すれ違う思い(2)


 もう嫌い! 大っ嫌い!! みんな、大キライッ!!!


 わたしは山積みされた洗濯モノに、井戸から汲み上げたばかりの冷たい水を思いっきりぶち掛け、そう心の中で何度も何度も叫びながらその洗濯物を叩きつける様にして洗っていた。そんなわたしの様子を、この洗濯場の監督者であるスカラリー・ヘッドキーパーのブーケットさんが背後から困り顔に見つめ言う。


「余りそんなに強くやられると、大事な衣服の生地が痛んじまうよ。頼むからもう少し、優しくやっておくれな……メル」

「……」

 わたしはブーケットさんの方へ振り返り見つめ、今にも泣き出しそうな思いの表情を向けた。そんなわたしを見て、ブーケットさんは再び困り顔をしてため息をついている。


「なにもそんな、泣くコトなんかないじゃないか……まったく変わった子だよ、アンタは。使い難いったらありゃしないねぇ~」

「…………」

 ブーケットさんはわたしの顔を改めて見つめたあと、肩を竦めて見せ。それから呆れ顔のまま持ち場を去ってゆく。わたしはブーケットさんを静かにその場で見送ったあと、再び涙目に洗濯物をゴシゴシと洗い始めた。


 誰も……わたしのコトなんて分かってくれないんだ! もうみんな、大嫌い! 今夜にでもこんなトコ、直ぐにでも出て行ってやるんだからあっ!!


 わたしは心の中でそう決め、洗濯物の残り全てを片付けた。そして本当はこのあと、スコッティオさんの所へ行かなければならなかったんだけど……今はとてもそんな気分にはなれなかったし、と決めたあとでは。それはもう余り意味のないことの様に思えていた。

 わたしは屋敷の回廊をこの世の終わりのような思いで悲しげにゆっくり歩き進み、それでもスコッティオさんが居る執務室へと向かっていた。でも、その途中の中庭に見える庭園を遠目に見つめ……間もなく吐息をついて、そこへ向かい足を向ける。


  ◇ ◇ ◇


 広い庭園の中心にある噴水場に、わたしは腰を下ろし。ここへと吹く穏やかな風と噴水からの適度な水分を含んだ心地良さを感じ、次第に気持ちも落ち着きを取り戻し始めていた。


「メルー!」

 その噴水の水辺で独り、ほぅ……としていると。遠くから誰かがわたしの名前を呼んで走って来るのが分かった。


 あの声はきっと、シャリルだ! 


 思った通り、シャリルが右手に何かを持ち、左手で振り振りしながら笑顔でわたしに向かい急いで近づいて来る。わたしはそんなシャリルを見て、なんだか急に嬉しくなり思わず満面の笑みで立ち上がって出迎えた。


「ファーがね。ここにメルが居る、って教えてくれたの!」

「え? あの、ファーさんが??」


「うん! それよりもメル、こんなトコで独り何をやっていたの? もう、今日のお仕事は終わり??」

「……ぅ、ぅん…」 


「え? どうかしたの、メル? 元気のないメルなんて、メルらしくないよ」

 シャリルは右手に持っていたバスケットを近くに置くと、わたしの隣へ心配そうな表情を浮かべ座る。

 わたしも遅れて元気なくまた座り直し、俯いた。


「本当に……どうかしたの? 何かあったの、メル」

「……」

 わたしはしばらくの間、黙ったまま独り悩み続けていたけど。思い切ってシャリルに打ち明けることに決めた。それも真剣な表情で。

「わたしね……実を言うと今晩、この屋敷を抜け出そうかと思って、ここで密かに計画を立てていたの……」

「――え?」


 シャリルは思ってもみなかったらしく、とても驚いた表情をわたしに向けていた。わたしはそんなシャリルから目を反らし、眉間にしわを寄せ真剣な表情のままで正面を見る。そんな表情のシャリルを見つめていると、自分の気持ちが揺らいでしまう気がしたから。


「だって! 皆イジワルだし、スコッティオさんもわたしのことなんて何も分かってくれようとさえしてくれない! レディーズメイドのエレノアなんか、まるでこのわたしのことを目の敵にでもしているみたいに相当ヒドかった。もう、みんな大嫌い!!」

「イジワルって……まさかメル、あの三人組みから意地悪をされているの?」


「うん、そうよ! あの三人なんて卑怯だし、人として最低だし、ろくでなしの人間性まるでなしもいいところね! つくづくどうしようもない、クズ虫共だと思ったもの!」


 わたしは力一杯、あの三人の顔を思い浮かべながらそう言ってやった。

それを隣で聞いていたシャリルは、思わず、だったのか?吹き出し笑いながらも慌てて口を押さえている。

 わたしはそんなシャリルを見つめ、小さく同じく吹き出し笑い。それでシャリルは我慢ならなくなり、結局わたしと一緒に大いに楽しく笑い合った。


 だけど……わたしは間もなく笑うのを止め、再び顔を俯かせ、真剣な表情をする。

「でもね……それ以上にキズついたのは、あのエレノアもスコッティオさんもこのわたしの方ではなく。あのろくでなしの三人組の肩を持っていた、ってことの方なの。

そのことが何よりも深くキズついた……」

 わたしはそこで、ほぅとため息をつき、元気なく更に繋げた。

「わたしはそれで今、自分の人生の不運をここで絶望した心に支配され、暗黒の思いで呪い続けていたのよ……。

神様はやっぱり、わたしのことなんか本当は大嫌いで、きっとまた意地悪をしているに違いない! わたしはここで、そう悟っていたの。 

ね、シャリルもそう思うでしょう?」


「それは……メルの勘違いなんじゃないかと、私には思えるんだけど……」

 シャリルは困り顔にも苦笑い、そう返していた。

「勘違い? そんなことないよ! きっとそうであるに違いないんだから! だって今までが今まで、いつだってそうだった。だからわたしは、今晩にでも『こんな所なんか出て行ってやるっ!』って、そう心に決めたの!」

「……メル、それは待って…」


 それまで黙ってわたしの話を聞いてばかりいたシャリルが、途端に驚いた表情を見せたかと思うと。次第に元気をなくし、俯いていた。それからわたしの方を横目で悲しげにそっと見つめ、ため息をつき。口を小さく開いてくる。


「でもね……メル。そうするとメルと私は、もうこれまでみたいに簡単には会えなくなるかも知れないよ。メルはそれでも良い、って……そう思って、本気でそう言っている?」

「……え?」

 涙目にシャリルからそう問われ、わたしはこの時になってようやく、そのことに気づいた。冷静に普通に考えたら直ぐに分かることだったけれど。怒り心頭で、感情ばかりが先に立っていたからそんなことはまるで頭から抜け落ちていた。

 そのことに気がつき、シャリルの悲しそうな表情を見つめてようやく申し訳ない気持ちに変わる。


「シャリル……ごめん。わたしね……」

 わたしはシャリルを見つめ、そして俯きながら言った。

「きっと親友としては失格ね……今の今まで自分のことしか、まるで頭になかったのよ。本当に、心の底からごめんなさい。シャリル……」


 シャリルはわたしのその言葉を聞いて、ようやく笑顔を見せてくれた。

「じゃあー! もう二度と『出て行く!』なんて言わないよね? メル!」

「うん。もう言わない! というか、そうと決まればむしろあの三人組の方をここから追い出してやるんだからあっ! こーんな感じで『ガツン―☆』とねっ!」


 それを聞いて、シャリルは「なんだかとてもメルらしい~♪」と小さく笑っていた。だけど直ぐに「でも、それは流石にやり過ぎなんじゃないかなぁ?」と苦笑い言う。

 わたしはそれを聞いて肩を竦めて見せ、「まあ……それもそうね?」と澄まし顔に言い。

「他人からされて自分が嫌なことだと感じたことを、相手に仕返しするなんて。とても最低なことだと、マーサから以前に教わっていたしね? わたしだって、あんな最低な人間にだけはなりたくないから、それは諦めておくことにする……」

と本当に諦め顔に頬杖をつき、ため息混じりでそう言ってやった。


 シャリルはそれを聞いて、ほっと安心した表情を見せている。

わたしはそんなシャリルを横目にそれとなく見つめ、何だか不思議と心が穏やかになるのを感じた。そして自然と笑みが零れる。

 シャリルもわたしに合わせて笑顔を見せ、間もなく二人でばかみたいに笑い合った。


「――あ! いけない!!」

 笑っている途中で、わたしは急にあることを思い出し立ち上がった。

「わたし、スコッティオさんのところへ本当は行かなくちゃいけなかったのよ! だけど……もうだったから、このまま行かないで置こうと思っていたんだけど。事情も変わっちゃったしね? 

でも……余り行きたくないな…どうせ叱られちゃうだけだもん」


 それを聞いたシャリルは目を丸くして立ち上がり、「早く、急いで行かなきゃダメだよ!」

 と言いながらも、再び座ってその場でため息をついていたわたしの手を取って急かして来る。

 だけどわたしには、それがよく理解できなかった。


「何を落ち着いているの、メル! どうしてそんなにも落ち着いていられるのっ?!」

「あはは♪ そんなにも急がなくたって、きっと大丈夫よ。……多分ね?」


「……たぶん?! もうー! 他人ひとごとじゃないんでしょうー、ホラ! 今すぐに、急ぐのよぉ~~!!」

 わたしはシャリルから手を思い切り引っ張られ、仕方なく立ち上がる。

「約束の時間から、今でどのくらい経っているの? メル!」

「ン~……まだたったの二時間くらい、かな?」


「――!? もうー! どこが《たった》よっ!! 二時間も……お願いだからホラ、急いで! メル!!」


 呑気に構えていたわたしとは対照的なほど、シャリルは表情も青ざめた様子でわたしの背中を懸命に推していた。流石のわたしもそれで申し訳ない気持ちになり、行く決心をする。


「うん、わかった! じゃあー急いでこれから行ってくるから!!」

「あ、うん! ……あ、待って!」

 わたしがそれで行こうとすると、シャリルが途中で呼び止め足元に置いてあったバスケットをわたしに差し出して来た。

「本当はここで、メルと一緒に食べようと思っていたんだけど。今日はもう時間がないみたいだし、コレはメルがこのまま持って行って! あとで時間がある時にでも、慌てずゆっくりと食べてね♪」


 渡されたバスケットからは、とても良い匂いがしたので気になり上に被せてあった布を指先で摘んで持ち上げ中を覗いて見ると。サンドイッチや美味しそうなお菓子などが驚くほど沢山入っていた。

 それらはとても、メイドであるわたしなんかが口に出来るものではなかった。


「ダメよ! こんなに沢山の貴重な食べ物もらえない!」

「いいの。わたしがそうして欲しいんだから♪ あとで遠慮なく食べてね!」


「だけど……」

 わたしはそこでしばらく思案し、良い事を思いついた。

「じゃあ……今から二時間後くらいにまた、ココで会いましょう! その時までこれはわたしが預かっておく。そしてその時に、ここで一緒に食べるの! 

どう、シャリル?」

 シャリルは一瞬、思ってもみなかったらしく。とても驚いた表情をしていたけれど、間もなく満面の笑顔を見せてくれた。


「うん♪ じゃあーメル、約束っ! 二時間後に、ここね?」

「うん! 二時間後に、ここで!」

 お互いにそこで笑顔を見せ、わたしはそのバスケットを片手に持ち、もう片方の手を振り振りしながらシャリルと別れた。


 だけどこの時の何気ない約束が、このあとに巻き起こる大変な事件へと発展していくなんて……この時のわたしには、想像すら出来ないことだった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る