第8話

 午後三時、気だるげな空気の流れる部屋の中、私は目覚めた。

 昨日までと同じ編集長の部屋のベッド、書類と煙草の匂いで充満した部屋。落ち着いた雰囲気の中で、私の血流だけが音を立てている。

 静かに、熱く、爆ぜそうなほどに。


 頭をゆっくりと枕から離す。汗で若干べたついた肌。シャワーを浴びたい。真っ白な布団からもぞもぞと抜け出す。

 ふわふわした、それでいて胃の中の何かがせり上がってくるような、ピントがずれまくった感覚。

 今日で、何かの決着がつく。この事件のことか、プリムの人生のことか。

 私の命に関しては勘弁してほしいが、逃げるつもりは更々ない。


 少しガタついたドアノブを捻り、湿気の少ない廊下に出る。冷えた床が裸足から熱を奪い、代わりに寒気を与えてくる。 手すりのない階段を降り、一階に。表の応対室とは逆方向、社員以外立入禁止区域にシャワールームがあるのだ。もはやこの建物が私の家と化しつつあるのだった。

 特に迷うこともなく、目的の扉まで辿りつく。少し汚れた壁と、不快になるほどではない生活臭がする、プライベートな空間。


「ちょっとは遠慮しろよ、人の家だぞ」

 シャワールームに足を踏み入れようとした時、後ろから声をかけられた。

「遅いぞ、ねぼすけ野郎。しかも背後への警戒が足りねえ」

「あ、おはようございます」

 姿の見えないままの編集長に朝の挨拶。私が服を着てない可能性を考慮してか、廊下の角に隠れたままだ。以外と紳士だな。


「浴び終わったら会議室に来てくれ、必要な装備を渡す。出発は一時間半後、それに間に合うよう考えて行動しろよ」

「ああ、えーと・・・はーい」

 今晩、ついに戦いに参加する。そのことを思い返し、なんとなく空返事になってしまった。

「ああ、そういや」

 そんな風にぼーっとしていると、編集長から新たな声が飛んできた。


「お前って結構毛深いんだな、排水溝詰まりかけて掃除大変だったぜ」


 え、は、


 あ?


 完全にプッツンした。



 いやさ、掃除してくれたのはいいよ?抜け毛なんか見せて申し訳ないとさえ思うよ?

 たださ、


 乙女に毛深いとか、死にたいのかお前はぁ!


「あああああああああああああ????」


 ブチ切れたまま私は殴るべく駆け出す。

 否、殺す、殺す!


 勢いを殺さないまま、右への曲がり角を正面の壁を蹴ることで失速せずに処理すると、目の前に憎たらしいセクハラ男が立っていた。クソみたいにすかした立ち姿に、自分の中の怒りが倍増する。というか、今の私の怒りの前では、水だろうが油だろうが燃え尽きてしまうだろうがな!


「くそ野郎、死ねえええぇぇえ!!」


 全力で振り抜いた右フックが、編集長のほおを完璧に捉えた。

 体重を乗せた拳が、相手の首をへし折る勢いで突き刺さった。ゴリっ、と鈍い感触とともに、編集長の上半身が大きく傾く。

 派手な音とともに、編集長が壁に激突して崩れ落ちる。


「死ね、死ね、死ねっ!」


 ワンパターンな罵声を、倒れたままの金髪に叩き込む。頭に血が上って、全身が熱くわななく。


「ったく、冗談だっての」

「ああん!?」

「冗談だっつってんだろ! 風呂の掃除はスラーに頼んだ!」

「ほえ?」


 ほおを押さえて涙目になりながらも、にやっと笑う編集長。

「声がガチガチに緊張してたから、小気味良いジョークでほぐしてやろうと思ったのに」

「小気味良くねーよ!気持ち悪いよ!」

「それにしても可愛げのないグーパンだな。奥歯折れてないか、これ。」

「う・・・大丈夫ですか?」

「なかなか丈夫そうな体格だとは思ってたけど、俺の想像以上に動けるんだな、お前」


 遠回しに色気がないって言われてる、そんな気がする!若干筋肉質なのがコンプレックスなのに!

 まあ中学までは男子を押しのけて、村のサッカーチームのエースだったけど!


 私が苛立っていると、膝立ちになってこっちを向いたまま、編集長は私に問いかけた。

「まあ良いや、安心した。体調は良さそうだし、緊張もほぐれたろ?」

「え、まあ・・・」

「俺に一発くらわせた借りは、命張って返してくれそうだな」

「元はといえば編集長のせいでしょ!」


 静かな笑いの後に乾いたため息を落とし、編集長がようやく立ち上がる。

「おら、さっさとシャワー浴びてこいよ、もう時間もそんなにないぞ」

「あの、ちょっと?」

「あ、なんだよ?」

「・・・私の抜け毛がひどかったって、本当ですか?」

「いや、スラーはそんなことは言ってなかったぞ」

「そうですか・・・そうですよね!」

「ケモノ臭いとは言ってたけど」

「死ねえぇぇっっ!」



 そんなこんなでシャワーでホクホクして、自宅から持ってきた長袖シャツとロングパンツとに着替えて、意気揚々と会議室へと出向いた。

「なんでそんなテンション高いの?変なキノコでも拾い食いした?」

 そしていきなりスラーさんに訝しげに見られたのだった。

「酷くないですか!」

「いや、命かかってる場面なのに・・・なんで私よりほぐれてんの?」

「えっと・・・まあいろいろあったんです!」

「あ、ほつれてるだけか」

「そんな!そもそもスラーさんも悪いんですよ!」

「ええ、なにそれ・・・」


 そんなことで騒いでいると、会議室のドアが開いた。

「んだよ、うるせーな。最終会議始めるぞ」

「出た!セクハラ編集長!」

「え、なにしたのよプレスタ」

「物理的に手は出してないからセーフだろ」

「アウトですよ!」

「うっせーうっせー。さっさと終わらせて現地に向かいたいんだ、会議に取り掛かろうぜ」


 そういうと、編集長はつかつかと部屋の中を歩き出した。なにをするつもりなんだろう、とそれを眺めていると、私から見て左側にある戸棚の前に立ち止まる。

 木目調の食器棚のような大きな戸棚、その小さな引き出しから取り出されたものは、鈍く黒く光る凶器だった。


「・・・券銃じゃないですか、それ!」

 編集長の決して小さくはない手からさえ溢れる、アンバランスに見えるほど大型拳銃が、目の前に現れた。ずっしりとした重量を感じさせるメタリックブラックの重心に、自然に心臓の鼓動が早まる。


 だが、明らかに不自然な点が一つあった。リボルバーがない。円形の部分がなく、すべてが真四角で構成されている。リロードなしで一発しか撃てない構造に、何か不便以外の意味があるのか・・・


「いや、カメラだぞ。これは」

 編集長の言葉が、混乱する私の頭の中に摩擦なく突き刺さった。

 は、何言ってくれちゃって?

「いや、そんなわけないでしょ。なんで引き金ついてるんですか」

「こういうタイプのカメラもあるんだよ。説明は後だ、とりあえずこれを構えてみてくれ」


 スタスタと近づいてくる、編集長、と拳銃(形だけ)。

 私は思わずほおを引きつらせた。頭ではわかっていても、見た目が凶器であるそれを手に取ることに気後れしてしまう。


 それでも頑張って手にとってみた。見た目通りそこそこ重い。持つことはできるが、これを携行して走り回るのは疲れてしまうだろう。


「これ、引き金を引けば写真が撮れるんですか?」

「そういうことにな・・・」

 躊躇なく編集長に向かって引き金を引いてみた。


 その瞬間、銃身を囲むように虹色の光の環が瞬いた。

「え、うわわわっ!」

 耳を裂くような、とてもカメラが立てるような音ではない超高音が部屋中に鳴り響いた。それと同時に光の環が回転を始め、加速していくとともに収縮。そしてその緊張の絶頂を打ち破るように環が弾け飛ぶ。

 灼けるような光の暴走の中、最後に気の抜けるような軽いシャッター音が鳴いた。


「・・・」

「・・・」

「・・・」


 狭い部屋の中で起きた光と音の狂乱に感覚を揺さぶられ、思わず黙り込む室内。その沈黙の中を、編集長の驚愕の表情が写し出された写真がひらひらと舞った。


「・・・その一枚の写真を撮るのに、お前の一日分のバイト代と同じくらいのコストがかかるんだが?」

「・・・ごめんなさい」

「ちなみにそのカメラ本体は安物だけど、それでもお前の一ヶ月分の給料くらいの値段だから」

「・・・わおーん」


 軽い気持ちで押すんじゃなかった・・・代金を請求されたら一溜まりもない。

 机の上に射出された写真を手に取ってみる。適当に撮ったにしてはしっかりと編集長の顔がこちらを見ている。不思議なことに、裏側はざらざらなのに印刷された表側はつるつると光っている。

 故郷の村にもカメラはあったがそれは箱のような古臭いものであった。近くの街のカメラ屋に行っても、あるのは一眼レフなどの、ファインダーを覗かなければならないカメラだった。自動で焦点を合わせてくれるなど聞いたこともない。


「それにしても、このカメラすごいです!どういう構造なんですか?」

「さあな、俺たちには知りようもない」

「はい?」

 プレスタ編集長は再び戸棚の中をあさりながら、ぶっきらぼうに答えた。


「グラシアマシネって企業知らない?カメラとか印刷機とか作ってる兎族の会社なんだけど」

 スラーさんが編集長から説明を引き継ぐ。

「聞いたことないです。このカメラもそのグラシアマシネの製品ってことですか?」

「そういういこと。工業系の企業なんだけど、最新の工業知識と熟練の職人達、そして一族の中で代々受け継がれた門外不出の科学知識を組み合わせて、他会社では到底生み出せないようなものを作り出しちゃうわけ」


 うーむ、兎族について詳しくわかんないからイメージつかないなあ。


 犬族の領地はこの西大陸の北西部に位置している。兎族は南方に位置しているが、間に大都市である国の首都・マンシュタインがあるせいで直接交流することはない。そのせいで、兎族から人や物があまり送られてこないのだ。本などをあまり読まずに育ってきた私は、近くに位置する猫族と猿族以外の風習をあまり知らないのだった。


「あんまりカメラや印刷機の性能が良すぎるから値段は高めなんだけど、うちのような新聞社はほぼ百パーセントこの企業の製品を使ってる。プロ御用達ってところね」

 スラーさんの解説は続く。

「そんな門外不出の知識が詰め込まれたグラシアマシネ製品は、当然ながら製造ラインは企業秘密、そのうえ製品本体を解体すると勝手に内部が破壊されるっている仕様付き。だから社員幹部以外は誰もその構造を知ることはできないのよ。たとえ皇国であろうとも、ね」

「なるほど、だからなんでこんな機能がついてるのかわからない、と」

「まあ、こんな無茶な商売ができるくらい、製品自体の信頼は高いから、使う分には問題ないのよね」

「新聞記者としてはそのわからない、が気持ち悪いんだけどな」


 と、ここで編集長が話に入ってきた。右手には畳んだベルトのようなものを持っている。


「つーわけで、そのカメラは小難しい撮影技術が必要ない。ただ拳銃と同じように対象に向けて引き金を引けば、距離や光源なんかを勝手に計算して調整してくれる。お前にもってこいだろ?」

「まあ、そうなんですけど・・・バカにしてません?」

「いや、俺もカメラに関しては素人だから。撮影ならスラーが一番うまい」

 虫の悪そうな顔で、編集長がベルトをこちらに渡してきた。

「それがそのカメラの補助具。まあ手首に固定するためのテーピングみたいなもんだな。お前には走り回りながらそれを使ってもらうことになるから、それで安定感を補ってもらう」

 説明を聞きつつ、革のベルトを手でいじってみる。そこそこ手触りがいい。不快感なく使えそうである。


 ふと視線を上げると、今度は編集長の左手が差し出されていた。顔を上げると口元を歪ませて笑う整った顔があった。

「それともう一つ、お前にだけ渡しておくものがある。今回の鍵を握るアイテムなんだが・・・」


 え、なんか悪い表情してるんですけど・・・。

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