三、悪魔の反省は活かされない
少しばかりやり過ぎか、とはデミウルゴスも思う。
ゆえあってのこととはいえ、これほどまでに不仲を露骨にするのも考えものである。
以前のようにそれなりに距離を保ち、必要最低限の会話を交わすだけにするならば、波風も立たないのだが……。
などと、いくらか殊勝に反省していたときだった。
「デミウルゴス様」
「うん? なんだい」
シモベに声をかけられ、悪魔は優しく問う。
「セバス様がおいでになっています」
「……通してくれ」
「はい」
うんざりする気持ちをどうにか押し込めて、つくり笑顔で訪問者を待ち受ける。やって来たセバスは、どうにも居心地が悪そうだ。お互い様だが。
「やあ、セバス。君が第七階層に来るのは珍しいね。どうしたんだい?」
セバスは咳払いして、
「シャルティアより聞きましたが、デミウルゴスは新しい服を欲しがっていたとか。あなたは外での活動が多いようですし、スーツばかりでは変装にも事欠くでしょうから、よければこれをお受け取りください」
差し出された服を受け取ったデミウルゴスが最初に考えたのは、「嫌がらせか」ということだった。
ちらりと様子をうかがうが、真面目一辺倒という顔をした執事からはそのような意図は感じられない。
改めて、受け取った衣服を見下ろした。
純白の麗しい服だ。レースの縁取りはまるで王子気取りである。
デミウルゴスはため息をどうにか押し殺す。
君は私がいったい外で何をしていると思っているのかね? 変装用というならば、使用するケースの筆頭は魔王ヤルダバオトを演じるときだ。ナザリックにおけるデミウルゴスとの相似を気付かせぬための配慮として、スーツの他にも服があればいい、とは思っていたし、実際シャルティアの前でもそんな発言をしたとも。しかしね、こうもきらびやかに目立つ服で暗躍する魔王がどこにいる? 王宮の舞踏会に招かれるとでも思っているのかね?
……などという辛辣な台詞を、どうにか喉元で抑える。
このところ特に、少しやり過ぎている。あまり険悪になっても、今後アインズ様に忠義を尽くす上で不手際の遠因となりかねない。
「これは……たっち・みー様が下賜されたものかね?」
「いえ。アインズ様の許可を得て、人間の町で買ってきたものです」
なるほど。
納得し、安心もしたデミウルゴスは、その服をぞんざいに床に放る。セバスの眉がぴくりと動くのを見、まあこのくらいでいいか、と考える。
言いたいことはいろいろあるが、それらは胸に納めよう。だが手放しに喜んで受け取ってやるつもりもない。こんな服を欲しがっていると勘違いされては困る。目的に合致しない上、デミウルゴスの趣味でもない。
だが表面上はにこやかに、デミウルゴスは歓迎するように両手を広げ、
「ありがとう、セバス。わざわざ私に贈り物をしてくれるとは」
「……その贈り物を投げ捨てたように見えたのですが?」
「何を言うんだね。ありがたく受け取ったじゃないか」
とぼける悪魔に、執事は無言を返す。
並大抵の者ならば逃げ出したくなるほどの圧力を、悪魔は笑顔で受け流す。
沈黙は長く続き、やがて。
「あなたにはひとの善意というものが分からないのですか?」
「ひどいことを言う。私ほど善意に満ち溢れた悪魔は珍しいよ?」
「デミウルゴスが善意に満ちているというならば、この世に悪意など存在しません」
「素晴らしいじゃないか! 愛溢れる世界というわけだね」
「……ときどき思うのですが、あなたは私を苛立たせることに執念を燃やしているのですか?」
「ははは、そんなに暇ではないよ。自意識過剰も大概にしたまえ」
軽く、冗談のような口調で。
セバスもまた、笑みを浮かべた。
それがかえって危険信号であることくらい分かる程度には、付き合いが長い。
「あなたと少しでも関係改善を図ろうとした数分前までの自分がいかに愚かだったか、よく分かりました」
「ああうん、それはよいことだね。これで一つ賢くなったというわけだ」
飄々と返しながら、内心デミウルゴスは訝しく思っていた。
デミウルゴスからすれば、この神殿はウルベルトが丹精込めてつくった聖域である。床とはいえ、その聖域に触れることを許されている時点で破格の対応といえよう。少しばかりむっとされるのは織り込み済みとして、それほど怒らせることになるとは思いもよらない。
そしてこのような予測を立てるのは、NPCたちからすると自然なことでもある。至高の御方々への忠義は彼らに共通のものであり、己の創造主へのそれは格別である、など言うまでもなく皆承知である。
セバスとて、これがデミウルゴス相手でなかったならばその意図を読んだことだろう。憤慨はすぐに去り、多少もやもやしたところは残ったとしても、まあそれなりの扱いではあると受け止め、ある程度の関係改善は成ったと考え、納得して去り――のちの暴動は回避されたはずである。
しかしながら、目の前にいるのはデミウルゴスであり、ここはその創造主ウルベルトの造った世界である。
そしてセバスは決して自分では認めないし、認められるはずがないのだが――この神殿を無意識に嫌悪していた。
これには、セバスの創造主たっち・みーとウルベルトの不仲が大きく関わっている。そもそもたっち・みー自身がこの神殿を悪趣味だとみなしていた。わざわざ信仰の対象たる麗々しい建造物を構想し、なおかつそれを崩壊させ悪魔たちの居城とする、というこのコンセプトは、正義を愛するたっち・みーにはとうてい受け入れがたいものがあった。もとより悪魔のための城をつくってやる方が何倍もましだと、口には出さずとも思っていた。
だからこそ、セバスは――己の創造主のイメージカラーとも言える純白の衣服を、この穢された神殿の床に投げ捨てられることは容認出来なかったのだ。
そしてセバスの、高まることこそあれ決して鎮まりそうにもない不満の色は――デミウルゴスの癇に障った。
「……そんなに床が嫌いなら、すぐさま廃棄するとも。その方がよいかね?」
「これはアインズ様よりいただいた給金を使って買ったものです。そのような行為は至高の御方への冒涜ではありませんか」
「冒涜? それは君だろう、……ああ、うん。そうだね、一度は使おう。有効な活用法を思いついたよ。のちのちアインズ様のためになる実験があるんだが、そのための仕込みは多い方がいいからね。用済みになったらエクスチェンジボックスで資金に戻してもらうから、アインズ様にも不利益はない」
「聞き捨てなりませんな。……そもそも、私がいつ至高の御方を冒涜したと?」
「君の態度そのものが冒涜だと、いい加減に気付いてくれないかな?」
売り言葉に買い言葉。互いに浮かべるのがなごやかな笑みである時点で、もはや絶望的なまでに状況は悪化していることが分かる。
さすがに切り上げなくては、とデミウルゴスの理性が訴える。感情を優先するのは愚かしいことだ。
「さて、用が済んだのなら帰ってもらえないかな。私はナザリックにいられる期間がごく短いんだ。少しはゆっくりしたいのだがね」
「……これは失礼いたしました。貴重なお時間を割いていただき、まことにありがとうございます」
「構わないとも。しかし随分と皮肉な口調がうまくなってきたじゃないか。ツアレにもその調子で話してあげるといい。きっと新たな一面に涙を流して喜ぶだろう。そのあとで私のところに駆け込んでくることは請け合いだが」
「あなたの口車に乗ってツアレを怖がらせるのは、一度で十分です」
遠慮することはないよ、と言いかけたのを堪える。
ぞんざいに追い払うように手を振れば、一礼して執事は歩み去った。
「おかしいでありんすね……どうして失敗したのでありんしょう」
悄然とするシャルティアに、セバスは申し訳なさを覚える。
例によって例のバーである。ちびちびと酒を飲みつつ、はあ、とため息を吐く吸血鬼は、頬をほんのり赤く染めている。耐性を切ってアルコールを嗜むのが、目下のところナザリックのひそかなブームである。
「シャルティアの提案は非の打ちどころのないものでした。このような始末になったのは、すべて私の不行き届きが為したこと。お気を落とす必要はございません」
「ううん……服の好みが壊滅的に合わなかったのかしら。困ったでありんす。これでよりいっそう、仲直りが難しくなりんす」
「……ときにシャルティア、仲直りというのは元々仲が良かった者同士の間でのみ成り立つ現象ではないでしょうか」
暗に「もう諦めて波風を立てないように職務上必要な付き合いに留めればいいのでは」と伝えてみたつもりだが、シャルティアはあっけらかんと、
「それもそうでありんすね。じゃあ『仲良くなるのが難しくなりんす』と言い直しんす」
セバスはまじまじとシャルティアを見る。シャルティアは笑顔を返す。執事はつと目をそらし、
「まあ……それならば文意として正しいかと」
「でありんしょう? ふふ、さて……次はどの作戦にしようかしら? わたしのおすすめは、『お風呂で背中流しっこ』よ!」
きのこ頭がくるりとこちらに背を向ける直前、噴き出すのを確かにセバスは目の端に捉えた。暗澹たる気分が込み上げ、ビールが飲みたいと初めて切実に思った。鋼の忍耐力を動員し、静かに告げる。
「それはまたの機会に」
社交辞令である。
シャルティアは残念そうに、
「そうでありんすか? いい考えなんでありんすが……まあいいわ。それじゃあ『ポッキーを両端から食べる』のは?」
「……それは非常に親密な異性と行うものではないでしょうか?」
「違うわ。ペロロンチーノ様がおっしゃっていたもの。かわいい女の子同士のポッキーチューは絆の証だって!」
「……そうですか、ペロロンチーノ様が……ですが我々は女性ではありませんので……」
「それもそうね。あっ、『夜中にベッドに押しかけて、寒いの温め」
「お断りいたします」
「まだ最後まで言ってないでありんす!」
「お断りいたします」
「でもペロロンチーノ様は……うう、分かったでありんす。ならばこれでどう? 名付けて『壁どんっから始まる」
「お待ち下さい、それもペロロンチーノ様ご推薦の方法でしょうか」
「もちろんよ! とっておきなんだから!」
「おそらくそれは至高の御方が、シャルティアのためにとお考えになったもの。私めがお借りするのは不遜ではないでしょうか」
シャルティアは少し考えて、納得したように頷く。内心胸を撫で下ろすセバスに、休む暇を与えず、
「あ。ところでセバス、ツアレとならポッキーで」
「いたしません」
「うふふふ、照れておりんすね?」
はあ、とセバスはひそかにため息を吐く。周囲に気付かれぬ程度の、実に慎ましやかなそれは、執事にふさわしい品格を備えている。
「ともあれ、計画は振り出しに戻りんした。ペロロンチーノ様の秘儀を貸してあげられんせんのは申し訳ありんせんが、それもこのわたし、シャルティア・ブラッドフォールンがあの御方に深く深く愛されればこそ……ああ、ペロロンチーノ様……
……と、いまは大事な作戦会議中でありんす。わらわもちゃあんとそのくらい弁えておりんすとも。では、続行といくでありんすぇ」
そのままずっとトリップしていてほしかった。
セバスが作戦会議という名のエンドレスな精神攻撃に雄々しくも立ち向かう覚悟を固めたとき、救い主は現れた。
「ン? オ前タチモ来テイタノカ」
「「コキュートス!」」
シャルティアとセバスの声が重なる。
前者は単なる驚きから、後者は思わぬ喜びから。
「ちょうどよいでありんす。おんしはデミウルゴスと仲がいいでありんしょう?」
「ウン? アア、ソレガドウカシタカ?」
「アドバイスがほしいんでありんすよ。ねぇ、セバス?」
「よろしければお願いいたします」
コキュートスは首を傾げながらも、否むことなく彼らの隣、カウンター席に座る。
ちらり、と入り口を見やり、
「私ニ出来ルコトナライイノダガ。相談事ナラデミウルゴスノ方ガ――」
「駄目でありんす!」
「ソ、ソウカ?」
詰め寄られた勢いにのけぞる蟲王は、続けようと思っていた言葉を呑み込んでしまう。
彼はこう言うつもりだったのだ。
相談事ならデミウルゴスの方が向いているのではないか、
どのみちここで待ち合わせをしているし、数分もすれば来るはずだから、と。
【あとがき】
ここに示された数々のペロロンチーノの嗜好は、まだまだ序の口どころか、入り口にすら到達していないことが判明している。
参考文献:アインズ様語録
「おい、ペロロンチーノ、どんだけ変態設定つけたんだ」
「――ペロロンチーノ!!」
(web版前編より)
「……ペロロンチーノ。お前が望んでいた光景がここにあるんだろうな。つーか……ドン引きだわ」
(web版後編より)
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