第50話 046 看破
突起だらけの金属杖、それを鬼人が渾身の力で振り抜いた一撃。
そんなものを顔面で受け止めたのに、ヴィーヴルは唸り声すら上げない。
ひょっとすると、痛みを感じていないのだろうか。
もしかして、ファズの攻撃が全く効いていないのか。
そもそも、こんな巨大な怪物を相手にするなんてのが――
『落ち着け、リム』
腹部に追撃の突きを入れて、その反動で後ろに下がってヴィーヴルと距離をとりながら、ファズが思念を飛ばしてくる。
『こいつは鳴きも吼えもしてない。多分、声がない』
思い返してみれば確かに、足音と羽ばたきの音と着地音、それから火球の発射音しか耳にしていない。
よく見れば、牙の数本が欠け飛んでいた。
分かりづらいが、こちらの攻撃は確実にダメージを蓄積させている。
攻勢を続けるにはナイフの本数が心許ないし、弾かれたのを回収して再利用するか――
そんな検討をしていると、頭の中に不吉な声が響いた。
『しまった』
ほぼ同時に目の前を何かが横切り、数瞬後に鈍い衝突音が聞こえる。
背後へ跳び退ったヴィーヴルに合わせ、ファズは地面を蹴って前方に跳んだ。
だが、ヴィーヴルの後退がカウンターを狙ってのフェイントだったらしく、空中でモロに蹴りを食らうハメになったようだ。
「ぉおっ?」
怪物丸出しな相手によるまさかの頭脳プレーに、思わず変な声が出てしまう。
羽ばたきでブレーキをかけながら着地したヴィーヴルは、こちらを一顧だにせず、壁へと蹴り飛ばしたファズに近付いて行く。
「べほっ、ぶはっ――」
ファズの湿った咳き込みが聞こえる。
意識はある様子だが、すぐには動けないみたいだ。
どうにかヴィーヴルの気を逸らさねば。
「はうぬぉああああああああああああああっ!」
俺は屋根から飛び降りると、最大音量で奇声を上げながら駆ける。
勝利を確信しているのか、ヴィーヴルは悠然とした足取りでもって、へたり込んだままのファズへと徐々に近付く。
その背後から、膝の裏や翼の付け根といった、少しでも柔らかそうな場所を狙ってナイフを投げるが、どうしても刃が通らない。
「止ぉまれぇえええええええええええっ!」
叫びながら腰のカトラスを抜き放ち、渾身の力を込めて何度も何度も尻尾に突き立てる。
だが、これもダメだ。
浅く傷はつくのだが、突き刺さるまで行かない。
何をしても、こちらに注意を向けることすらできない。
どうする、どうすればいい、どうやって止める。
そうだ、アレがあった。
教官から託された
『だから、落ち着け』
ファズのその言葉で、腰のバッグへと伸びかけた手を止める。
我に返って考えてみれば、こんなのを密閉空間で使ったら最後、敵も味方もまとめて全滅だ。
傍らに転がった杖を掴み、ファズが立ち上がった。
それから、プッと音を立てて赤い唾を吐き出す。
――まさか、内臓に深刻なダメージが。
『口の中が切れただけ』
振り回された杖が風を切る音と共に、ファズの言葉が伝わってくる。
普通なら瀕死の重傷は避けられないところだが、鬼人の頑丈さは普通じゃないようだ。
そんなファズの様子を見てか、ヴィーヴルの鈍い歩みも止まった。
お互いに相手が動くのを待っているのか、ファズとヴィーヴルは距離をとって睨み合う。
いや、睨むと表現するには熱量が足りないようにも思える。
感情の有無が定かでないヴィーヴルは勿論、ファズの方も無表情――というか、何やら少し眠たげだ。
もしかすると、疲れたせいで本気で眠くなっているのかも知れない。
ヴィーヴルが翼を大きく広げ、ファズが腰を落として身構える。
巻き込まれないように離れながら、俺はヴィーヴルを観察する。
口の端に炎の赤色をチラつかせながら、またも巨体を宙に浮かべていた。
翼で空を飛び、口から火を吐き、鱗は刃を通さない。
こんな生物が存在しているだけでも驚異なのに、フランはこれを人工生物と呼んだ。
これだけの大規模な施設だ、作り出したのがヴィーヴルだけということもないだろう。
自分達は一体、何と戦っているのか。
どんな目的でもって、何事を企んでいるのか。
求綻者になってから初の
『怯えのニオイがする。死ぬぞ』
ファズからの警告が、素早く冷たく脳裏を撫でた。
嘘と怯えのニオイは分かりやすい、だったか。
少し頭は冷えたが、まだ血が上っている感覚が居残っている。
グッと歯を食い縛り、俺は右拳で自分の顔をブン殴った。
「がふっ!」
痛みと衝撃で萎えた心を奮い立たせようとしたのだが、予定より強めに入ってしまい、口中を鉄錆の味が支配する。
『何してんの』
呆れた感じをたっぷりと滲ませた言葉に、少なからず羞恥心を刺激される。
俺をそんな精神状態に追い込んでくれたファズは、腰を落とした姿勢で上方を見上げていた。
どうやら、相手が攻撃の挙動を見せた瞬間に仕掛けるつもりらしい。
その意図を悟ったか、火球を放つことも急降下攻撃を行うこともせず、ヴィーヴルは後方へと空中移動してから、羽ばたきの突風を撒き散らしつつ着地した。
その派手な移動っぷりを眺めていると、不意にある閃きが訪れた。
飛行能力を駆使した素早い動きだが、ヴィーヴルは着地の際はいつも落下速度を極端に緩めている。
思い返してみれば、滞空時間も毎回短かったような気がしなくもない。
そして歩行速度は、こちらを侮るかのようにゆったりしている。
つまり、ヴィーヴルは足が弱い。
弱いというか、二本足で支えるには体が重過ぎるのだろう。
そしてあれだけ大きな翼でも、巨体を長時間浮かせられるだけの力はない。
運動能力に身体機能が追い付かず、過剰な負担をギリギリで支えているのではないか。
となると、見た目から感じるほどには、強靭な生物ではない可能性が高い。
『うん、試してみるか。リムはこっちに』
その指示に従い、俺はファズの近くへと駆ける。
それからファズは、傍らの建物の壁を杖で殴った後、ヒビが入った所に蹴りを入れて破壊した。
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