勇者は俺!魔王も俺!?

上井 椎

第1章 魔導士村の落ちこぼれ剣士

第1話 霧のむこうのふしぎな村

 白い世界に、一本の線が入る。線はたちまち数を増し、真っ白な紙の上に一つの世界を生み出す。マントに鉢金、手には剣。勇者然としたそのイラストに、耕平は満足気に口の端を上げた。


「――柴田くん!」


 突如名前を呼ばれ、耕平は落書きしていたプリントを表に返して顔を上げる。

 黒板の前に立ち、耕平の方を見ているのは学級委員の男子生徒。運動部に所属し、成績も良く、人望も厚い。耕平とは正反対の人種だ。


「――柴田くんは、それでいいかな?」


 なんでわざわざ俺に確認を取るんだ?


 文化祭の話し合い中に落書きしていたのが、目に入ったのだろうか。

 耕平としては、文化祭など別にどうでも良かった。決められた役割を、迷惑にならないようにこなすだけ。文化祭なんてものは、友達やら彼女やらのいる、いわゆる『リア充』の行事だ。接客で人と話さなければならない事を考えると、教師の話をただ聞いているだけの平常授業の方が楽なぐらいである。

 そんな訳で文化祭にノリノリの人達が話し合っている間、耕平は配られたプリントの裏に落書きをしていた。それを咎められたのかと、耕平は思った。


 それとも、話の輪に積極的に入ろうとしない耕平を憐れんで話を振ったのだろうか。彼の性格からすればこちらの方があり得そうだが、もしそうなら、よけいなお世話と言うものだ。

 何の話か聞き返すのは躊躇われ、耕平は曖昧にうなずいた。


「あ、うん、まあ……」


 どうせ、何か意見するつもりなんてない。皆がやりたいものを手伝うだけだ。

 そう思って答えたのだが。


「それじゃあ、喫茶店の看板は柴田くんに任せよう」


 ――は!?


 文化祭の看板と言えば、そのクラスの顔だ。特にこの学校は毎年、どのクラスも廊下の壁、それからベランダの柵一面を覆う大きな看板を二つ掲げるのが恒例となっていた。

 それを、耕平が描く? こう言うのは、クラスの女子グループがワイワイとやるものだ。間違っても、休み時間を教室の隅でプリントの裏に落書きして過ごしているようなやつの仕事じゃない。そもそも、一人で描けるようなものじゃない。


「何かあったら、声を掛けてくれれば手伝うから」


 学級委員の彼も同じ思いなのか、心配気な様子で付け足した。……その「声を掛ける」と言う動作が耕平にとってどんなにハードルの高い作業か、優等生の彼には想像も付かないのだろう。


「やったー! 楽しみにしてるよー、柴田ー!」


 教室の反対側、窓際の席から女子生徒の声が上がる。クラスの中でも特に派手な、いわゆるギャル系の女子生徒が、耕平に手を振っていた。耕平の苦手なタイプだ。


「真里奈、なんで柴田なんか……」

「えー。だってあいつ、絵上手いじゃん。このクラス、他に美術部いないし」

「柴田って美術部なんだ。美術部員の本気出しちゃう?」

「せっかくだから、他のクラスと差つけて欲しいな」


 クラスメイト達が思い思いに話す声が聞こえてくる。どうやら、あのギャル子が耕平を推薦したらしい。

 絵が得意と言っても、耕平が描くのはキャラクターイラストばかり。普段はどうせ裏でオタクだの気持ち悪いだの言っているだろうに、こんな時だけいい気なものだ。

 クラスに親しい友達などいない。体育祭の時に至っては、耕平ひとりだけ打ち上げに呼ばれず、後からその存在を知った始末だった。


 しかしだからと言って不平不満を言えるような立場でもない。女子のボスからの推薦となれば、なおさらだ。

 耕平は、生徒会に提出するデザイン案の紙を渋々受け取るしかなかった。






 日が傾き、差し込んだ西日が本棚に並ぶ漫画やブルーレイを紅く照らす。耕平は、真っ白な提出用紙の前にもう何時間も座り込んでいた。

 ホームルームが終わってからと言うものどんなデザインにしようかずっと考えているが、さっぱり思いつかない。そもそも、デザインなんて耕平の専門外だ。ただイラストが描けるだけで任せるなんて、クラスの奴らもどうかしている。

 このまま何も描けなかったら、何を言われる事だろう。例え描いて行っても、他のクラスと差を付けろと言っていた生徒達からどんなダメ出しを受けるか分かったものではない。


 プリントには、『文化祭看板デザイン案』の文字と、柴田耕平の名前だけ。その下にある四角い枠は真っ白なままだ。廊下用とベランダ用、どちらの用紙も同じ。

 白い枠をじっと見つめていた耕平は、不意にそれをわしづかみにした。くしゃりと丸まった二枚の紙を、床へと投げ付ける。


 一人で全部考えるなんて、更には他と差を付けろなんて、無茶だ。例え何か描いて行っても、きっと批判を食らう事になる。得意な分野があろうとも、それが周りの求めるものと違えば評価される事はないのだと言う事を、耕平は痛いほどよく知っている。耕平自ら目立とうと思った訳ではない。ただ、好きな絵を描いていたいだけなのに。


 制服も着替えず、眼鏡も外さず、身体と共に全てを投げ出すように、耕平はベッドに身を横たえる。

 いっそ、不登校にでもなった方が楽かも知れない。不本意な注目を浴びて、好きなものさえも否定される羽目になるくらいなら。

 モヤモヤしたものを胸の内に抱えながら、耕平は目を閉じた。






 強く身体を揺すられ、目を覚ました。とは言っても、親が起こしに来た訳ではない。地面が揺れているのだ。

 そのまま再び眠ってしまおうかと思ったが、揺れは一向に止まる気配がない。それどころか、強さを増している。

 まずい。ここまで強い揺れとなると、本棚のブルーレイが落ちるかも知れない。

 耕平は飛び起き――そして、目をパチクリさせた。


 そこは、外だった。

 辺りは霧が立ち込めていて、ここがどこなのかさっぱり見当が付かない。ベッドも、漫画やブルーレイの詰まった本棚も消え失せ、湿った地面の上に耕平は横たわっていた。


 揺れはいつしか止まっていた。起き上がろうと手を付き、違和感に気が付く。耕平の手には、白い手袋がはめられていたのだ。

 手袋だけではなかった。ズボンは制服の黒ではなく、灰色をした綿のような素材。ジャケットも赤みがかった茶色の、チョッキのようなものに変わっている。極め付けに、目にも鮮やかな赤色のマントを羽織っていた。


 ゲームか何かから出て来たような出で立ちに、耕平は唖然とする。もちろんコスプレなんて趣味はないし、こんな服を持っていた覚えもなければ着替えた覚えもない。

 夢でも見ているのだろうか。霧の漂うこの景色も、どうにも現実感がない。




 歩き回る内に、耕平はここがどこか森の中なのだと言う事を認識した。どこもかしこも木々ばかり。

 落ち葉が朽ちて柔らかくなった地面を覚えのないブーツで踏みしめ、当てもなくさまよう。霧のせいか、本当に何もいないのか、自分の足音の他には何も聞こえやしない。


 どれほど歩いただろうか。不意に、霧が晴れ視界が開けた。

 耕平は小高い丘の上に立っていた。足元には小川が流れ、その向こうには広大な畑が広がっていた。畑の合間には、何軒かずつでまとまって建つ家々。どの建物もまるでテレビで見る西欧の街並みのような様相だった。

 どこかの金持ちの別荘地帯なのだろうか。それともやはり、これは夢か。


 カン、カン、と鐘の音が鳴る。見れば、手前は学校のようだった。建物だけを見ればこれも耕平のよく知る学校とは全く異なり、洋館やお屋敷と言う言葉の方がしっくり来る。

 学校だと分かったのは、飾り気のない、乾いた地面だけの広場に十歳前後と思しき子供達が並んで立っていたからだ。それは、校庭での朝礼や体育の授業を彷彿とさせた。

 しかし、子供達が着ているのは体操着ではなく、足まで隠れるような黒いローブ。体育ではなく、お遊戯会か何かの練習だろうか。そんな風にぼんやりと思っていると、教師らしき大人の合図で一人の子供が前に出た。

 前に出た子供は、軽く両腕を上げその場に立ち尽くす。何か話しているようだが、丘の上までは聞こえない。


 突如、ぼうっと子供を丸く取り囲むように青い光の円が現れる。

 同じ姿勢で固まっていた子供は、不意に腕を振り上げた。腕が振り下ろされると同時に、砂煙が舞い上がる。


 砂煙が晴れたそこにいたのは、巨大な蛇。持ち上げられた鎌首が、ちょうど耕平の目の前に現れる。


「う、うわあっ!?」


 思わず後ずさろうとした足が、ぬかるんだ地面で滑る。


「お、わ……」


 悲鳴をあげる暇もなく、耕平は急な斜面を転げ落ちて行った。


「いてて……」


 ……と言う事は、これは夢じゃない。


 顔に被さったマントを払い、ずれた眼鏡を直して、目の前に広がる光景をまじまじと見つめる。

 両腕を広げ、ぶつぶつと呟く子供達。それを囲む光の輪、そして次々と現れる獣たち。


 ――耕平は、全くの別世界に来てしまったようだ。

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