Chapter10 暴走 13

◆ ◇ ◆


 気付くと。

 辰巳たつみは、雪の上に立っていた。

「……!?」

 訳も分からず、しかし身体に根付いた戦闘技巧は、即座に辰巳へ拳を握らせた。

 そのまま全周警戒。フェイスシールドも遮蔽。

 ざっと目についたのは、しんしんと降り積もる白い雪。鋭く空を突き刺す黒い森。妙に目につく丸太小屋。時折うごめく灰銀色の空。

 だが何よりも目立つのは、それら全ての上に走っている赤い光の線であろう。

 電子回路じみた文様を描くそれは、やはり術式陣なのだろうか。あまりに異様な光景だ。

「しかし……」

 それ以前に、一体ここはどこなのか。ほんの一瞬前、辰巳はインペイル・バスターを叩き込んでいた筈。

 だというのに、気付けばこの異様な雪原へ。

 何故か。緊張に息が詰ま、らない。

 そもそも辰巳は今、呼吸をしていない。

「ならここは、霊泉領域れいせんりょういきなのか」

「そうだねえ。まさに正解」

 背後、今し方確認した筈の方向から声。足元の雪を蹴り飛ばし、辰巳は即座に向き直る。

「いや、いや。どう対応するのかは興味あったがね。覚醒するのはともかく、そのまま一足飛びにここまで乗り込んで来るとは。些か予想外だったよ」

 距離、約十五メートル。ボロ布のようなローブを纏った男が、そこに立っていた。

「セット、ハンドガン」

 何者なのか。目的は何か。しかして、それ以上に。

「並びに、ブーストカートリッジ」

 ――こいつがこの現状の、霊泉領域の有様の、何よりフェンリルが暴走した元凶。

 根拠は無い。無いが、辰巳はそう直感した。

、ィッ」

 男の逆方向に照準し、発砲。迸る爆発が、銃口から生ずる加速力が、開けた間合いを一秒でゼロにする。

 更にその速度が生み出す運動エネルギーを、辰巳は余すことなく鉄拳へ乗せて、ローブの男へ叩きつけた。

「お」

 何か言おうとしていたローブ男は、トン単位に近い撃力の直撃により、きりもみしながら吹き飛んだ。そのままマット代わりの雪原へと叩きつけられ――るよりも先に、跡形もなく飛び散っていく。

「これで、」

「解決はしないぞ? にしても意外と乱暴な奴だったんだな、オマエ」

 再び背後から声。辰巳はまたもや向き直る。

 そこにいたのは、やはりローブの男。誰かの分霊なのか。それともこの霊泉領域を蝕んでいる赤い術式のためなのか。恐らく両方だろう。

「そんな調整をした覚えは無いぞ? なぁゼロツー」

 男は語る。フードの奥へ完全に隠れているため、表情はまったく見えない。しかして大げさな肩のすくめ具合から、高揚しているらしい事は見て取れた。

 ついでに、どうあがいても相容れないタイプの人種である事も。

「ち」

 舌打ち、辰巳はハンドガンを真上へ放り投げる。

「お?」

 男の視線が銃へ移る。隙が生まれる、と同時に踏み込む。降り積もった厚い雪の上を、滑るように疾走する。

「おお、目の覚めるような――」

 右拳。愚直にまっすぐな正拳突きを、男は流石にガードした。そのまま反撃に、移るよりも先に、辰巳の連撃が唸りを上げる。

、ア、アッ!」

 左拳、右拳、回し蹴り。鋭く重いコンビネーションが、降りしきる雪を吹き散らす。

 そして、その尽くがローブの男を打ち据える。

「オ、ボ、ゴッ」

 なすがまま打たれ、受け身も取れず、キリモミすらしながらローブ男は雪原に倒れ伏す。

「ア?」

 余りに呆気ない手応えに、さしもの辰巳も鼻白む。が、それは間違いだとすぐさま思い直す。そうでなければ、二度も背後を取られたりするまい。

「はは。本当に目の覚めるような連撃だな、ゼロツー。今の俺がこんな身体ザマだってのもあるだろうが」

 大の字になったまま、しかしローブの奥にある目だけは、爛々と光りながら此方を見上げている。

「大したもんだ。本当だぞ? 嘘、偽り無く、掛け値無しだ、まったく嬉しいね。純粋な戦闘技巧だけなら、とうにオリジンを超えてるんじゃないか?」

「減らず口を……」

 無造作に、辰巳は右手を上げる。その手のひらへ、先程放り投げたハンドガンが過たず収まった。

「チェンジ。ノーマルカートリッジ」

『Roger NormalCartridge Ready』

 弾倉構成、即座に交換。滑らかに照準、照星は顔面。射撃、射撃、射撃、射撃射撃射撃。

 弾丸は余す事無く命中し、ローブ男は雪上でダンスを踊る。

「やれやれ、容赦のないところもオリジン譲りかね? まぁ、それもそれで好ましい要素ではあるが」

 しかしてそのローブ姿は、辰巳が瞬きした瞬間に消える。それと同時に、まったく別の方向から男の声がやって来た。

「クソ、キリが無ぇ」

 舌打ち、三度辰巳は振り返る。ローブの男は、今度は丸太子屋の手前に移動していた。今までよりも大分離れているが、それでもブーストカートリッジなら一足飛びで詰められる。

「……」

 だが、辰巳は仕掛けない。無言のまま、睨みながら、じりじりと間合いを詰める。決定打と成り得る何かを、男の一挙手一投足から見つけ出す為に。

 ――もっとも、その努力は徒労となるのだが。

「やれやれ。ようやく少しは落ちつい、て。あー。無いのだな」

 ぎらつく闘志に、油断ない拳に、ローブの男は肩をすくめた。

「いやいや、いやはや、困ったものだ。これじゃあゆっくりおしゃべり出来ないじゃないか」

「生憎だが。俺はおしゃべりもゆっくりもするつもりはない」

 辰巳は足を止める。距離、三メートル。もはやブーストカートリッジを使わずとも、鎧装の倍力機構ならば一跳びで詰められる間合い。

 そんな至近へ辰巳が陣取った事を承知の上で、ローブの男は右手を掲げた。そもそもこの男は、最初からこの場所へ辰巳を誘導していたのだから。

「いやいや、怖いなあ怖いなあ。このままではちっともまったくどうしようも話にならない」

 赤い線が集中している丸太子屋を、男の指が指し示す。その指が、音を鳴らす。

 ぱきり。

「話にならないから、出来る状況を作ろうじゃあないか」

 ぱたり、ぱたり、ぱたり。紙を畳むような音を立てながら、丸太子屋の屋根が、壁が、小さく小さく折り畳まれてゆく。

「な、」

 そして辰巳は言葉を失った。すっかり平たくなった丸太子屋が、雪の中へ消えてしまったから、ではない。

 収納された丸太子屋の中から、見知った顔が現れたからだ。

「き、り」

 霧宮風葉きりみやかざは。そう呟きかけて、辰巳は小さく首を振る。そして言い直す。

「ファントム、5」

 風葉は瞼を閉じたまま、ピクリとも動かない。

 鎧装ではなく日乃栄ひのえ高校指定の水着を着込んだ風葉の体は、その背丈と同じぐらいの十字架へ縛り付けられていた。

「……」

 辰巳は押し黙る。これでは、迂闊に動けない。

「さて、こうなった場合まず相手が何を要求してくるのか、聡明なゼロツーなら言わんでも分かるな?」

「……」

 無言のまま、辰巳はハンドガンの構成を解除した。霊力光が散っていく。

「そうそう、これでようやく話が出来る訳だ。ゆっくりと、な」

 男は十字架へ歩み寄ると、辰巳へ向き直りながら無造作に肘をかけた。ボロ布が風葉の右腕へ触れる。

「……、」

 辰巳は目を細めた。両拳が、より固く握りしめられる。

「ははは、そうムキになるなよゼロツー。しかし、具体的に何から話したものかな」

「……はぁ?」

 鼻白む辰巳。そのジト目を前に、男は肘をかけてない方の手をひらひらと降る。

「いやさ。半分は想定通りに、もう半分は想定外の動きをしてくれたからさ、君が。さっきも言ったが、そもそも今ここで顔を合わせる事自体がイレギュラーなんだ」

 ぱん、ぱん、ぱん。男は三つ手を叩く。

「いやまったく、何度でも言いたくなるくらいに優秀だ。そう遠くない未来、鍵の石を本当に使いこなせるようになるだろうな。いや楽しみだ」

「鍵の、石」

 辰巳は反芻する。そして自身の左手首を、そこに輝く青い石を、ちらと見た。

 鍵の石。その単語自体は、アメン・シャドーと戦った時にブラウンも漏らしていた。察するに、Eマテリアルの正式名称だろうか。

「それは、コイツの事か?」

「ああそうだ。ゼロツーにとっては、Eマテリアルと言った方が解りやすいのかね」

 男は頷いた。どうやら当たっていたらしい。

 だが。

「……何を言ってる? コイツはただの霊力貯蔵装置だろうが」

 正式名こそ今まさに判明したが、構造自体は利英りえいの手で既に解析されている。しかもその試製複製品が、I・Eマテリアルとして運用されてもいる。

 そんな指摘へ、ローブ男は意外にもあっさりと頷いた。

「そりゃそうさ。鍵の……じゃあなかったな。えぇと、そう。Eマテリアルと、コネクター・アーム。それらは確かに重要なパーツだが、あくまで出力装置と呼び水用の霊力タンクに過ぎんのだよ。あるだろう? ここに。その二つを統合している、もっと重要な根本パーツが」

 男は辰巳を見据えながら左の肩口を、そして自分の胸元を指差した。

「何の準備も無く、霊泉領域へ一瞬で潜行する。これだけでも特筆ものではあるが……ゼロツー、君に眠っている力は、まだまだこんなもんじゃあない。本当だぞ?」

 一瞬。男の説明に、辰巳は眼を丸めた。

「、は」

 そして、鼻で笑った。

「……見当違いも甚だしいな。そんなもんがあるなら、酒月さかづきさんが見落とす筈が無い」

「と、思うだろ? ところがそうじゃないのさ。確かに酒月利英さかづきりえいは天才だ。だが、どんな名人だろうと芽が出てない種を見つけるのは至難の業だ」

 ぴしりと、男は辰巳を指差した。

「ゼロツー。オマエはその芽を、今日ここで、初めて出した。出したからこそ、霊泉領域ここへ繋がる事が出来たんだ。いやまったく。想定では霧宮風葉とフェンリルを切り離すくらいだと思ってたんだがねえ」

 指し指を振りながら、男は風葉から一歩身を引いた。さくり、と雪が沈み込む。

「だからまぁ、せっかくだから、その芽を今ここでもっと伸ばしてみようと思ったのさ。何せゼロツー、オマエの精神の昂ぶりがトリガーになっているワケだからな」

 さくり。さくり。さくり。雪にローブの裾を引きずりながら、男は着々と離れていく。いっそ清々しくなるほど、何かを狙っている。

 だが、一体何を。警戒の意味も込めて、辰巳は一層拳を握りしめる。全神経をかけて、男を睨む。

 ――この時。

 空に走る赤い線が光っていた事を、上空の灰銀色が身を捩っていた事を、辰巳は見ておくべきだった。

「何をするつもりだ、オマエ」

 だが、辰巳の視線は動かなかった。

「何をするって? いやいや、何もしないよ?」

 十字架からたっぷり十五メートル以上離れた位置でようやく振り返った男は、おどけるような仕草でもう一度肩をすくめた。

「僕、ね?」

 そう、ローブ姿の男が言った、直後。

 頭上から。

 突如として。

 赤い線に蝕まれた。

 巨大な魔狼のあぎとが。

 磔にされていた風葉を、一息に噛み千切った。

「 。――、ぁ、ぇ?」

 ぞぶり。

 なにかが千切れるその音を、辰巳は確かに聞いた。

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