大江戸暴漕族 弐 仇討始末

阿井上夫

 前谷清十郎(まえだにせいじゅうろう)は、目の前に仁王立ちしている男の姿を見て苦笑した。

 貧相な体格の年寄り侍である。そして、古びた羽織袴(はおりはかま)には熨斗目(のしめ)こそ見られるものの、解(ほつ)れや擦り切れが隠し切れないほどにある。

 どこかの裏長屋に住む浪人が一張羅の着物を引っ張り出して、同じく身の丈(たけ)にあわない真剣勝負に臨んだ、というところだろうか。

 昔は城下一の小町娘と呼ばれて鼻持ちならないほど気位(きぐらい)の高かったお佐紀の、今の想い人がこの程度の干からびた爺(じじい)とは。彼女も江戸に来て相当に落ちぶれた生活をしていたものと見える。

 虚勢を張る姿が見苦しいからさっさと切り捨てて、ゆっくりとお佐紀を料理することにしよう、と清十郎は舌なめずりした。

「父や夫と並んで、お前まで俺の刃にかかることになるとは、随分と皮肉なものだな」

 そう挑発してみると、即座にお佐紀の眉が上がり、目つきが険しくなる。

「堪え性のなさは昔のままか」

 清十郎は鼻で笑った。

 あの高慢な顔が最後には絶望的な表情を浮かべることになるのかと思うと、彼は楽しくて仕方がない。

 その時、羽織を脱いで傍らの天水桶の上に置いていた男が言った。

「おぬし、闘う相手を間違えてはいまいな?」

 太くて重い声が清十郎の腹に響く。

 彼は思わず親指で刀の鯉口を切り、青眼の位置に抜刀していた。武芸者の本能である。

「おぬしの相手は、わしだ。お佐紀殿には止(とど)めをお願いしている。順を違(たが)えるな」

 そう言いながら、男は拵(こしら)えの侘(わび)しい刀の柄(つか)に手をかけた。鯉口が切られたが、刃は鞘(さや)の中にある。

「居合いか? そんなものはただの曲芸だ。勝負の役に立たないぞ」

 青眼をひたりと目の前の男に据えながら、清十郎は言った。しかし、心の内では別なことを考えている。


 ――この男、只者ではない。


 相手を愚弄(ぐろう)して正気を失わせ、曖昧(あいまい)な構えのまま隙だらけで突っ込んできたところを、一太刀で屠(ほふ)る。それがいつもの清十郎の手である。

 ところが、どうやら目の前の男にはそれが通じないらしい。さきほどの重い声は、男が毛ほども動揺していないことを物語っている。

 むしろ自分のほうが気圧(けお)されたことに、清十郎は我慢がならない。

「女に頼まれて、のこのこと年甲斐もなく助太刀に出てくるとは恐れ入る。よほど楽しい目にあわせて貰ったのか? 爺が若い娘に篭絡(ろうらく)された挙句に無理をするなんぞ、見苦しいにもほどがある。まあ、佐紀では若くもないがな」

「無礼な、口を慎(つつし)みなさい!」

 あえて下種(げす)な言葉を口にしてみると、お佐紀はやすやすと引っかかるが、やはり目の前の男にはまったく通じていない。

 男は黙って腰を落としている。


 そして、その腰が想像以上に低い位置まで下がった。

 まるで這(は)い蹲(つくば)るような、異形の構えである。


 こんなものは見たことがない。

「何だよそれは。土下座(どげざ)か? 最初から降参か?」

 清十郎はさらに挑発を試みるが、相手は上目遣いに彼を睨(にら)んだままである。

「尋常な勝負ならば礼儀正しく名乗るところだが、おぬしのような輩(やから)にその必要はあるまい。誰に斬られたのか冥土(めいど)でとくと悩め」

 地を這(は)うような声が辺りに響き渡った。清十郎の背中で産毛が逆立つ。

 彼は腕に覚えのある武芸者である。そして、江戸に出て来てからは何人も金のために斬った。その自分が声だけで押されている。

「馬鹿かお前は? その体勢では窮屈(きゅうくつ)で、剣を振るうのが遅れるではないか」

 口から言葉を発し続けながら、清十郎は青眼から上段に剣を移す。

 構えの低い相手に青眼のままでは、威力が出ない。だからといって振りかぶれば、わずかに遅れをとる。上段から押しつぶそうと考えたわけである。

 清十郎の剣が頂点に達するのを見届けると、目の前の男の口から声が漏れた。


「秘剣、蟇(ひき)。参る!」

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