第286話「御所守たゆうの御実力」
御所守たゆう。
聞いたことがある。
確か、〈社務所〉の重鎮にして、ずっと昔の退魔巫女で、かつ御子内さんたちの修業時代のグランドマスターだったはずだ。
何度か皆の雑談にでていた記憶がある。
ただ内容から察するに、戦後すぐあたりの産まれのお婆ちゃんだとばかり思っていたのに、この女性は下手をしたらアラサーのこぶしさんよりも若そうに見える。
少なくとも、僕の目にそう映った。
もっとも、彼女自身が自分のことをババアと言っているのだから、それに相応しい歳なのだろうとわかる。
若い外見だからといって、実際にその通りだとは限らないというのが、オカルト界隈のお約束なのだ。
最近、僕もこの世の不条理に対してツッコまないでいられるようになってきていた。
だが、幾ら御子内さんたちの師匠格とはいっても今度ばかりは話は別だ。
あの子供は……
「御所守さん、あの子は―――神さま……」
しかし、たゆうさんは一切隙を作りもせずに、僕に言った。
「おまえ様、それは勘違いですよ」
「えっ?」
「あれには確かに神格がありますが、所詮は童話の登場人物の似姿。神そのものではありません」
神さまでは、ない?
でも、あんなに心からの畏怖を覚えるのに。
「〈迷い家〉の結界的作用が、風に乗って歩む神の神格を顕現させただけのものですよ。この〈迷い家〉が例の童話を真似たように。つまり、あれは風神の偽神でしかないのです」
風神は偽神。
たゆうさんはそうこともなく言い放つ。
僕には全然信じられない。
またも、ごうと風が荒れ狂い、子供の周りを渦を巻いて立ち上がる。
人が台風の目にでもなったかのような奇怪な光景だった。
何重にも巻きつく風は子供だけを無風のまま保護して手当たり次第に路上のものを吹き飛ばし始める。
風がこれほどまでに恣意的に動くことがありえるのかというぐらいに。
そして、暴風はついに人にまで牙を剥き、たゆうさんまでも引きずり込もうと勢いを増していった。
身体を支えるための掴むものもない態勢では、細い巫女さんでは数秒もこらえきれないだろうと思った瞬間。
たゆうさんの手に、いつのまにか金属の棒が現れた。
手品でも観ていたかのように唐突な出来事であった。
彼女の巫女装束のどこにもあんな二メートル以上あるものを隠しておく箇所はないからだ。
そして、たゆうさんはその棒を手元で回転させ、地面のアスファルトを突いた。
槍のように尖った穂先もついていないのに、ズブズブと棒は突き刺さっていく。
両手が自在に動いて印を造る。
たゆうさんが呪文のようなものを唱えた。
「五行において風は五悪にして、性なるものは木行! 木気は
金属の棒を刺して、印を作っただけで、どんな台風をも凌駕しそうな風が止んだ。
ほんのわずかな微風さえも感じられないぐらいに、いともあっさりと。
どんな不思議な力が働いたのか、まったくわからないレベルで。
『……?』
妖魅の子供でさえ、何が起きたのかわからないという顔をした。
それほどまでに呆気なかった。
「今のは……」
「五行説によると風の性質は木気でありますから、それを打ち破る金の気でもって打ち払ってみせたのです」
五行説って、水・金・土・火・木の五元素が万物を構成するという古代中国の思想のことじゃなかったっけ。
前に横浜中華街の元華さんに中国の道教の話を聞いたときに、小耳に挟んだ気がする。
そんなものを日本神道の〈社務所〉の巫女、しかも重鎮の人が使うのってとても違和感がある。
僕が最初に御子内さんに抱いた、退魔巫女としての形がまさにこれだったからである。
ただ、実際に呪法としてそんなものを使えるのならば、どんな妖怪とだって〈護摩台〉抜きでも戦えそうな気がする。
肉体言語で接近戦を繰り広げる御子内さんたちとはまったくもって逆のやりかたすぎた。
あんな暴風を術理でもって、いともたやすく消滅させるなんて。
「わたくしが神通力で術を使ったのが納得いかないようですが、そのことについてはまたあとで説明して差し上げましょう。とりあえず、この〈ウェンディゴ〉を追い返すこととしましょうか」
たゆうさんが握っていた手を開くと、またも新しい鉄の棒が出現した。
手品のように隠していたものではない。
明らかにどこからか飛んできたとしか思えない。
「〈引き寄せ〉というのですよ。西洋の魔術では〈アポーツ〉といいます」
そっちも術だったのか。
つまり、たゆうさんの代の退魔巫女たちは、彼女のように呪法や導術で戦っていたということなのか。
じゃあ、御子内さんたちのように肉弾戦オンリーに代わったのはどうしてなんだ?
これほど強力な術を使えるというのならば、あえて危険で不利な〈護摩台〉を使った戦いをする必要性はない気がする。
だったら、何故……
そして、たゆうさんは僕の疑問を百も承知で今の台詞を喋った気がする。
あえて僕に情報を与えるために。
「―――最愛の理解者である妹を亡くした賢治は、東北の荒野を彷徨い歩き、ある時、一柱の神と
たゆうさんは鉄の棒を子供に突き付け、
「この小さな
そのまま、鉄の棒を使ってガリガリと丸い円を地面に書いた。
「
彼女の台詞と同時に描いた丸が生き物のように膨れ上がり、たゆうさんと妖魅の子供を入れる巨大な輪となった。
輪は二人の立っている場所を閉じ込めるデッドラインとなり、そしてその線に従って、ゴゴゴとアスファルトが不自然に凸っていく。
まるで、海底噴火によって新しい島ができるように。
しかし、その島は僕の眼にはどうしてもある
その場所は指して、人はこういう―――
土俵、と。
たゆうさんたちを乗せたまま隆起した土地は、土を盛って造られた、土俵そのものであった。
僕らが苦労してプロレスのリングに酷似した〈護摩台〉を設置するのと同じ、それを呪法をもってたゆうさんは作り上げたのだ。
何のために?
そんなことは決まっている。
おそらく、この土俵は―――結界だ。
妖魅を閉じ込め、その力を削いで、巫女たちに伍させるための。
たゆうさんにとっての〈護摩台〉がこの土俵なのだ。
そして、そんな場所を戦場と定めるということは……
「では、
御子内さんたちと比べても細身で小さなたゆうさんが、腰を落とし、手を突き出した。
それは、日本人でありさえすれば誰にだって一目瞭然の闘法の予備動作だった。
かつて、陰陽の手合と呼ばれ、片手を曲げて頭上に掲げ、片手を伸べて前へ出す構え。
現代の立会いとは違う、腰を卸さずに、立ったままで取っ組み合う、
座ったまま、両手の拳を土俵に付けてから立ち会うにうつる、追っ付けの構え以前の形だった。
「では、立ち合いと行こうじゃないか。蹲踞など無駄なことはしない、本来の神事、弓取り式としての
あの小さな身体で、たゆうさんは神の眷属だという怪物と相撲を取る気なのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます