第9話 精霊祭の夜 其の一

 ライカは目前にいる少年の姿をじっと見た。

 全ての形が曖昧になるこの時刻に、一人周囲から浮かび上がるような鮮やかさで彼はそこに存在している。

 人間の見分けがまだあまりつかないライカであったが、この相手は再び会ったとしても決して間違えたりしないと断言出来るぐらいに際立った姿だった。


 しかし、


「おかしい」


 ライカは不審気に目を眇めて相手を窺う。


「サッズが人間の姿で現れるなんて絶対変だ」


 音声の言葉のみを耳にしても、言われた相手が動揺するような疑いに満ちた声だったが、ライカの言外の疑いを直接心声で聞かされたサッズは、実際によろめいた。


『輪が繋がってるのに偽れる訳がないだろう?ちょ、もうちょっとこう、嬉しいとかないのか?』

「だって、エイムが言ってたじゃないか、サッズが人化を覚えるには後百年は掛かるって。まだあれから数年しか経ってないよ。在り得ない事が起きれば誰だって驚くだろ?」

『ふ、まぁ聞けライカ』


 サッズはやや胸を張って応える。


『俺はあれから考えたんだ。そして竜の姿で付いていくのが駄目なら人間の姿になればいいんだと思い付いた。だから頑張って学んで人化の術を習得したんだ』


 その説明に、ライカは益々胡散臭そうに相手を見た。


「死ぬ程勉強嫌いだったサッズが頑張って勉強を?やっぱりあんまり毒がある物ばっかり食べるからとうとう毒が回って精神に影響が出たんだね。だから偏食しすぎるのは駄目だってあれ程言ったのに。……まあ、良い影響みたいだから良いけどさ」

『どんな評価だ!俺は!』


 吼えたサッズが言葉と同時に蹴りを放つのを、最初から読んでいたようにライカは大きく避けた。

 というか、大きく避けすぎて、地上種の竜一体分ぐらいの距離が空いてしまっている。

 つい反射的に、ライカは自分の重さを消した状態で地を蹴ってしまったのだ。


「あ」


 そういえば今の相手は人間体なんだからそんなに避ける必要は無かったのだ、とライカは思い、次にハッとして周囲を窺った。

 今はまだ日は沈み切ってはいない。

 周りには結構人がいて、なぜかそこだけぽっかりと空いた場所に立っている彼等二人はかなり目立っていた。

 何か不思議な物を見るような目で様子を窺う、もの凄い数の視線が二人に集中している。


『サッズ、とりあえず場所を移すから付いてきて』


 低く唸るような竜の言葉を、普通の人間の耳には聞こえない音域に落としてライカは囁いた。


『ん?ああ、なんかうっとおしいもんなここ』


 言われて初めて周囲の人間を意識したのか、サッズはそう言ってライカに並んで歩き出す。

 ライカは素早く隠れるように狭い通路に飛び込むと、そそくさと広場から離れた。

 それについて歩きながら、サッズは物珍しそうに周りを見回す。


『おお、なんか狭苦しいな。そういえばお前、昔から狭苦しい藪に潜るのが好きだったもんな』

『あれは加減が上手くいかなくて突っ込んでただけで、別に好きだった訳じゃないよ!サッズだってよく目測誤って森の端っこを削ってたじゃないか』

『いや、あれはあれで楽しかったからいいんだよ』

『棘が鱗の隙間に刺さって気持ちが悪いとか泣き言言ってた癖に』

『お前こそ、いつだったか崖から足を踏み外して浮かぶのも忘れて落ちたくせに』

『あれは、最後の最後で浮かんだからいいんだよ。サッズが大騒ぎして泣き出しただけじゃないか』

『泣いてねぇよ!』

『泣いてたね』

『お前こそ泣いてたじゃないか!』

『サッズが泣くからつられただけだろ』


 二人が他愛も無い昔話をネタに罵り合いながらずんずん進む間に人影は減り、周囲はすっかり静かになっていた。

 目前にあるのはライカが少し前に奇妙な人々を見た市場の真ん中の大木の広場だ。


「よし、もう誰もいないな」


 あの時の奇妙な丸太の道具もそれを囲んでいた人々の姿も既に消えていた。

 おそらくは水路沿いの広場の方へ移動したのだろう。


『こっちこっち』


 ライカは隣のサッズの手を引いてその広場の丸太のベンチへと誘った。


『お~なんかちんまりしてて面白いな』

『竜の体じゃこんな細々した場所には入れないもんね』

『お前はいつも狭い場所をごそごそやって変なものに絡まれて心配を掛けてくれたよな』

『俺にとっては別に狭くなかったんだよ。ってそういうのはもういいから、いきなりどうしたんだよ?サッズ』

『そりゃ、お前の様子を見に来たに決まってるだろ?』


 ベンチの傍らに生えている大きな木を仰ぎ見て、その枝を下から見るという行為を楽しんでいたサッズは、当たり前のようにそう答える。

 ライカは暫し無言で共に育った家族である相手を眺めていたが、やがて沈黙をいぶかしんだサッズがその顔を覗き込んだ。


『どうした?』

『だって、サッズ凄い習い事嫌いだったじゃないか。年寄りの話を聞いてると眠くなるとか言っていつも怒られてさ』


 サッズは首を竦めてみせる。


『全くだぜ、一番マシだろうと思ったからさ、タルカスに習ったんだけどよ。エイムみたいにすぐ殴ったり、セルヌイみたいに嫌味言ったりしないのはいいんだけど、分かるまで考えろって言って放置しやがんだぜ?どうしてうちの連中ってものを優しく教える事が出来ないんだろうな』

『それはサッズが話をちゃんと聞かないからだと思うよ』

『俺が眠くなるのは教える側の責任だろ?聞いていたいと思うように教えるのが教育ってもんじゃねぇの?』


 悪びれない相手を尚も表情を変えずにじっと見詰めながら、ライカは言葉を継いだ。


『そうだよね、サッズてばずっとそんな事ばっかり言ってて、勉強全然しなかったんだよね。だのに、人化の術覚えたんだ?』

『おおよ、竜のままだと付いて来るなってお前言うし、仕方ないだろ?って、え?』


 俯いたライカから、いきなり混濁した意識をぶつけられてサッズは慌てた。

 サッズが予想もしないかった事に、鼻を啜りながら飲み込めない声を無理やり飲むような引き攣った声を零し、彼の末の家族は泣いていたのだ。


『うっ、サ…ッズ、ひっく馬鹿の癖に』

『ちょ、待て、落ち着け、心声こえもごちゃごちゃしてて何がなんだかさっぱり分からないぞ、ライカ、おい』


 サッズは背を伸ばしたり手を上げてみたりとバタバタしていたが、やがてライカの頭に額を寄せてそっと囁いた。


『うちに帰るか?』


 竜の時に時々そうしたように、額で柔らかく相手を小突く。


『こっちが辛いならさ、もういいんじゃないか?ちゃんと人間の世界で暮らしたんだからお前の母親の気も済んだだろ』

『……あのさ、羽がないサッズってつまんないよね』


 ライカはくぐもった声ながら明瞭な言葉で言った。


『ああん?何言ってるんだ?』

『いつも俺が落ち込んでたら頭から羽を覆い被せてくれたのに』

『泣いたと思ったらもう文句か?我侭な雛っ子だよな』

『サッズだってまだ雛のくせに、それに信じられないぐらい馬鹿のくせに、……本当に馬鹿だよね』

『あんま馬鹿馬鹿言うと、流石に俺も泣くぞ』

『本当の事だし』

『てめぇ』


 サッズはいきなり手を伸ばすと、ライカの頬をぐにっと摘む。


『いた!何すんだよ!』

『この姿になったら一度やってみたかったんだ、あ、面白い、伸びるし、やわらけぇな、こんなふにゃふにゃなくせに無茶ばっかりして、我侭で頑固で言う事きかねぇし、どうやって生きてんだ?お前ってやつは』

『サッズなんて羽以外なんの取り得もないくせに人間の姿になんかなっちゃって、本当に何の取り得もなくなっちゃっただろ?どうすんのさ?』

『あんだと、このちびっこめ』

『なんだよ、図体ばっかりデカイ馬鹿』


 二人は互いの髪や耳や鼻を摘んだり、あちこちを引っ張ったり、半ば取っ組み合いになりながら罵り合った。

 やがて疲れたのか地面に転がった二人は、やっと互いから手を離したが、綺麗に整えられていた服や髪は思いっきり酷い有様だ。


『痛い』

『俺は痛くないけどもの凄く疲れた』

『途中から皮膚を硬化させただろ、ズルイ』

『お前こそ耳の後ろばっか狙いやがって、ここは気持ちが悪いんだって、お前にゃわからんだろうけど』

『俺の方が圧倒的に不利なんだから弱点を狙って当たり前だろ』

『その根性が悪い』

『誰かさんとずっと一緒に育ったからこんな風になったんだな』

『俺のせいにするな』


 ごろごろ地面に転がりながらそんな風に言い合っていた彼等の耳にコーンコーンという軽く堅い音が届いた。


「あ!」


 ライカはガバッと体を起こす。


「祭りだ!行かなくちゃ!サッズ、起きて!」

『なに?祭り?』

『とても綺麗なんだってさ、見に行こうよ!』

『めんどい、俺はここで寝てる』

『行くよ!』


 ライカは転がっている相手の体を思いっきり蹴った。

 ガツン!という堅い音が響き、サッズの体が僅かに転がる。


『ちょ、おい』

『このまま蹴って行こうか?それとも来る?』

『てめぇ、同じぐらいの体格になったからと思っていい気になるなよ』

『はいはい、分かったから行くよ』


 ブツブツ言いながら体を起こしたその手をライカは引っ張って先を急いだ。

 サッズはその歩調に合わせながら尚も文句を言い続ける。


『家族を蹴るか?普通』

『サッズ堅いから俺の足の方が痛かった、絶対』

『そういう問題じゃねぇだろ?』

『ほら、早く』

『後で覚えてろよ』


 もしその場に他人がいたなら、グルグル喉を鳴らしながら獣の仔のようにじゃれあっている二人の少年の姿を見て首をひねっただろう。

 そうしてすっかり暗くなった人気のない街の路地を、やや小柄な影が二つ駆け抜けて行ったのだった。

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