第21話 「テイラー」


 俺のトリガーインパクトを浴びたテイラーは、苦しみながら地面をのたうち回っていた。


 先ほどまでの超然とした様子もすべてかなぐり捨てて、その服が汚れるのも構わずに。


 見苦しいまでのその姿は暴れるたびに少しずつ顔面から黒い液体が零れ落ちてゆく。それは化け物が溶けていっているかのようだ。


「イヤダ、嫌だ!」


 化け物は必死に地面を叩きながら、叫ぶ。


「マダ、我は死にたくない! イヤダ、死にたくない! マダマダ、作りたい服もたくさんあるんだ! コンナ、ところで! コンナ、低俗な人間どもに! イヤダ、殺されるなんて嫌だ! マダ、我はすべてのアイデアを形にしていない! ヤメテ、やめてくれ! モットモット、たくさんの服を作りたいんだ!」


 テイラーの絶叫だった。彼の懇願であり、彼の無念であった。


 あまりにも悲痛な、聞いている方の心が張り裂けそうなほどの、とてつもなく強い想い。


 もしこれが劇ならば、その演技は観劇するすべての観客の心を打っただろう。


 だがそれがあらゆる人を材料とみなし、その皮で作る服だというのならば、とてもではないが許容するわけにはいかない。


 リルネたちのほうもようやく終わったようだ。ひとりの犠牲も出すことなく、六匹のゾンビを燃やし、刻み、引き裂いていた。さすが、頼れる女だ。


 一方、俺は気を失いそうな意識を必死に繋いでいた。


 このままあいつが消滅してくれるんなら、おねんねしてても構わないんだが。


 テイラーのそのもがき苦しむ様を見ながら、なぜだか不吉な予感があった。


 いや、今の叫びを聞けば誰だって思うだろう。


 この化け物はすんなりと消滅するようなタマじゃないって。


「モット、もっとだ! モット、もっとたくさんの服を! モット、たくさんの皮膚を! モット、たくさんの骨を! モット、たくさんの髪を! ヨリ、上質な素材を! アツメテ、そして、我は我が欲求を満たし! ソシテ、そしてえええええええええええ!」


 テイラーは地面に膝をつきながら両手をめちゃくちゃに振り回した。


 その直後、目の前を大量の土砂が噴き上がる。


 目くらましか。俺は顔を押さえ、指の隙間からテイラーの姿を探す。


 しかしそれは目くらましではなかった。


 俺の前には大量の――、先ほどの比ではない数のゾンビの群れが、地面から出現していたのだ。



 とてつもない数だ。押し合いへし合いで、百匹以上はいるんじゃないだろうか。あまりの臭気に空気すらも腐ってゆくようだ。唖然とする。


 なんだこいつらは。どこから現れたんだ。


 もともと、潜んでいたのか?


 だったらなんでさっき、テイラーは六匹しか死者を出さなかったんだ。


 群れの奥からけたたましい叫び声があがる。


「アア、恥ずかしい! アア、なんと惨めな! アア、こんな失敗作を衆目に晒さなければならないとは! アア、ああ、だが次善! ソウ、次善だとも! ナニモ、成し遂げず、ここで命尽きるよりは! イウナレバ、これが最善だ!」


 マジかよ。こいつはあのくだらない服を自慢したくて、それだけの理由でたった六匹だけを呼び出したのか――。


 ゾンビどもは弾かれたように走り出した。


 阿鼻叫喚の地獄がそこにはあった。



 子どもや騎士たちの悲鳴、叫び声、さらにリルネの撃ち出した炎が爆音となって響き渡り、鼓膜を揺らす。


 が、死者どもの数はあまりにも多い。俺の近くにいたグロリアスが咥えた剣を一振りするも、直後ゾンビに組みつかれた。彼もまた引き倒されていった。


 俺は瞬く間にゾンビどもに飲み込まれた。手や足が次々と噛みつかれてゆく。先に恐怖が胸を襲い、遅れて痛みがやってきた。


 他のみんながどうなっているかまるでわからない。ただ少なくとも俺は死ぬだろう。


 まるで鳥葬だ。俺の全身はついばまれ、肉がぶちりぶちりと引きちぎられてゆく。


「ヤレ! やってしまえ! コノワレヲ、脅かすすべてのものを! ソウダ、食らい尽せ!」


 こんな光景、ホラー映画で見たことがある。俺はまるで俺が食い散らかされる姿を俯瞰視点で眺めているようだった。そうでもしなければ、気が狂ってしまいそうな痛みだった。


 気持ち悪い。大量のゾンビが俺の全身を餌のように貪る。噛まれた痕は熱をもち、まるで虫が這いずるようにうずいた。うずきは止まらず、それどころかどんどんと増えてゆく。


 一刻も早く気を失いたいのに、鋭敏になってしまった感覚はいつまでも痛みの信号を脳へと送り続けた。加速器の中に入れられた電子のように、臨界点を突破した痛みは俺の心をズタズタに引き裂いてゆく。


 もう目にはなにも映らない。腰から下の感覚がなく、血が流れ過ぎて体が寒い。


 血流が脳に届かない。俺は血の海で溺れてゆく。


 クライと俺とリルネ。三人が同時に同じ場所で死んだら、もうループは起こらないとテイラーは言っていた。


 ということは、これでおしまいってことじゃないか。


 まさかこんなところでゲームオーバーだなんて。


 嫌だ。


 嫌なのに。


 体は少しも動かないんだ。


 ここまでテイラーを追い詰めたってのに。


 ちくしょう。


 ごめんな、婆ちゃん。


 俺はみんなを守れなかった――。



「トリガァ――――――ループ!」



 その絶叫は、ゾンビに噛み砕かれていた俺の耳にも届いた。


 次の瞬間、視界に光が弾けた。


 俺は広場に立ち尽くしていた。


 え……?



「ナンダ、これは!?」


 テイラーの声で正気に戻る。


 俺はハッと顔をあげた。


 広場にはゾンビの一匹もいない。いや、正確にはリルネやウォードらがゾンビを今まさに片付けようとしているところだった。


 時間が巻き戻った?


 だが、もうループは起こらず、ゲームオーバーになるはずじゃ――。


「ジン!」


 俺の名を呼ぶのはクライだ。


「早く、あいつが死者を目覚めさせる前に! 早く!」

「――」


 その言葉で俺は得心した。


 クライ自らがループを引き起こしたんだ。


 あいつが叫んだ言葉は『トリガーループ』。つまり、俺と同じように、トリガースキルに目覚めたってわけか。


 俺は拳を握り、痛みの幻が張りつく体を無理矢理動かした。四肢が自分のものとは思えないほどに重い。


 それでも一歩を踏み出すのは、意志の力だ。


「テイラー!」

主人公メサイアァァァァッ!」


 愚直な突撃を仕掛ける俺に、テイラーは崩れそうな顔を押さえながら黒い風を放ってきた。


 それはあまりにも範囲が広く、俺は避ける暇もなく風に飲み込まれてしまった。


 グロリアスの様子が俺の脳裏をよぎる。あの時は腕の皮だけだったが、俺は全身が浴びてしまった。


「じ、ジン!」


 俺を心配したリルネが叫ぶ。やばい。


 腕に浴びただけで発狂しそうなほどに痛いんだったら――俺はどうなってしまうんだ?


 死者どもが地面から飛び出てきた次の瞬間。


 俺の目の前が真っ赤に染まった。



 痛い。


 痛い。


 痛い。


 それ以外の感情が塗り潰される。


 指先から頭の先まで、余すところなくすべての部位が悲鳴をあげていた。


 空気に触れているだけで爪を剥がされたときよりも指を折られたときよりも遥かな痛みが俺を襲う。


 何回も何回も痛みはぶり返し痛みの波が止まらない。


 ゾンビに食われることなんて、この痛みに比べたら安楽死のようなものだった。


 全身がフォークで貫かれたように。


 万力で捻じ曲げられたように。


 目玉をスプーンで抉られるように。


 粘膜という粘膜に酸を浴びたように。


 ありとあらゆる種類の痛みが何倍も増幅されていた。


 いつ終わるとも知れない苦痛に、内臓のすべてを吐き出しそうだ。


 全身が燃えるほどに熱い。耐えられない。助けてくれ。


 なぜ誰もこの痛みから俺を救ってくれないんだ。


 頼む。


 誰でもいいから、俺を殺してくれ。


 なんでもするから、お願いだ。


 なんで俺がこんな目に。


 異世界になんて来るんじゃなかった。


 細胞のひとつひとつが断末魔をあげていた。


 人ひとりの心など、ガラス球を割るように破壊してしまえるほどの痛みだった。


 脳を溶液に漬けられて、何十億年も生かされながら、延々と与え続けられる痛みの中にいたような気分だった。


 俺は目を瞬く。そこは元の広場だった。


 再び、トリガーループで戻ってきたのだ。


 だが俺は、その場に膝をついた。


 たった一撃で、心は砕け散っていた。



「ジン! おい、ジン!」


 クライの声が遠くから聞こえてくるようだ。


 しかし、俺は立ちあがれなかった。


 またあの痛みを味わわされるのか?


 嫌だ。それだけは絶対に嫌だ。


 逃げるって言っているなら、別に逃がせばいいじゃないか。あんな痛みを味わうよりは、そのほうがずっとマシだ。


 恥も外聞もなく、そんなことを泣きわめこうとしていた時にだ。


 クライが、自ら駆けて行った。


 その両手に短剣を握り締め、そんなものでテイラーにトドメを刺そうと。


 案の定、テイラーは身を守るため、黒い風をまき散らす。


 クライがそれを正面から浴びてしまう光景を、俺のなんの役にも立たない眼球が見つめていた。


 恐ろしい光景だった。クライの頭皮から足の先まで、皮膚を脱皮するかのように、それはずるりと抜け落ちたのだ。


 なによりも恐ろしいのは、理科の標本模型のような姿になりながらも、まだクライが生きているということだ。


 彼はその場に崩れ落ち、手足をまるで違うほうに折り曲げながら、あまりにも大きく痙攣していた。


 先ほど俺はこんな風になってしまったのか。


 これじゃあもうだめだ。


 クライがこうなってしまっては、トリガーループはもう使えない。


 俺たちの敗北だ。


 やがて現れたゾンビに、俺たちは再び食い殺された。


 俺はもう抵抗する気力すらなかった。


 だが――。


 再び、時は巻き戻った。


 俺は四回目の広場に立ち、絶句している。


 溶ける顔を押さえるテイラーもまた。


「ナゼ、そこまで!」


 俺は振り向いた。


 クライは鼻から血を流しながら、この短期間で目の下に壮絶なクマを作り、片膝を付きながらそれでも叫んだ。


「逃さない、絶対に! もう! 僕たちのような人を出さないために!」


 お前、嘘だろう。


 目も虚ろで、立ち上がることもできなくてさ。


 それでもそんなことを言うのかよ。


 なんだよそれ。


 俺はの心は折れてたっつーのに、くそう。


 立派なやつじゃねえか。


 ――お前は本当に、主人公だよ!


 目が覚めた気分だ。


 俺の全身に絡みついていた呪縛が弾け飛ぶ。


 やぶれかぶれで叫んだ。


「クライ! あいつを仕留めるぞ! お前が先にくたばるんじゃねえぞ!」

「あとのことは僕に任せろ! 行けジン!」


 前のめりになって、転げ落ちそうになりながらも俺は走る。


「エエイ、来るな、来るな、来るな、来るな、来るなああああ!」


 テイラーが必死な様子で黒い風を放ってきた。


 そうだ、お前も怖いんだな。


 死ぬのが怖いんだろう。俺たちと一緒だな。


 しかも俺たちと違ってお前は、一度死ねばおしまいんだろ?


 俺たちの心が折れるか、お前の命が尽きるか。


 二者択一の闘争だ。


 地獄だな。


 俺は黒い風に正面から向かっていくなどということはしない。鋭く右にステップをしてその範囲から抜ける。


 だが、今度はテイラーにゾンビを出現させる隙を与えてしまった。俺の足首を掴まれて、四回目の挑戦も失敗に終わった。


 そしてまた、ループする。


 五度目の挑戦だ。



 いよいよクライの顔色が死人のようになってきた。彼はもう動くことすらできないだろう。


 俺が二度目のトリガーインパクトを使うときなにかを振り絞ったように、クライもまたなにか魂のようなものを消費してあの技を使っているのだろう。


 今回で決めなければあとはない。


 テイラーはもはや狂乱だ。


「ヤメロ、イヤダ、シヌノハ、イヤダ!」


 黒い風はもうかわす必要すらなく、当たらない。狙いをつけることすらできなくなっていた。


 俺は右拳を握り締める。トリガーインパクトをもう一度打つのは難しいだろう。


 ならば新たな技で決めてやろう。


「安心しな、テイラー! その苦しみに終止符を打ってやるよ!」

「ヤメロオオオオオオオオオオオオ!」


 俺の右手に光が宿る。それは激しく輝くインパクトの時とは違い、透き通るように光を放っていた。


 拳を引き絞る。あいつをこの世界から消し去るというその一念で。


 何度も何度も殺されたが、それもここでおしまいだ。


 テイラーは尻餅をつきながら俺から後ずさりをしている。だが、そんなもので逃げられるはずもない。


 正真正銘、これがトドメだ――。


 上から叩きつけるように放つフック。俺の腕がねじれて螺旋を描いた。


「――トリガーバレット!」


 それは何十何百という拳の弾幕であった。


 インパクトのような点ではなく、面の衝撃。


 白色に輝く破壊の光はテイラーを完膚なきまでに押し潰す。



「――アアアアアアアアアアアアアアアア!」



 つんざくような断末魔とともに、テイラーの姿は光に飲み込まれてゆき。


 闇の一欠片まで浄化されていった。


 この第四区の広場から光の柱が立ちのぼる。


 数秒の時をかけてすべてが元通りになったその時。


 その後、あとに残るものはなにひとつなかった。



 

 数多の死を乗り越えて、たどり着いたのだ、俺たちは。


 この街の、エンディングに――。






《エンディングトリガー:2》


《テスケーラの街にて、クライを時の迷宮から救い出せ》


 達成コンプリート――。




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