第九話 サラリーマンの会話(前)~亡命と合一祭
首都氷野市などがある中央地方、一般人世界で言う関東地方内陸部で、桜が満開を迎えようとしている三月末、首都から西方約二十キロにある多摩市に本社を置くあるお菓子メーカーの休憩室で、二人の従業員が昼食を取っていた。
「なあ、訊いていいか?」
黒いスーツを椅子の背に掛け白ワイシャツの袖をまくっている赤ネクタイの男が、クリーム色の会議机の向かいに座る同僚に視線を送る。二人の前には簡素な使い捨ての木製弁当箱が置かれ、声を掛けた男は二口三口手をつけただけで、割り箸を宙で弄んでいる。
もう一人は忙しそうに、口に白米を詰め込みながら目だけで問い返す。
それに呆れたようにはあっと息を吐くと、嫌そうな顔で言う。
「これ、うまいか? 前のラインナップの方が、俺は好みだったなあ」
スーツをきっちり着た青ネクタイの同期の社員は口をもぐもぐさせつつ、銀縁四角眼鏡の奥で目を丸くする。自宅から持って来た緑の丸い竹製の水筒の蓋を開け、逆さに置いてコップにすると、とくとくと冷たい緑茶を注ぐ。それを一気に仰いで全てを飲み下すと、やっと口を開いた。
「そうか? おれは大好きだぞ」
「だろうねえ。見るからに幸せそうな食べっぷりだったよ」
それを聞いて同僚がはははと笑うと、中年を迎えて出てきた腹がたぷたぷ揺れる。それから、人の悪い顔になって詰め寄る。
「しかしお前さん、このケータリングのお弁当にいちゃもんをつけるのは、大王政府に唾を吐くのと同じだぞ?」
伊達派では、全ての企業が経済企業省という一省の管理下にあり、企業活動によって得た利益に政府からの助成金を六割ほど加えて、活動資本としている。要は、私営企業は存在せず、全部が国営企業なのだ。
こう言うと、社会主義のように聞こえるが、別に五カ年計画のような計画経済制は取られておらず、あくまで自由な取引をベースとしながら、商品価格の異常高騰や生産過剰、放漫経営などの問題が発生、または、その恐れがある場合のみ、経済企業省が強制的な指導・監督に入って経済の安定を図るという制度である。
が、このシステムはもともと経済的な狙いから導入されたのではなく、かの戦争狂、九代火ノ島大王の父、
なお、当時全国に点在していた豪族の私兵集団は、既に北条派との間で散発していた国境地帯の紛争で重要な役割を担っていた。ところが、勅令で財源が完璧に断たれたことによって急速に衰退してしまう。あわや北条派の大侵攻と思いきや、山上大王は公企業令を出した翌年、私軍の質の低下が著しくこのままでは国防上重大な欠陥となる恐れがあると白々しくものたまって、全国の私軍の生き残りをかき集め、日本能力者世界初の国家常備軍を創設したのだ。
このように辣腕を振るった山上大王については、現在、一部の学者から、公企業令と同時に統一通貨令を発布し中央集権化を押し進めた上に、常設軍を整備したことで、統一戦争に脇目も触れず突っ込んでいった狂王火ノ島を生んだと批判もされているが、一方で、真の意図はともかく、公企業令を後に一部改めた結果、適度な国家による市場への介入が可能となり、比較的安定した経済を維持することが出来るようになったと評価する言説も特に経済史の専門家の間で存在する。
伊達派の経済は今羽振りがよくないと大王を筆頭に懸念の声が方々で上がっているけれども、はっきり言って、政府の介入による強力な景気安定化機構がある以上、相対的にはそんなもの高が知れている。完全自由競争で市場の原理に何もかも丸投げな北条派など、一旦破綻すれば、えらいことになる。しかも、内紛が非常に多い分、景気も不安定になりやすく、伊達派の優秀な経済システムは敵と言えど魅力的なようで、事実、それを理由にした亡命者は数知れない。
赤ネクタイの方は、一瞬、また笑い出す同期を不思議そうに見つめてから、ああと頷いて、一緒に笑い始める。その不自然かもしれない間に気が付いても、別段青ネクタイは何も言わない。そういう事情だからだ。北条派から伊達派への亡命は、古来、別段珍しいことではないのである。
愉快そうに笑いあった後、赤ネクタイは結局諦めて箸を動かし、しばらく食事の音だけがクリーム色に囲まれた清潔な会議室に響く。
青ネクタイが先に食べ終わると、割り箸を折って空の弁当箱に入れ、木のぺラッとした蓋をかぶせて、手を合わせる。それから、再び水筒の緑茶をついで、一口すすった。会議室の窓のすぐ外には、枝がしなるほど花がついた桜の木が見える。鉄筋コンクリート七階建ての本社ビルの五階から見えるとは、よほど立派な株なのだろう。花も実に見事だ。それを眺めながら、もう一口飲むと、目を細め弾んだ声で言う。
「合一祭が近いな」
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