第20話「音子の実力」



 おそらく〈天狗〉は見下ろされることに慣れていない。

 それがコーナーポストから音子さんによって見下ろされたというのは、かなり屈辱だったの、唇のない不気味な顔が怒気のようなものを孕んだ。

 さっきまでの御子内さんに対する物とは明らかに異なる。

 獲物を嬲る猛禽類のイメージはなくなっていた。

 対する音子さんは無言。

 ただ腕組みをしてコーナーポストで風に吹かれている。

 しかし、改めて思うに、女の子なんだか男なんだかわからない音の名前だよね。


「―――どう思う?」


 ふと御子内さんが聞いてきた。

 抽象的な質問だったけど、おおよその意味はわかった。


「様子変わったね。御子内さんを相手にしているときとは緊張感が違う」

「そうだ。あいつは、音子が自分の天敵であることを悟ったんだ。だから、さっきまでの油断を止めた。多分、今の状態だとボクの奇襲はかすることもないだろう」

「わかるものなの、そういうの?」

「年を経た妖怪とはそういうものさ」


 そんなことはないと思うけど、〈天狗〉が本気になったことだけは疑いようがない。

 所詮は本能で生きる妖怪というべきか、対峙する緊張に耐えられなくなったのか、それとも血に飢えたのか、〈天狗〉は跳びあがった。

 高い。

 結界に拒まれるほんのギリギリまで跳びあがり、翼で羽ばたくと、急降下をする。

 だが、さっきまでとはコーナーポストの分だけ高さがたりず、なおかつ、そこにいたのは百戦錬磨のルチャドーラ。 

 音子さんはすぅと身体をずらして、なんとロープの上を滑るように動いた。

 リングを設営しロープを張ったのは僕だが、そんな風に人が歩けるとは思えない。

 しかし、綱渡りの技術を持つものならできなくはないかも。

 さすがに自爆することはなかったが、〈天狗〉は空中で静止できず、無人のコーナーポストに降りたたざるを得なかった。

 そこを突いた。

 

「……!」


 ロープの反動を利用し、無言のまま放たれるドロップキック。

 御子内さんのものよりもしなりが強く、滞空時間も長かった。


『ぎゃあああ!』


 胸元を蹴り飛ばされ、〈天狗〉はマットに落ちる。

 その隙を見逃す音子さんではなかった。

 素早く体勢を整えて追跡し、〈天狗〉の首を両足で挟むと、そのまま両手を振り勢いをつけて投げ飛ばした。

 速い上に躱せないように死角から挟み込んでくる。

 あれをもし生足の太ももでやられたりしたら死んでもいいかもと考えてしまう程に流れるような動きだった。

 ヘッド・シザーズ・ホイップという技だが、御子内さんのフランケンシュタイナーはこれの派生技なのだろうか。


「見ていろよ。ルチャリブレの神髄は空中殺法に非ずだからね」


 音子さんは倒した〈天狗〉に擦り寄ると、そのまま寝技のように背中を押さえ、ギリギリと締め上げた。

 翼という邪魔なものがあるにもかかわらず、それを苦にもしない身体の捌き方だ。

 華麗なジャンプ技とは違い、震えあがるような地味な極め技である。


「ジャベさ」

「……なにそれ?」

「わが国ではメキシカンストレッチと呼ばれる関節技のこと。サブミッションと呼ぶに相応しいえぐいテクニックだね」

「確かに御子内さんとは戦い方が違う」

「ボクも正統派そのものではない、総合格闘技スタイルだけどね。ルチャリブレの巫女たちはもっと違うのさ」


 すると、今度は腕を掴んでさらにとびついて足で挟み込むと、そのままもう一度投げつける。


「あれはティヘラ。さっきのヘッド・シザーズ・ホイップと同様にルチャの投げ技だよ。あれを何度もやられると三半規管がマヒしてくる。とても危険なんだ」


 今日の御子内さんは富樫と虎丸のようだ。


「すべての技が有機的に連携しているように見えるね。あれが音子さんの戦い方なんだ?」

「ああ、空を飛ぶ妖怪にはとても効果的だ。飛び回っても撃墜され、地を這いずり回っているところを極められ、投げられる」


 その通りに〈天狗〉の動きは精彩を欠き始めた。

 御子内さんの蹂躙する武者のごとき堅実な歩みとは違い、一歩一歩痛めつけていく独特のリズムに沿った戦い。

 何度も投げられ、極められて、なんとかその疾風のようなかいなを潜り抜けて、どうにか自分の場所であるコーナーポストに逃げ延びた〈天狗〉は上半身がフラフラしていた。

 連戦の疲れというよりも、あまりに的確に攻めてくる音子さんに歯が立たないといった感じさえあった。

 まさか、これほどまでにあの〈天狗〉を翻弄するとは。


「空を飛ばれる、というのは結局のところかなりのハンデ戦になる。でも、それに対抗するために先人の巫女たちが追及して研鑽して到達したのが、あのルチャリブレなんだ」

「すごい……。あれが音子さんの努力の結晶なのか」

「―――でも、ボクだってあのままチャンスを窺っていて一撃逆転はできたんだからね。それを忘れないで欲しいな」


 なんだか知らないが、僕が音子さんに見惚れていたら急に御子内さんの機嫌が悪くなった。

 さすが立ち技最強を名乗るだけあって、強者に対してははっきりとしたライバル意識があるんだな。

 となると僕の立場としてはあまり他の巫女を褒めるのは止めたほうがいいか。

 彼女を怒らせるのはデメリットしかないし。

 

 ……一方のリング(〈結界台〉ね)上での戦いはさらに白熱してきた。

 知らず知らずのうちに同じパターンにはまっていたことに気がついたのか、〈天狗〉も策を練りだし始める。

 今まではコーナーポストとトップロープ以外は使わなかったのに、一度、マットに降りて、それから再び跳びあがるといったフェイントを混じえてきたのだ。

 すると、音子さんもすかさず対応する。

 人のものよりも長い〈天狗〉の腕を叩き落して、足を払って寝転ばせ、そのままフライングボディプレスを決行した。

 僕の隣の人よりもどうも胸が大きいらしくて、やや揺れる膨らみと胸筋と腹筋が妖怪に向けられて激しいヒトの姿をした雨となる。


『ぐぎゃあ!!』


 特に意外な技は使わない。

 だが、華やかでしかも一撃一撃が実に痛そうな攻撃。

 間違ってもご褒美にはならない連続技が続く。

 妖怪はどんどん立ち上がれなくなっていった。

 これこそが、対飛翔妖怪の巫女エキスパート―――神宮女音子なのか。


 その時、音子さんからは死角になっていたが、一瞬だけ倒れこんでいた〈天狗〉の目つきが変わったように思えた。

 僕を見た時のような欲情交じりのものとは違う、確実に何かを起こそうとしているものの眼だ。

 奴らは元は人であったという。

 人であったものが、死して妖怪に変化したものだと聞いた。

 そうであるのならば、生前の人の知恵と人の意地汚さをもっていても不思議ではない。

 きっと何かを仕掛ける気だ。

 今日の絶好調の僕の勘が告げていた。

 だが、それはなんなのか。

 妖怪のもつ切り札めいたものがあるのか。

 例えば、あれは〈天狗〉だ。

〈天狗〉と言えば鼻が長くて行者装束を着て……。

 違う、それは想像上の天狗のことだ。

 こいつではない。

 思い出せ、御子内さんのレクチャーにあった〈天狗〉の本質を……

 彼女は言っていた。

 天狗とは隕石のこと、だと。

 そして、その定義は―――


……)


 僕はリングの脇に走った。

 本当ならば選手のためにセコンドがつく場所。

 そこで僕は力の限り吠えた。


「音子さん、〈天狗〉は!! 耳を塞げ!!」


 咄嗟の思い付きを叫んだとほぼ同時に。


 今まで聞いたことのないような。


 化鳥の悲鳴が。


 周囲一帯を高周波で。


 薙ぎ払った。


 ――――――――――――!!!


 顔を上げて大きく口を開いた〈天狗〉の声と、その極限まで開いた翼によって収束した結果か、殴りつけられるような高音が荒れ狂ったのだ。

 音でありながら物理的な衝撃まで与えるような颶風は音子さんを直撃する。

 だが、間一髪、彼女は耳を塞いでいた。

 僕の声が届いたのだ。

 もっとも斜め後ろに控えていた僕は耳を粉砕され、そのまま倒れた。

 耳から血が零れたかもしれない。

 それだけの強さを感じた。

 気を失おうとした寸前、僕は〈天狗〉の切り札であったであろう大怪声をこらえきった音子さんが、太ももで顔を挟んで投げ飛ばすのを見た。

 ちょっと羨ましかった。

〈天狗〉はそのままマットを転げ落ちて、なんとリング外に出てしまう。

 こうなったとき、妖怪は20カウント以内に復帰しないとそのまま封印されてしまうそうだ。

 音子さんはリングアウト勝ちを狙ったのか。

 切り札を空振りしてまったことで万策尽きた〈天狗〉だったが、戻らなければならないことは妖怪の本能で理解しているらしく、なんとか立ち上がる。

 その肢が止まる。

 白目のない視線が一点に釘付けになった。

 僕も同様だった。

 二つの視線の先には……反対側のロープ際に立ち尽くす音子さんがいた。

 そして、彼女はノータイムで走り出す。

 場外で待つ〈天狗〉目掛けて。


「プランチャ・スイシーダか!」


 御子内さんが叫ぶ。

 でも、僕はそれが違う技だと見抜いた。

 プランチャ・スイシーダはリングから場外の敵をボディプレスで撃退する技だが、この時の音子さんの動きはまるで違っていた。

 リング内で助走をつけるところまではいい。

 だが、彼女はそれに加えて、二つの捻りを入れた側転をして、それからくるりともう一度回転して全身で〈天狗〉に覆いかぶさっていった。


「あれは、スペース・フライング・タイガードロップだよ!」


 直訳すれば宇宙飛行虎爆弾。

 初代タイガー・マスクが魅せた究極の四次元殺法だった。

 プランチャ・スイシーダだけでも迸るほどの勇気が必要な技なのに、それに加えて遠心力によって破壊力を増すための側転までもしている。

 しかも、音子さんの場合は、捻りというひと工夫を足して、さらに威力を倍増している。

 ある意味では彼女のオリジナルフィニッシュホールドであった。

 基本のダメージが100とすれば、助走によって+100、二つの側転で+200、二回の捻りによって+200、さらに音子さんの勇気と献身が+200、つまり併せて800ダメージが与えられるのだ。

 こんなものをまともに食らって斃れない相手は絶対にいない。


 そして、僕の予感は的中する。


 音子さんの捨て身の必殺技を喰らった〈天狗〉は二度と起き上がることができず、どこからともなく流れてきた二十回分の鐘の音と共に実体を失くして消滅していった……。

 おそらくは封印されたのだろう。

 ここに来た際に御子内さんが今まで見たことのない水晶玉を持っていたから、たぶんその中に。

 もっとも僕はそれを確認することはできなかった。

 結果として〈天狗〉の最後っ屁となるあの声をまともに聞いてしまったせいで、僕は決着がついたのを見届けた後、あえなく気絶してしまったのである……。



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