051-1 憑 依 soulpossession
「ちょっと! チーフさん! あのでっかいクマ、なんで手足としっぽだけしかグラスウール入れてないのに動き出したの!?
まだあのキュクロプスとか、暴走トレーラーとかいるのに街中に行っちゃったよ!!」
我に返った陽子は、反射的にチーフのスーツの襟をつかんで問いただす。
「キイ! キイ! キイ!」
その様子に興奮したタイヨウフェネックのソルも、飲みさしのフローズンシェイクそっちのけで二人の周りを甲高い声で鳴きながらくるくる回っていた。
「推測ですが、陽子さんが詰めたグラスウールに『心の光』を注入したので頭や胴体に綿が詰まっていなくても動き出したのでしょう」
陽子に胸ぐらをつかまれて揺さぶられながらも、チーフはいつも通り冷静に答えた。
「じゃあ何!? 私のせいだっていうの!?」
「いえ、そうは言ってないです。ただ、あのままではまともに戦えないでしょうし、あれを見たりおなさんがどう思うか。
とにかく、後を追いましょう」
チーフの提案を聞いた陽子はふう、と息を吐いた。
「じゃあヒルンドで飛んで行くから、チーフさん小さくなって」
言われるままにチーフが自身のサイズを17cm程に縮めると、陽子はチーフを左手で掴む。
続けて指笛を吹くと、上空で旋回していたヨツバイイルカのヒルンドが、宙返りして陽子の後ろから地表すれすれに飛んできた。陽子とソルはタイミングを合わせてヒルンドに飛び乗る。
「結構離されちゃったけど、あのおっきいのどこに向かったのかしら」
「陽子さんの『心の光』の影響を受けているなら、りおなさんを助けるのを最優先するでしょうね。
それか、もしくは6mサイズのはりこグマの身に何かあったのか。
とにかく合流しましょう」
ヒルンドは風に乗りビル街の中に向かっていった。
◆
【どうした? 俺はだいぶ気が長いのが取り柄なんだが、そう渋られると実力行使に出ざるを得ないな】
――嘘つけ、自己申告するやつに限って、どうでもいいことですぐキレるんじゃ。
りおなは心の中で舌打ちする。
今この街、Boisterous,V,Cの建物やアスファルトはかなり損壊している。
これはほぼ全て、ヴァイストレーラーとこのキュクロプスが引き起こしたものだ。
――ほんの何日か前までは、りおなはこの異世界、Rudiblium Capsaにはなんの関わりも無かったんじゃ。
んだけど、悪意を注入された人形、ヴァイスフィギュアが人間の世界に潜入して。
無害な人らに乱暴して、悪意をまき散らすっちゅうデス・スパイラルが、ゆっくり人間が住んでる世界のこと
んで、その怪人フィギュアを生み出してる大本を取り押さえる。
それと一緒に、このおもちゃが住んどる異世界が草木一本生えん不毛な
それがチーフらぁ、極東支部の三人にりおなが頼まれた大まかな内容じゃ。
だけんど、本社のトップの社長とかその娘のムコ? はそれに協力するどころか、りおなんこと積極的にジャマしに来おる。
異世界でも、
その妨害理由も、りおなが創り出した
――つまりは、自分らぁの立場が悪くなるけん、りおなとはりこグマを排除したいっちゅうジコチューなもんじゃ。
このまま放置したら人間世界だけでなく、自分らの世界もゆっくりだけど確実に崩壊するだろうに。
それからも目ぇそらしちょる。少なくともりおなにはそうとしか思えん。
無言のままりおながキュクロプスの胸部に搭乗している
【それじゃあ、5数える間にこちらに投げろ! さもなくば……!】
大叢の脅しは言い終わる前に強引に打ち切られた。不意に後ろから両足を
草食動物のガゼルを模した、ある意味不格好な下半身はアスファルトからわずかばかり浮き、キュクロプスは後方に転倒した。
それと同時に巨大はりこグマは空中に舞った。
着地点には謎の巨大な物体が待ち構えていて、トランポリンのように巨大はりこグマを受け止めた。
【……おい! ソーイングフェンサー! あの妙なものはなんだ!? どこまで俺をコケにすれば気が済むんだ!!】
その怒声はりおなには届かない。りおなは呆然と巨大はりこグマを受け止めた『何か』を見ていた。
そのときりおなの上を大きなツバメのような影が通り過ぎる。
――ごつっ。
なおも正気を失ったままのりおなの頭に小さくない衝撃が走った。りおなは両手で頭を抱えてしゃがみ込む。
「りおな! 呆けてる場合じゃないって、しっかりして!」
見かねた陽子が気つけの一発で脳天にチョップを見舞ったのだ。
「ぐぉーーーー、
頭をさすりながらも辺りを確認していると、元のサイズに戻ったチーフがりおなに進言する。
「ではりおなさん、ファーストイシューに
方法はかねてから伝えていた通りです」
目を丸くする陽子だったが、りおなはチーフにうなずきを返す。
「んーー、んじゃやってみるかーー」
りおなはトランスフォンを取り出す。そこへ起き上がったキュクロプスが猛然と突っ込んできた。
装甲板がカマキリの腕を模した左腕を、大きく振り抜いた。
りおなは真下に伏せてかわしながら、トランスフォンを耳に当て文言を唱える。
「ファーストイシュー・イクイップ、ドレス・アップ!」
ソーイングレイピアで、のこぎり状の突起がついた鎌を切りつけた。
そしてりおなは超巨大はりこグマに向かって走る。
続けて平べったい背中にレイピアの切っ先を向けるとジッパーの
りおながレイピアの切っ先を水平に動かすと、そのままジッパーが首元からシッポに向かって下りる。
それと同時に、巨大なはりこグマはアスファルトにぽんと飛び降りた。
りおなはジッパーが開いた部分に跳躍し、平べったいアイボリー色の布の中に入る。
ソーイングレイピアの柄を眉間に当て強く念じた。
自分の脳細胞、身体中の細胞、着ている装備、そしてソーイングレイピアが光り輝くさまを心の中でありありと描く。
それに呼応してりおなの身体が輝きだし、アイボリーの布の内側は光で満たされる。
りおなは目を閉じたまま、最後の文言を静かに唱えた。
「
次の瞬間、ソーイングフェンサーとしてのりおなの意識は途絶えた。
◆
【はい……三浦か? どうした? キュクロプス、いや、ソーイングフェンサーに何か変わったことでもあったか?
……何だと……!? くそ、富樫のやつ……!
ああ、いや、こっちの話だ。ご苦労だがそのまま撮影と監視、報告を頼む】
何かを叩く音が響いたので、五十嵐は音がした方を向く。そこには通話を終えてテーブルの上で握りこぶしを震わせている芹沢の姿があった。
Rudiblium Capsa本社の大会議室の一角。
芹沢や五十嵐、
臨時に対策本部が置かれたオフィスには、本社周辺や商業都市の被害が住人たちから次々と報告されている。
それをメモした上で被害の深刻度や補償額をデータ化して書類に起こしているが、いかんせん規模が大きすぎた。
対策本部はりおなたちが交戦している場所とはまた別の意味で戦場と化している。
その最中に芹沢個人の携帯電話に着信が来た。
ソーイングフェンサーりおなと、キュクロプスの闘いの撮影や報告を任されている三浦からの連絡というのは容易に推測できた。
「どうした? 何があった?」
彼の口から『富樫』の名前が出た時点で、ソーイングフェンサーがらみの話ということは間違いない。問題はその中身だ。
「富樫のヤツが、また奥の手を出してソーイングフェンサーを強化したらしい。
……富樫のやつ、どれくらい隠し球を出せば気が済むんだ!?」
オフィスの中は有志の社員が十数名、主に芹沢の仕事ぶりや度量に心酔して集まったグランスタフが大半だったが、みな意識して芹沢の方は見ないようにしている。
本人は普段表に出さないが、同期の富樫ことチーフを誰よりもライバル視しているのは周知の事実だったからだ。
さっきまで慌ただしいながらも皆が団結していたが、芹沢の態度で一気に全体が沈んでしまった。
五十嵐は精悍なボクサー犬の顔を少し上げ、鼻で息を吐いてから芹沢に話しかける。
「お前がいくらカリカリしても、仕方がないところだろう? 富樫は別にお前と張り合いたくて、仕事したりアイディアを出してるわけじゃない」
ことさらに落ち着いた声で(もっとも彼が声を荒げること自体稀だが)芹沢を取りなしにかかるが、それでも芹沢は拳を震わせるばかりだ。
五十嵐は自分の分のコーヒーを淹れ一口飲みながら昔のことに思いを巡らせていた。
「……まあいい、キュクロプスはやつらに任せるのが得策だ。
少し時間を置いてから手元にあったコーヒーに口を付けながら芹沢が尋ねた。
「ええ、コンビナートの主だった企業には話は通してあるわ。
それと並行して産業廃棄物の回収も手配してある。そこは兼ね合いを見て順に連絡していくわ。
――芹沢君、あなたは……」
「なんだ?」
「いえ、なんでもないわ」
「ああ、こういう時こそ本社の迅速な対応が求められる。
すでに後手に回っている状態で言うのもなんだが打てる先手はなるべく早く打った方がいい」
ようやく冷静さを取り戻した芹沢の様子に、周囲のグランスタフたちは安堵し自分たちの仕事に専念しだした。
安野はパソコンの画面を注視する芹沢の後姿を見ながら、途中で飲み込んだ自分の言葉を
――あなたはソーイングフェンサーと大叢部長、いえ、キュクロプスどちらが勝つと思ってるの――――?
その問いはこの場で投げかけられるべきではない。この場にいる全員が芹沢に心酔しているわけではないだろう。
可能性として高くはないが中には伊澤や大叢の息がかかった者がいないとも限らない。
当然というべきか、社長以下重役の姿はここにはない。
最初期にグランスタフになった者は、スタフ族としてかなり長生きした者、あるいは実験的に一般のスタフ族から、ランダムに選抜されて転生した者がほとんどだと芹沢から聞いてはいた。
だが、大叢の暴挙をここまで黙認し、穴熊を決め込んで動こうともしないのは平和主義ではなく、ただの事なかれ主義にしか見えない。
もっともそんな重役たちの行動も、伊澤に頭を押さえられている現状では
もちろん安野も朝令暮改どころか、言うことがたびたび変わる伊澤の下についていては自分も心労がかさんでいる。
表だってはやらないが、酒も煙草もだいぶ増えた。
芹沢も、ソーイングフェンサーに勝ってもらいたいのは前提としてはある。
だが、そのために彼が最大のライバルだと認識している富樫が遠慮なく本領を発揮しているのが心情的に気に喰わない。
頭で分かっているのと感情はまた別問題のようだ。
――全く難儀なものね。ただのスタフ族ならお互いにこんな感情は欠片もなかったでしょうに。
グランスタフになる方法、それはただ単に身体を換装するだけではなく体内に一定量の『悪意』を注入する。
――実験的に膨大な量の『悪意』を注入されて、体の大部分が機能不全に陥ったグランスタフもいると聞いたわ。
それと富樫君が自分で窓際部署に異動した。そのあと人間世界に向かうために極東支部を作ったのも無関係ではないみたいね。
どうも状況が切羽詰まると、間近にあることとは無関係なことばかりに気が行ってしまう。
安野も五十嵐に倣い、コーヒーを淹れに席を立った。
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