ChapterXX 虚空 01

 目を、覚ました。

「……、……」

 ベッドから上体を起こし、辺りを見回す。

 そこは、自室では無かった。翠明すいめい寮の部屋でも無かった。

 一面灰色の、飾り気も何も無い、のっぺりした部屋。せいぜい目につくのはカーテンがかかった窓と、傍らに立つ金髪の女性くらいなものだ。

「お、やっとお目覚めかい……というのはちょいと酷かな。何せあんだけのダメージを受けたワケだしねぇ。むしろ早かったのかな? どっちだろ」

 ファントム・ユニットの鎧装に良く似た恰好をしている金髪の女性は、手振りを交えながら一方的にまくし立てる。

「ま、タイミングは悪くなかったからヨシとしましょか?」

 何やら勝手に納得している彼女に、とりあえず声をかけた。

「……。あの。ここ、どこなんですか」

「うんうん気になるよねーワカルワカル超ワカル。でもその前に自分のナマエを思い出してみよっかー。さーんハイっ」

「ん、むぅ」

 有無を言わさぬ彼女の勢いに、はたと口を噤んだ。

「ええ、と」

 言われるまま、思い出そうとした。自分の名前を。

「きり、みや。か、ざは――、」

 酷く重い唇を動かして、どうにかそう名乗った直後。

 靄のように風葉かざはの思考を遮っていた眠気は、一気に吹き飛んだ。

「う、そ。なんで、こんな」

「こんなにも名前を思い出すのに手間取ったのか、って? まぁー当然のギモンだよねぇ。どんなによっぽど寝ぼけてようが、そこまで忘れるなんざそうそうないからネェ」

「ん、まぁ。そう、なんですけど」

 どうにも調子が狂ってしまうが、同時に彼女は何かを知っている様子でもあった。なので頬をかきつつも、風葉は金髪の女性へ質問を投げた。

「あの。ここ、どこなんですか」

「ん、ああ。虚空領域こくうりょういきだよん」

 利英りえい凪守なぎもりどころか、世界中のあらゆる魔術組織が知らない名前を、彼女はしれりと告げた。

「……、?」

 それは非常に驚くべき事なのだが、生憎と風葉は魔術系の知識がほとんど無いため、ただ首を傾げるしか無かった。

「ふふん。なんじゃソリャ、って顔してるねー。わかるわかる。まぁーでもコトバで説明するより、実際に目で見た方が早いとおもうんだよネー」

 ぱきん。女性は指を鳴らす。軽い音と共に、灰色のカーテンが開いた。

「え?」

 つられて、風葉は窓の外を見た。

 黒。

 そうとしか言えないなにかが、そこにあった。

 夜では無い。

 宇宙でも無い。

 今までに見た事がない、想像した事もない、信じられないほど透き通った黒色。

 目をこらせば、果ての果てまで見えてしまいそうな、黒。

 その中を、光が乱舞していた。

 赤、青、緑、銀、茶、黄、橙、灰。まだまだある。世の中にある、およそ全ての色彩が、ここにはあった。何の根拠も無しに、風葉はそれを確信した。

 光は、どれも刻々と表情を変えていた。おなじものは一つとして無い。点がまたたき、線が走り、波紋が揺れ、帯となって流れる。ライブハウスのホールですらここまで艶やかではあるまい。

「で、も」

 果たして、あの光は何なのか。何より、この黒色は何なのか。

 風葉は、窓の外の光景をじっと見る。

「あ、」

 そうして、唐突に理解した。

 あれは、情報なのだと。

 ここは、すべてなのだと。

 恐竜が絶滅した理由。J・F・ケネディ大統領暗殺事件の犯人。ツングースカ大爆発の真相。草薙剣の行方。アルファ・ケンタウリは実在するのか否か。

 この地球上――いや、宇宙中にある全ての知識が、事象が、風葉には手に取るように理解出来た。

 ああ。

 ヒトは。地球は。宇宙は。事象は。

 なんとまあ、ばかばかしいくらい、単純に出来ているのやら。

 光は止め処ない。黒色は果てが無い。ありとあらゆる物事が、転写術式よりも明確に解ってしまう――!

「……も、っと」

 もっと知りたい。もっともっと解りたい。もっと、もっと、もっと――!!

「はーいストップ」

 唐突に、金髪の女性が風葉のほっぺたを摘まんだ。むにぃーっとよくのびた。

「んえっ!? ふぁ、ふぁにふるんへふかなにするんですか!?」

「うんうん、そのキモチよーくワカルよ。けどね、ファントム5。ちょーっと自分のお手々を見てみようか。右のね」

「右手ぇ?」

 放された頬をさすりながら、風葉は自分の右手を見下ろした。

 見慣れたはずの掌は、しかししゅうしゅうと微かな音を立てて揮発していた。輪郭もだんだんと透明になっていく真っ最中であった。

「右手ぇぇぇーっ!?」

 風葉が叫んだ瞬間、右手の揮発は収まった。輪郭も一瞬で元の濃度を取り戻した。

「な、な、な」

 驚きながらも、風葉は頭の隅で理解していた。

 今の現象は、自分が窓の外を見たのが原因なのだと。あの光となって乱舞している膨大な情報に、危うく取り込まれそうになっていた事を。

「なッ、何なんですか!? ここ、一体、なんなんですか!?」

「うんうん、びっくりしてるねぇ。その驚きをまず味わって欲しかったんだ。クチで言って解るよーなモンじゃなかったでしょアレ」

「そりゃまぁ、そうですけど」

 呆気に取られる風葉の前で、彼女はもう一度指を鳴らした。カーテンが滑らかに閉じる。

 それから咳払いを一つして、彼女は語り始めた。

「さて、じゃあ改めて説明しましょ。この空間の名前は虚空領域……ってのはさっき言ったか。ヒトの霊力が湧き出す原泉、霊泉領域れいせんりょういき。その一番奥にある壁を、更にブチ破った先にあるトコだよん」

「そんな、場所、が」

「そそ、あったんだよねコレが。集合的無意識、ってヤツが感覚的に近いのかな? ユング先生センセがいってたヤツ。アレはヒトの意識の集まりだったけど、虚空領域はそうじゃない。もっともっと広い。とてつもなく、とてつもなく、とてつもなく――」

 ぐぐっ、と彼女は拳を握る。溜めて、溜めて、溜める。

「――とてっ、つもっ、なく、広い。実際に体験したファントム5なら分かるっしょ?」

「それは、確かに。間違いなく」

 今し方虚空領域の一端に触れたばかりの風葉は、その本質と危険性が良く分かった、痛いほどに。

「でも、知りませんでした。今まで、こんな場所があるなんて」

「そりゃーそうでしょ。何せどこの魔術組織も知らないからね……あぁー、でも部分的には利用してたんだっけね。世界的に」

「? 何にですか?」

「そりゃアレよ、転移術式。フリングホルニとか天来号テンライゴーとか、乗る時使ったコトない?」

「え」

 風葉は、目をしばたかせた。

「そりゃあ、あります、けど」

「誰だっけ、そう、ファントム3。彼は例外的に自前で転移術式を使えるぽいけどさ。アレは冥界っていうある種の異次元へ一旦門を繋いで、そこからすぐ別の座標へ繋がる門をもいっこ開いて、それを潜ってるワケでしょ?」

 その辺の理屈をよく知らない風葉は、曖昧に頷くとこしか出来ない。

「だったらさ。普通の転移術式は、どこの異次元を転移の足場に使ってるんだろうね?」

 足場になる、異次元。

 そんな心当たりなぞ、風葉には一箇所しか無い。

「ここ、なんですか」

「ご名答」

「で、でも。それって、いくらなんでもおかしいですよ!」

 冥のものを例外にしたとて、転移術式があらゆる魔術組織の移動手段である事実は動かない。

 そして虚空領域が中継地点となっているのなら、その存在を誰も知らないという事は有り得ない。

「そかな? スマホのいじり方は知ってても、ネットサーバーがどうなってるかまで知ってるヒトなんて、そうは居ないでしょ?」

「それ、ただの屁理屈では……」

「まぁね。利用者ネットユーザーならまだしも、専門サーバー魔術師エンジニアまで知らないってのは、幾ら何でも有り得ないよねぇ」

 言いつつ、彼女は足下の床を指差す。

「その理由が、この向こうに見えるよ」

 いつの間にか、そこには窓が出来ていた。先程と同じ黒を切り取っているその四角形を、風葉は覗き込もうとして、しかし躊躇した。

「はは、だいじょぶダイジョブ。自分を持ってかれないようしっかり意識しとけば、そうそうヤバイ事にはなんないよ」

「そう、なん、ですかぁ?」

 拳を握り締め、風葉は恐る恐る窓を見下ろす。黒の向こう側。幾筋もきらめく光の線が、円弧を描きながら現われては消えている。さながら流星雨のように。

 あの光こそ、アメリカの魔術組織アンダー・シップ・コネクション――USCの転移術式が放っている光だ。転移術式を潜った誰かが一旦虚空領域こちらへ現われ、別座標へ繋がる門を潜って行く。そうした一連のプロセスが、光の円弧となって見えているのだ。

 そしてその円弧が頂点に至る直前、黒の中から現われた術式陣が光を迎え入れる一部始終も、風葉にはありありと見て取れた。

「あれは……封鎖、術式!?」

 対象の記憶を改竄し、思考を制限する術式。その効力を、風葉は身を持って理解していた。

「そそ。もっとも世に出てるヤツとは違って、検査に引っかからないよう独自の構造になってもいるけどねー」

「で、でも、けど、それが、なんでここに!?」

「そりゃあ勿論設置したからだよ。ここを秘匿しようと企んだヤツがね……さて。ここから先は少々事情が込み入ってくるから、順を追って話してこうか」

 ぱきん。彼女が一つ指を鳴らすと、現われたのは大きな立体映像モニタ。まだ映像が灯らぬ真っ暗な画面は、鏡のように今の風葉の姿を映し出した。

 即ち。モーリシャス沖のEフィールドで着ていた、日乃栄ひのえ高校指定の水着と。

 元の黒と、フェンリルの灰銀。二つの色に分かれた奇妙な髪を。

 その姿は、一ヶ月前に霊泉領域で辰巳たつみが見た風葉の恰好と、まったく同じだったのだが――当然、風葉にそれが解る筈は無い。

「一、体」

 今まで何度も鉄火場をかいくぐり、理不尽にも遭遇した風葉だったが、今回は幾ら何でもとびきりだ。

 何がどうなっているのか。そもそもなぜここに居るのか、検討さえつけられない。

 くらくらする頭を抑えながら、風葉は取りあえず最大の疑問を投げかけた。

「あの。その前に、一つ聞きたい事があるんですけど」

「ん、なんだい?」

「あなたの、名前は?」

「……、」

 一瞬。金髪の女性は、目を点にした。

 それから、ぽん、と一つ手を打った。

「あ、あぁー! そうだったそうだった! 初対面の相手にはまず名前を名乗る事から始めるんだった! いやゴメンゴメンうっかりしてたよ! 何せまともに誰かとしゃべるのって凄い久し振りだったからさぁ!」

 屈託の無い笑顔で一頻り笑った後、彼女はやや大げさに咳払いした。

「……さて。じゃあ、改めて自己紹介させて貰おうかな……こうなるとちょっと緊張するね」

 少しはにかみながら、彼女は右手を差し出す。

「アタシはヘルガ。ヘルガ・シグルズソンって言うんだ」

 アリーナ・シグルズソンの姉。五辻巌いつつじいわおの思い人。

 そして二年前、辰巳が殺してしまった人物の名前を、金髪の女性――ヘルガは、しれりと名乗った。

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