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 僕は電車を乗り継いで、人気のない駅からわざわざタクシーを呼んであの館にもどった。

 相変わらず怪しい雰囲気を漂わせている。横長の二階建ての館。洋館。外壁は人の血管のようなヒビが入っている。庭は気がついたら草が激しく茂っていて、暑苦しい。放置しすぎたようだ。僕は鍵穴に鍵を入れて館に入る。

 ロビーの中央には傘頭の幻がいた。無視。僕は自室に向かう。

「おもしろい小説は書けそうかい?」

 声がした。

 振り向くと、……僕の姿をした幻がいた。

 ド、ドッペルゲンガー?

 い、いや、違うのか。

「念のために言っておくけど、ドッペルゲンガーじゃないよ」

「そ、そう……」

 本人から保証をもらう。

 いや、確証ではないが。

 だが、この館の性質を考えるとあながち嘘でもないだろう。吸血鬼ばかり出てきたとこに、隠し球としてフランケンシュタインの怪物を出されても困る。そこまで唐突もない館なら、僕は成す術はない。

 多分、この館はそうじゃないと信じる。彼はドッペルゲンガーじゃない。

 彼は嘘つき村のオオカミじゃない。オーケー、分かった。

 ともかく、僕は部屋へ向かう。彼は僕のあとをついてくる。

「ねえ、東京に行ったんだよね。ビジネスホテルに缶詰でもしてたの?」

「………」

 してた。

 だが、それをわざわざ言う必要はないだろう。

 無視する。

「きみは相変わらず馬鹿だよね。缶詰になるなら県内でいくらでもあるだろうに。わざわざ東京に行くなんて。それほど、この館がこわかったの?」

「………」

「違うか。小説家がこわかったんだね。……睨まないでよ」

 睨むさ。

 土足で僕の心に踏み込むな。

 何がタチ悪いって、彼の言う通り僕は小説家をこわがってたことだ。

「きみは、これまでみんなが好みそうなカタチで描いてきたんじゃないかな。丁度良いプレート。看板。きみはそれを見つけ、あとは技術やら何やらで書いてきた。きみはそういう人だよね。案外、文系ぶってるくせに論理的なんだ。いや、合理的かな。合理的すぎて吐き気がするよ」

 僕の顔をした僕は、徹底的に僕を責め立てる。

「何故、お前は僕を」罵倒する、とでも言いたかったのだろうか。だが、僕はそれにやれやれと両手を振るう。

「この程度でごめんなさい、許して下さいかい? きみはどれだけ温室暮らしをしていたんだ。こんなの、創作者にとっては挨拶みたいなもんじゃないかな。何だ、今の時代は小説家もゆとり教育が流行っているのか」

「偉そうなこと言っておいて、それか。きみが僕の幻だったら同世代じゃないか。前世期の奴が偉そうにクチ出しそうなことをお前が言うな」

 僕は部屋に着いた。

 机に座り、ノートパソコンを出して執筆をはじめた。

「………」

 思い浮かぶはずなんだ。

『騒音の怪物』。

 僕が描かなきゃいけない、騒音の……。


「きみは、これまで自分の物語を書いてきたのかい?」


 そばで、僕の声をした幻の声が聞こえた。

 雷がひき裂かれるような耳障り。耳の奥の鼓膜が悲鳴を上げ、嘔吐しそうになる。

 それは真実。

 真実だからだ。

 何故だ。

 何故よりにもよって、こんな奴が現れた。

 一番。

 一番僕が無視できないものじゃないか。

「人は誰もが幻を見る。幻を見ない生物は人間以外だ。人間は幻を見る生物だ。それは脳がこんなデタラメで複雑な構造をしてるからといえる。人は意識がかすかにでも恐怖を感じれば、暗い夜中、遠くの道にあるビニール袋を幽霊と見間違うような生き物だよ。かすかにでも、(もしかして、あれかも)と思えば人は幻を作ってしまうんだ。そう、妖怪はこれらの現象によって生み出される。だから、本当の人の想像を超えた妖怪というのは出てこないだろ? あれなら、微生物や細菌、深海にいる生物の方が常軌を逸してるよ。人が想像出来る妖怪よりも妖怪だね。所詮は妖怪は人の手による夢幻。人工物だ。だが、人は人工物の中でしか生きられない。自然の中じゃあまりにも脆弱で愚かで無垢だ。だからこそ、人工物が必要だ」

 だから、と彼は言った。

「家が必要だった。家は最も小さな人が作り出した人工物だと思わないかい。人と人が、赤の他人といってもいい。血がつながってるなんて、あんなのは幻だ。生き物としては別個体のもの同士でしかない。そう、幻なんだよ。幻。それなのに、人は幻を現実だと思いたくなる。思ってしまう憐れな生き物だ」

「お前は……そんなこと考えてたのか」

 僕の姿をした幻に言ってしまう。

 僕自身、こんなことを考えていたのだろうか。

 いや、この館が生み出す幻というのがどういう理屈で生まれるか。そもそも、僕や鈴野、傘頭、有田、道川のように彼ら本人から排出されたものかも定かではないが――しかし、この言葉は水を飲むようにすんなりと僕の頭の中に入ってきた。仏教の真理のように闇を照らす爽快さがあるのに、難しくなく、本当に水を飲むようだった。ごくり、と頭の中で音がした気がする。

「人は何から幻を生み出す。手? 足? 腕? 頭?」

 ちがうよ、と彼は言った。

「言葉だ」

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