第二話 探し物 壱

 善之助は、目の前に立つ男の向こうに咲いたツツジを見ていた。帰れと言ったのに、男は帰る気配を見せない。無視を決め込んでいるのに構わず善之助を見ている。

 それならば、男と見つめ合うよりも花でも見ていたほうがいくらかましだろうと、善之助は荒れた庭の彩りへ目をやることにしたのだ。

 手入れもしてやっていないのに、ツツジは今年も律儀に咲いた。もとは色ごとに株分けされて植えられていたのだろうが、今は見る影もない。好き勝手に枝を絡ませた結果か、今では白もピンクも赤紫も入り乱れて咲いている。

 幼い頃、ツツジの花をむしってその蜜を吸うのが善之助は好きだった。だが、どうやら先にその蜜を楽しんでいたらしい蟻を口に入れてしまって以来、もう蜜を吸うのはやめた。

(小娘は、蟻を食ってもめげずに蜜を吸いそうだな)

 善之助はあの食いしん坊な娘のことを思ってニヤリとした。

 善之助が小夏を気に入っているのは、虫などでは動じない図太さだ。この庭で蜘蛛なんかにいきあっても、気味悪がりはしたが、悲鳴はあげなかった。蜘蛛が巣をかける様子を飽きもせずしばらく見ていたくらいだ。

 その小夏がもうすぐやってくることを思い出して、善之助はさらに苛立ちを募らせた。


「唐澤、そうやって突っ立っていたって、俺はその仕事は受けんぞ。それに、これから客が来るから帰ってくれ」

「お客さんって、どうせ僕の顔見知りでしょー? それなら別に帰らなくていいじゃん」


 唐澤と呼ばれた男は、そう言ってヘラヘラと笑った。善之助が睨もうが無視しようがどこ吹く風だ。明るく染めた髪にまるでお洒落な大学生のような服装という軽い見た目と同様、中身も軽いのだ。だが、これと決めると梃子てこでも動かないしつこさもある。


「客といっても仕事の客じゃない。個人的な客が遊びにくるんだ。だから帰れ」

「個人的な客って、善ちゃんのプライベート? 友達? 恋人? だったらなおさら帰らないよー。その人に善ちゃんが僕の仕事を受けてくれないって言いつけちゃおー」


 いつも笑っているような胡散臭い糸目をさらに細めて、唐澤は悪い笑みを浮かべた。しまったと思ったときにはすでに遅く、唐澤は善之助が自分を帰らせようとする理由をめざとく見抜いたらしい。

 そして、その理由は軽やかな足取りで、もうこの家の敷地内へと足を踏み入れていた。


「善さん、こんにちはー」


 ローファーの踵が飛び石を蹴る足音を響かせながら、小夏が庭先へとひょこっと顔を出した。だが、すぐに唐澤の姿を認め「しまった」という顔をする。


「ごめんなさい、もしかしてお仕事中でしたか?」


 不安げに尋ねながら、小夏はスマホを確認した。

 三日と空けず遊びに来るようになってから、二人は連絡先を交換したのだ。小夏が行きたいときにメールを送り、善之助はその可否を返信している。


「気にするな。こいつが勝手に居座ってるだけだ」

「そうだったんですか。……お邪魔します」


 どうしようかとためらい、小夏は唐澤にペコリと会釈して縁側へと腰をおろした。その姿を善之助は黙って見つめ、小夏がいつもと違っていることに気がついた。


「何か変わったと思えば、衣替えか」


 紺色のセーラーだったものが白の半袖セーラーになっている。慌ただしく大型連休が過ぎ去って、気がつくと春の気配が跡形もなくなってはいたが、もうそんな時期だったのかと驚く。


「最近は衣替えって六月じゃないんだねー」


 善之助と小夏のやりとりを見守っていた唐澤が、ニヤニヤと楽しげに笑う。そしてなんの断りもなく、小夏の隣にどっかりと腰をおろした。


「天気の良い日はもう暑いですし、でもまだエアコンはつきませんから……」


 早めの衣替えの理由を説明しながら小夏は、唐澤に「なんだこのおっさんは」という目を向けていた。唐澤の近すぎる距離に警戒しているのだ。

 小夏も年頃の娘らしく、こういった親しみやすさとデリカシーのなさの境界線のような振る舞いを嫌がるらしい。こっそりと善之助のほうへ体を移動させた。


「善ちゃんにこんな可愛らしいお友達がいたなんてねぇ。女子高生かー。僕とも仲良くしてよ」


 警戒心を露にする獣のような小夏の態度に、唐澤は笑みを深めた。被虐趣味でもあるのか、人の嫌がることをするのが好きなのか。とにかく小夏のくっきりとしたつり目に見返されて嬉しそうだ。


「可愛いなぁ。僕は善ちゃんと取引がある古書店の唐澤だよ。お名前は?」


 唐澤は小夏の手をギュッと握りしめた。それによってこのおっさんをどう扱おうかと考えあぐねていた小夏の中で、なにやら答えが決したらしい。

 馴れ馴れしく、そしていやらしい唐澤の手を一瞥すると、小夏はそれに噛みついた。

 あっと思って動いたのは善之助が最初で、すぐさま小夏から唐澤を引き離した。


「痛いなぁ。最近の女子高生の流行りの挨拶だったりするぅ?」

「小娘、そんなもの口に入れるんじゃない! 菓子ならすぐ出してやるから。ペッしなさい、ペッ!」

「ペッペッ」


 唐澤はヘラヘラと笑い、善之助はおかしなことに腹を立て、小夏は鼻の頭に皺を寄せて庭先へ唾を吐いている。ちぐはぐだ。

 その滑稽さに気づいたのは唐澤だけで、軽薄な笑いではなく声をたてて笑った。


「なるほどね。仲良くなるには餌付けが必要っていうわけか。今度は何か持ってこよう」

「もう来るな」

「また来るよ。というわけで、あの件よろしくね」

「断る!」


 小夏の視線も善之助の言葉も意に介した様子もなく、唐澤はひらひらと手を振って去って行った。





「善さんの仕事ってなんなんですか?」


 出されたお茶とお菓子を口にして、ようやく小夏は落ち着いた。落ち着いてくると、今度は今更な疑問がわいてきたらしい。

 そういえば小夏に家業について話していなかったかと、善之助も改めて気づいた。だが、そう尋ねられたからといって、適確に説明するための言葉がなかなか思いつかなかった。


「そうだな……必要なものがあってここを訪れた人に、その求めるものを提供するのが仕事、だな」


 善之助は祖父に言い聞かせられてきたことを、自分なりの言葉でまとめてみた。

 導かれるように伏せ猫屋にやってきた人に、導かれるままに必要とするものを差し出すだけ――祖父はよくそう言っていた。

 求めるものがない人は端からここへはやって来られないし、ここへやってきたからにはなにかしら縁があるものだと。

 だから難しいことは一切考えず、ことの成り行きに従っていればいいから楽な商売だと。

 未だにその言葉の真髄はわからぬままだが、わからぬままでなんとかなっている。


「ようは便利屋さんってことですか?」


 理解できなかったらしい小夏は首を傾げながら善之助に尋ねた。その問いに善之助は苦笑する。


「便利ではないなぁ。ないものは求められても差し出せんし、俺が頑張ってどうこうできることではないからな」

「そっか。大変なお仕事ですね」

「まぁ、安請け合いしなければ問題も起きん。この仕事に限らず、一番良くないのは安請け合いをすることだからな」


 小夏に言い聞かせるようにしながら、善之助は己を戒めていた。

 祖父が店主だった頃、やってくる客の要望をいつも魔法のように叶えていくのを見て、この伏せ猫屋は人の役に立つ夢のような店だと思っていたのだ。願いをなんでも叶えてやれるのだと、幼い善之助は信じていたのだ。

 だから、祖父がなんでも願いを叶えられるわけではなく、すべては縁の成せる技だとわかったときは、少なからずがっかりした。

 だが、跡を継いだ今は無駄も不足もなくこの店と客の関係が回っていることを、静かに受け入れている。

 善之助の話を聞きながら、小夏は自分なりに理解しようと努めていた。

 ここへは求めるものがある人だけが来ることができる。だから、善之助はただあるものを提供するだけなのだと。そう考えて、なるほどと思った。

 だが、それならばなぜ唐澤はこの敷地に入っていたのに善之助からこっぴどく拒否されていたのだろうかと、小夏の中で新たな疑問がわく。


「善さん、あの件ってなんですか?」


 唐澤の軽薄な笑顔を思い出しながら、小夏は尋ねた。小夏の問いによって忘れかけていた面倒ごとを思い出し、善之助は苦い顔をする。


「ある本を探して欲しいと言われたんだ。古書は古書なんだが、『ある人が所有していたもの』という条件つきでな。どうも、本そのものよりも本の間に挟まっている手紙が目的らしい」

「手紙ですか」

「依頼主が女性で、それであいつも張り切ってるみたいなんだが、無理なものは無理だからな」


 善之助は、依頼内容を思い出して改めてうんざりとした。

 聞けばその手紙も探している本に挟まっているかどうかの確証はないという。そんなあるかないかも判然としないものを探すために手間をかけるなんて真っ平だと、善之助は思っている。


「手紙って、きっと大事なものですよね。見つかるといいですね」


 ジッと、小夏は猫のような目で善之助を見つめた。これは言外に「手伝ってやれ」と言っているのだろう。そのまっすぐな視線を受け居心地が悪くなったが、ここで頷くわけにはいかないのだ。


「同情だけで安請け合いするのは考えものだからな。安請け合いは、相手のためにも自分のためにもならん。安請け合いするってことは、気を持たせるってことだ。気を持たせた挙句に成果なしとくれば、相手の失望はさらに大きくなるからな」

「言ってることは、わかりますけど」


 手紙というキーワードに浪漫を感じたらしい小夏は、なんとかならないかという思いを込めて善之助を見つめた。

 その視線を受け善之助はため息をつくと、ぬるくなったお茶を一息に飲み干した。

 そして小夏に向き直ると、ビシッと人差し指を突きつけた。


「安請け合いの罪深さについて、小娘はいまいちわかっていないようだな。小娘はなんの感情も抱いていない男にどうしても付き合ってくれと言われたらどうする?」

「それは、断りますよ」

「なぜだ?」

「だって、嫌だし、なにより好きでもないのに『いいよ』って言うのは相手に失礼だから」

「それと同じだ。できもしないことは、はじめから受けるべきではない。気を持たせるのはよくないからな」


 はっきりと言い切られて、小夏は納得しかけた。だが、少し経つと微妙に話題がすり替えられている気がしてしまう。


「えー? なんかはぐらかされた気がするー」

「はぐらかされておけ」


 頬を膨らませて不満顔の小夏を、善之助は微笑ましく見つめた。

 この娘は人に親切にすることが当たり前に身についているし、それゆえ安請け合いもするだろう。その若さと育ちの良さゆえの善良さを、善之助は好ましく思っていた。

 だが、このときしっかりと言い聞かせていればよかったと、のちに善之助は後悔することになる。

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