岩屋

《―――ああ、都市伝説じゃメジャーな方だよ。

 なにせ、少なくとも半世紀以上の歴史があるからね》

「・・・そういえば、先生が持ってた新聞の見出しにも

 そんなようなこと書いてありましたっけ」

《あれか・・・。

 さすがに高加君は目ざといな》

「・・・」

《まあ、僕の中ではどちらかというとジョークに類する都市伝説だったんだが・・・。

 そうか、あれがアガレスと繋がってしまうのか》


電話の向こうで、西宮先生がどこか感慨深そうにつぶやく。


《話を戻すが、確かに『白いワニ』とか『地下下水道のワニ』とか呼ばれる都市伝説は存在する。

 20世紀半ばにアメリカで流行したとされる噂で、日本じゃそれをよくネタにしていた漫画家なんかもいたらしい》

「はあ・・・」


・・・ワニの怪物と漫画家との間になんの接点が。


《ただ、そうした噂の根底にあるのは

 下水道の栄養で肥大化したとか、日の当たらぬ地下道で白子アルビノ化したとか

 そういうクリーチャー的な異常変異のイメージであって、悪魔の伝承と結びつける人はまずいないと思うけれどね》

「・・・やっぱり強力な悪魔なんですよね?

 そのアガレスってのは」

《・・・それは、今君の隣にいる悪魔ひとのほうがよっぽど詳しいんじゃないかい?》

「いや、まあ・・・」


思わず俺は、目の前の背中にちらと目配せする。


《まあ、なにせ地震なんてのは、天変地異・・・いわば神の御業だ。

 本来、自然現象としての地震は地下数キロから数十キロメートルの地層を流れるプレートの衝突や軋みが主な原因で起こるとされている。

 ・・・とにかく膨大なエネルギーを伴うということは分かるね?》

「・・・はい」

《どういう原理なのかは僕にもさっぱりだが、とにかくアガレスという魔神はその膨大なエネルギーを個体レベルで起こしてしまえる存在なわけだ。

 つまり・・・》

「・・・・・・」

《・・・あ、いや・・・。

 これから戦う君を脅すようなことを言っても仕方ないな。

 ・・・すまない》

「・・・いえ・・・」


気のない返答をしながら、俺は電話越しに一つ小さなため息を漏らした。



―――ここは、京都市の日向ひむかい神宮。

京都駅から見て北東に位置する大文字山山中にある、創設千五百年を誇る大神宮。

らしい。



・・・毎度毎度『らしい』とかあやふやな位置情報で申し訳ないのだが、今度ばかりはさすがにどうしようもない。

なにせ天津神の拠点から出てきた先が、この日向神宮の境内だったんだから。


要するに、俺たちが今まで天津神の拠点と呼んでいた場所は

この日向神宮の境内に張られた異次元結界内に設営されたものだったのだ。


ちなみにこの神宮には『天岩戸あまのいわと』と呼ばれる岩石のトンネルがあり、そのトンネル内に設けられた小さな神社というか祠のような場所が結界への出入り口になっているらしい。

例の真っ暗な廊下を歩いていたら、同じく真っ暗なそのトンネルへといつの間にか出ていた、というわけだ。


俺は神話には疎いけれど、それでも天岩戸と呼ばれるものが日本神話でなんとなく重要な場所だったという程度の認識はある。

さっき、他ならぬ天津神々ほんにんたちが岩戸がどうとか言ってたし。

さすがにそれそのものではないのだろうけど、確かに天津神が京都に拠点を設ける上でこれ以上の場所はないんだろう。


《・・・でも、なぜそれを今僕に?

 悪魔の背景を聞きたいなら、それこそゴモリー公爵に聞けば良かったんじゃないかい?》

「そのゴモリーに西宮先生に聞いてみろ、って言われたんですよ。

 今、天津神たちが作戦のお膳立てをしてて、俺たち自身はちょっと手が空いたんで」

『・・・・・・』


目の前の背中――ゴモリーは、その言葉に反応することもなく

ただ境内の前景をじっと見つめている。


《そういうことか。

 ・・・しかし、まさかルシファー本人と遭遇するとはなあ・・・》

「端から見てる分には、ただの同い年くらいの外国人観光客とかにしか見えませんでしたけどね・・・」


もっとも、直に接触したら印象がガラリと変わったけど。


「それよりもアガレスです。

 ・・・はっきり言って、次の地震を防げる確信なんて俺らには全くありません。

 伝えないわけにもいかないですから、こうして電話しましたけれど・・・」

《うん。

 ・・・正直、ホテルの方もだいぶ混乱しててね。

 生徒たちも順次戻ってきてはいるんだが、交通機関が回復しきっていないから

 今日中に戻れない者も数十人規模で出てくるだろう》

「・・・」

《・・・・・・情けない話だが、君からそうした情報を貰っても

 僕個人の力ではどうしようもない状況だ》

「でしょうね。

 ・・・とにかく、西宮先生も気をつけて・・・いや、気をつけてもどうしようもないかも知れませんけれど、とにかく今夜は色々大変だと思いますから、頑張って下さい」

《ああ。

 高加君も、無理はするな・・・なんて、綺麗事は言えないか》

「・・・・・・」


そりゃそうだ。

俺らがしくじれば、西宮先生含めた修学旅行の参加者はまるまる大災厄に見舞われるのだろうから。


《とにかく、高加君も頑張ってくれ。

 僕は、僕のやれる範囲でやるべきことをやるよ。

 ・・・加賀瀬君にも、よろしく伝えておいて欲しい》

「はい。

 ・・・じゃあ、失礼します」


抑揚のない声でそう言うと、俺はスマホの通話を切った。


『・・・歯がゆいでしょうね。

 災禍が来ると分かっているのに、それをみんなに伝えられないなんて』

「・・・・・・」


こちらへ背中を向けたまま、ゴモリーが独り言のようにそうつぶやく。


『でも、落ち着いてたみたいね、西宮先生。

 ・・・さすが、と言うべきなのかしら』

「さすがも何も、西宮先生は普通の人間でしょ」

『そうね。

 でも、明敏な魂を持つ人間は時として、ヘタな異能よりも使えることもあるわ。

 ・・・あなたのように』

「・・・・・・・・・」


と、そこでようやくゴモリーはこちらへと振り返った。


『何が気に入らないの?』

「・・・・・・。

 ・・・は?」


つっけんどんなゴモリーの問いかけに、俺は思わず眉根をひそめる。


「・・・なんのことです?」

『・・・』

「つか、気に入らないとか言われたら何もかも気に入らないですよ、こんな状況」

『そういうことを聞いているんじゃないわ。

 鹿島カシマ殿との会見を終えた辺りから、ずっと何か引っかかってるような表情カオしてるじゃない』

「・・・・・・」


鋭い、と言うべきなのか。

あるいは美佳も、俺のそういう雰囲気には気づいていたのかも知れないけれど。


「・・・なんか、ヘンじゃないですか?」

『変?』

「タケミカヅチですら把握しきれていなかった敵使い魔の所在を、なぜ石山ごときが撮影できてしまったんです?」

『・・・・・・』


今度はゴモリーの方が眉根を顰め、俺を見据えてきた。


『あの写真、撮影されたのは地震発生の前だって言ってたでしょう?』

「・・・」

『繰り返すようだけれど、京都市内には今までずっと

 神魔にのみ作用する迷い路の結界があちこちに仕掛けられていたのよ。

 天津神がそれに手こずってる間に、たまたま一般人の目にワニが触れたとしても

 そんなにおかしなことじゃないわ』

「・・・・・・」

『だからこそ、ああやって新聞に取り沙汰されてしまっていたわけだし・・・』

「・・・じゃあ、聞き方を変えます。

 ・・・・・・石山たちは、なぜ生きてるんですか?」

『・・・・・・・・・・・・』


ゴモリーの眉間の皺が、わずかに深くなる。


「今先輩が言ったように、さっき石山に電話したら

 あの写真は地震発生の少し前、今日の午後5時半くらいに撮ったものだと言っていました。

 ・・・残党側にしてみれば、ものすごくデリケートなタイミングですよね?」

『・・・』

「その15分後ぐらいに本命の攻撃を敢行したんですから。

 普通に考えれば、何も知らない人間に余計なことを気取られるようなマネはしないタイミングのはず」

『・・・・・・』

「またしたとして、それを人間に見られたりしたら、・・・。

 ・・・イヤな言い方ですけど、お咎めなしに生かして帰すものですか?」

『・・・・・・・・・』


実際、自分でも人でなしな疑問を呈しているな、とは思う。

友達の無事を喜ぶどころか、疑問に思ってしまっているのだから。

しかし・・・。


「そもそも、なぜ石山たちは下水道に入れてしまったんです?

 普通入らないし、入っちゃいけない場所でしょう」

『それは、さっきあなたが電話した時に答えてくれたじゃない。

 街中でワニを見かけたと思ったらすぐ見失ってしまって、探し回ってたらフタが外れてるマンホールがあったから入った、って。

 ・・・そりゃ、お世辞にもお利口な行動とは言い難いけれど。

 でも、その状況でマンホールを怪しいと思うのはそんなにおかしくは・・・』

「だから、そのマンホールは誰が開けたんですか?」

『・・・・・・』

「ワニですか?

 ・・・そりゃ、普通のワニじゃないから、フタを外すくらいのことはできるかも知れませんけれど。

 でも仮にそうだとしたら、今度は外しっぱなしで放置したことが不自然に思えてしまう」

『・・・・・・・・・』

「だってそれじゃまるで、追いかけてきて下さい、って誘い込んでるみたいじゃないですか。

 ・・・地震攻撃敢行直前の、超デリケートなタイミングでですよ?」

『・・・高加くん・・・。

 いったい、何が言いたいの?』


ゴモリーは眉間に皺を寄せたまま、じれたように両腕を組むと

改めて俺の方を見据える。


「それを聞きたいのは俺の方です。

 ・・・先輩、ぶっちゃけ何かすっとぼけてますよね?」

『・・・・・・・・・・・・』

「全面的に協力する、って、先輩が自分から言ってきたんですよ。

 なのに、今さら何か隠し立てするんですか?」


俺のその言葉を聞いて、ゴモリーは観念したかのように軽くため息をついた。


『・・・別に、隠し立てとかじゃないわ。

 ただわたしの方も確証がないから、あなたたちに話すようなことじゃないと思っただけで』

「つまり、俺らに話してないことで気がかりなことがある、ってことですよね?」

『・・・・・・。

 う~~~ん・・・』


ゴモリーはいつぞやと同じように、バツが悪そうに頭を掻き始める。


『ほんと、そんな大したことじゃないわよ?

 ・・・ただ、残党側も一枚岩じゃないだろうから

 アガレス老に非協力的なデーモンもいるかも知れない、って思っただけ』

「残党側の悪魔の誰かが、石山たちをワニの所に誘導した・・・ってことですか?」

『だから、そこまでは分からないから、あなたたちには特に何も言わなかったのよ。

 言ったところで、こんなの無意味な憶測でしかないし』

「・・・」

『確かに、あなたのお友達がワニに到達できてしまったことに関して

 何かしらの工作が働いた可能性はあるわ。

 ・・・でも、今は棚上げしておくべきことでしょう?そんなの』

「その憶測が正しいなら、敵側の情報が俺たちに伝わるよう細工した奴がいる、ってことですよ。

 ・・・棚上げしておくべきこととは思えません」

『今はもっと、明確で大きな仕事を控えてるじゃない。

 だから、単純にあなたや美佳さんの気を散らせたくなかったって、ただそれだけよ。

 ・・・それとも、わたしがその「細工した奴」だと疑っているの?』

「そういうわけじゃないですけれど・・・」


・・・俺が今疑問に抱いたことは、当然タケミカヅチだって感じているはず。

じゃあ、なぜタケミカヅチは俺に対してそれを明言しなかったんだろう。




―――俺たちはこれから、この京都市の中央部に位置する上京かみぎょう区へと向かう。

石山が例の写真を撮影したという下水道がある地区だ。

・・・時刻は、午後の10時30分を過ぎたばかり。

冬に下水道に降りるには、少し厳しい時間帯であることは言うまでもない。


だが、天津神がここ一時間で集中的に探知したところ

正確な所在は分からないものの、確かにその地区には使い魔のワニが徘徊していると判明したらしい。


・・・・・・つまり。

裏を返せば、あの写真がなければ天津神側はワニの発見がもっと遅れていた、ということになる。


・・・不自然に思わないわけがない。

自分たちが把握しきれていなかった使い魔の所在に関する情報が

このタイミングで、しかもよりにもよって俺たちの友人によってもたらされたんだから。




・・・石山たちは、誰かに利用されたのか?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る