38 雪山で一人になって全裸になる男
『4』
外出から戻り、ついでに買った食材で夕食を作った。いつも食材は宅配で頼んでいるのだが、何となく、自分で買ったもので料理をしてみたかったのだ。
立ち読みで覚えた海外の地方料理を作った。先生は無言で食べていたけど、食べるスピードは早かったのでうまかったはずだ。(先生は、まずいと無言で席を立つ程である)
先生は「ごちそうさま」も言わないまま、席を立とうとした。皿は綺麗に食べ終えている。興味の関心がなくなったからか。必要ないと思ってるのか。皿を洗うのも私という彼にとって宇宙の真理に文句を言うつもりはないけれど。だけど、私は先生に声を掛けていた。
「先生に、聞きたいことがあるんですが」
先生はこれまた魔法のように物理学を無視していきなり立ち止まり、席に座り直した。
「何だね?」と、無表情、無言のまま先生は聞き返す。
「どうして、私を選んだのですか」
私がここに来て良い。弟子として選んだのは、どうしてなのか。私は聞いた。
「私と似てるからだよ」
何を言っているんだこの人と。疑うのは仕方のないことなはずだ。
自分で言うのも何だが、私はそこまで人間として愚かではない。先生は、遠回しに私を侮辱しているのか。
「最近は小説家じゃないのに小説家になる者が多くて困るな。小説家が何たるかを分かっていない。小説家というのは孤独なんだよ。分かるだろ。きみなら。私はそう信じてきみを誘ったのだからね。本当に小説を書くしかない小説家というのは矛盾してて、孤独を好むくせに、孤独を嫌うのだ。意味が分からないだろ。私も未だによく分かっていない。しかし、単独行動、一人になるときが一番ラクで、他人といるときは疲れていると思っているのにだ。心の中では、誰かとのコミュニケーションを求めてるのだよ。ワガママか。そう、ワガママだ。我々はワガママなんだ。だから、エリキュール・ポワロは知的好奇心で犯人を捜すし、ライ麦畑の少年はクレイジーだ。きみは、私と同じ目をしていた。授賞式は嬉しかっただろう。ん、今さっき言ったのは小説家じゃない? 同じさ。話をもどして、何せ、初めての賞を取ったんだ。そして、きみのために祝ってくれているんだ。嬉しくないわけがない。しかし、めんどくさがっているきみもいる。他人となれ合うのを、嫌がるきみがいる。私はね。感じたんだ。同じ人種だからだろう。鼻が、効くんだ」
次から次へと先生は失礼なことを私に言う。私は孤独が好きだ。私は先生と同じで孤独に酔いしれている。他人となれ合うのが嫌だ。
そんなことはない。
他人に興味がないのは先生の方だ。それなのに、先生は私のことばかりだと言う。まるで本当に私のことであるかのように、次から次へと、先生は次から次へと、私に、私に失礼なことを言う。
「きみは忘れたかな。私に最初に挨拶しに来たときのことを。私はね。正直、新人賞を取った若い小説家のことなんて、どうでもよかったんだ。どうせ、まだ小説家として未熟だろうしね。それは技術的にもだよ。小説の書く技術、あらゆる要素を入れて考えて、のことだ。しかし、他にも意味はある。それは内面的な、そう魂に近い場所のことだ。いや、そのものかもしれない。小説家は小説家でなければならない。小説家は、あらゆることに精通することが可能だ。何故なら、小説家は人間が最も初期に他人とコミュニケーションするために開発した『〝文字、言葉〟』を操るからだ。これを操った者、カリスマ性を秘めた可能性がある者、それは皆恐ろしいことになる。宗教の教祖だってそうだ。あれはありがたい言葉と言われている文字、言葉があるから信者を増やせるのだ。人の心を動かすのはいつだって言葉だ。文字だ。どのような行動も全ては人間の脳みそに文字としてインプットされ、そしてまたそれが意味を吹き出され、やっと効果が発動する。故に小説家は万能だ。どの分野も小説家として役立つのは、そういう意味なんだよ。逆に言えば、小説家になれれば何にでもなれると私は思うね。まあ、スポーツは難しいのか。いや、不可能ではないと思うが難しいかもな。しかし、なれるだろう。政治家になった小説家もいるし、舞台などの脚本も書く者もいる。これは割と近い存在だな。他には歌う者もいれば、役を演じる者もいる。お笑いをやる者もいれば、学者の者もいる。素晴らしいだろ、小説は。何にでもなれる。何にでもなれるのだよ、我々は」
そして、先生は同時に。
「同時に、我々は何にでもなれない。小説しかないから、それしかないから、何にでもなれないのだ。どの職業に偽りのお面を被っても、私達は〝小説家〟でしかない。文章を書き、物語を紡ぎ、編集者と葛藤し、出版して絶望や希望を知り、そして金を読者からまきあげる。それだけの存在なのだよ」
きみは、初め見たときからそう感じた。
「間違いなく、小説家だ。素晴らしいことだ。その若さで、もうどうしようもなく揺るぎない小説家だった」
素晴らしかった。素晴らしい。先生は珍しく、私をたくさん褒めてくれた。
「故に、きみは孤独だ。優れた人種。もしくは頭の良い馬鹿か。そういう者には、他人が馬鹿馬鹿しく見える。きみだって、本当はそうなんじゃないのかな。それとも、興味がないだけなのかな。それともそれとも、興味があり過ぎて観察しているのかな。きみは、きみはもしかして、小説のために生かせると思って観察しているだけなのか。面白いな。それはまるで、蟻をケースの中で飼うのと何ら変わりない。素晴らしいよ、きみ。だから、孤独だ。きみは誰かとしゃべっても、誰かと抱き合っても、孤独を背中に背負って生きていかなければいけない。もしかしたら、孤独なのではなく誰かをいつも恋い焦がれているのかもしれないな。しかし、それは簡単に裏返ったり、または満たされたりしないから、終わる事のないエンドレスになる。面白いな。大変面白い。きみは、きみという存在は」
小説家だ。
先生は、私に初めての笑顔を見せた。もしかして、私を笑っているのだろうか。
「……私」
「ん、何だね」
「明日で、この館を出て行きます」
「ふむ、そうか」
我慢しきれなくなった。怒りが溜って憤怒したのではない。
ただ、何かがはち切れた。このままでは、私の砂の城が崩れてしまう。私の中の誰かが言った。
そんな気がした。
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