきに、一時的に穴が空いたの。で、ファントム5の霊力と意識の一部が、この虚空領域へ流れ込んだのさ」

「そ、んな」

 言葉を失いながら、それでも風葉はモニタを凝視する。亀裂はみるみる塞がっていき、灰銀色フェンリルの流出は程なく止まる。そして流れ出た灰銀色は、黒色の只中でぐるぐると滞留を始める。

 それはやがて積乱雲にも似た渦となり――そこで唐突に映像は途切れた。ヘルガが切ったのだ。

 だが、これ以上はもう見る必要もあるまい。

「とまぁ、経緯はこんな感じだね。あの渦が一ヶ月かかって固まって、今のキミになった訳なんだよねー。まるで昔のアタシみたいだ」

 けたけたと事も無げに笑うヘルガ。その笑顔へ、風葉は問い詰める。

「ど、どういう意味なんですかそれって!」

「どうもこうも、言った通りだよ。キミは、厳密には霧宮風葉じゃあない。霧宮風葉の記憶と人格の一部が、虚空領域っていう特殊な環境下で、辛うじてカタチを保ってるだけに過ぎないのさ」

 しれりと、ヘルガはとんでもない事実を突き付けた。

「な、」

 色を失う風葉を余所に、ヘルガはつらつらと雑感を並べる。

「けどまぁ、ソレ言ったらアタシも同じか。まったく困ったもんだよねぇ」

「ちょ、ちょっと待って下さい! 私が、記憶の、断片!?」

「そだよん。今言ったっしょ?」

「じゃあ、だったら、ホンモノの霧宮風葉わたしは、一体どうなってるんですか!?」

「ああ、その辺はキミの方が良くワカルはずだよ」

「わたし、が?」

 ヘルガは、風葉の目をまっすぐに見た。

「そうとも。意識してごらん? アタシ達の核になってるトコ……ここんトコを、さ」

 更にヘルガは核のある場所を、自分の胸の真ん中を指差した。

「心、臓、を?」

 頷くヘルガにならい、風葉も胸を押さえる。術式を使う時のように、意識を集中する。

「――。あ」

 程なく、風葉は理解した。

 胸の中の奥の奥。その底に虚空領域の外側、即ち霊泉領域への繋がりがある事を。

 繋がりは尋常で無く細い。それが目に見える物だったとしたら、きっと針の穴よりも小さいだろう。

 だが、風葉には解った。今、現実世界の自分が、何をしているのか。

『……? ん、と。あのぅ。どちら様ですか?』

 余りにも懐かしい、花が並ぶ自宅の風景。その売り場に、酷く久し振りな、見知った顔があった。

 即ち、辰巳たつみとマリアである。

『いや。俺が一方的に知ってるだけだ』

 余りにも悲しい表情で、余りにも悲しい言葉を、辰巳は吐き出した。

「そんな……! そんな事ないよ! 五辻くん! マリア!」

「無駄無駄。キモチは分かるけど、虚空領域こっちから現実世界あっちへ干渉するには、どうしようもなく繋がりが弱いんだよ。分かるっしょ?」

「それは、そう、ですけど……!」

 風葉は涙を浮かべた。胸を掴み、爪を突き立てた。この想いを、憤りを、ほんの少しでも伝える為に。

『あ、丁度良かった。今呼びに行こうと……あら風葉、どうしたの?』

『え? 何が?』

 果たして、それは伝わったのか。あるいは、記憶の残滓がまだ残っていたのか。

『何が、ってアナタ、泣いてるじゃない!』

『え』

 現実世界の風葉は、静かに涙を流した。

 虚空領域の風葉の心情を、代弁するように。

「……何なんですか」

「ん?」

「何なんですか、ここは!? 虚空領域って、一体何なんですか!?」

 叩き付けるような風葉の激情を、ヘルガはしれりと受け流す。

「さぁねぇ? アタシにも詳しい事はよくわかんないな……や、違うか。わかんないようにしてるんだ。わざとね」

 言いつつ、ヘルガは無造作にカーテンがかかった窓を見る。

「理解しようと思えば出来るんだろうさ。さっきのキミみたいに、この領域へ潜っていけばね」

「でも、そんな事を、したら」

 風葉は右腕を見た。つい今し方、虚空へ溶けかけていた五本指を。

「そ。そんな事したら、きっとこの空間と一体化して戻れなくなってしまう。霊泉領域よりも奥にあるからなのかな? アタシ達は今、心よりも、精神よりも、もっと底にあるなにかが剥き出しになっているんだ」

 おもむろにヘルガは右手を掲げる。その掌には、いつの間にか青い液体の揺れるコップが握られていた。霊力で編み上げたのだろう。

「例えるなら、この青い色水がアタシらだ。普通なら肉体コップに守られてるモンなんだけど」

 くるりと。

 ヘルガは素早くコップを逆さまにした。必然、液体は流れ落ちる。その先には、やはりいつの間にか現われていた水槽が水面を揺らしており――しかしそこへ落ちる直前、青い水は重力を無視して空中へ静止した。

「ほい、コレがアタシらの今の状況ってワケだ。で、この水槽が虚空領域。もしもここへ飲まれてしまったら――」

 ぱきん。

 ヘルガの指が乾いた音を鳴らす。青い液体は今度こそ落下し、ぱちゃりと音を立てて水槽に飲まれてしまった。

 青い色は、もうどこにも見当たらない。

「この虚空領域はいつから存在したのか? それは分からない。人類が、地球が、ひょっとすると宇宙が生まれた時から存在するのかも知れないね。で、そんなトンデモナイ虚空領域だけど、名前があるって事は?」

「昔、ここを見つけた誰かが居る?」

「正解」

 頷き、ヘルガは水槽から水を汲んだ。

「虚空領域は、とんでもなく莫大な量の霊力に溢れてる。連中が初期に観測した範囲ですら、地球上全部の霊地を合わせた量をなお上回ったんだからねぇ。推して知るべしだよ」

 コップの中でなみなみと揺れる水。零れそうで零れないその波紋を、風葉はじっと見つめた。

「……」

 風葉も今、理解していた。その分子密度に匹敵する程の霊力が、室内外問わず空間へ充ち満ちている事に。

「当然、連中はそれを利用しようと企んだ。それがプロジェクト・ヴォイド――引いてはプロジェクトI.S.Fってコトなんだよね」

「プロジェクト、I.S.F」

 オウム返しに風葉は呟いた。

 いつだったか。確か、ずっと前。辰巳と知り合ったばかりだった時期に、聞いた憶えがある。

『二年前の話だ。ある組織が途方も無くデカイ、かつ悪い事を企んでいた。プロジェクトI.S.F.――Immortal Silhouette Flame。日本語訳すると神影鎧装しんえいがいそう計画だな』

 そうだ。あの時食堂で、辰巳がそんな話をした事を、風葉は思い出した。

「I.S.F。イモータル・シルエット・フレーム。即ち神影鎧装。プロジェクト・ヴォイドから得られたデータを叩き台に、虚空領域へアクセス出来る人造人間、接続者コネクターとやらを造り出すのが目的だったんだとサ」

 軽く肩をすくめた後、ヘルガはおもむろに指を鳴らした。

 ぱきん。

 乾いたその音を合図に、灰色の天井へ亀裂が走る。左右に分割し、音も無く開いていく。

「え」

 そうして、風葉は目の当たりにした。

 今の今まで、安全地帯によって視界から隠されていた、超巨大な術式陣を。

 距離感が掴めないので断定は出来ないが、恐らくバハムート・シャドーと同じくらいの大きさがあるのではなかろうか。 今まで目にしたどんなものより巨大、かつ精密な幾何学模様を描く術式陣の威容が、そこにはあった。

 黄。白。橙。黒。青。緑。銀。金。数え切れない程の色彩が、術式陣の上でオーロラのように波打っている。美しく、けれどもどこか不穏な表情を魅せる輝きに、何故か風葉の背中は粟立った。

 だがそうした輝きよりもなお異様だったのは、やはり術式陣の縁から噴出している黒い靄であろう。

 一秒たりとも絶える事無く、瀑布の如き勢いをもって、全方位へと噴出し続けている靄。虚空領域と同じ色でありながら、一切混じり合おうとしない黒い異物。

 USCの、引いては全世界の転移術式使用者の記憶に干渉していた元凶が、これだったのだ。

「な、なッ、何なんですかアレ!?」

「アンカー。アタシらが強襲した施設では、そういうコードネームで呼ばれてたよ。正式名称も勿論あるんだけど、えーと、何だったかな。えらく長ったらしかったのは記憶にあるんだけど」

 ヘルガはコメカミをつついた。何故か、辰巳と同じように。

「ま、今はそんなコト重要じゃないよね。プロジェクト・ヴォイドは、ああしてアンカーを打ち込む事は成功した。けど、そこから先が上手く行かなかった。どんなに技量の高い魔術師でも、虚空領域の異質さに耐えられなかったんだよね」

「異質、さ?」

 首を傾げる風葉だが、ヘルガはあえてそこに触れなかった。

「そう、普通の魔術師じゃあ無理だった。だから普通じゃ無い素体を用意したんだ。で、いよいよそのトンデモナイモノと接触しようとして、なんていうか――ま、大事故が起こったワケだ」

 コップを持った手で、ヘルガは立体映像モニタを指差す。つられた風葉が視線を移せば、正面の正方形にはどこかの山中が映っていた。

 深い森の只中、急傾斜の斜面へしがみつくように、場違いな鉄筋コンクリートの建物が顔を覗かせている。

「元は潰れた製材工場だったんだけど、連中――スティレットっていう組織が秘密裏に接収して、色々とやってたらしくてねえ」

 今となっては記録にしか無いその建物を、ヘルガはじっと見た。

 その横顔には、郷愁に似た色が滲んでいる。

「二年前。アタシ達は、まさにアンカーへのアクセス中だったそこへ強襲をかけた。そして、事故が、起こったのさ」

「どんな事故、だったんですか」

 ヘルガを見上げながら、風葉は聞いた。聞かねばならないと、訳も無く感じたからだ。

「……レツオウガが、起動したのさ」

 ヘルガはコップを放した。

 霊力で編まれていたコップは、中身もろとも床へ触れる事無く、虚空へかき消えた。

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