第62話 現場で
礫場に向かう道は酷く歩き難かった。
なにしろ雑多な形の礫石が地面を覆っているのである。力の入れ加減すら一歩毎に変わってしまうし、何より足が痛い。
この道なら、ただ歩くだけで怪我をする人もいるだろう。
「どうしてこんな場所を狩りの待機場所に?」
集団での狩りというものがさっぱり分からないライカは、とりあえず尋ねてみた。
「人間にとって動き難いという事は獣にとっても同様だ。それに礫場には木や背の高い草が生えない。追われている動物はそういう場所を本能的に避けるものだ、しかも開けていて見晴らしが良いので事故が起こりにくい」
案内の兵士が、相手が子どもだからか、施術師の関係者だからか、意外に気軽に応じる。
到着するまでの間の不安や焦燥を紛らわせたい思いもあるのかもしれなかった。
一方で、女子供の足取りにイライラしないでそういう対応を出来る事が、彼の所属する部隊の道義的質の高さを垣間見せてもいる。
「でもそうすると狩場からは遠くなるのでは?」
「いや、最終的には見晴らしの良い礫場の一画に疲れ切った獲物を追い込む事になる。なのでそこを中心に展開し、混乱する獲物を狩るという繰り返しになるのだ。行動の基点としては一番適した場所だった」
「あ!」
いきなり割り込んだ声に、兵士とライカは慌ててそちらを見た。
「その場所を基点にしているのなら、周りの様子を良くご存知ですよね?」
ユーゼイック先生の助手の一人、イージィである。
兵士はああとうなずいた。
「その周囲に水場は無いでしょうか?おそらく大量の水が必要になると思うのですが」
「なくはないが、しかしあるのは湧き水ぐらいで量は期待出来ないぞ」
「無いよりは助かります。着いてからでよろしいので場所をお教えください」
「分かった」
そうやって情報交換しながら進んでいた彼等の頭上が、唐突に陰った。
同時に周囲の埃や枯葉等がふわりと巻き上げられる。
「あれ?」
引っ張られるように頭上を見上げたライカは、そこに見知った姿を見て思わず足を止めた。
「領主様が竜で出られたか」
兵士が今までよりやや明るい声を出す。
そう、彼等の頭上を掠めるように過ぎて行ったのは領主の騎竜であるアルファルスであった。
翼をやや巻き気味に、滑空して飛び去って行く。
スピードを出す時の非常に高度な飛び方で、長距離を飛ぶ時にはあまり使われないものだ。
それを傷付いた翼で行うという事は、それだけ彼等が急いでいるのだと知れる。
「少し急ぐぞ、竜が加われば落石の撤去が早くなる。治療の準備も急いだ方がいいだろう」
全員がうなずいて、背の籠を揺すり上げ、過酷な踏破に備えた。
辿り着いてみれば、現場は想像以上に酷い状況だった。
問題の崖は、崩れ落ちた場所とその横部分とで色の違いがはっきり分かるぐらいに深く抉られていて、その真下の地面は崖沿いに大人二、三人分程の高さに盛り上がっている。
その盛り上がりの大部分は鋭角的な岩で構成されていて、それはまるでナイフか何かで剥ぎ取られたような平らな断面を見せていた。
それこそがこの辺りを覆っている岩盤の特徴だ。
薄く硬い種類の違う層が幾重にも重なるようにして、一つの地層を形作っているのである。
この地層は垂直方向からの力に強く、しかし横からの衝撃に弱い。
この辺りの地面を深く掘る事が出来ないのは、一重にこの地表近くを覆う岩盤のせいだった。
その一方でその側面が露出したこういう崖では、自然な風雨やなんらかの衝撃で簡単に礫石として剥がれ落ちる。
その性質ゆえに、一気に崩れ落ちた時には、雑多に積み重なった普通の土砂のように土塊として崩れる事なく、一塊の岩の断片として落下するのだ。
その塊が大きい程、それを除去するのは人力では限界がある。
領主が竜を出したのは、事故を聞いた時に人力では間に合わないという判断を下したからだろう。
ライカ達を追い越し、既に現場に到着していた領主とアルファルス、一対の竜騎士は、その巨大な翼を広げたり撓めたりを繰り返し、極力風を起こさないように岩を抱えては運んでいた。
周りの兵士や事故に巻き込まれなかったらしい街の人々はその様子に魂を抜かれたかのような視線を投げながらも、すぐにハッとしたように作業を続け、しばらくすると夢を見ているかのような呆然とした視線を再び竜に向けるという事を繰り返している。
そもそも、人々の頭の中の竜騎士は、戦いの中で敵を打ち砕くものであって、このような単純作業を行う存在ではない。
その違和感が、どうも彼等から現実感を奪っているらしかった。
これ以上の落石を起こさない為だろう。
叩き付ける力ではなく、巻き上げる力によって浮力を得ているらしいアルファルスの翼に、距離は離れているのに吸い込まれるような吸引力を感じて、ライカは足に力を込めた。
「凄い」
領主ラケルドとその竜アルファルスの、力強いながらも繊細に働く姿を見て、ライカは感嘆の呟きをもらした。
一度接触を持っているアルファルスに対して、ライカは思念の繋がりを持てる。
そこから伝わる感触で、領主とアルファルスの二つの存在の意識がぴたりと重なり合っているのが分かったのだ。
それは、領主がやりたいと思った事をそのままアルファルスが実行出来るという事を示している。
竜の家族と意識的な繋がりを持っていたライカだが、ラケルドとアルファルスのそれは、そういう魂だけを結んだ結び付きとは全く違っていた。
その姿は、正に人と竜が一体となっている姿と言って間違いはない。
「ライカちゃん、場所を作るから手伝って頂戴」
スアンが二個の籠から荷物を出しながら、そんなライカを現実に引き戻した。
「あ、すみません」
慌てて我に返ったライカは、そこにもうイージィがいない事に気付く。
先ほど言っていた水場に行ったのだろう。
ライカはケガ人のいる事故現場でひと時なりとも他に気を取られた自分を叱咤した。
落石の撤去がまだ済まない今の状態でも、既にケガ人は多数見える。
飛んできた礫によるものだろう傷から血を流している者や、もう少し大きめの物によると思われる打撲を受けて横たわっている者が、てんでに地面にへたり込んでいた。
今は他に気持ちを逸らせて良いような状況ではないのである。
急いで今出来る治療からやっていくべきだろう。
ライカが、そう判断し、スアンの指示に従い、治療場所を確保する為に瓦礫を均してなるべく平らな場所を作っていると、一人の男が近付いて来た。
「おい、お前達治療師か?」
「いえ、療法師の、ユーゼイック様の助手ですよ」
答えを聞いて、相手が一瞬ひるむ。
ライカは、その相手になんとなく見覚えがあるような気がして注視した。
「し、城のやつらか」
逡巡している風だが、よく見れば彼の腕には真新しい痣が出来ていて、そちらの腕を庇うようにしている。
「怪我をしているんですか?治療しますよ?」
打ち身程度ならライカにも手当てが出来る。骨が折れでもしていたらさすがに難しいが、先生が来るまで悪化しないように固定するぐらいの事は出来るはずだ。
「お、お前、セヌんとこに来てるガキだな」
呼びかけに初めて気付いたように、男はライカを見分けて声を掛けた。
「あなたはレンガ地区の方ですか?」
「何言ってるんだ!一度会っただろう?いや、二度か」
ライカは言われて記憶を探るが、最近人の見分けが付いて来たとはいえ、やはり意識していないと相手を識別出来ていないので、その男をはっきりとは思い出せない。なんとなく見覚えがある程度だ。
だが、じっと見つめた事で、その男がまだ若い事に気付く。
「すみません、ちょっと思い出せなくて。もしかしてノウスンのとこの?」
「ああ、まぁ落ち着いて自己紹介なんかしたこたねぇから覚えて無くてもしょうがないけどな。なんでもいい、とにかくあいつらに言ってくれ、急げって!」
彼の指し示す方向は崖崩れの場所だ。
ライカはぞっとした。
「まさか、あの下にレンガ地区の誰かが?」
「誰かじゃねぇ!あそこに埋まってるのはうちの連中ばっかりだ!街の連中から離れて崖の下に固まってた所に岩が落ちて来やがったんだ!」
「セヌのお父さんも?」
「大人はいねぇ!うちのチームだ。あいつら、埋まってるのがうちの連中だから手ぇ抜いてるんだ!さっきまでぼんやりしやがってまともに岩の一個もどかせやしなかったんだぞ!俺の言う事なんて聞きやしないんだ!ゴミ溜めのガキなんか見捨てるつもりなんだよ!お前から頼んでくれよ!」
「ちょっと、落ち着いて。ほら、領主様が竜で岩を退けてるし、みんなちゃんと少しずつ作業しているよ。ああやって重なってる状態で順番を無視して岩をどけると下になっている人が重さに潰されるかもしれないから考えながら退けてるんだと思う」
「つ、潰される?」
真っ青になった相手に、ライカは言葉を選び間違えた事に気付いた。
青年はたちまち異常な程に震え出す。
「大丈夫よ。みんな助けるから、ほら、とにかくまずは貴方が大丈夫じゃないと仲間を助けられないわよ」
横から助け手が入って、レンガ地区の青年の手をそっと握った。
その体温にはっとしたように、彼は自分の手を辿ってその相手、スアンを見る。
「助ける?」
「ええ、私たちはその為に来ているんだもの。大丈夫よ」
優しい声に手を引かれて、彼はおとなしくその後に続いた。
ライカはその背後から彼女に詫びる視線を送ると、スアンはにこりと微笑んで見せる。
その場はスアンに任せて、とりあえずライカは現場に走った。
「あの、どんな様子でしょうか?知り合いが埋まっているみたいなんです」
水で口を濯いで一息吐いているらしい兵士を見つけて問いかける。
「そうか、どうやら生きてる連中がいるらしいんだ。岩がほら、角ばってるだろ?おかげで案外隙間が大きくてな、下も空間がかなりあるらしい。だが、それだけに退かす順番が難しくて。俺達にはさっぱり判断が付かないんだが領主様がな」
「領主様が?」
「あのお方はそういう力の具合、何を動かせば全部を壊せるのか、逆にどれを残せば支え続けられるのかってのが分かるらしいんだ。それで、その指示を貰いながらどかしてる訳だが、なんせ領主様は竜騎士なもんで、竜と同調している状態だと意思の疎通が取り難くってなぁ。かといって繋がりを解いてしまうと、今度は人の手じゃどかせない岩をどかすのが上手くいかなくなる。どうにももどかしくてな」
見てる前でもアルファルスが大きい岩の塊を無造作に引き抜き、周りの人間が息を呑む。
しかし、兵士が言うようにかなり不安定な場所を抜いたように見えるのに、その周囲は全く揺るぎもしなかった。
「お、俺」
ライカは何度か唇を湿らせると、僅かに身震いして声を絞り出した。
「ん?」
「俺、小さい頃は竜と暮らしてたから、ある程度意識を通じさせられます」
「本当か!」
「はい」
「よし、手伝ってくれ。おおい、お前ら!」
竜の飼育に携わる人間はある程度竜と意思の疎通が出来る。
それは竜が飼育されているここの兵士ならば知識として持っているものだったので、兵士はさして疑う事もなくライカの言葉を信じた。
だがもし、ここにその当の竜の飼育人がいれば、それが異常な事だと気付いただろう。
確かに彼等はある程度竜の意図を汲んで飼育を行うが、それはあくまでも気分を読む程度の事だ。
しかし今回の件では、細かい指示を竜と一体化した領主の意識から読まなければならない。
流石に一瞬ライカは口に出すのを躊躇ったが、結局は言ってしまった。
ふと、見上げる目線とアルファルスのまなざしが合わさる。
その奥に、確かに異なる意識、領主ラケルドのものらしい意識が見えた。
(領主様にはもう分かってしまったかもしれない)
だが、「頼む」と言われた気がしたのも確かだ。
ライカはとにかく後の事は考えずに、埋まっているらしいノウスン達を救出する事に意識を集中する事に決めた。
視界の端に、疲れた足で水袋を提げた担ぎ棒を背負ってスアンに合流するイージィが見える。
スアンは、治療中にいきなり立ち上がる青年に何か声を掛けながらまた座らせていた。
人間は互いに助け合う事で何かを成し遂げる生き物だ。
だから、人は互いに手を伸ばし、力を合わせる。
ならば、ライカとて助け手の一つになる事を躊躇う理由はないはずだった。
「こっちの右手の岩をまず退けてください」
集まってきた人々に、アルファルスであり領主のものである指示を伝える。
人々はホッとしたような顔をすると、それが領主のものであると信じているからか、子供の指示を受ける事に疑問を持つ事もなく、今までより活発に作業を始めたのだった。
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