Chapter05 重力 03

 すたすたと、風葉かざはいわおは天来号の通路を歩いて行く。目指す先は転移室である。

 細身ながら、巌の佇まいはまったく芯がぶれない。それだけ相当な鍛錬を詰んでいるのだろう。

 そんな背中を見つめながら、風葉は口を開いた。

「あの、前から疑問に思ってたことが幾つかあるんですけど、聞いても良いですか?」

「んー? なんだい?」

 ちらと振り返る巌。細すぎるその目はどうにも感情が読み切れないが、構わず風葉は切り出す。

「まず、一つ目。術式とかの技術って、どうして公表されないんですか? 天来号とか転移術式とか、世の中に出回ればすごく便利になると思うんですけど」

「あぁ、そういう意見は定期的に出回るねー。けど無理なんだなー」

 歩む速度はそのままに、巌は右人差し指を立てる。

「知っての通り、霊力ってのは人の想念から来る力だ。個人ごとに多少の差はあれ、その量は基本的に変わるもんじゃない。だから霊地とかを使って霊力を貯めて、目的に合わせて分配供給して、今現在その仕組みは上手く回ってる」

「分配、してるんですか?」

「あー、霧宮きりみやくんにはピンと来ないだろうね。何せキミはフェンリルという規格外の禍憑まがつきだ、霊力量が半端じゃないのさ」

 その霊力量もまた扱いに関して紛糾している原因の一つなのだが、巌はおくびにも出さずに視線を前へ戻す。

「話を戻そう。霊力の分配供給はおおむね上手く回ってる。けど、それは使うのがごく一部の人間、僕らのような魔術師連中に限られるからだ。けどもしも世界中の人々が霊力って便利な力を知覚したら、どうなるかなー?」

「それは、やっぱり、霊地とかがカラッポになっちゃうんでしょうか」

「うん正解。霊力は慢性的に不足するだろうし、大規模な術式……そうだね、転移術式辺りは真っ先に使えなくなるだろう」

「あらら。というか、転移術式ってたくさん霊力を使ってたんですね」

「そりゃそうさ。キミも宇宙に大量の霊力が出てるのは見たろう?」

「あ、はい。霞んでましたよね」

 頷き、風葉は思い出す。以前、月面から見上げた光景。地球を絶えず包み込んでいる、虹色の雲を。

「天来号みたいな転移艦は、あの霊力を使って転移術式を動かしてるのさ。霊地じゃ足りないからね……と、また話が逸れたね」

 頬をかきながら巌は巌は思い出す。そもそもの話題は、霊力の存在が一般に知れたらどうなるか、だ。

「十中八九、霊力は足りなくなるだろう。地球を包んでる虹も間違いなく消える。けど最も懸念すべきは、今まで無かったような混乱が広がるだろう、って事だねー。何せナイフよりも手軽で、拳銃よりも強力な力が、使い放題になるんだからさー」

「そんな事は……」

 ない、と風葉には言い切れない。

 フェンリル、レックウ、ソニック・シャウト。程度の差はあれ、霊力の手軽さと凄まじさは身を持って知っている。

「まぁ、要するに発電量ギリギリの送電システムってトコだねー。幻燈結界げんとうけっかいみたいなのを使ってまで存在を隠してるのは、極力需要を増やしたくないからなのさー」

 他にも政治的な駆け引きや、元となる想念との双方向関係等の問題はあるのだが、その辺の小難しさも巌は全て黙殺した。

 同様に、風葉もまたその辺まで突っ込まなかった。風葉にとってこの話はあくまで牽制であり、本命は次の質問だからだ。

「なるほど。じゃあ、二つ目ですけど」

「うん、どうぞ?」

 小さく息を吸い、巌の後頭部をまっすぐに見ながら、風葉は告げる。

五辻いつつじくん――五辻いつつじ辰巳たつみくんとは、どんな関係なんですか?」

 一瞬。巌の歩みが鈍った。

「……」

 巌は喋らない。振り返りもしないその背中は、そもそも考えているのかいないのか。

 歩みも止まりはしない。五十歩、百歩、百五十歩。ペースこそ変わらないが、風葉からすればどうにもバツが悪い。

 そうして二百歩になる一歩手前、「あのぅ」と風葉が言いかけた直前、ようやく巌は口を開いた。

「……一言で言うのは難しいねぇ。とりあえず、僕と辰巳は親戚じゃない。全くの赤の他人だ」

 しれりと言う巌だが、その辺は風葉も予想していた事だ。『五辻』という名字は凪守なぎもりに保護された人物に送られるものだ、と辰巳は前に言っていた。

「でもいつつ――辰巳くんの、保護者さんなんですよね?」

「ああ。辰巳との関係は……そうさな。改めて思い返すと、もう二年も続いてるのか」

「二年、ですか」

 オウム返しにつぶやいて、ふと風葉は首を傾げた。

「それって確か、五辻くんが事故を……」

 そこで風葉は口を噤んだ。巌が立ち止まったからだ。

 今度は身体ごと向き直る巌。その顔は相変わらず細目で、少なくとも怒っている感じはない。

 ならどうして、と風葉は周りを見て、ようやく気付いた。転移区画に辿り着いていたのだ。

「そこまで知ってたのかい。ま、そうでなきゃこんな事聞いてこないか」

 頭一つよりも上にある巌の顔が、淡々と風葉を見下ろす。

「僕はね。当時、暴走してたレツオウガのコアユニットをブチ壊したのさ」

 端的に、平坦に。

 それだけ言って、巌は六番の扉を潜っていった。

「壊した、って……」

 風葉は思い出す。色々あって同乗したオウガのコクピット。

 本来なら別の何かが合体していた箇所を、霊力で擬似的に間に合わせているらしかったが……。

「……ん、ん」

 当時、一体何があったのか。

 それ以上に、好奇心だけで踏み込んで良い事なのか。

 歯痒さとバツの悪さを抱えながら、風葉もその後に続いた。


◆ ◆ ◆


 使用手続きを済ませ、転移術式を発動し、潜る。

「あ、れ」

 そうしてやって来たエッケザックス所有の転移艦"フリングホルニ”に、風葉は奇妙な感覚を受けた。

 通路の造りや見た目は天来号と大差ない。建材がやや青みがかってるくらいだが、違和感を覚えさせたのはそこではない。何というか――。

「懐かしいかい?」

「あ、そうですそれですよ」

 巌の指摘に、風葉はポン、と手を打つ。

 そして、そのまま首をかしげる。

「……あの、なんで分かったんですか? というか、何で私は懐かしかったんですか?」

「それはアナタがフェンリルの禍憑きだからでしょう」

 と、一息に説明したのは巌では無い第三者だ。背後から響いた鈴のような声に、風葉と巌は揃って振り返る。

「フェンリルは元来、我が祖国アイスランドに伝わる北欧神話へ連なる存在です。その禍憑きであるアナタがフリングホルニへいらしたとあれば、フェンリルが祖国の空気と霊力を懐かしむのは、むしろ当然の成り行きでしょう」

 こぼれるような金髪に、身体のラインを浮き彫りにするタイトなスーツ。小脇に抱えた茶封筒に、赤い縁の眼鏡。そんな、一見するとモデルと見間違えそうな白人女性が、蕩々とそう告げた。

「そう、だったんですか。ええと」

「ああ、申し遅れましたね。アリーナ・シグルズソンと申します。よろしくお願いします、霧宮風葉さん」

「あ、いえ、こちらこそ」

 差し出されたアリーナの手を、風葉は怖ず怖ずと握り返す。ひんやりと冷たかった。

「末端冷え性は治ったかい、アリーナくん」

 言い放つ巌の口調は、意外にも砕けたものであった。風葉は目を瞬かせるが、アリーナは特に気にした風も無い。

「……目下改善中です、お構いなく」

 一つ咳払いをして、アリーナは封筒を抱え直す。

「とにかく、手続きの準備は出来ています。こちらへ」

「あいよー」

 踵を返すアリーナに、慣れた足取りで後ろに続く巌。

 知り合い、なのだろうか――そう考える合間にも、二人はずんずん進んでいく。

「あの、ちょっと待って下さい!」

 疑問は後回しにして、とにかく風葉は二人の背中を早歩きで追いかける。

 通路は碁盤のようにまっすぐで、時折見かける窓の外には星が煌めいている。本当に天来号と瓜二つの光景だ。自動ドアの開く音すら似通っている。

「こちらですね」

 そんな自動ドアをくぐり、アリーナに通された通されたのは大きなオフィスの一室だった。

 デスクの間を忙しそうに行き交っている職員達に軽く会釈して、風葉は何気なくアリーナが示す方向を見る。

「え」

 直後、風葉は絶句した。

 入り口のすぐ脇、衝立で区切られた小さな一角。ソファとテーブルが設けられた、来客の応対等をするのであろうその場所に、書類が山を作っていた。

 流石に利英りえいの部屋前ほどでは無いが、それでもテーブル上でこんもりと盛り上がっている白紙の群れに、風葉は口を引きつらせた。

「あの、これは、なんなんでしょうか」

「見ての通り、霧宮くんの除外登録用の申請書類と、その他諸々だねー」

 ちなみに山の大部分を造っているのは、その他諸々の書類だったりする。

「な、なんでこんないっぱいあるんですか!?」

「そりゃまぁ、霧宮くんの存在はファントム・ユニットの中でもかなーり異質だからねー。スカウトした一般人で、強力なフェンリルの禍憑きで、その場の勢いで力を引き出して――」

 ――いざという時、すぐさま元の日常へ帰せる段取りも加わっているのだが、巌はその辺を伏せた。

「つまり、色々ややこしい事が重なった結果なんだなー」

「方々へ話をつけて、規約の隙間を縫って例外を取り付けて……ええ、中々やりがいのある仕事でしたね」

 造山活動の大部分を担ったアリーナは、苦笑を隠すように眼鏡を押し上げた。

「な、なんか……すみませんでした」

 小さくなる風葉。力なくうなだれるポニーテールに、巌は苦笑する。

「ま、やる事はそう難しくないよ。文面に目を通してサインする、それだけだ」

「はぁ」

 半ば観念するように頷いて、風葉は山の前に着席。傍らにあったペンを取り、溜息とともに一番上の書類をめくる。

「……じゃあ、始めますね」

 泣き出しそうな、笑い出しそうな。何とも微妙な表情を浮かべながら、風葉は書類を読み始める。

「まぁ、ほどほどに頑張ってくれ。僕等は別に話があるから、ちょっと外させて貰うよ」


◆ ◆ ◆


「で、例の件だけど、どうだった?」

 風葉を残したオフィスの外、廊下に出るなり巌はそう言った。

「いきなりですね。どうぞ」

 と、アリーナが封筒の中から取り出したのは一枚の書類である。

 ただし文字は書かれていない。代わりにあるのは真ん中の小さい魔法陣一つだけであり、巌はその上にリストコントローラをかざす。

 途端、読み取られた魔法陣がリストコントローラ中で起動。紋様が霊力を介してデータに変換され、立体映像モニタに文章として映し出す。古い時代、主に暗号用として使われていた術式を、現代ではちょっとしたパスワードがわりに使っているわけだ。

 かくて提示された文面を斜め読んで、巌は片眉をつり上げる。

「……手がかりなし、かー。意外だね」

「断っておきますけど、手を抜いた訳じゃないですからね?」

 立体映像モニタ越しに見えるアリーナのジト目に、巌は苦笑を返す。

「うんうん、その辺はよーく分かってるよ。ただ単に僕の目算が外れただけさ。けど……」

 真顔に戻り、巌はもう一度立体映像モニタを見やる。

「すぐ見つかると思ってたんだけどねー。神影鎧装オーディン・シャドーの痕跡は、さ」

 ――つい先日、レツオウガと激闘を繰り広げたギノアの切り札、オーディン・シャドー。

 その名の通り北欧神話の主神を模した術式を組み上げるのであれば、それはアイスランドのどこかだろうと巌は踏んでいた。アイスランド以外の国には北欧神話抑制結界があるのだから、むしろ当然ではある。

 調査依頼はレツオウガが戦ったその日に出され、第一回調査の完了連絡を受けたのがつい昨日。すぐ受け取りに行っても良かったのだが、風葉を登録する都合もあったので、一日ずらしたのだ。天来号で風葉を待っていた頃、アリーナに連絡していたのはその連絡である。

「えーと、当日にギノアとその一味が潜伏していたアパートは……ここも空振り、かー」

「あの近辺でのめぼしい情報は、ファントム4の撃ち込んだ銃弾と、ファントム2の目撃した鎧装くらいしか無かったですね」

「ふむ」

 適当な相槌を返しながら、巌は資料の中から改めて手がかりを探す。が、アリーナの言った通りにめぼしい情報はまるで無い。

「完成品を使っただけで日乃栄ひのえ霊地はカラになったんだから、試作中はさぞかし霊力をたっぷり使ったろうと思ってたんだけど、ねー」

「そうですね。過去十年にわたってアイスランド全域の記録を洗ったんですが、大規模な霊力消失事件などは一切ありませんでした」

 よほど念入りな根回しをしているのか、それとも別の場所で構築を行ったのか。仮設はいくらでも立てられるが、今巌に出来る事は一つだけだ。

 すなわち、肩をすくめる事である。

「いやはや、敵ながら大したもんだ。オーディン・シャドーが完全霊力構成だった辺りからも、やっこさんが情報隠蔽を徹底してるのが窺えるねー」

 完全霊力構成とは、文字通りその全てが霊力で賄われている武装の総称だ。辰巳のハンドガンや、オウガの武器もこれに当たる。

 全て霊力で出来ているため、起動や保持にかかる霊力量は、術式の出来に比例して大きくなる。オーディン・シャドー起動時に日乃栄霊地が枯れたのも、それが原因だろう。

 だがオウガローダーのような核となる機械装置を使わぬ分、持ち運びは簡単だ。術式を用意すれば良いだけなのだから。

 しかして、敵にとっての利点はもっと別の所にあるだろう、と巌は推察する。

「……完全霊力構成なら、万が一倒されたとしても、痕跡は一切残らないからねー」

 高密度の霊力で編まれた骨組みに、高い戦闘力を組み込んでいた傑作術式、オーディン・シャドー。だがそれも突き詰めれば結局は術式であり、霊力で動くプログラムだ。

 供給霊力が作動限界を下回ればすぐさま崩壊し、塵となって速やかに消滅する。仮にあの時オーディン・シャドーが勝っていたとしても、霊力が切れればそこでお役御免だったのだろう。

 こうした隠蔽処理の手腕はやはりサトウの仕事なのだが、今の巌達にそれが分かるはずも無かった。

「しかし、何故またこんな手のかかるやり方をしたのかねー」

 壁にもたれかかり、細い目を更に細める巌。その横顔を、アリーナは物憂げに見つめる。

「……それにしても、久々の再会がこんな形になるとは思いませんでしたよ」

 ぴくりと。巌の眉間に、小さなシワが刻まれて、消えた。

「画面越しのやりとりは何度かしてましたけど、こうして実際に面と向かい合うのは本当に久しぶりですよね――義兄にいさん」

「そう、だねぇ」

 言いつつ、巌は立体映像モニタを消去する。丁度資料に目を通し終わっていたのだ。

「もう二年になるんだねぇ。ヘルガが、居なくなってから」

 ヘルガ・シグルズソン。

 アリーナの姉であり、何より自身の婚約者だったその名を、巌はつぶやいた。

 窓の外。ずっと昔から変わらない星空を眺めながら、アリーナは続ける。

「まだ、許せないんですね、彼を……五辻辰巳を」

「そう、かもしれない」

 珍しく言葉を濁す巌に、アリーナは少し驚いた。

「二年前。コアユニットの破壊と引き替えに、ヘルガは消えた。ついでに僕は凪守内での立場と、目玉を片方なくしちまった」

 淡々と言葉を並べながら、巌は前髪に隠れた右目を押さえる。

「憎んでない、と言ったら嘘になる。アイツのせいでヘルガは消えたんだ。ファントム・ユニット結成直後は、どうやって使い潰してやろうかと考えてた事もあった」

 巌の表情は変わらない。ただ右目を押さえている指が、ぎりりと強張った。

「けど、そんな事をしたってヘルガは喜ばない。最後に残していった言葉でもあるし、ね」

 不意に、指の強張りが解ける。少しだけ、口元が緩む。

 怒り、喜び、自嘲。様々な感情の入り交じった、複雑な微笑であった。

「それに……正直、結構頼りになるんだよ。ファントム・ユニットの中心戦力だし、命令も速やかに実行する、良い兵士だ」

 静かに、巌は壁から背を離す。

「そして何よりも、僕の……心の、拠り所みないなもんだからね」

 言って、巌は薄く笑った。

「拠り所って、でも、それは」

「さて、霧宮くんの様子も少し見てこようかな。きっと四苦八苦してるだろうし」

 強引にアリーナの言葉を遮って、くるりと背を向ける巌。

 アリーナは、それきり言葉を失ってしまう。触れたくないのはお互い様だからだ。

 だが。

 それでもアリーナは、呟かずにいられない。

「――でも、それは。楔のようなものなんじゃないんですか、義兄さん」

 ぽっかりと。自分以上に大きな穴を心に開けた義兄の背中を、アリーナは見送る事しか出来なかった。

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