Chapter09 楽園 01

◇ ◇ ◇


 揮発していく霊力光、剥き出しになるコクピット。かくしてレツオウガは、二人のパイロットを外気へさらけ出してしまった。

 それも以前のオーディン・シャドー戦のような強打ではなく、たった一発の銃撃によって、だ。

『      !』

 コクピットの中央、コンソールに左腕を固定されたメインパイロット――ファントム4は振り返り、何事かを叫んだ。

 だが、後部のレックウに跨るサブパイロット――ファントム5に、その声が届いた様子は無い。

 今し方霊力装甲を透過し、撃ち込まれた銃撃。それによってもたらされた術式が、レックウと、何よりライダーであるファントム5を蝕んでいるからだ。

 それを撃ち込んだ大鎧装は、術式を発動したまま、淡々とレツオウガを見ていた。その大鎧装を駆るパイロット――グレンは、どんな表情をしているだろうか。

 どうあれ、ファントム5は手を伸ばす。レックウと、何より己の体表を蜘蛛の巣のような術式に蝕まれながら、懸命に。

 その手を握り替えすべく、ファントム4もまた空いている右手を伸ばす。先の戦闘で砕けた、血にまみれた手を。

 だが、二つの手が結ばれる事は無かった。

 指先がどうにか触れる、その直前。ファントム5の身体が、レックウごとコクピットから離脱したからだ。緊急脱出システムに干渉されたのである。

 高々と舞うレックウの車体。その合間にも、膨大な霊力の放出は続く。レックウのみならず、ファントム5の全身から霊力が噴出している原因は、言うまでも無くフェンリルの暴走によるものだ。

 そう、暴走させられたのだ。今し方、撃ち込まれた術式によって。

『      !!』

 ファントム4が何事かを叫ぶ。聞こえはしない。だが悲痛なものである事はよく分かる。

 ファントム5は離れていく。必死な叫びが聞こえぬかのように、するすると上っていく。

 そして、一際強大な霊力光が走った。

 ファントム5から放たれたその閃光に、ファントム4のみならず、その場に居た全員が一瞬目を逸らす。

 その、直後。

 何か、巨大なものがレツオウガの後ろに着地した。

 それは、まがつであった。眼前のレツオウガ――いや、霊力装甲が剥がれた以上、ただの大鎧装と成り下がったオウガを、禍は見据えた。呆然と見返すパイロットを、嘲笑うかのように。

 灰銀色に輝く毛並みを持つ、巨大な狼。

 その名を、誰かがつぶやいた。


◇ ◇ ◇


「フェンリル、か」

 つぶやき、ギャリガンは目を開く。

 かくて最初に彼の視界へ跳び込んで来たのは、光だ。

 部屋いっぱいを埋め尽くす霊力光。蛍のように舞い散る光の群れが、ギャリガンの視界を淡く照らし出していた。

 綺麗な、しかし見慣れた光景だ。

「くあ、あ」

 愛用の車椅子に座ったまま、ギャリガンは一つ大きく伸びをする。どうにも眠そうな様子だ。

 まぁ、さもあらん。彼は今、寝起き直後に近い状態にあるのだ。今し方まで行使していた術式――未来を見る術式に、意識を極限まで没入させていた反動である。

「ふむ」

 身体の状態を確かめるため、取りあえずギャリガンは辺りを見回す。右、左。霊力光を除けば、目に止まるようなものはまるで無い。分かるのはせいぜい、自分がとある部屋の中央にいる事くらいなものだ。

「ここは、地下、だったな」

 深度は測った事も無いが、相当深い場所にある事は間違い無い。何せ、鉱脈をくり抜いた空洞を転用した場所なのだから。

 形状は半球、直径は三十メートル程度。僅かな歪みすら見当たらぬ球状の壁面には、床まで含めて全面余さず術式の幾何学模様が刻まれている。その紋様の密度は、神影鎧装術式のそれよりも遙かに緻密で、複雑だ。

 ここは、グロリアス・グローリィ秘中の秘。本社地下の地下の更に地下。最奥の奥へ極秘裏に造られたこの場所を知るのはギャリガンだけであり、出入り出来るのもまたギャリガンだけだ。

 守秘する都合上、この場所に名前は無い。一応、便宜上は「託宣の部屋」と呼んではいるが。

 一見すると打ちっ放しコンクリートのような無味乾燥さだが、その実霊力の伝導効率を極限まで高めた特別素材で造られている。グロリアス・グローリィ社長のギャリガンだからこそ用意出来た建材というわけだ。

 次いでギャリガンの知覚に飛び込んできたのは、音だ。

 簡潔に、断続的に鳴り続ける電子音。この部屋に入る前、仕掛けておいたアラームが目を覚ましたのだ。

「律儀な機械だ」

 ついでに振動もしている音源を、ギャリガンは胸元から取り出す。スマートフォン。電波状態は当然圏外。

 鳴り続けるアラームを黙らせ、改めて時間を確認。二十時二十四分。待ち合わせの時間まであと六分という頃合いだ。

「うん、丁度良い時間に戻って来られたようだね」

 まるで目覚ましで上手い具合に起きられたような物言いだが、さもあらん。何せ未来を予測する術式――先見術式は、こうした専用の施設と膨大な霊力のみならず、極度の集中力をも必要とするからだ。熟睡状態と同等か、それ以上の没入を。

 ギャリガンが眠そうなのはそうした理由であり、今しがた見たレツオウガ撃破の一部始終は、それによってもたらされた予知の一つだったのだ。

「他にも、いろいろあるが、ね」

 スマホをしまいながら、ギャリガンは記憶を掘り返す。

 金色のチェスピース、対峙するファントム4とグレン、モーリシャスの海、等々。先見術式によって導き出された、現状最も発生率の高い事象の数々。

 ザッピングされるテレビ番組のように飛び飛びで、しかもおぼろげなそれらの予知を、如何に利用すべきか。

 検分したいのは山々だが、今は待ち合わせ相手に会うのが先である。

 なので、ギャリガンは一つ指を打った。

 ぱきん。その音に部屋中の術式が稼働を停止し、入れ替わりに転移術式を目を覚ました。真っ暗闇の中にぽっかりと空いた霊力の出入り口目指して、ギャリガンを乗せた車椅子は滑らかに移動。

 潜った先はグロリアス・グローリィ執務室。相変わらず高級な調度品と魔術的な物品が調和している自室に、ギャリガンは戻って来た。

 待ち合わせ相手は、既に部屋の中に居た。

「おっと、待たせてしまったかな」

「なァに、今来たトコだよ」

 応接用ソファへ気だるげに座っていた男は、投げ出した長い足をそのままにギャリガンを見やる。

 ハワード・ブラウン。以前、サトウからチェスボードを買ったあの男だ。このブラウンもまた、グロリアス・グローリィの協力者なのである。

 浅黒い肌、燃えるような金髪、睨み据えるような釣り目。そして何より額の一文字傷が特徴的なブラウンは、視線をギャリガンから正面の机に戻す。

 机の上へ置かれていたのは、ブラウンが仕事に使っているタブレットと、以前サトウから買い上げたチェスボード一式。タブレットは既に電源が入っており、チェスボードには金色の駒が一組並んでいる。

 そう、金色のチェスピースが。

「ほう。いい駒だね」

「そりゃどォも」

 それらを交互に見据えながら、ギャリガンは机を挟んだ対面へ車椅子を移動させる。

「さて、進捗状況を拝見させて貰おうかな」

「どォぞ」

 タブレットを取り、データに目を通していくギャリガン。内容は、数日後に行われるBBBビースリー凪守なぎもりの合同演習計画についてである。

「演習用フィールドの構築、グラディエイターの調整と配備、そのための霊力供給の計画……」

 他にもある様々な項目に、ギャリガンはすらすらと目を通していく。不備は無い。

「……うん、完璧だな。いつもながら素晴らしい仕事だ」

「当然だろ、誰の仕事だと思ってンだ」

 鼻を鳴らすブラウン。そのしたり顔を横目に、ギャリガンは更にデータを読み進めていく。本題の部分へと。

 具体的には、合同演習計画の裏に隠された真意の予測と、それへの対策である。

「しかし、なんだ。演習そのものはともかくとして……なぜこんなギリギリのタイミングで、ファントム・ユニットも滑り込んで来たんだろうね」

 トラブルで出られなくなった欠員の補充として、先日目覚ましい模擬戦を見せてくれたファントム・ユニットを抜擢した。凪守側の言い分としては、一応そう言う事になっている。

 だが。

「こうなるとタイミング的にも少々断りづらい上に、まるでこちらを疑ってるような動きじゃないか」

「そォだな」

 腕を組むブラウン。怪盗魔術師の遺言に関して、彼等は何の情報も掴んでいない。一応、ブラウンはある程度の予測を立ててはいたが。

 即ち、エルドが裏切った――もとい、裏切り返したのだろう、と。

「目星した怪しい場所が、たまたま当たったンじゃねェの?」

「偶然、か。それも悪くはない予測だな。だが残念な事に、向こうにはあの五辻巌いつつじいわおがいる」

「だな。あの男がそンな適当な理由で動くワケも無ェか」

 言いつつ、ブラウンは改めて眼前の魔術師を見据える。

 ザイード・ギャリガン。グロリアス・グローリィの社長であり、少なく見積もっても三百年以上の旧さを備えた魔術師。

 表の顔であるレイト・ライト社と、裏の顔であるグロリアス・グローリィ。二つの組織を精力的に切り盛りして来たギャリガンは、二年前、極東の島国で起きた霊力暴走事件を機に、変わってしまった。

 具体的に言うならば。

 彼はその日、予知能力を獲得したのだ。通常の魔術師から、大きく逸脱した能力を。五辻巌が、冥王ハーデスの禍を引き連れるようになったのと同じように。

 そして同時に、ザイード・ギャリガンは思考形態も大きく変わった。

 己の利益のためならば、如何なる物だろうと知己だろうと、容易く切り捨てるようになったのだ。

 ギノアやエルドが犠牲になったのは、それを知らなかったからだ。知る由も無かったのだろうが。

「おっかねェな、どうもよ」

 肩をすくめるブラウン。彼は先の二人と違い、ギャリガンが変貌した事を知っている。その原因も、どう対処すれば良いのかも。

「何がだね?」

 何気なく問うギャリガン。その目を見ながら、ブラウンはおもむろに手を叩いた。

 一回、二回、三回。

 そして、答える。

「『気にすンな』よ。な?」

「……そうだな」

 ぶっきらぼうなブラウンの対応だが、ギャリガンは気に留めるどころか、眉をひそめる素振りすら見せない。不自然なほどに。

「ところで、撤退の用意は出来てンのかい?」

 言いつつ、ブラウンは盤上のチェスピースを一つ、無造作に摘まむ。

 ポーン。最弱にして最重要の駒。ブラウンの顔を歪めて反射するそれは、無論ただの遊具ではない。ハイブリッド・ミスリルをベースに、ある遺物を融かした金でメッキを施した魔導具である。

 メッキとはいえ純金であるため、相当に高価な一品ではある。とは言え、ブラウン本来の身分からすればガラクタも良いところだ。魔術的な意味合いと、何よりサトウの手によるものと言う前提が無ければ、今すぐ叩き壊してもおかしくない代物である。

 なので、ブラウンはとんでもなくぶっきらぼうに駒を弾く。少なく見積もっても数百万円は下らぬ価値がある金色が、くるくると宙に舞う。

「場合によっちゃあ、コイツを使ってもいいンだぜ」

 言いつつ、落ちてきたポーンを掴み取るブラウン。その一部始終を、今しがた先見術式で見た金色を、ギャリガンは見ていた。薄い笑顔のままで。

「キミにとってそれは、中々に因縁のある一品だったね。調整はサトウに任せっきりだったが、具合はどうなんだい?」

「すこぶる良好に決まってンだろ。使ってる素材が、そもそも俺の持ち物なンだからな」

 迷いの無い即答とは裏腹に、何故か眉根に皺を寄せるブラウン。盤上にポーンを戻す手付きも、心なしか乱暴というか、投げやり気味だ。

「……ッたく。ギャリガンの予知通りとはいえ、ド素人共がヘマしやがってよォ。何なンだ接着剤ッてのはよォ」

 苛立たしげに純金のチェスピースを睨むブラウン。対面に居るギャリガンは、苦笑を深めるしかなかった。

「形あるものの宿命、かね」

 適当に茶を濁しつつ、ギャリガンは改めてタブレットを操作する。計画を再確認するために。

 これからギャリガンが行うつもりなのは、一言で言えば撤退戦だ。

 ザイード・ギャリガンには目的がある。ギノアやエルド、あるいは巌やスタンレーと同じように。魔術師生命の全てをなげうってでも、成さねばならぬ目的が。

 だが、まだ時期が早い。ブラウンのチェスボードとは違い、まだ駒が全て揃っていない。

「もう少しなんだけどね」

 三人目のヴァルフェリアの完成。大規模な霊力源の確保。レツオウガとの交戦データを元にした、真の神影鎧装術式。

 どれも八割以上は完了しているが、完成しているわけではない。そして完成していないものが、戦力になるはずもない。

 だから、ギャリガンは逃げるのだ。先程の託宣の部屋がある、グロリアス・グローリィの本拠地へ。

 だから、ギャリガンは予知したのだ。先程の託宣の部屋で、来たる撤退戦の状況を。

「ふぅむ」

 改めて、ギャリガンは記憶を掘り返す。だが、予知映像は相変わらずおぼろげで断片的だ。

 しかして、一番重要な部分――すなわち、撤退は確かに成っていた。心配する事はまず無い。

「でも、予知はあくまで予知でしかないからね。確実を喫するためには、こっちから迎えに動かなきゃ」

 言いつつ、ギャリガンはタブレットに手を翳す。掌から照射される霊力を感知したタブレットの画面に、今後の予定を示す文章が刻まれていく。

 その様子を眺めながら、ブラウンは口を挟む。

「前から気になってたンだけどよ。予知したンなら未来はもう確定するンじゃねェのか?」

「だと、良いんだけどね。そうそう簡単なものでもないのさ」

 霊力の照射はそのままに、ギャリガンの口元が苦笑に歪む。

「予知とは、大雑把に言うなら新聞のテレビ欄のようなものさ。どんな番組を放映するかは、読んだ時点で大体分かる。だが、内容全てが事細かに分かる訳じゃない。ましてや今回は、放送事故を引き起こしそうなお客様がいらっしゃるからね」

「ファントム・ユニット。特に五辻巌、か」

「そう言う事。だから、手を入れる必要がある。邪魔されぬよう番組を警護し、また内容に手を入れる必要もある。巻きで進めるように、ね」

 不意に、ギャリガンは霊力照射を止めた。文章の構築が終わったのだ。

「それらを総括すると、予定はこうなる、かな」

 タブレットを手渡すギャリガン。それを受け取ったブラウンは、十三インチの画面に纏められた文章を、手早く読み進める。

「ほォう」

 そして、頷いた。

「なるほど、いい手なンじゃねェの。二つほど問題があるがな」

 やわらかな背もたれに身体を埋めながら、ブラウンは足を組む。

「まず一つ目。買ったばっかのこのチェスボードが、早速お陀仏になっちまうな。しかも、全部」

「困るかね?」

「いンや? 全然。どうせいつかは使うモンだからな。こンなに早く来るたァ思ってなかっただけでよ」

 するする言い放つブラウンだが、その言葉には半分ほど嘘が混じっている。ブラウンは、こうした戦力が必要になる事を、事前に聞いていたのだ。

 他ならぬ、サトウに。チェスボードを買った、あの時に。

「まァ、何だ。やるってンならめいっぱい派手にやらせてもらいたいモンだな」

 無論、そうした本音をブラウンはおくびにも出さない。予定通りの回答を出しながら、ギャリガンの頷きを待つ。

「それは勿論、むしろ大歓迎だね。それで、二つ目は?」

「単純な話さ。霊力が足ンねえ」

 肩をすくめ、お手上げのジェスチャーをするブラウン。

「一つ二つならいざ知らず、全部の駒を一戦の内に、しかもボードまで一緒に動かすのをご所望ってンだからな」

 手元の画面に視線を戻すブラウン。画面をフリックし、問題の箇所を表示する。

 そこには、戦力の提供依頼が明記されていた。ブラウンの固有能力を拡張する魔導具……サトウ謹製のチェスボード一式を投入して欲しい、と。

「しかも完成した方のヴァルフェリア二体に、大事なEマテリアルの器まで出すってんだからなァ。大盤振る舞いもいいトコだなオイ」

「いいじゃないか。僕だって閉店間際くらい、花火の一つや二つ上げたくなるのさ」

「おーお、言ってくれるねェ」

 にや、と笑うブラウン。それと同質の微笑を、ギャリガンは浮かべ返した。

「……自慢じゃねェが、今の俺は自分の王国からだを維持するので手一杯なんだ。本国があンな状況だからな」

「ああ、それも分かっているよ。だから、足りない分は捻出して頂くのさ」

 おもむろにスマートフォンを取り出すギャリガン。手のひらサイズのモニタの中には、とある島の風景が映っていた。

「これからいらっしゃる、お客様がたにね」

 モーリシャス。ザイード・ギャリガンの表の顔、レイト・ライト社がある島国の写真を見ながら、ギャリガンは笑みを深めた。

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