第26話 024 戒飭
顔を出したのは教官の一人で、各種格闘術を専門にしているクローデルだった。
「……リム」
教官の声の調子から『一緒に来い』というメッセージを受け取ったので、ちょっと待っていてくれ、とファズに無言で伝えて部屋を出る。
クローデル教官は基本こんな感じの寡黙さだが、講義中は途端に饒舌になる掴み所のない人物だ。
妻子もいるそうだが、プライベートではどちらのキャラなのだろうか。
そんなことを考えながら、ぶ厚い筋肉で盛り上がった背中を眺めつつ後をついて行くと、クローデルはある部屋の前で立ち止まった。
ココは確か――会議室だっけか。
来賓室と同程度に、自分には縁がない場所だ。
クローデルに続いて会議室に入ると、多数の視線が殺到してきた。
養成所長のシャティヨン男爵、カイヤットを含む四人の教官、その他に数人の幹部職員と思しき面々――直接に関わりのない人達なんでよく分からない。
こうして呼ばれたのにファズが関係しているのは想像がついたが、戸惑いを主成分にしている所長らの様子からは、本当の理由を推測するのは困難だった。
「えー、リム……リム・ローゼンストック」
「はい」
普段は耳にしないフルネームを滅多に会話しない所長に呼ばれ、やや緊張を感じながら返事をする。
所長の面積の広い額には、うっすらと汗が浮いていた。
「リュタシアにこの養成所が開設されて以来、最大のお――特種事例だった君が、無事に共鳴を起こしたのをまずは祝福しよう」
「長い間、心配をお掛けしました」
おい、今『最大の落ちこぼれ』って言おうとしなかったか。
そうツッコみたくなるのを抑えて、無難な返事をしておく。
「しかし、どうしてよりにもよって鬼人と?」
「狙ったんじゃないんですけど、流れでそうなってしまいまして――」
今日に至るまでの事情を簡潔にまとめようとするが、我が事ながらどう説明していいのか分からず、あやふやな語り口になってしまう。
そんな俺を見据えながら、腕組みをした所長は深々と溜息を吐く。
「世界には数多くの養成所があるのに、何故ここで、そして私の任期中にばかり、前例の無い事態が起こるのだろうな……」
どんよりとした所長の言葉に、ライザが竜をレゾナとして連れ帰った時に巻き起こった大騒動が脳裏を過ぎる。
「さぁ……それは分かりかねますが、所長の人徳というヤツではないでしょうか」
「人徳、かね」
所長の口元が満更でもない感じに緩むが、協会内で出世して名誉称号や勲章を得ることにしか興味がない、実務能力皆無な俗物老貴族に人徳などあるはずもない。
現に、訓練生から所長に付けられている密かなアダ名は『
教練にも座学にも顔を出さず、養成所の運営も教官達に丸投げして、毎日所長室で古臭い書物を読み耽っているばかり、というのがその由来だ。
「で、俺が呼ばれた理由は何ですか。今までにココで見てきた、レゾナを連れ帰ってから習士を拝命するまでの流れとは、だいぶ違ってる気がしますけど」
「お前を求綻者に任ずる前に、一つ念を押しておきたくてな」
訊いてみると、所長に代わってカイヤット教官が口を開いた。
何を言われるのか想像がつかなかったので、黙って続きを待つ。
「鬼人がどんな存在かは知っているな」
「そりゃもう――」
山道での突然の遭遇から、森の中で盗賊団を壊滅させるまでの、ファズと出会った日の出来事を掻い摘んで語る。
カイヤット教官だけは興味深げに聞いているが、他の面々は皆が多かれ少なかれ渋さや苦さを噛み締めている。
話が一段落した所で、教官が右眼だけで真っ直ぐに見つめながら告げてくる。
「そんな怪物を御せるのか、リム?」
「それは……」
どうなんだろうか。
とりあえず、意志の疎通に不自由はない。
だが、普通の求綻者とレゾナのように、コチラが命令を下す形で関係を築くのは難しい気がするし、それで上手く行く予感も全くしない。
答えに窮していると、教官は軽く咳払いをして続ける。
「脅すつもりはないのだが、鬼人は余りにも正体不明だ。歴史の授業で『モズレアの乱』については教えたな?」
「えぇっと、五十年だか六十年だか前に、大陸南方で発生した
「やや頼りないが、及第点にしておこう。それで、反乱の指導者であるモズレアだがな、あれは実は人間で、本名はトーフィン・モズレアという。そして彼は――」
「カイヤット君、それ以上は」
所長が止めに入ったが、カイヤット教官は無視して話を続けた。
「――求綻者だ。全ての公式記録から抹消されているが、な。レゾナであった
「……まさか」
「私に嘘をつく理由があるか? そもそも、抗訝協会の幹部には周知の事実だ……ふむ、どうして今こんな話をするのか分からない、とでも言いたげな顔だな」
「はぁ、まぁ」
考えが表情に出ていたのか、教官に図星を突かれて曖昧な返事を呟く。
「ただの
「でも、ファズなら――」
そんなことにはならない、と言い返しかけて軽く詰まる。
自分はそう即答できる位に、ファズを理解しているのか。
現段階で分かっているのは、彼女が常識外れの戦闘能力の持ち主で、甘い物が好きだという程度でしかない。
「繰り返しになるが、別に脅すつもりはないのだ。ただ、鬼人や竜といった存在はな、外見こそ人間に似ていても、その本質は訝や自然災害に近い。それを理解しておけ」
「……ですか」
教官の言わんとすることは何となく分かるのだが、上手く頭に入ってこない。
ディスターを連れ帰った後、ライザもこんな話をされたんだろうか。
「鬼人の力は、お前の求綻の旅を大いに助けるだろうし、戦場で命を預ける相手としては最高に近い。頼っていい。信じてもいい。だが、疑いも捨てるな」
「さりげなく、難易度の高い指示って気がするんですが……」
何せ、コチラの思考は基本的にファズに筒抜けなのだ。
「意識共有か……では、疑惑は心の奥深くにでも沈めておけ」
「そういうフワッとしたのじゃなく、もうちょいマシな助言ないですかね」
冗談めかしつつ本気の苦情を告げると、不意に教官の表情が険しくなった。
重要な話に入りそうな雰囲気を察知し、俺は軽く背筋を伸ばして座り直す。
「旅を続けている内に、鬼人の存在がレゾナではなく、別の何者かに思えてきたならば、その時は速やかに抗訝協会へと報告しろ」
「……報告すると、どうなるんです?」
「精査の上、適切に処理を行う」
少なからぬ曖昧さが混入しているのは気になるが、教官――というか抗訝協会がファズを危険視している、という気配だけは強烈に届いてくる。
処理、という単語に滲む不穏な気配も含めて。
四の五の言わせぬ圧力に無駄な抵抗はせず、了解の意を頷いて伝えた。
「とりあえず、話は以上だ。この先は雑多な手続きが沢山あるだろうが、それも何日かで終わる。今日はもう来賓室に戻って休め。食事は部屋まで運ばせよう」
「分かりました……では、失礼します」
腰を上げ、深く頭を下げてから会議室を出る。
心中に渦巻く複雑極まりない想いを特大の溜息に代え、俺はその場から立ち去った。
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