第57話「恋路の涯」



 健司くんの顔を見た途端、〈オサカベ〉の顔に花が咲いたような笑顔が浮かぶ。

 それだけで僕にもわかった。

 あいつは―――いや、彼女は―――


 ……恋をしているのだ。


 人間と人外の恋の物語は古来より存在する。

「雨月物語」にもあるし、有名なところでは道成寺の安珍と清姫だ。

 ただし、たいていの物語は人に恋し男を追う女怪と、バケモノ女を捨てて逃げる男という構図で終わってしまう。

 おおおまかな枠で捉えると、身勝手な男の振る舞いばかりが目に付くようになっている。


「……姫さま。会いたかったです。また、姫さまと話がしたかった」


 健司くんはリングに駆け寄り、マットに強引に上がると、そのまま〈オサカベ〉の傍に座る。

 妖怪の手を取り、大粒の涙をこぼしていた。

 嬉しくて嬉しくて仕方がないという様子だった。


『健司どの。おのこがむやみに涙を流すなどいけませぬぞ。そんなことでは見事な男児になれますまい』

「でも、僕は姫さまとこうしてまた会えただけで泣いちゃうんだ。姫さまだって……泣いてるでしょ」

『妾は女子おなごゆえ』

「ふふ、ずるいよ、姫さま」


 男の子と妖怪は互いに思いやり、ともに恋するものの純粋さを醸し出していた。

 今の彼らを見て、無粋な言葉を吐けるものはいないだろうと確信できるぐらいに。


「よかったですねー」

「そうだね」


 事情をわかっている熊埜御堂さんも感激しているようだ。

 恋する二人にあてられて色々と毒気の抜けた御子内さんが、マットから降りて僕たちのところにやってきた。

 妖怪を閉じ込める〈護摩台〉の結界が張ってあっても、退魔巫女は原則として出入り自由なのだ。


「どういうことなんだい?」

「見てわかるんじゃないかな。あの二人、人と妖怪だけど恋の絆で結ばれてるんだ」

「それはいいとして、キミらが何をしたのかが気になる」

「僕らが何かをしたんじゃなくて、のほうが問題なんだよ」

「……えっと、何かな?」


 僕たちが健司くんから聞いた話をかいつまんで説明すると、こうなる。

 ……もともと〈オサカベ〉というのは天守閣に住む妖怪ではなく、巨大建築物の最上階に閉じ込められている妖怪なのだという。

 だから、怪談において、小坂部姫に会うものはわざわざ天守まで登ったものに限られるのだ。

 そして、年に一度だけ城主が小坂部姫のご機嫌をうかがいにいく。


「なんのためなんだい? それとどこかで聞いたような話だけど」

「当然だね。〈オサカベ〉という妖怪の話の構図は、そのまま別の妖魅の物語―――はっきりいえば座敷童のものとよく似ている。そして、座敷童が閉じ込められることとの類似性もあるんだ」

「……それは?」

「つまり、〈オサカベ〉という妖怪は建築物の支配者ではなくて、棲家としている建築物の繁栄を守るための人身御供なんだよ」


 そもそも〈オサカベ〉の名の由来の発端となった姫路城は、建築するために刑部明神と富姫明神というもともとあった社を移動させている。

 築城されて、池田輝政が改修後、五層にわたる天守閣を竣工させた。

 その天守閣に〈オサカベ〉は現われ、妖怪の祟りを恐れて城主が祀りあげるようになったというものだ。

 だが、〈オサカベ〉自体が脅す以外のなにかをしたという話はほとんどない。

 それほどまでに不明な点が多い妖怪なのだ。

 では、どうして不明なのか。

 それは、〈オサカベ〉が閉じ込められている妖怪だからだ。

 なんのためかということは、かの妖怪が竣工の後に現われ、それ以前には出現しないことから推測できる。

 おそらく、もともと築城以前にあった社を取り込み、城の繁栄のための踏み台とされたのだろう。

 他の建物でもそうだ。

 江戸時代にも多くの城が建築されたが、当時の常識ではその守護のために人柱を使うのは当たり前のことだった。

 人柱に使われるのはたいてい処女の娘と決まっている。

 そして、捧げられた彼女たちは―――最上階に祀られ―――〈オサカベ〉となった。


 僕は自分の足元を見る。

 この巨大なホテルと、このホテルを彩ってきた栄光の数々を想う。

 海外のVIPが宿泊し、日本でも有数の有名なホテルとなったこの場所の繁栄は、実のところ、あの〈オサカベ〉を生贄としてできたものなのだろう。

 さっきの支配人の祖父がケントゥリア・リージェンシー・ホテルを建てる際に、ずっと存在しない最上階に彼女を閉じ込めてきたのだ。

 それは何十年も続き、さすがの妖怪も幽閉の辛さに耐えかねていた時に、男の子が現われた。

 何の因果なのだろう。

 二人はそのまま恋に落ちる。

 すべてを捨ててもいいと思うほどに。

 そして、長年繁栄の礎とされてきた〈オサカベ〉が出ていくことを決めたせいで、ホテルの終焉も決まった。

 要石となっていた土台が抜ければ、あとは崩壊するしかない。

 自分たちの破滅に気づいた支配人たちが、〈オサカベ〉の想い人となった健司くんを人質にしてしまう暴挙に出たのもそのためだ。

 想い人を拉致された妖姫がどのような報復に出るのかをまったく考慮に入れずに。


「……だから、あいつはボクを敵視していたのか」

「ああ、御子内さんも支配人の一味か用心棒だと思っていたんだろうね。〈オサカベ〉は想い人を取り戻すために、天守閣を無理矢理に飛び出してきたんだから、余計な邪魔をする奴としか思えなかったろう」

「人の恋路を邪魔する奴……か」


 まだ抱き合って泣いている二人の人と妖怪を見る。

 子供の健司くんが本当の色恋をわかっているとは思えない。

 いつか、安珍や他の男たちのように、バケモノの女を捨てるかもしれない。

 でも、今ここで、若木を裂くような真似をしたくはなかった。

 もともと、〈オサカベ〉はホテルのために閉じ込められていただけなのだ。

 被害報告だって存在しない、ある意味では被害者しかいない事件だった。


「……それで、どうするのですかー」

「どうするって?」

「あの妖怪を退治しちゃって撤収しますか? それとも……」


 熊埜御堂さんの口を手で塞ぎ、御子内さんは微笑んだ。


「〈護摩台〉だけ撤収させて、ここはもうお開きだ。どうせ、このホテルは解体するんだろ。いまさら、〈オサカベ〉を封印する必要はない。―――もし、があの子どもに害をなしたのならばそのときにまた出張ればいいだけのことさ」


 僕の思考を読んだような提案だった。

 反対する必要性は皆無だ。


「じゃあ、そういうことでー」


 僕たちはマットの上の恋人たちの邪魔をしないように、撤収の準備に取り掛かった。

 ただ一つだけ気になることがある。


「ねえ、御子内さん」

「なんだい」

「さっき、最後に〈オサカベ〉を投げた技はなんていうの? 今まで見たことがなかったんだけど」

「ああ、あれか。ご先祖様に習ったんだ」


 御子内さんはちょっと得意そうに鼻を鳴らした。


「伝説の―――〈山嵐〉さ」


 と。








参考・引用文献

 「にほんの怪奇ばなし 佐賀の化け猫」 小暮正夫 岩崎書店

 「江戸歌舞伎の怪談と化け物」 横山泰子 講談社選書メチエ


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