第187話「夕陽を呪う」
その日、前日の台風による大雨のせいで痛いほどの日差しだった。
台風一過という言葉の通りね。
青空の下で授業を受けて、友達と散々お話をした後、のんびりと駅前でショッピングなんかをしながら帰途についていた。
陽が落ちる時間が早くなり、まさにつるべ落としの秋がもうすぐやってくる、少しだけ物悲しい夕方だった。
西の方は綺麗な夕日になっていた。
影法師が長くなり、妙に黒々としている。
気が付いたら、あたしと一緒に歩いている人がいない。
なんとなく感じていた寂しさよりも、薄気味悪さが先に立ち始めた。
産まれたときから住んでいられる町とはいっても、突然、おかしなことが起きない訳でもない。
特に、あたしは去年の終わりにとんでもないトラブルに巻き込まれたことがあるのだから、平凡な生活が一瞬で異界へと変貌することを、そのへんの誰よりも深く理解していたといってもいい。
だって、いきなり妖怪に見初められて殺されそうになるなんて、普通は体験しないでしょ。
そんなこともあって、あたしは突然のこの雰囲気の変化に目敏く反応してしまったというわけである。
そして、その勘は当たっていた。
「―――すずちゃん」
背後から名前を呼ばれた。
子供の頃はともかく、最近はあまり呼ばれなくなった綽名だった。
振り向いた方がいいの、振り向かない方がいいの?
でも、結局、あたしは声の主を知りたくてそちらを向いてしまった。
「だれ?」
そこにいたのは小さな女の子だった。
二つの小さなおさげが印象的な、赤いワンピースの女の子。
後ろ手で手を組み、あたしを舐めるように見上げていた。
上目遣いが……
三白眼より更に黒目が小さく、まるで驚いたような眼の事を四白眼というのだけれど、彼女はまさにそれだった。
上下左右に白目の部分が四箇所見えることから四白といい、聞いた話では目的のためには手段を選ばない鬼の目と呼ばれるそうだ。
目力というものが異常に強く感じられるから、そういう風に言われるのだろうか。
ただ、正直なことを言うと、この女の子の視線はあまりにも無作法でいらっとするものではあった。
しかし、あたしはその中に親しみのような、人懐っこいものを感じた。
明らかに好意を抱かれている。
でも、あたしって近所の子供と仲良くしたことなんて、昔ならとにかく、ここしばらくはまったくない。
子供の頃はアウトドアだったけど、小学生になったころくらいからインドアの遊びが中心になった。
反対に、うちのお兄ちゃんは近所の子と遊んだりはしないもやしっ子だったはずなのに、今はよくわかんない肉体労働者っぽくなっている。
見た目は変わらずもやしの癖に、ごく自然に腕立て伏せ百回を軽くこなすようになっていた。
まあ、平然と五百回ぐらいやってしまうお姉さまと比べると屁の河童なんだけど。
それでも体育会系の部活でもない、ただの帰宅部の男子高校生にしてはかなりのものだと思う。
たまにお風呂なんかで裸を見るけど、意外といい身体なんだよね。
ちょっと指で押すと弾くし。
って、お兄ちゃんのことはどうでもいいか。
問題はこの女の子があたしに対して親し気なオーラをだしているということ。
しかも、さっきの呼び名。
「すずちゃん」だ。
間違いなくあたしのことを知っている。
親戚にこんな子がいたかなあ。
「あなた、だれ?」
もう一度問いかけると、女の子は、
「すずちゃん。遊ぼうよ」
「―――何をして?」
はぐらかされたとわかった。
この子はあたしに名乗る気はないのだろう。
だとすると、何度も問い返しても時間の無駄だ。
だったら、話にすぐに乗ったほうがいいかもと判断。
「すずちゃんの家で遊びたい。きょいっちちゃんにも会いたい!」
「―――お兄ちゃん?」
「うん。きょいっちちゃん、大好き!」
この子、お兄ちゃんのことも知っているのか。
しかも、きょいっちって……
随分と昔のお兄ちゃんの綽名だ。
そんな名前で呼ばれていたのは、確か、幼稚園の頃の……
「もしかして……」
あたしはこの女の子に心当たりがあることに気が付いた。
升麻涼花を「すずちゃん」と、升麻京一を「きょいっちちゃん」と呼ぶ女の子は一人しか思い出せなかった。
「―――サクラちゃん?」
「ねえ、どうしたの? 早く、すずちゃんのお
「ちょ、ちょっと待って」
手を握って歩き出そうとするサクラを止める。
本当にサクラと言ってしまっていいものかわからないけど、あたしの記憶の片隅にある彼女とは瓜二つだった。
あのとき、あたしと同い年の彼女がどうしてここに。
いや、それよりも……
「赤い……」
夕陽の血のような紅と、サクラの着ている赤いワンピースが溶け合うようにさらに混じり合っていく。
まるで人の血と血が戦場で洗い合うような、真っ赤な混沌と泥みたい。
十年ぶりぐらいに会う、かつての幼馴染は昔のままの姿であたしの手をとる。
「ねえ、早くってば!」
だが、あたしはその手を払った。
残酷かもしれないけれど、彼女の手をとれない理由があった。
この子を―――サクラをうちにあげてはいけない理由が。
「ダメ。サクラをうちには入れてあげられない」
「……どうして。どうして、そんな意地悪を言うの。サクラとすずちゃん、友達じゃない!それに、きょいっちちゃんだって!」
「ごめん。帰って。どこから戻ってきたか知らないけれど、もう帰って! お願いだから!」
すると、サクラは目を吊り上げた。
彼女は泣く真似とかはしない。
嘘はたくさんつくけど、泣いて媚びを売ったり、誤魔化すようなことはしない。
記憶の中のサクラはそういう子だった。
「すずちゃんのバーカ! 嫌い、大っ嫌い! みんなみたいに嫌い!」
「サクラ!」
「死んでしまえ、あんたなんか産まれなければ良かったのに! 酷いバカ!」
サクラは西に向けて、つまり夕陽目掛けて走り出した。
彼女の服の赤と、逢魔が刻のような紅が、完全に混ざり合い、サクラは消滅した。
少なくともあたしの眼にはそう見えた。
―――死ねばいいのに!!
小さな女の子の吐いた呪いだけが、立ち竦むあたしに纏わりついていた。
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