第3章 人外転生主人公
第24話 「第一回主人公会議」
俺は水筒の蓋にお茶を注ぐ。純和風、緑茶の薫りが漂う。少しぬるめぐらいがこの辺りの肌寒い朝にはちょうどいい。うまい。
さらにリュックから出した菓子パンのビニールをパリッと破った。どこにでも売っているようなものだが、この安っぽいパンの匂いが俺は嫌いではない。
かぶりつく。ソーセージから素朴な肉な旨味があふれ、俺はウンウンとうなずく。菓子パンって本当に進化したよね。クオリティ高い。
朝の新鮮な空気に、わずかな土埃が交じる。商隊の馬車がそろそろ街路を行き交う時間になったのだろう。俺は菓子パンと水筒のお茶を持ちながら、仁王立ちで道の先を眺めていた。
「ああ、異世界情緒にあふれているなあ」
「どこがよ。完全に出社前のサラリーマンの朝食じゃないの」
後ろからリルネのツッコミが飛んできた。
自由都市群ラパムの街道には馬車を止めるスペースがあちこちにあり、その一角に俺たちはいた。
***
テスケーラを出た翌日のことだ。俺とリルネとスターシアは今後どうするかについて、馬車の中で夜、会議を開いた。
「それでは第一回
あの化け物が使っていた
俺がクリップボードを手に口火を切ると、リルネは首を傾げる。
「なんなの改まっちゃって。それに主人公会議って」
「ま、なんでも名前は必要だろ。それにここで会議したことはちゃんとメモっておこうと思ってさ」
ランタンの火が揺れて、俺たちの影を壁に映している。夜は少し肌寒い。スターシアはメイド服の上からブランケットを羽織っていた。
スターシアに関しては『自分は皆様の寝床の準備を……』と言っていたのを引き止めて、参加させた。今さら言うまでもないことだが、スターシアだって大事な俺たちの仲間だからな。
リルネが手持ち無沙汰に自分の銀色の髪をいじりながらつぶやく。
「なんかあんた、そういうところ本当に元サラリーマンって感じよね」
「今からやるのは形だけだけどな。それにチームとしてはやっぱり、これからの方針を共有しておかないとな」
「いいと思うわよ。で、なにについて話すの?」
「ええとな」
俺はクリップボードに目を落とした。馬車で走っている最中に、思いついたことをメモっておいたんだ。
「とりあえずは、これからどうするか、ってところだな」
「『どうするか』って、ちょっと議題広すぎじゃない?」
「まずはルートからいこう。このまま南下して、自由都市群ラパムを越える。その後、ポライノフ共和国に入って、道沿いにヴァルハランドの塔を目指す。入国は大丈夫か?」
「ポライノフは出入りが比較的緩やかだから、平気よ。もともとは西方四領や旧帝国からの移民によってできた国だからね」
「授業で習ったんだな、ありがとう、リルネ」
「どういたしまして!」
リルネに思い切り睨まれた。
それはそうとして、入国ができないかもしれないという懸念はこれでひとつ楽になった。この世界は街に入る手間はあっても、国に入る手間はほとんどないのかもしれない。国境線をしっかりと警備するような感じじゃないんだろうな。
少しずつリルネに教えてもらっているものの、俺はこの世界の文化についてほとんど知らない。だからひとつずつ覚えていかないとな。
「じゃあえっと、まずひとつ目はクリアー、っと」
「次はなに?」
「うん、実はもうちょっと移動速度をあげたいな、って思っててさ」
理由は、グロリアスから聞いた俺たちの追っ手がいるってことだ。
テスケーラの街ではティリスやグロリアスたちが守ってくれたが、外に出たらそうもいかない。自分の身は自分で守らなければ。
もちろんリルネなら並の追っ手程度は蹴散らしてくれるだろう。だけど、わざわざ事を荒立てたいわけではない。リルネだって同じイルバナ領の仲間と戦うのは心苦しいだろう。もし追っ手が刺客に変わってしまったら最悪だ。
「……な、なによ、こっちをじっと見て」
「いや、まあ、俺の思いやりだよ、お前への思いやり」
「そう……。よくわかんないけど、ありがと……?」
釈然としない顔で礼を言うリルネ。彼女はそのまま指を立てる。
「といっても、どうするの? マリーゴールドに無茶をさせて日数を稼いだところで、そんなに急いでいたら逆に怪しまれない? 馬は街につくたびに代えていけばいいんだろうけど、目につくと思うわ」
「お前、せっかく名前つけたのにけっこうドライなこと言うんだな……」
元ウマ美ことマリーゴールドは、そこらへんで草を食んでいるだろう。きょう一日働いてもらったが、素直だけどビビリなところがあるとか。夜の道や街道から外れた道はあまり走りたがらないだろうというのが、スターシアの話だった。
「いや、なるべく人目に触れることは避けていきたいと思う。だから、これからは極力どこにも寄らないようにしよう。そうすればただまっすぐに南に向かうことができる。日数は相当短縮できるぞ」
「そんなこと言ったって、補充しなきゃいけない物資はあるでしょ。水は出せるけど、食料だっていつまでも保存食だけで生きていくってわけにもいかないわ」
スターシアもおずおずと手を挙げる。
「あの、でしたらわたしが獣を獲ってきます。罠の作り方は、多少昔教わったことがありますので……」
「ダメよ。結局時間がかかることには変わりないでしょ。って、ああ、違うの! 別にシアが悪いってわけじゃなくて! 今回のジンの話には不向きなだけで!」
しょんぼりと肩を落とすスターシアを、必死にフォローするリルネ。アンタのせいよと言わんばかりの目で睨んでくるリルネに、俺は軽く両手を挙げた。
「まあまあ、食料を調達するなら、もっと手っ取り早い手段があるじゃないか。安い、早い、そして旨い、だ」
「そんな都合のいい方法あるわけないでしょ。あたしだって手から魔法でパンを出せるわけじゃないのよ。そんなのは誰だって同じ……」
そこでリルネは言葉を切った。気づいたらしい。
「……あんたが調達してくるの?」
「ご明察」
俺は大仰にうなずいた。
せっかくだ。俺の異世界を『行き来できる力』を有効活用しない手はない。
「陽が落ちるまで馬車で走って、その日の寝床に到着したら、適当なところに水を張って俺があっちの世界に戻る。そんで、24時間営業のスーパーにでもいって適当に食材を買い込んでくるから、それをスターシアに料理してもらおう。という感じでひとつ」
リルネはなにやら腕組みをして、静かに首を振った。
「会議っていうか、最初からあんたが全部考えていたんじゃないの」
「まあまあ、今回の議題はこれだけだしな。リルネやスターシアも話したいことがあったらなんでも言ってくれて構わないからな?」
するとスターシアがニコニコしながら。
「わたしのほうからは特にありません。ジンさまは先のことを見据えていて、とてもすごい方ですから、わたしはなにも心配していません」
「いや、まあ、そんな大したことないよ、本当に、マジで」
そうやって全幅の信頼を寄せられると、ちょっと恐縮しちまうな。もちろん、嬉しいんだけどさ。
「リルネはどうだ?」
「……そうね、とりあえず今のところはないわ。あんたがちょくちょく元の世界に戻るのは、ちょっと心配だけど」
「え、なんで?」
純粋な疑問で尋ねると、リルネはむっとしたような顔をして頬を膨らませた。その頬に赤みが差す。え、なんすか?
リルネはそっぽを向いてつぶやいた。
「……あんたの貯金がなくならないかどうか、よ」
「三人分の食費ぐらいじゃそうそうなくなんねえよ!」
リルネが本当はなにを言おうとしていたのか、そのときの俺にはわからなかった。
というわけで第一回
***
問題は、現代に戻るときに誰かに見られてしまわないか、ということだ。
けれど住宅地のど真ん中――用水路のそばに降り立ったというのに、今回も目撃者らしき人影はなかった。たまたまラッキーが毎回続いているのか、あるいはこの能力のときは誰にも見られることはないのか。
夜だったというのもあるが、もしかしたら後者かもしれない。なのに異世界に行ったときはリルネに見られちまったんだよなあ。それも
とりあえず俺は家に財布を取りに行く。あっちの世界ではだいぶ移動しているのに、水面から飛ぶといつも家の近くに出るのはありがたいな。
暗証番号つきの郵便受けに鍵を放り込んでいたから、それを回収して、と。
久々に家にあがると、なんだか埃っぽい気がする。留守にしていたのはたかだか二週間ぐらいだったのにな。
暗い中、財布を取りにいく。ええと、どこにしまったかな。ああ、押し入れの中か。
手探りでなんとか見つけ出した。財布を尻ポケットにしまい、俺は部屋をあとにする。これから三日に一度ぐらい日本に帰ってくるなら、財布はもう異世界に持っていったほうがいいかな。いや、紛失するのがこわいからやっぱり置いていくか。小銭入れと分けておこう。
俺は部屋を出ようとして、ふと月明かりが差し込む中、違和感を覚えた。
「……ん?」
あれ、俺の部屋ってこんな間取りだったかな。
ゴミを大掃除したから忘れているだけだろうか。でも、三年も住んでいたのにな。この部屋が自分の部屋だという実感が急に乏しくなってゆく。なんだろう。大家さんが勝手に入ってなんかしたとか? いや、さすがにそれはないよな。
しばらく腕組みをする。電気を止めているため、明かりをつけようとしてもそれはできない。うーん……。
考えてもよくわからないな。まあいいか、今はさっさと買い物をしてあっちの世界に戻ろう。
俺は財布から一万円を抜き取り、小銭入れに入れる。鍵をかけて部屋を出た。鍵は郵便受けに投函しておく。さて、買い出しだ。
スターシアに渡せばたいていのものはおいしく作ってくれるだろうが、野菜を持ち帰るのは少しだけ躊躇っちゃうな。いわば外来種だし、その土地の生態系を崩してしまうかもしれない。
洗ってあるカット野菜のパックを買っていくとするか。あとは適当に肉と……。
そんなことを思いながら俺はスーパーに寄って、適当な食材を買い物かごに突っ込む。ついでに目についた菓子パンも、なんとなく食べたくなったので買う。食糧調達はこれにて完了。金さえあれば、現代日本ってすげー楽だな。なんて手っ取り早い狩りだ。
俺は鼻歌交じりに帰路につく。帰路というか、目についた水辺に飛び込めばいいだけなんだが、水面にも飛び込みやすいのと飛び込みにくいのがあってだな……。
俺がのんびりと吟味していると、だ。周囲を見ていなかったのが悪かった。後ろからやってきたトラックにはねられそうになってしまい、慌てて飛び退く。
「ひえっ」
ひやっとした。そういえば現代日本でも人が死ぬ可能性はあるんだな……。気を付けないと。俺は胸の高鳴りをごまかしながら、改めて異世界を映し出す水面に飛び込んだのだった。
異世界に戻ってくると、リルネが待っていた。
リルネに魔法で穴を作ってもらい、そこに水を張ってもらったのだ。どこでも転移装置の完成である。魔法ってマジ便利。
俺の異世界転移の方法は、基本的に水面から水面の移動となる。近くに適当な水面がないと転移ポイントも限られるようだ。というわけで、リルネは俺の出待ちをしていたのだろう。
「どうかしたか?」
俺はスーパーの袋を片手にリルネに問う。
彼女は退屈そうにしゃがみ込んで、頬杖をついていた。もう寝る寸前なのか、寝間着に着替えて乾いた髪を下ろしている。いつもよりなんだか子供っぽい印象を受けた。
「別にぃ……、便利だな、って」
「まあな。なんか俺だけすんなり行き来できて、申し訳ない気もするけど」
「構わないわよ。あっちの世界に未練なんてないし。食べたいものならたくさんあるけど、それならあんたが持ってきてくれるわけだ」
「はいはい、デリバリーは任せてくれ」
やれやれとつぶやく。なんだかリルネの表情が固いな。どうかしたんだろうか。俺は彼女の気持ちを和らげるようと、軽く得意のジョークを披露する。
「そういえばなんかさっき、帰ってくる途中トラックに轢かれそうになっちまってさ。このまま死んだらら本当の意味で異世界転生しちまうのかなーなんて、アハハ」
誘い笑いの声をあげていると、突如としてリルネに胸ぐらを掴まれた。
怒らせるほどにつまらなかったんすかね!?
しかし、なんだかそんな感じではなかった。リルネは俺をキッと睨みつけたまま結んだ口元をぴくぴくと震わせている。
「あんたねえ! そういうことよく平然と言えるわね! あたしやスターシアの気持ちを考えたことあるの!?」
「えっ?」
気持ちって……、なんだそれ。
俺の頭が急速に冷静さを取り戻してゆく。
「いや、俺は別に」
なにも考えていなかった。だってこれが、一番いい方法だと思っていたから、別に心配することなんて……。
リルネは俺の胸を叩く。
「あんたがそっちの世界でなにをやっているかなんて、誰も知らないんだからね。車に撥ねられようが、どうなろうが、あたしたちにはわからない! あんたの帰りをただずっと待つだけになっちゃうんだから! それがわかってる!?」
「それは」
俺はハッとした。
確かにそうだ。リルネの言う通り、向こうとこちらの世界では連絡手段はない。
もし俺があっちで死んだら。そうじゃないにしても、例えば車に轢かれて病院に運び込まれたら、その間、リルネたちはもとの場所を動けない。きっとひどく心配をかけてしまうだろうし、もっと単純に言えば大幅な時間のロスとなる。これでは買い出しの意味もない。
現実世界の方では、そんな危ない目に遭うはずがないだろうと思っていたのだ。俺は頭をかく。彼女たちを安心させるようなことは、なにも言わなかった。
申し訳ない気分だ。こんな落とし穴があったなんて、気づかなかった。
「なんか、ごめんな」
「別にあたしはいいんだけど! シアがすごく心配していたからよ! だからあんたを怒ることにしたの! あんたが帰ってこなくなっちゃうぐらいだったら、あっちの世界のご飯だって我慢するんだから! もっと買い出し係としての自覚を持ちなさいよね!」
「その自覚はよくわかんないが……、うん、俺が悪かった」
俺はリルネのサラサラの銀髪を撫でる。リルネはいまだ不満そうに頬を膨らませている。
「あんたはホンットに、自分の体に関しては無関心なんだから」
「そういうつもりではないんだけどさ。まあ、今回の件は俺が迂闊だった。反省する。これからは車にもちゃんと気を付けます。戻ってくる時間も決めたほうがいいな。第二回
しばらく尖った目をしていたリルネも、ふっと息を抜く。「まあいいわ」とつぶやき、彼女は少し機嫌を直してくれた。
「さっそく、晩御飯にしましょ」
「おう。明日の朝には菓子パンを買ってきたからな。楽しみにしとけ」
「なにそれすっごく楽しみなんだけど。今から食べましょう」
「明日の朝だっての!」
こいつホント食い意地張ってんな……。
と、俺はリルネとテントに向かおうとして立ち止まった。
「そういえばさリルネ、お前こないだ俺になにかしなかった?」
「……え? なにか、って?」
「いや、俺が寝ている間にさ」
リルネが硬直した。ピンと背筋を伸ばしながら振り返ってくる。その顔にはなにか冷や汗が浮かんでいる。
「と、特には知りませんけど……」
「いやお前なんか隠してないか? ははん、さては俺の寝ている間に顔に落書きとかしたな? ったくイタズラっ子め」
「してないってば!」
「だったらいいよ、あとでスターシアに聞くからさ」
「そんなことをしてみなさいよ。あんたを必ず殺すわよ」
「なに言ってんだよお前! こええよ! やめてくれよ、突然の殺意は!」
いったいこいつ、俺になにをしたんだ……。気になりすぎる……。
レントゲン取ってみたら、腎臓が片方なくなっていたとかじゃないよな……、こええ……。
俺は真っ赤な顔をして俺を睨みつけてくるリルネから顔を背けた。真実の探求よりも命が大事だ。背中に突き刺さる視線を無視して歩く。早くスターシアに癒してもらわないと、とてもじゃないが耐えられない。
本当はリルネに「あのとき俺にキスしなかった?」とか尋ねようとしたのだが、とてもそんなことを聞ける場面じゃないよな。だいたい俺も、そんな夢を見ていただなんて知られたら恥ずかしいし……。
それに、リルネみたいな美少女が俺にそんなことをするはずないしな。あいつはもっとイケメンでリア充な男を選ぶだろう。そうに決まっている。
かくして、俺たちマリーゴールドが引く馬車ご一行は、順調に旅を続けてゆくのだった。
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