第23話 「とっくにバレてんのよ」


 夜の第四区の広場には、火が燃え盛っていた。


 組まれたやぐらは第四区のみんなが用意したものだ。黒煙は高々と、風に吹かれることもなく真っすぐに立ちのぼってゆく。リルネが場の風属性を調整しているのである。


 約束通り、第四区の祭りが催されていた。みんなが不用品を燃やすぐらいのささやかな祭りだが、火を見つめる人々の顔はいつもより安らいでいるようだった。


 肩を組んで酒を煽っている男たちや、次々と火の粉を拾い騒いでいる子どもたち。なにもせずその風景を眺めている老人たち。さまざまだ。


 本来なら独立祭の翌日にやるはずだった祭りは、俺とクライが回復するまで延期してもらっていたのだ。なんだか悪いな。


 俺は広場の端っこで、この日のために用意したらしいエールをちびちびとやっていた。


 第四区でこれほどデカい火を焚くのは色々と問題があったらしいが、その辺りは聖女の取り計らいで丸く収まっていた。


 その代わりってわけじゃないが、この場には何人かの騎士と、さらに聖女の騎士グロリアス、その上かの聖女サマがお忍びでいらしていた。前代未聞、異例の事態らしいが……、ま、戦い終わった祝勝会みたいなもんだ。


 俺は先ほど、グロリアスより掛けられた言葉を思い出す。


 それは機密情報らしいのだが……、どうやら、リルネお嬢様はテトリニ領から指名手配されているらしい。


 もちろん屋敷に残してきた書き置きの通り、クルスの娘であるリルネが生きていることは周知の事実だ。問題は領地をそのままにして出奔したリルネをただちに連れ戻し、その責任を取らせるべきだという意見が多くあがっていたらしい。というか、追っ手はすでに放たれていた。


 自由都市群ラパムに入るのが数日遅ければ、俺たちはテトリニの検問に引っかかっていたのだろう。急いで正解だった。


 グロリアスは今回、テトリニよりやってきら追っ手の兵士からリルネの存在をかばってくれたらしい。ティリスさまを助けたお礼のだってさ。


 お嬢様がこんな第四区なんかにいるはずもないから、兵士も詳しく調べに来ないのだろう。


 だからといって街に長居はできない。グロリアスやティリスにも迷惑をかけちまうからな。


 俺たちは明日の朝早く、経つ予定だった。


 この夜のお祭りは、街に別れを告げるための儀式みたいなもんだな。




 聖女ティリスとクライ、それにウォードとレニィの幼馴染四人組は、並んで座りながら火を眺めている。どんな話をしているかはここからじゃわからないが、きっと長い時間を埋めるようななにかだろう。


 その中でクライは楽しそうに声をあげて笑ったり、ティリスと話して顔を赤らめたりしていた。


 俺にも若い頃があったな、と少ししんみりしてしまう。


 あんな風に、いつまでも一緒にいれると思っていた友達もいた。紛れもなくあの時の俺たちは、世界の中心に立っていたんだ。


 自分が物語の主人公だと思っていたそんな気持ち。それはまだこの胸に、かすかに残っている。


「なにたそがれてんのよ」


 俺の頭を下から小突いてきたのは、リルネだ。彼女も手にエールの入った木製コップを持っている。


「おいおい、いいのかよ未成年。クライたちみたいにジュースにしとけよ」

「いいに決まっているでしょ。この世界に法律なんてないし。あったとしても、あたしは合わせて三十歳なんだから誰にはばかることなんてないわ」

「問題は実際にアルコールに耐えられる体ができているかどうかの話なんだが……。お前の年齢の話、本当に都合がいいよな……」


 火に照らされたリルネの頬が赤い。本当に大丈夫かよ。


「スターシアは?」

「奥でなんかの肉をさばいているわ。人手が足りないから手伝っているんだって」

「ふうん……、ま、今回は、スターシアにずいぶんと助けられたな」

「そうね、あの子の目は頼りになるわよね」


 リルネは微妙に含みをもった言い方だった。それがなぜかはわからないが、もうこの街にはとうぶん化け物が現れないというのは、スターシアのお墨付きだ。


 俺はエールに口をつけた。リルネも同じようにコップを傾ける。しかしリルネだけが思いっきり顔をしかめた。


「ニガい……」

「そりゃあなあ」


 日本で飲むビールはずいぶんと飲み口が爽やかで飲みやすかったものだ、と俺は思い返す。このエールはやはり麦の香りが強すぎる。


「仕方ないな」


 俺はよいしょとリュックサックを下ろした。その中から缶チューハイを取り出す。リルネは目を丸くした。


「あんた、いつのまに元の世界に戻ったの?」

「みんなが祭りの準備をしている間にな」


 本当は第四区の人たちに土産として持ってきたつもりだったんだが、まあいいか。


「エールが口に合わないんだったら缶チューハイにするか? つまみもあるぞ」


 リルネは俺の方を見てごくりと喉を鳴らした後に、すぐ押し黙った。スカートの裾を押さえながら、小さく首を振る。


「……いい」

「え?」


 予想外の事態だ。リルネが日本から持ってきたものを食べたり、飲んだりしたがらないなんて!


「お前、どこかおかしくなったのか……? まさか、過酷な戦いの中で!」

「どういう意味よそれ。別に、飲みたくないわけじゃないわ。でも……、あたし今回、あんたたちみたいに役に立たなかったし……」

「え、ええ?」


 リルネは拗ねたように顔を背ける。


「ジンやクライが何度もループしているってこともさっぱり知らなかった……。こんなあたしが、ポテチや缶チューハイをもらうなんて、そんなのおかしいっていうか……。やっぱり働かざるもの食うべからずだと思うし……」

「いやいや、お前は十分役に立ったよ。最後の作戦だって、お前がいなかったら成り立たなかったし」

「……本当に? 本当にそう思っている?」


 ちらりと横目でこちらを窺うリルネに、俺はぶんぶんと勢いをつけてうなずく。


「もちろんだ。俺もクライもお前には感謝している。それに俺は……」

「……俺は?」


 俺の胸元から上目遣いでこちらを窺ってくるリルネ。俺はなんだか恥ずかしくなって一旦は口を閉じる。だが、落ち込んでいるリルネを励ますために、その先を言うことにした。


「俺は、お前やスターシアがいてくれたから、がんばれたんだよ。ひとりだったら、たぶん無理だった。だから……、ありがとう。何度ループしても、お前は俺の力になってくれたよ。嬉しかった」

「……なによ、それ」

「本当のことだよ。だからなんだろう、今回のこれは……、俺のお礼、というか」

「……し、仕方ないわね。そこまで言うならもらってあげるわよっ」


 リルネは勢いよく缶チューハイのプルタブを開けた。男らしく煽るその姿に、ちょっとだけ心配になる。おいおい、大丈夫か。


 口元を拭うと、輝くような銀髪を揺らしながら彼女はようやく笑みを見せた。


「なに不安そうに見てんのよ、大丈夫だってばこれぐらい。それよりあんたも飲みなさいよ、ほら。女の子ばっかり飲ませているんじゃないわよ」

「お、おう。なんだお前、絡み酒か? それはそれで面倒なやつだな……」


 俺はリルネの分までエールを胃に流し込む。熱い液体が食道を伝い、全身にアルコールが染み込んでゆくようで心地よい。


 ふと視線を転じると、両腕にギブスをつけたグロリアスが部下の騎士からエールを手渡されていた。彼は受け取ると、まるで水のようにそれを飲み干す。顔は相変わらず厳めしいが、リラックスしている雰囲気だということはわかった。



 俺たちと一緒に行かないか、というその申し出を断ったクライは、言った。


『僕は、聖女の騎士になる』と。


 しばらくの間、グロリアスの両手が使えないこともあって、彼は新しく従騎士を求めていた。そこにクライとウォードが声を掛けられたのだという。


 どうするべきか迷っていたクライは、自分が今一番そばにいたい人のために戦うことを決めた。ウォードもそれに同意したようだ。


 クライの想いの強さに、俺たちはそれ以上彼を誘おうとはしなかった。


 俺とリルネが端っこで酒を飲んでいると、クライとウォードがやってきた。彼らの顔も赤い。おい、お前らも飲んでんのかよ。


「ごめんなぁ、ヴァルゴニス閣下ぁ」

「わっ、ちょっとなんなのあんた、べたべたしてこないでよ!」


 へろへろのウォードがリルネの肩に腕を回そうとする。リルネはその腕を避けて俺の後ろに隠れた。がるるると牙を剥いている。


 ウォードは両手を合わせて頭を下げた。


「オレも閣下たちと行きてえんだけど、さすがにレニィとクライを置いてくわけにはいかねえからさぁ……」

「僕は別にひとりでも平気だよ」

「な? クライはいっつもこう言うけどよ、こいつオレがいねえとホントなんにもできねえからさ。せめて一人前になるまでにはそばにいてやんないとさ、な?」

「うっさいな……。僕がいないとなにもできないのはお前のほうだろ」

「ったく、素直じゃねえんだからなあ!」

「バカ、やめろ!」


 ウォードはクライの頭をわしゃわしゃとかき混ぜる。そのふたりの仲の良さに思わず笑いがこみあげた。


 これが本来の第四区の姿なのだ。


 俺とクライと、そしてみんなで取り戻した平和だ。


 ウォードを払いのけると、クライは真剣な顔をして俺に手を差し出してきた。


「すべてジンさんのおかげだよ。ありがとう」

「オッサン呼びはもうやめたのか?」

「そうだね、これからは敬意をもって呼ぶことにしようと思ってさ。色々と失礼なことを言って、悪かった。あなたがいなければ、僕は今も時の迷宮をさまよっていた」

「いいさ、気にすんな、お互い様だろ」


 俺とクライは固く握手を交わす。


「ジンさんたちが困っているなら、どこであろうとも僕は駆けつける。それが絶望から救ってくれたことに対する、恩返しだ」


 ウォードがその場にへたり込みながら、ふらふらと手を挙げて「オレもだ! オレも! 閣下のもとへ!」と酔っ払いの大声をあげる。


 俺は笑いながら。


「あんまり気張りすぎるなよ。彼女と仲良くな」


 その瞬間、クライの顔が酔っ払いのウォードよりももっと赤くなった。


「ち、違う! ティリスとはそんなんじゃ! 僕たちはただ、幼馴染っていうだけで!」

「誰がどう見ても、とっくにバレてんのよ」

「――っ」


 リルネの茶々に、クライは言葉を詰まらせる。


 この街を救った英雄はみんなにはやし立てられて、返す言葉もなく羞恥心に耐えていたのだった。




 翌日、俺とリルネ、それにスターシアの三人は南へと向かう準備を整えるために朝早くからテスケーラの第二区をうろついていた。


 目的は前々から言っていた馬車だ。それがあるとないとでは、一日の総移動距離が全然変わってくるからな。


 俺たちは馬車屋にやってきていた。ここは新車から中古車まで幅広く取り揃いているものだ。テスケーラの街は広いから色んな店があるな。


 もちろん馬は別売りなのだが、主人に頼めば馬商人も紹介してくれるらしい。


「しかしよくそんな金あるな」

「領主の稼ぎ舐めないでよね……って言いたいところだけど、屋敷の残っていたお金はほとんど送金しちゃったからね。これが最後かな」

「ほとぼりが冷めたら、金を稼ぐ手段も考えないとなー……」

「そんなの簡単じゃない。あんたが仕入れたものをいちで売り払うだけでしょ? それだけで大金持ちよ」

「仕入れるための金だって、必要なんだぞお!」


 俺が怒鳴るも、リルネは知らんぷりだ。くそう。異世界のものを持ってきて現実世界でも売るしかないのか。


「さ、じゃあ買い物上手のリルネお嬢様、お好きな馬車を選んで下せえ」


 リルネは眉根を寄せながら値札を睨んでいた。


「馬車って高いのね……。家と同じぐらいの値段がするじゃないの」

「高級外車みたいだな……」

「街から街へ移動する商人って、みんなフェラーリとかランボルギーニとか乗りまわしているようなもんなのね……。なんかイメージ変わっちゃうわ……」


 ちなみにその間、スターシアは俺たちをニコニコと眺めている。昨夜は第四区でアイドルのような扱いを受けて、めちゃくちゃチヤホヤされていた。ずっと恥ずかしがって恐縮しっぱなしだった。めちゃくちゃかわいい。


 リルネはずらっと並んだ馬車を睨みつけながら腕を組む。こいつショッピングをするときもこんな顔をしてそうだな。


「どうせヴァルハランドまでの旅なんだから、中古の馬車でいいわよね」

「でも安いのは乗り心地も悪そうだぞ」

「……そこらへんはクッションでなんとかするわ。低反発とか、ビーズとかの」

「あ、はい。内装担当は俺なわけですね」


 まあそれはそれでいいか。リルネは所持金の半分を使って中古の馬車を一台購入した。一頭立ての馬車で、四人乗りだ。


 続いて馬を購入。飼育の仕方などはすべてスターシアが知っているようで、話はスムーズに進んだ。栗色の毛をした六歳の牝馬を購入。


「名前はもう少し考えるわ!」

「はいはい、たっぷり考えて好きなのをつけてやれよ」

「ウマ子……、ウマ美……」

「よし、名前付けには俺も協力するぞ」

「ふふん、あたしよりかわいい名前がつけられるかしら?」

「まあうん、まあ、善処するよ、うん」


 馬に可哀想じゃない名前をつけてやらないとな……。



 こうして、俺たちはテスケーラの街を出発した。


 南門からさらに南へ。ヴァルハランドの塔を目指して、馬車を走らせてゆく。


 この街で過ごしたたった数日の、恐ろしく濃い思い出を胸に。


「馬車ってのは、けっこう揺れるもんだな」

「そりゃそうよ。アスファルトで舗装されているわけじゃないんだし」

「すみません、わたしも御者として頼りなく……」

「う、ううん! スターシアはよくやってくれるわ!」

「そうだな、いやあ快適な旅だ、あー快適快適ー!」


 自由都市群ラパムを覆う空は広く晴れ渡っていて、これからの旅の行く先を明るく照らしてくれているかのようだった。








 第二章 『ループ主人公・クライ』 完







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