AM11:45
「――じゃあ、高加君、美佳ちゃん・・・」
「はい。勝史さんも・・・」
8月16日、午前11時40分。
決戦に向けての準備を終えた俺と美佳は、いよいよ約束の時を目前にして、勝史さんと別れの挨拶を交わしていた。
「高加君・・・。
・・・その、なんと言うか・・・」
「はい?」
「・・・すまない」
「・・・・・・」
・・・勝史さんの言いたいことは解る。
形だけ見れば、俺は勝史さんに一族の荷を肩代わりさせられた結果、悪魔なんぞと命を賭けて戦うハメになったわけだから。
それは誰を責めるとか、責の所在がどこにあるかとかではなく、単なる事実でしかない。
だけど・・・。
「今この時に至るまで、俺は君と美佳ちゃんにどんな言葉を掛けたらいいのか、結局見つけられなかった。
相手は人智を超えた存在だ。
・・・俺には、気安く『必ず勝て』だなどと、白々しくて言えない」
「おじさん・・・」
「・・・ですね。
俺もそんな感じです。
『自分を信じる』とか『必ず勝てる』とか・・・そんな心境にはなれない」
俺は諦観の境地で苦笑しながら、勝史さんの顔を仰ぎ見る。
「でも、勝史さんが負い目に感じるのは違うと思いますよ。
・・・だって、あいつら見て下さいよ。あの、自称『神様』たちを」
「・・・」
俺はふいっと、背後で俺たちのやり取りを見守っていたタケミカヅチを一瞥する。
「あいつら、俺を・・・俺たちを巻き込んどいて申し訳なさそうにするどころか、自分たちが高く買ってやってるんだから光栄に思え、と言わんばかりでしょ?
・・・結局、なるべくしてなったんです。
勝史さんよりも、あいつらの方が先に俺に目をつけてきたんだから。
勝史さんはただその中で、一族を守るためにやるべきことをやったというだけに過ぎない」
「高加君・・・」
「さっちゃん・・・」
・・・半分は方便だった。
元を正せば、神様や悪魔たちにとっての争点は美佳の存在そのものなわけで、つまり『巻き込まれた』という認識自体がそもそも正しくないのだ。
―――巻き込まれるもなにも、渦中は常に美佳自身なのだから。
だから、タケミカヅチたちの事情を無視して彼らだけを悪く言うのもフェアじゃないんだろう。
・・・でも俺は、一ヶ月前にヒルコやタケミカヅチたちにされたことを未だに根に持っていたので、とりあえず悪いことは連中のせいにして溜飲を下げることにしていた。
「・・・わたしは逆に、おじさんや
さっちゃんと一蓮托生で戦えるなんて、ちょっとしたロマンだし」
「・・・・・・。
おめーは、その・・・例えば、俺を巻き込みたくないとかさ、
もうちょいそういういじらしいことは言えねーのかよ・・・」
「わたしに言われて嬉しい?そんなこと」
「・・・・・・」
まあ、確かに。
こいつにそんなしおらしいこと言われたって、あんまり嬉しくはないだろうけど。
「さっちゃん、あのとき
・・・知らないところで勝手に死なれるよりは、わたしと一緒に添い遂げて死にたい、って」
「あ、あぁ・・・
・・・いやいやいや!微妙に脚色すんな!そこまで重いこと言ってねーよ!」
俺のそのツッコミを受けて、美佳は待ってましたとばかりににっと笑った。
「ふふっ。
・・・だからね、わたしもさっちゃんを巻き込んじゃったことを、いちいち負い目に感じるのはやめたの。
わたしが負い目に感じたって、さっちゃんがなんか得するわけでもないしね」
「美佳・・・」
美佳は、自分自身が
・・・知らないはずだ。
だけど今の言い草は・・・いや、確かに家単位で考えれば
加賀瀬家の厄介事に外部の人間である俺を巻き込んだのは事実だし、そういう意味では今の言葉は何もおかしくはないんだが。
「・・・だから、おじさんも笑って送り出してください。
さっちゃんの言う通り、きっと『なるべくしてなった』んです。
なるべくしてなったのなら、少なくとも今は悔やむ時じゃないと思うから」
「美佳ちゃん・・・」
その言葉を受けて、俯きがちだった勝史さんが顔を上げる。
その表情に翳りのようなものは見えなかった。
「必ず勝て・・・とは、言わない。
・・・ただ、二人とも・・・
・・・・・・生きて帰ってこい」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
『―――今生の別れは、済ませてきたのであろうなぁ?』
社殿の屋根に腰を下ろした人影が、こちらを嘲るかのように顎を上げて笑った。
「・・・余計なお世話だ。ばけもの」
俺はその屋根を見上げながら、吐き捨てるように言い返したものの・・・
・・・握った拳の内が、脂汗でぬめついていくのを感じていた。
『ふん。親切心で言ってやっておるものを』
その人影は喋りながらゆっくりと腰を上げ、ゆらりと立ち上がっていく。
『・・・
何の根拠もなく、ただ漠然と、この世の何者も己を傷つけられぬと思い込んでおる、自惚れきった愚か者をな』
人影が完全に立ち尽くすと、隣の美佳が反射的に構えていた神剣を持ち直した。
『人間はすぐ死ぬ。故に学ばぬ。故に汚す。
・・・故に、我は焼く。人の子の腐肉と無知とで汚され尽くした、この
「・・・不法入国してきた挙げ句、あちこちで厄介事を撒き散らしてる奴が言えたことかよ」
屋根の上を、一歩、また一歩と人影が歩み寄ってくる。
『ふん。
その口振りからして、天津神どもに色々と吹き込まれたようだが・・・。
だが、あやつめらの言い草を本当に信じてよいのか?
・・・正しく理解しておるのか?今、己らが立たされているこの状況を』
人影が大きく身を乗り出したのを見て、俺と美佳は圧されるように半歩後ずさる。
応じて社殿の屋根が軋み、ぎしりとか細い悲鳴を上げた。
『汝らは言わば、体よく生け贄にされたのだぞ。
・・・・・・この、公爵アインのなぁ!』
人影―――すなわち悪魔アインの姿は、『思っていたよりは』常識的なものだった。
だが『思っていたよりも』不快なものでもあった。
レンガのような赤黒い肌に、均整の取れた肉体。
顔は・・・人間で言うと50代くらいだろうか?
ボサボサと黒く伸ばしっぱなしの頭髪や顎髭の合間から、ぎょろりと大きな瞳や鷲っ鼻、厚く横に広い唇が覗いている。
肌の色・・・や、よくあるファンタジーものの亜人種のように両耳が大きく尖っていることを覗けば、その姿は極めて人のそれに近かった。
・・・少なくとも、人間と共通する肉体のパーツに関しては。
『まずは詫びよう。汝らの生苦に満ちた命を、一時でも引き延ばしてしまったことを』
異容は首回りにあった。
―――頭が、人間よりも・・・
・・・というか、この世のほとんどの動物よりも二つばかり多いのだ。
それもただの頭じゃない。
猫だ。
猫と、蛇・・・いや、トカゲか?
とにかく、人間の中年男性そのものな中央の頭部の両脇に、それぞれ猫と、ヘビのような爬虫類の頭がくっついているのだ。
『だが、今日この日こそが汝らの命日よ。
・・・ナンジラノメイニチヨ。
・・・・・・なんじらのめいにちよ』
最初は趣味の悪い襟巻きかなにかかと思ったが・・・
・・・しかし時折、真ん中の頭部が発した言葉を両脇の猫とヘビが後追いで復唱しているのを見て、俺はそれが『自前』の頭なのだと理解せざるを得なかった。
「・・・昨日も聞いたぞ、その口上は」
両肩からでっかい猫とヘビの頭が生えた、三つ首のおっさん。
端的に表現するとそんな姿だ。
・・・だが。
「お前も、悪魔として長いこと人間を見てきたなら知ってるだろうけど・・・」
言葉を続けながらも、俺はこの悪魔からなるべく目を逸らしていたいという緩やかな衝動に駆られていた。
・・・何が不快って、猫の頭だ。
むさ苦しいおっさんの右肩から、不自然にデカい猫の頭部が生えているのだ。
これが何とも気色悪い。
昨夜の追跡劇のせいで、容姿を明確に視認するよりも前から敵意を抱いていたせいというのもあるだろうけれど・・・。
とにかく、生理的な嫌悪感をかき立てられずにはいられない異形だった。
「人間ってのは、ジンクスっつーか・・・
例えば『これから絶対これを成し遂げる』みたいなセリフを吐いておきながらそれを失敗したりすると、その後でリトライのチャンスが巡ってきたとしても、もう同じセリフは吐きたくなくなるんだよ」
『・・・』
この調和とは無縁の奇妙な容貌には、何か寓意のようなものが込められているのだろうか。
「また同じセリフを吐いたりしたら、失敗までの過程までもが同じように再現されちまうんじゃないか・・・って、心のどこかで思い込んじまうから」
・・・きっとそこには、何の意味も埋まってやいないんだろう。
この悪魔が俺たちのイメージするまんまの悪魔だというなら、やつらは混沌とか、そういう無軌道さの化身ということになるのだから。
「・・・で、今のお前のセリフ・・・。
果たして『再現』せずにいられるか?
・・・・・・昨日の『失敗』をさ」
―――と。
俺が言い終わるのが早いか。
刹那、周囲の空気が湿り気をはらみ、かすかにうねったように感じた。
『・・・・・・ぬかせぇっ!!』
直後。
俺たちのすぐ左側に位置している別の社殿の手すりが、いきなり紅蓮の炎に包まれた。
「――――――ッ!?
・・・うぉおッ!?」
突如、視界の左隅で荒れ狂う劫火。
そして耳を冒す轟音。
手すりは―――そもそもどういう原理で着火したのかは考えるだけ無駄だが―――着火時の衝撃でか一瞬にしてひしゃげ、まるでのたうつヘビのように真紅の尻尾を跳ね上げる。
「あっ・・・・・・づ!」
社殿・・・というか、社殿の手すりと俺たちが立っていた場所との距離は、せいぜい4,5メートルほど。
はじけ飛ぶように燃え上がった手すりから火の粉が降り注ぎ、俺は思わず間抜けな悲鳴を上げてしまった。
『つくづく口の減らぬ奴よ!
昨日も言ったであろう!このアインにアンドラスめと同じ手が通用すると思うな!』
激昂した口振りでアインが叫ぶと、今度は俺たちの右手に繁っていた小さな草むらから火の手が上がる。
「あつつっ・・・
・・・み、美佳っ!!」
降りかかる火の粉を左腕で払いのけながらその名を呼ぶと、美佳は手にしていたフツノミタマを大きく左に構え、無言で応じる。
・・・さすがと言うべきか、俺と同様に手すりからの火の粉に晒されているはずだが・・・まるで意に介していない様子だった。
「・・・・・・ッシィィイっ!!」
押し殺したような掛け声とともに、美佳は火の手に目掛け
左から大きく横薙ぎに神剣を振り抜く。
火勢に囲まれ、轟音のさ中にありながらも
美佳の剣が空を切る『ふっ』という音だけが、妙にはっきりと耳に届いてきた気がした。
『―――ぬぅ!?』
そして、次の瞬間。
・・・火勢が、消えた。
「!!
・・・お、おお!?」
左側の手すりからも、右側の草むらからも・・・
・・・というか、視界から炎が消えた。
『・・・これは・・・!』
屋根から身を乗り出していたアインが憮然として立ち尽くし、六つの
俺は俺で、今起こった出来事のあまりの唐突さに、はっきりとは視認できていなかったが・・・。
まるでマッチの火が強風で吹き消されるかのように、手すりや草むらに取り付いていた紅蓮のゆらめきが瞬く間にかき消えたのだ。
「・・・・・・!
・・・ほ・・・」
―――ほんとに『神剣』だったのか。
・・・そんな馬鹿みたいなセリフが思わず口を突いて出そうになって、俺は慌てて口をつむぐ。
元よりこの力を計算に入れて作戦を立てているのに、今さらほんとにもクソもないのだ。
『あの軍神めの魔剣かっ!
・・・余計な肩入れをっ!!』
そう吐き捨てたアインの言葉にはますます激昂の色が見て取れたが、反面でかすかに狼狽のようなものをもはらんでいるように聞こえた。
俺たちに炎の術への対抗手段があるのが、単純に予想外だったのだろう。
・・・しかし。
「・・・・・・」
当の美佳は依然として、一言も発さない。
・・・と言うか、絶句しているように見えた。
「・・・美佳?」
美佳は両の目を皿のように丸々と見開き、剣を右手側に振り抜いたままのポーズで固まっている。
「・・・・・・・・・・・・」
俺よりも。
アインよりも。
この『神の御業』に一番驚いたのは、他ならぬ美佳自身だったのだ。
―――同日、午前11時45分。
異次元世界の空の下、ついに悪魔アインと対峙した俺と美佳の
長い長い『11時45分』が、こうして始まった。
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