第21話 020 異名

「うくぁっ!」


 まるで予期していなかった衝撃に、危うく剣を手放しかけた。

 こちらをまるで見ていないのに、サルから爪の束が猛然と振り下ろされたのだ。

 片膝を突かされながらも、正確に頭部を狙った一撃をどうにか受け流す。

 右膝が痺れかけていたが、バックステップで攻撃範囲から逃れる。

 呼吸を整えたら、次の行動へ移らねば――にしても、今の反応速度は何事だ。


『不用意な踏み込みは危険です』

「分かっている!」


 言わずもがなの警告が伝えられ、つい怒鳴り返してしまう。

 分かってはいるが、あのタイミングの攻撃が失敗するのは流石に予想外だ。

 腕と同様に、余分な目が後頭部や背中に埋もれているのか。

 ディスターが牽制してくれている間に、閑寂猴しじまざるとの距離をとる。


「ならばっ」


 確かめるまでだ、と腰に吊るした短剣を抜いて投げてみる。

 養成所時代にリムから教わった、体の正中線を狙っての素早い投擲。

 標的は巨大だし、戦闘中だから気軽には避けられない。

 刺さらなくてもどこかに当たれば、反撃に転じるきっかけにはなる。

 そう計算しての奇襲だったが、尻の辺りへと真っ直ぐ飛んだ剣は、呆気なく弾き飛ばされた。


 またもやノールックでの正確な対応だ。

 気配を察知するにしても、これではまるで誰かが――


 誰かって、誰が?


 何かが分かりかけている。

 あと少し、もう少しで答えに辿り着くのに。


「ぎょひゃっ、びゃひぃ!」


 喚き声の後、重く鈍い音が鼓膜を震わせる。

 顔を上げると、何かの塊がこめかみの真横を高速で横切った。

 木の幹へと突き立ったそれは、叩き折られた爪の破片だ。


『戦場で棒立ちとは、死ぬ気ですか』


 そんな言葉が頭に響き、自分の迂闊さに顔が熱くなる。

 いつもそうだが、今回は特にディスターに助けられてばかりな気がする。

 そうだ、ディスターに――レゾナに。

 意識を共有しているから――助けてもらえる。


 ああ、これだ。


 断片的な思考を整頓していると、不意に正解らしき結論に至った。

 猛獣使いの老人は、閑寂猴しじまざるを操る『誰か』と同じ事をしようと考えたのだ。

 そして、こんな怪物を従えられる職業は、この世界では唯一つしかない。

 求綻者だ。

 

『なるほど、村が無事だったのも頷けます』


 三連続の突きを放ちながら、ディスターは私の出した答えを肯定する。

 右、左、左と繰り出した三発目がサルの右腿を浅く傷付け、短く高い呻きが上がった。

 冷静になってみれば、こんな不明新生物アンがうろついているのに、あんな無防備な村が存在できるわけがない、という当たり前に思い至る。

 となると、ノーラも閑寂猴しじまざるの存在を知りながら、完璧にとぼけ通していたのか。


「やってくれたな……」


 クソババァめ――と、王女にあるまじき罵りを飲み込みつつ、自分の次にとるべき行動を考える。

 やはりここは、レゾナに指示を与えている奴を倒すべきか。

 こちらの動きが見える、そう遠くない場所に潜んでいるはずだ。


 だが下手に動いたら最後、求綻者の存在を察知したのを悟られてしまう。

 今日、この場で『コロナの怪物』の恐怖を断ち切らねば。

 ここで逃したら、次はいつ捕捉できるか分からない。

 それどころか、更に巧妙なゲリラ戦術を駆使してくる可能性もある。


『全力攻撃に移り、黒幕を引きずり出すとしましょう』


 ディスターの絶え間ない攻撃は、サルに少なからぬ出血を強いている。

 この状況であれば、トドメを刺そうと仕掛けるのも不自然ではないだろう。

 ハルバードの軌道が大きくなり、ディスターの攻撃意図がダメージの蓄積ではなく、別の目的へと変化したのを喧伝する。


「よし、一気に決めるぞっ!」


 叫びながら疾駆し、足の腱を狙って低空からの斬撃を放つ。

 避けられるのを前提とした一振りはその目的を果たし、サルは垂直に高く跳ぶ。

 どれだけ機敏だろうが、翼がなければ空中での移動は不可能だ。

 ディスターはサルの着陸地点を推測すると、着地のタイミングに合わせてハルバードのスパイクを突き上げた。


 それに続いてサルの絶叫――ではなく、金属同士の衝突音が鳴り渡る。

 飛んできたのは恐らく、さっき私が投げた短剣。

 出所は、右方向の灌木の密集地帯だ。

 予期せぬ一撃に体勢を崩したディスターに、閑寂猴しじまざるはここぞとばかりに掴み掛かる。


「ぎっきゃっぎゃっ、びゃっきゃげっぎゃっぎゃ」


 何度聞かされても耳慣れない、癇に障る笑い声。

 空を切ったハルバードはサルの三本の手が掴まえ、他の四本の手がディスターの四肢を引き裂かんと蠢いている。


「そこっ!」


 ディスターとサルの取っ組み合いを横目に、敵が潜んでいるであろう場所へと急ぐ。

 身を屈めたまま移動しようとする、何者かの気配が藪の中で蠢くのが分かった。

 相手は人間、しかも求綻者。

 意識からは排したつもりだったが、本能が勝手に腕の振りを鈍らせたのか、藪へと分け入った刀身は硬い何かに食い止められる。

 続いて姿を現したのは、見覚えのある顔だった。

 

「貴方は……」


 絶句していると、相手は歪んだ笑顔を浮かべながら、手斧を一文字に払う。

 正確に喉笛を狙ったそれを弾き、転がるようにして相手の間合いから外れる。

 老人もまた、こちらの切先が届かない距離にまで跳び退った。

 見た目からは想像できない、年齢を無視した運動能力だ。

 翻った濃紺のマントには網が張られ、そこに木の葉や枯れ枝が鏤められている。

 森林での戦闘を想定したカモフラージュなのだろう。

 着こなしは自然で、特殊状況下での戦闘を掻い潜った気配を伝えてくる。


「求綻者、だったのか」

「まぁ、そうだ……とっくの昔に引退してたんだがな」

「では何故こんなことを。元求綻者ならば、抗訝協会からの援助もあるだろう」

「あるにはあったが、ね。確かに過分なモノは頂いた、と言えなくもない」


 老齢や病気、重度の障害などで任務を遂行できなくなった求綻者には、抗訝協会からの援助の手が差し伸べられる。

 それは若ければ仕事の世話、高齢者には年金の支給が主で、どちらも世間的には高収入と言っていい金額を手にできたはずだ。


「話は後だ、嬢ちゃん……まずは、あんたにも引退してもらわんとな」

「随分と自信があるようだな、御老体」

「かっかっ、威勢がいいのぅ」


 長剣を構えながら腰を少し落とすと、老求綻者はベルトに下げたケースからもう一本の手斧を素早く抜き、両手持ちへとシフトする。

 その斧は湾曲した刃が柄の端まで届きそうな、半月に似た奇妙な形をしていた。

 村の入口付近で短い会話を交わした時と同じく、老いた男は澱んだ目をこちらに向けてくる。


「ワシの名はバーブ……かつては【微細裂みじんぎり】とも呼ばれていた」


 【習士しゅうし】から始まる求綻者のランクは、解訝の功績が認められると【新士しんし】【練士れんし】【達士たっし】【傑士けっし】と上がり、給金が増えたり請けられる検訝の制限が解除されたりする。

 それとは別に、協会が授与する特殊な称号がある――それが【異名いみょう】だ。

 傑出した能力、比類ない特技、卓越した貢献、赫々たる勲功。

 それらを認められた者に贈られる無形の勲章が異名で、その叙勲者は百年に及ぶ求綻の歴史の中でも、未だ五十を超えないと聞いている。


「異名持ちと会うのは初めてだ」

「ワシも名乗るのは数十年ぶりだがね」


 運動能力と戦闘能力は、出会い頭に一合斬り結んで大体は理解できた。

 このバーブは、異名持ちに相応しい技量の持ち主だ。

 現時点で弱点になりそうなのは、加齢により衰えているであろう体力ぐらいか。


「げぅぎゃっ、ごぁぎゃぎゃっ!」


 意味は分からないが、閑寂猴しじまざるの怒号が上がる。

 それを合図に、私とバーブは互いに一歩を踏み出した。

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