第1部・現代魔剣のタングラム

第一章

卒業→入学

 魔導皇帝ファウストのターンとなった。


『ガアアアッ! おのれ、英雄ナインにとりまきの雑魚どもがァ! よくもこの私をここまで追い詰めたなァァァッ!』


 ファウストの杖より召喚された悪魔メフィストフェレスが、ファウスト本体と融合し形状が変わっていく姿が、美麗なCGで描かれる。


『来るぞ皆! 俺が少しだけ、奴の融合を遅らせる! その間に態勢を立て直すんだ!』


 NPCの英雄ナインが、パーティの前に立ち、壁となった。


《※※※※》【キタ最終形t(ry)】

《※※※※》【一〇ターンしか掛かってなくね】

《※※※※》【俺らTUEE!】

《※※※※》【サムー、壁ダブルでよろ】

《ワンワン》【もうやってるよな?】

《サムライ》【うん。八ターン目で詠唱始めてたから、次でトリプルになるよ】

《※※※※》【はや】

《※※※※》【さすが】

《ワンワン》【さすがサムライという名の僧侶レベル99】


 悪魔と融合した魔導皇帝ファウストは、8枚羽根の美しい天使のような姿だった。

 高レベルの攻撃魔法が唱えられ、黒い龍が地面から発生し、魔導皇帝の前でとぐろを巻くと、英雄ナイン諸共パーティを囲い込む。


《※※※※》【やべ】

《※※※※》【これ物理もアリだった気が】

《サムライ》【大丈夫。みんなリボーン済み】

《※※※※》【神】

《※※※※》【ナイス】

《サムライ》【ナインとワンワン以外には】

《※※※※》【wwwww】

《※※※※》【藁】

《※※※※》【ワン2ざまー】

《ワンワン》【んだとゴラァ!!!】

《サムライ》【最強鎧つけて何言ってんの】

《ワンワン》【サムー! せめて回復を!】

《サムライ》【ナインの後にね】


『暗黒圧殺龍!!』


 魔導皇帝の台詞とともに、パーティを囲んでいた龍が爆発を起こした。


「武士ー! 風呂入りなさい」

「今いいとこ! 後で!」


 田中武士は、階下からの姉の声にディスプレイから目を離さず応え、キーボードを叩き続ける。


 田中武士は、平凡な名字を気に入っていた。

 自分に似つかわしい名前だと。

 対して、下の名前には若干の重圧を感じていた。

 父親が付けた、武士という名前。

 侍のような挟持を持ち、弱いものを守る為に戦える男になってほしいという願いを込めたそうだ。

 酔った父親に何度も語られた。

 武士の父親は、長女の後で6年経って生まれた念願の男子に、相当な期待を抱いていたようだ。

 小学校に上がったばかりの武士を剣道の道場に通わせ、「男らしい男」に育てようとした。

 自分のようにはならないようにと。


 しかし、現実は思うようにはならない。

 武士は剣道に都合五年間通ったが、父親の望む「男らしい男」からはほど遠い人間に育った。

 剣道場で汗臭い防具を纏って竹刀を振るうことよりも、コミックやアニメ、ゲームが好きで、父親の部屋に忍び込みネットを繋ぎ、オンラインゲームで剣と魔法の世界で遊ぶ事に夢中になった。


「武士に人を棒で叩くような真似は似合わないよ。お母さんに似て優しい子なんだから」


 姉の遥はそう言って、中学に上がる際に剣道を辞めたいと言った武士を擁護した。

 父親は大層失望し、娘の説得に折れ、自分自身の目標でもある「男らしい男」に息子を育てることを諦めた。

 見放した訳では決してなかったが、少なくとも武士には「諦められた」ように感じた。

 父親の期待に応えられなかった武士は、自分の価値を高く考えることを諦め、中学時代は学校から帰るとネットゲームに没頭する日々を送った。


 英雄ナインが、魔導皇帝ファウストを倒す物語。

 魔導皇帝は悪魔王メフィストフェレスと契約し、その強大な魔力によって大陸を支配して、人間達に恐怖を与え続けていた。

 苦しい生活を強いられてきた民は、大いなる勇気と知恵と力を持つ英雄ナインに希望を求めた。

 プレイヤー達は英雄の仲間となることが目的だ。

 世界各地からギルドを介して集められた仲間が、様々なクエストをこなし、大いなる力を持つ英雄のパーティとなって、ファウストに挑むのだ。

 しかし、ファウストは何度倒してもより強大になって蘇る。プレイヤー達は、より強い武器や防具を揃えるため、新たなクエストをこなし、何度も戦いを挑んでいく…


 武士が中学の3年間でもっともハマった「ナイン・サーガ」は、日本ではさほど人気は出なかったオンラインゲームだがコアなファンが多く、長期間続けているプレイヤーも多いタイトルだ。


 ディスプレイ上では、今回のラストバトルも終局を迎えていた。


『魔導皇帝ファウスト! 貴様の見た夢は、決して人が見てはいけない夢なんだ! 俺たち全員の、九つの力が、貴様の作り出した悪夢を討ち滅ぼす!』


《※※※※》【英雄様決めゼリフキター】

《※※※※》【やべ俺MPが】

《サムライ》【今パサーするね】

《※※※※》【神サムー】

《ワンワン》【痒いところに手が届く神サムー】

《※※※※》【神なのに寒いww】


 僧侶により、マジックポイントが各キャラクターに補充され、規定値に達すると、ムービーが始まった。


 サムライは、武士のキャラクターネームだ。

 かなりストレートなネーミングな上、ゲーム上でのジョブと混同されやすく、仲間内では不評で(もっとも本名を知らない仲間達には、ネーミングの安易さはバレていない)、もっぱらサムーなる座りの悪い響きのあだ名で呼ばれていた。


 八人の武器から光の帯が伸びて、英雄ナインの持つ聖剣に集中していく。


『おのれェェェェェ! この魔導皇帝が、またしてもォォォォ!』


 ぼろぼろになった魔導皇帝ファウストは、渦巻く光の帯から逃れるように八枚羽を羽ばたかせ、空へと逃れる。

 しかし、それを追って英雄ナインは空を駆けた。

 背には光の翼を生やし、手にした聖剣には光の粒子が纏われている。


『真・九星界裂斬!!』

「武士……風呂が冷めるって言ってるでしょ」


 武士が振り返ると、姉の遥が湯上がりのパジャマに髪にタオルを巻いた姿で、ドアを開け立っていた。

 スレンダーで、大学では武士とは異なりなかなかに異性の気を惹いているらしい彼女は、その幼さが残る可愛らしい顔をやや怒らせて、武士を睨んでいる。


「姉ちゃん……。もうすぐだから」

「あんた、明日入学式でしょ? 早く寝なくていいの?」

「もうすぐだから。今日がラスクエなんだよ」

「念願の〈先輩〉がいる学校なんだから。寝坊で遅刻したら後悔するの武士でしょ」

「わかったから」


 話しながらも、視線をディスプレイから逸らさずにキーボードを叩いている武士に、遥はため息をつくと、ドアを閉めて階下へと降りていった。


 魔導皇帝は打ち倒され、クエストは終了した。

 「ナイン・サーガ」のメインストーリー最終クエストだった為、少し長めのエンディングムービーが流れていたが、パーティのメンバーはほとんどムービーは見ておらず、エンディング後に参加パーティに分配されるレアアイテムの分配についてチャットで話し合っていた。


《※※※※》【デフォのダメージ効率分配でいんじゃね?】

《※※※※》【あ、俺白オーブだけは絶対欲しい。他のレアは全部譲っていいから】

《ワンワン》【白オーブって僧侶系のラストグッズじゃね】

《ワンワン》【サムー、白オーブでコンプっしょ?】

《※※※※》【でも基本、デフォ分配がルールですよね】

《※※※※》【サムーは前衛ほとんどナシだから、別にいいっしょ】

《ワンワン》【いいってなんだよ】

《ワンワン》【僧侶だし前衛ナシは当たり前】

《※※※※》【でも実際、僧侶いなくてもターンが伸びるだけで】

《※※※※》【頼んで僧侶やってもらった訳じゃなし】

《ワンワン》【テメエら】

《ワンワン》【今日はサムーの卒業クエ】

《サムライ》【いいよ別に】

《※※※※》【マジサンキュ】

《※※※※》【当然】

《ワンワン》【待てって】

《※※※※》【うっせ】

《※※※※》【本人いいっつてんだから】

《※※※※》【荒らすなよ犬っころww】

《ワンワン》【サイテーだなテメエら】

《サムライ》【いいよみんな今日でどうせ僕は最後だから今までありがとねログアウトします僕の分のアイテムはみんなで分けてじゃあね!】


 武士は忙しくキーボードを叩くと回転椅子をクルッと回し、ディスプレイに背を向けた。


「まあ……よくあることだよね」


 武士は呟くと、大きくため息をついた。

 その表情は明るくはないが、かといってひどく落ち込んでいる様子もなかった。

 三年間夢中になったネットゲームの卒業クエストで、最後に気まずい空気になってしまった訳だが、武士は極端に落ち込みはしなかった。

 そういえば風呂に入れと言われていたと思い出したが、その前に武士にはゲーム上でやっておきたいことがあった。


 再び椅子を回してディスプレイに向き合うと、マウスとキーボードを操作する。

 武士の操作する《サムライ》は再ログイン後、とある街に来ていた。

 プレイヤー同士が集まりパーティを組む酒場ではなく、街の外れにあるアイテム交換バザーの、更に隅に移動する。

 待つ事数分。

 黄金色の仰々しい鎧を着た戦士が、蒼いフード付きのローブを纏った《サムライ》に近づいてきた。

 単独チャットを希望するアイコンが表示され、武士は受諾する。


《ワンワン》【逃げ腐りやがって。このやろ】

《サムライ》【口が悪いよ?ワンワン】

《ワンワン》【サムーが舐められるとムカつくんだよ】

《サムライ》【僕のことはいいから】


 ピコン、と黄金色の鎧を着た戦士の頭上に、アイテム受け渡しを示すアイコンが表示された。


《サムライ》【なに?】


 武士は《ワンワン》から表示されたアイコンを選択する。

 ウインドウが開くと、白く輝く宝珠のCGが表示され、直ぐにアイテムコンプリートの文字が表示される。

 更にウインドウが開き、『優しさを極めし者〈僧侶マスターの称号〉』と派手な飾り文字で表示された。


《サムライ》【………ワンワンくん】

《ワンワン》【HAHAHA! ランダム分配で来たぜ白オーブ! ざまみろw】

《サムライ》【譲ってあげなかったの?】

《ワンワン》【今、譲ってるじゃまいか】

《サムライ》【そうじゃなくて。欲しがってた子いたでしょ】

《ワンワン》【ウゼエのいたな。氏ねっつってログアウトしたった】

《サムライ》【そんなことしたら、ワンワンがこれからやりにくくなるんじゃない?】

《ワンワン》【いーのいーの。俺も今日で卒業だから】

《サムライ》【え?】


 「ワンワン」なるハンドルネームの人物とはネット上での付き合いだけだったが、武士はクエスト終了後に毎晩のように語りあっていた。

 「ワンワン」はたまに口が悪くなる人物で、武士は最初、彼が苦手だった。

 しかしゲーム上で武士が意図した気付かれ難い仲間へのフォローを、「ワンワン」はいち早く気付き、認めていた。

 長く同じパーティでプレイし、その後のチャットで互いが同年齢であることが分かると、二人は一気に親しくなったのだった。


 中学生の思春期に、リアルでは会う事が無いという距離感のおかげで、逆に色々なことを打ち明け合うことができたのだろう。

 ときどきだった「ワンワン」の悪い口調も、ある時期を境にずっと乱暴なままになったが、武士にはまったく気にならなくなっていた。

 武士は「ワンワン」を得難い親友のように思っていた。

 そしてそれは、「ワンワン」の方でも同様だったようだ。

 その「ワンワン」も、武士と同じく今日でナイン・サーガを止めるという。


《サムライ》【嘘でしょ?】

《ワンワン》【マジ。】

《サムライ》【卒業って。そんなこと言わなかったじゃん】

《ワンワン》【サムーがいなくなるナインサーガに未練はないお】


《ワンワン》【なぜ黙る】

《サムライ》【きもい】

《ワンワン》【ちょwwwひでえorz】

《サムライ》【僕はこんなことしてほしかった訳じゃない】

《ワンワン》【わかってんよ】

《サムライ》【ならなんで】

《ワンワン》【サムーは優しすぎんだよ】

《サムライ》【そんなことない】

《ワンワン》【オーブおねだり野郎にだって、何度もレア譲ってたじゃねーか】

《サムライ》【いらないアイテムだったんだ】

《ワンワン》【嘘つけ。ってか、まあいいや】

《サムライ》【うん。いいんだよ】

《ワンワン》【なにはともあれ。フルコンプ&卒業おめでとう!】

《サムライ》【ありがと】

《ワンワン》【そして明日の高校入学もおめでとう!】

《サムライ》【ワンワンもね。】

《ワンワン》【サムーの新たな旅立ち! 憧れの先輩と再会編とうとうスタート!】

《サムライ》【うざいw】

《ワンワン》【ヒドスw】

《サムライ》【ところでさ】

《ワンワン》【なに?】


 カタカタと調子よくキーボードを叩いていた武士の手が止まる。

 額に手を当てて何か逡巡すると、意を決したようにキーボードと叩いた。


《サムライ》【ワンワンもナインから卒業するなら、今度オフ会しない?】


《サムライ》【先輩の話もしたいし。聞きたいでしょ?】


《サムライ》【僕も、ワンワンの高校の話聞きたいし】


《サムライ》【あれ? ワンワン?】


 武士は、一行一行の間に、かなり時間を空けて打ち込んだ。

 しかし、「ワンワン」からはなかなかレスがなく、じわじわと焦りが込み上げてきた。

 武士の顔には、先ほどクエスト仲間と揉めたときにも浮かばなかった強張った表情が浮かんでいた。

 武士にしては、勇気を出して書き込んだのだ。

 実は、過去に先にオフ会をしないか? との話があったのは「ワンワン」の方からだった。

 しかし実際に会ったら自分に失望させてしまうのではないかと、断り続けてきたのだ。

 だが、高校入学を機に少しは変わらなければ思っていた武士は、「ワンワン」とリアルでも友達になりたいと考えたのだ。


 だが、意を決した書き込みに、時間がかかって返ってきたレスは衝撃的なものだった。


《ワンワン》【サムー。サムーとの付き合いは今日でお終いにしようと思う】


 武士は心臓が冷たくなるのを感じた。

 いつも自分に自信のない武士だったが、それでも変わろうと。

 〈先輩〉と同じ高校に合格することが出来て、これを機に少しでも自分に自信が持てる人間になっていこうと、考えていた。

 その為に、入学式前日の今日のクエストを最後に、ネットゲームを卒業しようと考えていたのだ。

 そして、人間関係に奥手な自分も変える為に、まずはゲーム内の友人である「ワンワン」と現実世界で友人になりたいと考えていたのだ。


《サムライ》【なんで】

《サムライ》【僕、なにかした?】

《サムライ》【今まで、きもいとか言ってたの冗談だよ】

《サムライ》【あやまるよ】

《ワンワン》【サムーは、高校入ったら、剣道もっかいやるんだろ?】

《ワンワン》【ちょ、サムー、おちつけ】

《サムライ》【うん】


《ワンワン》【先輩に会うために、剣道部入るんだろ】

《サムライ》【そのつもり】

《ワンワン》【俺、サムーをすげーと思う。親父さんに冷たい態度とられてさ】

《ワンワン》【剣道で嫌な思いしたのに、憧れの先輩に会うためにもう一回頑張ろうって思うサムーを、俺はすごいと思う。尊敬する】

《サムライ》【ワンワンが言ってくれたからだよ。先輩の話をしたときに。そんなに凄いと思える人なら、また会ってみれば、同じ高校に行ってみればって】

《ワンワン》【頑張ったのはサムーだ。まさかホントに合格すると思わなかった】

《サムライ》【僕、頭悪かったからねー】

《ワンワン》【マジで。。。こんなネトゲ漬けの厨房が、合格ランクいくつも上の

高校に入学するなんて】

《サムライ》【厨房ゆうなw】

《ワンワン》【サムーの話聞いて、自分って変えられるんだって思った(キリッ】

《サムライ》【そんな、おおげさな話じゃないよ】

《ワンワン》【だからさ。暁学園だろ】

《サムライ》【え? うん】

《ワンワン》【がんばってな。自分のことのように応援する】


 ディスプレイから突然、黄金色の鎧を纏った戦士の姿が消えた。

 ログには、「ワンワン」がログアウトしたことを示す文字列が並んでいる。


「え? え? ワンワン?」


 突然のことに動揺する武士は、パソコンの前でしばらく固まっているしかなかった。


 ***


 翌朝。

 自宅の最寄駅から、渋谷へと出て路線を変える。

 私立暁学園の最寄駅に降りると、武士はもう疲れていた。


 これまで地元の公立中学校に徒歩で通っていた武士は、受験の日以来初めて、通勤・通学時間に電車に乗って暁学園へと登校した。

 電車は通勤サラリーマンや学生で非常に混み合っており、聞けば都内でもっとも混雑している路線らしかった。

 昨晩のことを深く考え込みそうになっていた武士は、スマホでまとめサイトでも眺めながら気を紛らわせようとする。

 しかし他人同士体が触れ合い混み合う車内で、スマホをポケットから抜き操作することもままならない。

 目の前のサラリーマンが、平気で眺めているタブレットがちょうど顔の位置でぶつかりそうになるのに四苦八苦しながら、表示されているネットニュースの見出しが目に入った。


〈『政界再編から半年、鬼島政権の光と闇』〉


 まったく興味の持てない煽り文句を見るともなしに眺めながら、武士はこれから3年間、この通学ラッシュに揉まれることになることを思うと、憂鬱な気分になった。


 駅の改札を出ると、武士と同じ制服をきた学生たちがそぞろに列をなし、駅前商店街を抜け同じ道を歩いていく。

 猛勉強の末に奇跡的に合格した、憧れの先輩と同じ高校。

 その入学初日に学び舎へと歩く武士の頭の中は、これからの高校生活に想像を膨らませることなく、昨夜のネット上の友人との不可解な別れのことで一杯だった。


 ――なんだったのだろう、あれは。


 チャットの流れでは、自分を嫌った訳ではなさそうだった。

 しかし今後、「ワンワン」が宣言通りナイン・サーガにログインしてこなければ、連絡の取りようがない。

 そもそも武士は、自分もゲームを卒業すると決めていた為、退会手続きを取ってしまっていた。

 昨夜の十二時で既に自分のIDは無効となっており、再びナイン・サーガで「ワンワン」を探すためには新規にユーザー登録するほかない。

 その為には父親のクレジットカード登録が必要で、姉の遥を通じて父親にもネットゲーム卒業を宣言していた武士は、それだけはしたくなかった。


 ――じゃあ、どうしたらいい?


 「ワンワン」の個人情報は長年のチャットでそれなりに知っていたが、実際の住所や連絡先につながる情報までは記憶していなかった。

 同じ都内に住んでいる同い年であること、更に親の職業……と言っていいのか分からないが、親の職業らしきものは知っていた。

 だが、それだけで突き止められるものではない。

 そんなことをグルグルと考えているうちに、武士は暁学園の校門へと辿り着いた。


 私立暁学園。


 文武両道をモットーとするこの高校は、都内有数の進学校でありながら、スポーツにも強かった。

 特に、文武両道の武の文字通りに、柔道や剣道、空手や合気道などの武道系の部活が非常に強かった。

 全国大会の出場常連校で、武士が受験高を調べる際に読んだ案内パンフレットには、さる昔の大物政治家が政界引退後に私財を投げ打って設立した学園で、日本の伝統文化を未来に受け継ぐ、学力、体力、そして心の力を持った若人を育てる学び舎であると記されていた。


「暁学園を受験する」と学校案内を渡して父親に告げると、それを読んだ父親は大いに喜んだ。

 しかし、同時に遥経由で知った武士の学力と合格ラインの差に、改めて肩を落としていた。


 その暁学園に合格することができた。

 父親の喜び方は半端ではなかったし、更に、まだ告げていない剣道部に入ることを話せば、父親はどんな顔をするのか。


 4年前に剣道を辞めて以来、疎遠になりがちだった父親に認められること。


 武士は自分では気づいていなかったが、それこそが、武士が自分に自信を持つ為の一つの目的だった。


 それなりに歴史のある学園だったが、つい近年に建て替えがあった為、白い壁が眩しい新しい建物となっていた。

 その校舎を目の前にした途端、武士はワンワンとのことを少し忘れ、新入生らしい期待と不安が胸に躍る。


 ふと周りを見渡し、〈先輩〉の顔を探す。


 もちろん、そんなに都合よく見つかりはしなかったが、武士にはようやく実感が湧いてきた。


 新しい人生が始まる。

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