036-1 浄 化 pungation
視界の下の端に申し訳程度に舗装された車道を確認しながら、陽子はイルカのヒルンドに乗り目的地『ノービスタウン』に向かう。
荒涼とした大地をヒルンドに乗って思い出すのは自分の母親の事だ。
陽子の家は母子家庭だった。
父親は陽子が幼いころに亡くなったと、小学4年に上がったころにそれとなく告げられたことは覚えている。
それまでは漠然としていた『うちはよそと違う』というのがそれを聞かされた時にすとんと腑に落ちた。
それまでは父兄参観やホームドラマを観ている時に感じていた漠然とした違和感は『父親がいない』ということだった。
だがそのこと自体は陽子の心に影を落とすことは無かった。
やがて陽子も成長し高校を卒業する直前に、母親との関係に変化が起きていた。
陽子の母は以前よりも酒の量が増えた。
酔うと陽子と些細なことで口げんかするようになった。口論になったあとはしくしく泣きながら愚痴りだすのが恒例だった。
自分は生命保険に入っているからいつ死んでも大丈夫だ。早く自分の旦那、お父さんに会いたい。死ぬのは怖くない、心配なのはあなたの将来だ。私はあなたに何も残せていない。せめてお金だけでも残せたら。
酔いが回ってくるとさらにからんできた。
あなたは自分の事も周りの事も大事にできてない。肝心な時にすぐ逃げる。どうでもいいようなものばかり大事にして、一番大事な物はあっさり手放す。と、半分は自分自身に言い聞かせているような節さえあった。
そして『その時』は唐突に訪れた。
陽子が専門学校から帰って夕食の用意をしていると陽子の母親は安酒をコンビニで
アルバイトをしながら学校に通っていた当時の陽子は売り言葉に買い言葉でつい言ってはいけない言葉を口にしてしまった。
――そんなにお父さんに会いたかったら、死にたかったら死んだらいいじゃない。死んで楽になれるんならね。
最後の方は冗談めかして言ったつもりだった。ふと気づくと彼女はドアの前からいなくなっていた。
慌てて、ガスの火を止め表に出て辺りを探し回ったが彼女の姿はどこにもない。
不意に陽子の視界から少し離れた所から車の急ブレーキの音と何かが激しくぶつかって大破する音が聞こえた。慌てて音がした場所へ駆け出す。
そこには歩道から白い乗用車が電気店のシャッターに突っ込んでいた。
早くも物見高い野次馬が遠巻きに集まり携帯電話で撮影している。
陽子は現場のすぐ近くにある物を見つけて戦慄した。
母親が持っている携帯電話がひしゃげて液晶が割れ、歩道に投げ出されている。保護ケースは陽子とお揃いだから間違えようもない。
人込みをかき分けて陽子は携帯電話を拾い上げる、間違いなく母親の物だ。慌てて車がぶつかった部分や辺りを見回す。が、運転手が車内に取り残されている以外は誰かがぶつかった形跡はどこにも無かった。
ほっと胸をなでおろしたのもつかの間、陽子にはさらに厳しい現実が待っていた。
母親がそれを機に姿を消した。
最寄りの警察に行方不明者届を提出してしばらく経ったが、全くと言っていいほど情報はなく緩慢に、だが確実に時間は流れていった。
やがて陽子は『自分は棄てられた』と思い込むようになった。
専門学校を卒業してからは就職もせずアルバイトでしのいでいた。だがそれも休みがちになり、陽子はアパートに引きこもるようになった。
一日中ゲームをしたりネットを見たりぼんやりすることが多くなり、眠るのが怖くなっていった。
起き抜けに見る悪夢が陽子を責めさいなむ回数が多くなり、日中は睡魔と戦い、夜は不眠に悩む日々が続き、生活も徐々に荒んでいった。
そんなある日、陽子の部屋の新聞受けに見慣れない封筒が入っていた。中を見ると百万円の札束が数本と手紙、地図そして一本の鍵が入っていた。
手紙を読んでみると【君のお母さんを探す手がかりと手段を用意した。地図の場所へ行けばそれが手に入る】とだけあった。
差出人も住所も連絡先も書かれていない封筒に中身を全部戻した陽子はお金を返すべくふらつく足取りで三日ぶりに部屋を出た。
地図に記された場所は神奈川県の郊外からさらに山奥へ入った広大な私有地だった。
犯罪行為にかかわる可能性も大いにあったが、自暴自棄になっていた陽子の思考回路は麻痺し廃病院のような建物に日中堂々と入っていく。
そこで陽子が目にしたのは異様な光景だった。建物の三階、チェーンと南京錠で固く施錠された重い扉を開けると薄暗い部屋に自動的に証明が点いた。
まぶしさで腕で顔を覆う陽子の目に最初に飛び込んで来たのは大小の培養槽の中で目を閉じて水中を漂うヒレの巨大なイルカと耳の長い薄褐色の奇妙な動物だった。
培養槽の前にはキャスター付きのキャリーバッグやアタッシュケース、テーブルの上にはホルスターに納まった柄のついた銀色の装飾品と髪飾り、翼がハートの形をしたライオンのネックレス、B4サイズの冊子、それに書籍数冊と子供向きの絵本と折りたたまれた
便箋には部屋に届いたのと同じ筆跡で【君のお母さんは具体的にどことまで断定はできないが明らかに異世界へ行っている。
私には行くことはできないが君になら行けるはずだ。
そのための騎乗用、ナビゲーション用の動物、それに異世界でも活動できる道具やその方法を記した物、当面の生活資金をを用意しておいた。役立てて欲しい。
私も家族を失った経験があるから君の気持ちは痛いほどよくわかる。
だが、君の母親はまだ生きているはずだ。健闘を祈る】とあり、最後には【ホワイトウッド博士】という署名があった。
陽子はしばらく辺りを見回し、監視カメラなどが無いことを確認し、テーブルの上の絵本や手紙をアタッシュケースに詰め込んだ。
キャリーバッグを引っ張って部屋を出たあと鎖で施錠し直しさびれた建物を後にした。
部屋に戻った陽子はシャワーを浴びて、一か月散らかしたままの部屋を綺麗に片づけた。
改めて日中持ってきた様々な品をフローリングに広げて確認する。
『母親が異世界のどこかで生きている』その文面を見た時心が動いたのは事実だがもう一方でそんなバカなと思う自分も確かにいる。
冊子の説明書きを読んであのイルカや動物の正体や道具のオーバーテクノロジーを実際に確認した陽子の疑念はほぼ消え、目的ができた。
――どこにいるかは分からない、でもお母さんを探し出そう。そして――――
キィーッという鳴き声で陽子は我に返る。
いつの間にか腰のポーチからソルが出て陽子の肩に登って警告するように鳴いている。
視線を下に向けると車道の先に仄明るい灯火がいくつかあり中央には石造りの時計塔がある。チーフというぬいぐるみが言っていた『ノービスタウン』に着いたのだ。
街の外でヒルンドから下り、小走りに街の中に入る。そこで目にしたのはおもちゃの世界とは思えない惨状だった。
開拓村同様、ぬいぐるみや服を着たブリキやゴムの人形たちが這いつくばって苦しんでいた。
――服とか道具が全部どす黒く変色してる。着てるひとたちを締めつけてるみたい。
臥せっているぬいぐるみのすぐそばには訳も分からずしくしく泣いている子供のぬいぐるみもいる。
迷いそうになる気持ちを抑え、陽子はソルと一緒に街の中央、時計塔へ急ぐ。
時計塔の下には階段の前にうずくまっている角の生えたヒツジがいた。
――チーフさんの説明だとあのひとががこの町の町長らしいね。
事情を説明すると非常用の鐘を鳴らすための鍵を貸してくれた。
陽子が時計塔の最上階に上がりドアを開けると紐で引っ張って鳴らす大きな鐘があった。
陽子は街の住人全員に聞こえるように渾身の力を込めて何度もひもを引っ張る。大きな鐘の音が
こちらの呼びかけに応じてくれたのを確認すると、陽子は階段を降りながらチーフに渡された物をポーチから取り出す。
『ポータブルシェルター』と呼ばれる手のひらに納まるほどの小型で白いドーム状の容れ物を見ながらチーフから受けた説明を思い出す。
『そのポータブルシェルターには最大で200にんほど生物やRudibliumの住人、りおなさんが創ったぬいぐるみを収容できます。
りおなさんが創ったぬいぐるみは全員、『ウェアラブル・イクイップ』を装備した方もなるべく集めてこちらへ連れて来てください。
あと、夜道で視界が悪いので行きかえりは気をつけて下さい』
注意事項を頭の中で
見かねた陽子は住人たちをひとりずつ運んだり肩を支えて時計塔の入り口前に集まるのを手助けした。
母親のことを意識の中央から追い払うように無言でぬいぐるみたちを運び続ける。
住人が集まった所で陽子は事情を説明しだした。
「みんなももう解ってると思うけど、あなた方の創り主、大江りおなっていう子が心に『闇』を注入されて苦しんでる。
どういう方法かまでは解らないけど、あの子を闇から解放するためにはあなた方が必要なの。
私があなた方を開拓村まで連れて行くから、行きたいひとはこのドームのスイッチを押して。自動的に中に吸い込まれるみたいだから。
限界ぎりぎりまで連れて行きたいから順にボタン押していって!」
陽子がポータブルシェルターを差し出すと住人たちは順にボタンを押していく。
押した者は一気に縮小しながらボタンを通じて吸い込まれていった。
陽子はもどかしさを覚えつつも手を差し出してくる住人たちに順にシェルターを差し出す。
やがて残りすうにんになった時、ブリキ製の住人がボタンを押しても吸引されなくなったのを確認して、陽子が宣言する。
「これでキャパいっぱいみたいだからもう行くね。あなた方は留守番してて」
町長のメイヤーが何とか立ち上がって陽子に告げた。
ありがとうございます。どうかりおなさんを、街のみんなを助けてあげて下さい。
陽子は無言でうなずく。
――時間が無かったからっていうのもあるけど、私も具体的な話は何も聞かされてないからね。ただ言われたとおりにに街のひとを集めただけだから。
情報の無さに折れそうになる心を自分で叱咤するように、陽子は住人が詰まったポータブルシェルターをポーチに入れ、街の入り口へ駆け出した。
◆
りおなは夢を見ていた。
とめどもなく浮かんでくるのはありとあらゆる負のイメージ。
虚偽、醜聞、欺瞞、自己否定、憎悪、敵意、
耐え切れずに意識が深く潜っていた状態から水上に上がるように覚醒する。
だが悪寒と迫りくる嫌なイメージは途切れるどころか実体化したようにりおなを責めさいなむ。
全身が冷水を浴びたように汗でびっしょりと濡れていた。
部屋が見慣れた自分の部屋ではなく無機質なコンテナというだけでさらに不安な気持ちが増していく。
状況を整理するどころか原因の解らない恐怖で胸が押し潰されそうだった。
「りおなさん」
名前を呼ばれたのでゆっくり上体を起こして振り向くと、ミニチュアダックスの頭をしてスーツを着た男が立っている。
いや、男じゃない。たしか、いつか自分でギョウムヨウヌイグルミだとか言っていた。こいつは今何をしている?
そうだ、こいつに言われて自分は戦って今こんな状況にいるんだ。早く公園に戻ってあの猫の家族に会いたい、また牛乳をあげたい。
そう思ったりおなの意識の中央にはずいぶん前に見た、車にはねられた猫の記憶が蘇ってきた。口の中が干上がり苦い味が広がる。
たまらず、りおなはその場で嘔吐感が込み上げる。
吐こうとしたとき、目の前に洗面器が差し出されたので胃の中の物を全部ぶちまけた。
背中をさすってもらっているのを感じたが、気分は一向に良くならない。
顔をタオルで拭いてもらってからベ、ッドに身体を投げ出すように横たわる。
呼吸音が自分で聞いていてうすら寒くなるぐらい、すきま風に似た音になりコンテナ内部に響く。
その一部始終を目をそらさずに見ている者がいる。チーフと課長、それにエムクマとはりこグマだ。
チーフは自分の胸をつかみ何かをこらえるように、洗面器を片付けた課長は心苦しそうに、はりこグマは状況に耐え切れずしくしくと泣いている。
だが、エムクマはそんなはりこグマを励ますように、肩をさすりながらそれでも自分の創り主をじっと見ていた。
たまりかねた課長がチーフに進言する。
「富樫君、このままだと本当にりおなちゃんの
チーフは少し逡巡した後課長に返す。
「いえ、陽子さんを、そしてりおなさんを信じて待ちましょう。我々は我々ができることをしましょう」
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