たった今も恋しています。

嘉田 まりこ

第1話 出会い

「応援、制服で行くの?」


 夏休みだというのに制服姿の私を見て母は目を丸くした。


「うん、私服だと悩んじゃうもん。ほら、いいよ、まだちょっと時間あるから店番代わるね。お昼食べてきたら?」



 高木生花店。

 それが私の家。

 母はニッコリ笑うと『じゃあ15分、お願い!』と言って店の奥へと消えていった。


 配達に出た父はなかなか戻ってこない。

 我が家は、この地域に昔からある唯一の生花店で、お盆が近いからか両親は朝からずっと忙しそうだった。


 母とバトンタッチしたそんな暑い夏の昼。


 クーラーが効いた店の中。花たちの間を縫って店先に出ると、ジリジリという音が聞こえてきそうな程に強い日差しが私の顔に突き刺さった。


 思わず右手で傘を作り額につける。

 しかしすぐに、次は足元が地面からも立ち上る熱に絡まれる。


 これじゃあ先頭の花が可哀想だ、そう思ってもう一度店の中に入り作業棚の横にある蛇口を捻り、バケツに半分ほど水を溜めた。


「……制服でいいよね。応援だしね」


 打ち水をしていると目の前を同じくらいの年の子が通り過ぎていく。色鮮やかなTシャツのその子と自分を見比べて、また、そう言い訳をした。


 この制服に袖を通してもう2度めの夏。

 去年と変わったところはほとんどない。

 私は去年の夏もこうして店番をしていた気がするし水を撒いていた気がする。


 何も変わってない。

 焦りは感じなかったが、最近ほんの少し寂しさを感じる自分もいた。

 折角の高校生活は、もっと色鮮やかなものじゃなきゃダメなんじゃないかな、と。

 友達と騒いだり、部活に打ち込んだり、好きな人を作ったり……周りの子は自分よりも何倍も楽しんでいる気がしていたから。

 去年より今年、今日より明日、みんな、そんな風に楽しんでいるように見えたから。


 ――ふと、


 去年の夏はやっぱりこんなには暑くなかったな、と思った。

 そして今まで忘れていたのに、一人の人が頭に浮かんだ。


 揺れるふわふわの髪に飾られた青いガラス玉の髪どめ。


 彼女はピンクのガーベラを選ぶ。

 それは彼女にそっくりな花だった。

 カスミ草と合わせて花束にし淡いイエローのリボンをかけると、彼女は、こっちがドキドキしてしまうくらいの可愛い笑顔で『ありがとう』と言った。

 その声も、頭を下げた瞬間広がった甘い香りも、何もかもが特別可愛くて憧れてしまうほどだった。


 女の子はお花みたいだといつも思う。

 あの有名な歌じゃないけれど、みんな可愛くて特別。

 けれどあの日、私もこうなりたい!――と心の底から思うほど彼女は特別可愛いお花だったのだ。

 思い出した途端、再び彼女みたいになりたいと思う。


 でも無理かな……

 私は……お花じゃないから。


「千草、ありがとう。ほら、今日は日曜だからバス時間いつもより早いよ」

「あ、そっか!じゃあ行ってきます」


 私は慌てて走り出す。

 バスはすぐに到着した。


 バレーボール部の親友の応援に向かった2つ隣街の総合体育館。

 初めて来たことと、予想以上に多い人のせいだろうか。会場の第2体育館につく前に迷ってしまった。


「……あれ?ここは第1体育館だ」


 人波を縫ってやっと辿り着いたのに、間違っていたその場所。引き返そうと後ろを振り向くと、全員と目が合うほどに向かって来る人ばかりだった。すれ違う、バスケ部のユニフォームを着た男の子たちの横を一人逆らって進んだ。


 やっと抜けた人波。

 第1体育館から外を抜けた方が近いと、手元の館内図でわかった。

 もう一度、履き替えた靴のかかとを少し屈んで直していると、さっきすれ違ったのと同じユニフォームを着た男の子がすぐ横の水飲み場に一人残っていた。


「しみるー」


 跳ねる水しぶきは陽を浴びて七色に光っている。目を凝らすと、しぶきの中にうっすら血が見えた。


 ――膝、擦りむいたのかな。


 絆創膏をいつも持ち歩いていたのは、すぐに擦りむく友達のためだった。


「あ、あの」


 自分から知らない男の子に声をかけるなんて今でも信じられない。

 手渡した絆創膏。

 ピンク色の絆創膏なんて恥ずかしくてつけないかもしれない。

 迷惑だったかもしれない。

 それでも放っておけなかったのは、じわじわ痛むから辛いんだよ、と友達から聞いていたからかもしれない。


「あ、えっと!」


 何か言おうとした彼に深く頭を下げてから立ち去った。

 男の子は少し苦手だったから。



『千草!悪い、一件配達頼めるか?』


 直後、突然鳴った携帯。それは父からの配達のお願いだった。

 持病のぎっくり腰が再発した父に代わり、これから配達に行かなきゃいけなくなった。


 やっと見つけた第2体育館の入り口。


 心の中で「未央ごめん!」と謝り背中を向けた。



『……3-22……橘さん』



 すぐ近くのその家は、我が家の前の緩い坂道を登ったところにあった。こんなに近いなら試合見てこれたかも、と思いながらその家のチャイムを鳴らす。


 近所なのに、知らなかった新しいお家。

 白い外壁と緑の鉢植え。

 鉢植えに刺さったwelcomeプレート。

『橘』と書かれた表札。

 二階建てで大きく立派なのに、威圧感を感じさせない優しい家だった。


 数分後、玄関のドアから顔を出した奥さんは私が作った花束を見て満面の笑みを浮かべた。

 その笑顔は満開の桜みたいに上品で神々しく、すごく綺麗な人だと思った。


 けれどその直後。

 彼女は周りの空気を一気に吸い込んだんじゃないかと思うくらい息を吸ってから声を上げた。


「可愛いー!!高木生花店さん。私、また頼むから!絶対!」


 はしゃぐその人は、あまりに可愛らしくて、桜は桜でもピンク色が鮮やかな「糸くくり」みたいだと思う。

 私の母と同じくらいか、少し下か、大人の女性でこんなに可愛らしい人は初めてかもしれない。

 少し見とれてしまった自分がいた。


「あ、ありがとうございます。またご利用お願いします!」


 我にかえり慌てて下げた頭を戻した、そのすぐ後。


 そのすぐ後のことだった。


「母さん、お花やさん困ってるよ」


 あの瞬間を忘れられない。


 玄関先に顔を出したその人。

 ずっと平凡だった毎日が変わったあの日。


 夏の夕暮れ、オレンジ色に照らされたその人の輪郭。


 わたしよりも20センチくらい、いや、もっと高いかもしれない身長。

 整った顔と耳にかかる黒い髪。


 男の子を見て、そう思ったのは初めてだった。


『お花……みたい』


 しなやかだけど、力強い、それでいて華やか。完全に目が奪われてしまっていることに、自分でも気が付くくらいだった。


 私が恋に落ちたのは間違いなくあの瞬間。

 あの時だった。




「お待たせ!」


 私の背中をポンっと叩いて未央は言った。


 水沼未央。

 明るくて、可愛くて、面倒見がよくて、まるで向日葵みたいな女の子だ。

 私の大切な幼馴染み。

 バレーボール部のエース。よく擦りむく私の友達というのが彼女だ。


「聞いて!右京がね!」


 花束を配達した橘さんの『息子』が転入してきたのは夏休み明け。

 まだまだ暑い9月のはじめだった。


「橘 左京です」


 窓側の一番後ろの私の隣。

 あの日、恋をした相手が急に近くにやってきた。


 橘 左京くん

 橘 右京くん


 二卵性らしいが、格好良すぎる双子の二人の転入でクラスの女子、いや、学校中の女子が絶叫し、私の机回りは毎休み時間、お祭り状態になった。


「確かにお祭り……」



 未央はそう言ったあとリンゴジュースにストローを差し口に運んだ。

 私たちのお昼ご飯は決まってここ、学校の中庭の、花壇の前にある白いベンチ。

 入学して一年半、私たち以外なぜか誰も座らないので専用席みたいになっていた。


「左京くんのこと好きなんでしょ!」


 未央の突然の問いかけに飲んでた麦茶を思わず吹き出しそうになる。


「……す、好き?!」


 慌てて彼女に目をやるとストローをくわえたまま彼女が首をかしげた。


「違うの?」

「……違うっていうか」

「はいはい。お互い頑張ろ!うまくいけばWデートも出来るし!」

「ちょっ!未央、わたしまだっ」

「あ!ごめん、次移動なんだ!先に戻るね!健闘を祈る!」


 そう言ってガッツポーズをする未央の姿は午後の光に照らされてさらにきらきら輝いていた。

 まさか二人一緒に恋した相手が双子だなんて思ってもみなかったけれど、素直に自分の気持ちを言う彼女が眩しく見えて、すごく羨ましいと思った。

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