第284話「醜い守護者」
「誘われている、とみていいのかな?」
「だろ」
二人の巫女レスラーは警戒を緩めないように、そっと扉に近づいた。
金文字の書いているあたりを押すと、静かに開いていく。
「京一、あとは頼む。ボクらが一時間たっても戻らなければこぶしに連絡してくれ。そういう手筈になっているから」
「うん。気をつけて」
「任せろ」
ゆっくりと最後まで開くと、長めの廊下になっていた。
廊下の行き止まりにはまた扉がある。
ガラス戸になっていて、また金文字で文章が綴られていた。
『ことに清らかな乙女や穢れを知らない男性は、大歓迎いたします』
余計なお世話だと、或子は思った。
「こちとら立派な退魔の巫女さまだ。歓迎してくれるというのならやってもらおうじゃねえか」
「ふーん、キミ、ヤンキー臭いのにまだ女の子なのか」
「―――う、うっせえよ。てめえだってそうだろうが! 人のこといえるのかよ!!」
外観はどう見てもふしだらなことをしていそうなのに、いざとなったらどうあっても未通娘の羞恥心が先に立つようだ。
明らかに処女ビッチの類いの音子に比べればまだライバルにはなりえないな、と或子は親友を見定めた。
「ボクだって巫女らしく処女だけどね。さて、進むよ。扉は占めないに、何か噛ませながら行こうか」
ずんずんと進んでいくと、水色のペンキで塗られた扉が現われた。
しかし、両国なんていう東京の真ん中にこれほど大きなレストランテがやっていけるとは思えない。
何もない廊下がこんなにも続いているのだ。
通常の感覚ならばイタズラか勘違いと思うところだが、建物に踏み入れて以降、或子たちは肌にヒリヒリと焼きつくように貼り付いてくる人外の妖気に悩まされていたのでおかしいとは思わない。
明らかにここは異世界だ。
普段接している世界とは理が違う場所だ。
〈迷い家〉の中心にある核に侵入してしまったと判断してもいいだろう。
いつもは能天気で陽気な或子と言っても緊張は拭えない。
「迷宮のような建物だね」
「ロシア式なんだろ。えっと、何々『当軒は注文の多い料理店ですから、どうこそこはご承知ください』だとさ。―――わかっているぜ」
「レイ、さっきからボクの耳に不気味な鳴き声が聞こえている。この扉の向こう、何かがいるぞ」
「わかっているさ」
明らかに敵が待ちかまえている場所に向けて、二人の巫女は扉を蹴りあげ躍り込んだ。
バサっと激しい羽音が聞こえ、二人の脇を何かが飛んですり抜けていった。
レイが〈神腕〉で叩き落そうと試みたが、彼女の反応を凌駕する速さで、そいつは狭い廊下をすり抜ける。
「ちぃ!!」
空ぶった右腕を戻す前に、引き返してきた黒い影は再びレイに襲い掛かった。
カウンター一閃し、そいつを叩き落そうと或子が横から狙ったが、これもまた躱される。
それほど大きくはないが、飛翔するものに相応しい素早さと軽さを備えたものであった。
往復して二人を翻弄した敵は、廊下の中央に伸びていた宿り木のようなものに戻った。
そこが巣というか、定位置なのだろう。
両翼のサイズだけでニメートル以上はあるだろう斑の鳥だった。
平たくて耳まで裂けた嘴を持ち、ところどころ羽根の抜け落ちた不細工で醜い鳥であった。
さっきの鋭い滑空が信じられないぐらいにボロボロの姿かたちをしている。
ただ、黄色い、妖魅特有の呪いの眼をしていることから、おそらく外見とは裏腹の化け物であろうことは想像がついた。
『お客様方、ここでは髪を綺麗に梳かして、履きものの泥を落としてもらいます。あと、帽子と外套をお取りください』
醜い鳥が叫んだ。
喋る生き物なんて見慣れている二人からすればどういうことのない光景だが、問題は話しかけてきた内容だった。
「注文の多い料理店ごっこをまだ続ける気かよ?」
「いや、もしかしたら『見立て』かもしれないぞ」
「見立て? 見立て魔術のことか。つまりは、こいつらは注文の多い料理店を模した結界を作ることで、〈迷い家〉の存在を強固にしているってことかよ」
「可能性はある。〈春と修羅〉の初版本が傍にある状況で、宮沢賢治所縁の見立て魔術をするんだから、裏があるとみるのが正解だろうね」
さらに言えば、目の前のこの醜い鳥も……
「なるほどな。廊下に門番を配置しているのもそういうことか。わざわざ、イーハートーヴ由来のガーディアンを用意しているぐらいかよ」
見かけによらず文学少女のレイは、自分たちを迎撃しようとしている醜い鳥の正体についてわかっていた。
彼女はこの醜いと罵られながらも、羽根がむやみに強くて、鋭い鳴き声を発する、鷹に似ている鳥のことを知っていた。
「或子、先に行け。ここは二人で戦うには不利だ。しかも、野郎は空を飛ぶからな」
「いいのかい? 美味しいところを貰ってしまうよ」
「ふざけろ。どうせ、ここから先にもまだ守護者はいるはずだ。時間を掛けるのは惜しい」
「そういうことなら、頼む。―――すぐに追いついてきなよ」
「任せろ。この〈よだか〉を倒したらな」
レイは〈神腕〉を中国拳法の
彼女にとって唯一と言っていい、正式に授けられた闘法だ。
元はといえば隣にいる或子を倒すためだけに修練した技であったが、今となっては彼女の代名詞ともなっている。
先祖代々受け継がれている神通力の宿った双腕の威力を叩きこむには、絶好の技だからだ。
そのまま、〈よだか〉を真っ向から睨みつける。
「……まっすぐに空に昇っていった〈よだか〉ならばともかく、こんなところで邪悪な野郎のパシリをしているのなんかには負けねえ」
かつて子供の頃、星になった〈よだか〉のことを思い、涙ぐんだこともあるレイにとって、目の前の化け物は許しがたいものであった。
宮沢賢治の世界を模して造られた結界〈迷い家〉というのなら当然のことだろうが、あの世界観を歪ませる妖魅にかける情けはない。
「頼んだ!!」
〈よだか〉の脇を或子がすり抜けるのを邪魔しようと動く前に、レイは挑みかかった。
血も凍るような怪鳥の鳴き声を根性で堪えながら、宙を自在に飛ぶ空魔を叩き落さんと〈神腕〉を縦に振るう。
ひらりと躱された。
羽根にまるでセンサーでもついているかのような軽やかさ。
しかも、羽根には燐のような蒼白い炎がくすぶり始め、火の粉として舞い踊った。
今でも燃え続ける〈よだか〉の星。
火の鳥となった空魔に対して、レイは一歩たりとも退かず迎撃の姿勢に入る。
『キシキシキシキシキシッ!!』
〈よだか〉は高く高く叫んだ。
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