第28話 レンガ地区の子供達 其の四

 少女は両足を踏ん張ってすっくと立っていた。

 顎を突き出し、自分よりも遥かに大きい少年を相手に怯える事もなく、むしろ睨むように見上げている。

 一方の睨まれている方の少年は、今の今まで頭に昇っていた血が一気に下がったかのように、何か苦く不味い物を飲み込んでしまったような表情で、微妙に少女の視線を避けていた。


「ノウスン、あたいはあんたをもっとずっとまともな奴だと思ってた!自分より弱い相手を半殺しにするような男だとは思わなかったよ」

「……ガキの癖に生意気言うんじゃねぇよ」


 どこか勢いを無くしたまま、だがノウスンと呼ばれた少年達のリーダーはそれでも少女に反論した。


「余所者と馴れ合って良い事なんて何一つありゃしないんだ。お前はガキだから分からないんだよ」

「それならあんただってガキじゃないか、あたいは確かに子供で、分からない事だってたくさんあるよ。だけど分かってる事だってある」


 少女、セヌは、その小さい体から叩き付けるような声を発した。


「そいつはあたいの頼みを聞いてくれた、自分にはなんの得もないのにね。だからあたいはそいつを守らなきゃダメなんだ!それだけは絶対なんだ!」

「それでどうするんだ?そいつの代わりにお前が殴られようってのか?」

「そうだよ」


 ためらいのない言葉に、少年はため息を吐いて全身から力を抜く。


「分かった、確かに俺もどうかしてた。そいつを見てるとイライラするんでな」


 言い募る声にはつい先ほどまでの苛立ちはない。


「お前の好きにすればいいさ」

「言う事だけは偉そうだよね。だけどあんた達はさ、ここらを守ってるとか言ってるくせにこんなに壁を壊しちゃってどうすんのさ?人が住まない家だって他の家の支えになってるのを知ってるくせに」

「うるせえな、カッとなったんだよ、ちゃんと直しておくさ」


 言いながら壊れて散らばったレンガの一つをボロボロの靴を履いた足で踏み、ぐっと力を込めてバラバラに潰してみせる。

 少女が大人げないねと呟いたのを聞きとがめ、都合の良い所だけ大人にするなと吐き捨ててその場を後にした。


 セヌは彼のその後姿を見送る間も惜しんでライカに駆け寄った。

 ライカの髪の間から血が流れ出ていて、その赤い色がセヌの心臓の鼓動を嫌な感じに早めさせる。


「ねえ大丈夫?死んじゃ嫌だよ」


 彼の白くなった頬をぺちぺちと手の平で叩いてみると、うめき声が返り、とりあえずの無事を彼女に伝えた。


「大丈夫そうか?」


 後ろからセヌを呼び出した少年の遠慮がちな声が掛かり、セヌは振り向いた。


「生きてるよ」

「そうか、警備隊が出張ってくるようなヤバい事にならなきゃいいんだけどな」

「あんたらの心配はそんな事ばっか、いいからそこらから血止めの草を取ってきてよ」

「うっさいな、分かったよ」


 声が去ると、セヌはその目に涙を浮かべて鼻を啜り上げた。


「ほんと、バカばっかなんだから」


 ほっとした途端、気が緩んだのかもしれない。

 と、その涙声に誘われたかのようにライカが顔をしかめながら目を開けた。

 少しの間ぼうっとした様子で自分の耳や頭に手をやって首を傾げている。

 暫くそのまま様子を見た後で、セヌはライカに声を掛けた。


「ライカ、あたいが分かる?」

「……?あれ?セヌ、なんで泣いてるの?」


 ライカは自分を覗き込んでる小さな顔に優しく触れた。

 途端にその少女の幼い顔がくしゃりと歪む。


「あんた、なんてバカなの!しんじられない!やばかったら逃げるとか助けを呼ぶとか、誰だってなんとか自分のできることをするもんだろ!あたいがどんだけ心配したかわかってんの?」


 泣きながら小さな手に殴られて、ライカの記憶がゆっくりと繋がっていった。


(そういえば、なんかバカな事考えてたな)


 そっと耳たぶの感触を確かめて頭を振る。

 そこにある血塊を取るには耳ごと切り落とすしかないだろうし、それならそれで、竜王が飛んでくるのは間違いない。

 頭が混乱していたとはいえ、意味のないたわ言を真剣に考えていた自分が少し恥ずかしい。


「ちょっと、頭を動かしちゃダメだよ。また血が出てくるじゃないさ」

「あ、ごめん」


 謝って、少女の顔を見、改めて周りを見回した。


「あれ?彼は?」

「とっくに逃げ出したよ。あいつったら女を殴る意気地がないのさ」

「まだそんな時期じゃないんじゃないかな?」


 何気なく答えたライカに、セヌは目を吊り上げた。


「なに?男ってのは大人になったら女を殴る生き物だって事?」

「う?え?」


 セヌの剣幕に驚いて、ライカは思考を巡らせた。

 そういえば人間は求愛時に異性を羽根で叩いたりはしないのだ。

 そもそも人間には羽根がない。


「ああ、ごめん。なんか頭が混乱してて」

「まぁいいけどね。確かに大人の男ってよく女を殴るしね」

「でも、女性に殴られたら命が危ないし」


 セヌは目尻に残った涙を拭うと、ライカをじっと見つめた。


「まずいぐらい頭を打ったんじゃない?たまにいるんだよね、頭を打った翌日におっちんじまう奴が」

「どうだろう」


 セヌの小さな手が頭に触れ、そのままなぞるように顔に触れた。

 それはひんやりと冷たく、その冷たさを気持ちよく感じるという事はあちこち腫れて熱を持っているのだろうなとライカは気付く。


「コブが出来てるわね、血も出てるし、顔も酷いもんだわ、明日はお化けみたいな面相になるわよ」

「お化けって見た事ないな」

「あたいもないけど、あんたが読んでくれた絵本に載ってたじゃない。夜に見たくないようなのが」

「なるほど」


 話している内に頭の内部で洞窟の中のように声が反響するような感じも収まって、ライカは身を起した。


「お、起きて大丈夫か?」


 崩れかけた入り口から入って来たのは、ライカが以前出会った地走りという少年だった。

 手に緑の葉と二個の石を持っている。


「あ、それ血止めの草だね。採って来てくれたの?」

「ああ、そこのガキが煩いからな」


 そう言った彼にセヌが思いっきり舌を出す。

 やられた方は不敵に笑ってみせるだけで、そのまま二個の石を使って草を潰し始めた。

 すぐに緑臭い、少しツンと来る独特の匂いが広がる。その草は子供たちがケガをすると良く使っている馴染み深いもので、その匂いはその場にいる者の気持ちをどこか和らげる効果があった。


「ごめん、なんか色々迷惑かけて」


 ライカがそう言うと、地走りはうんうんと頷いてみせる。


「そうそう、迷惑だからもううろうろすんなよ」

「うっさいよ、ばーか」


 しかしライカではなくセヌがにべもなくそう返事をした。


「うっさい、ちび」


 二人のやり取りに苦笑を浮かべて、ライカは今度は自分でちゃんと返事をする。


「うん、また来るよ。今度はちゃんと話を通す」

「はぁ?」


 地走りと呼ばれている少年は呆れたようにライカを見て、手の中のぐちゃぐちゃの固まりをその顔になすりつけた。


「あいた!」

「お前話が分からなすぎ!頭おかしいんじゃねぇの?」

「ちょっと、乱暴だよ、バカサラギ」

「てめ!名前呼ぶんじゃねぇよ!余所者の前で」


 言いながら髪を掻き分けて頭の傷にもそれを押し当てた。


「う、あ、ありがとう」

「もう傷はふさがりかけてるし大した事ないな、頭打ってもコブが出来るようなケガはそれ程心配ないさ、まぁ顔は紫に腫れてすんげぇ男前になるから安心しな」

「あはは」


 少年はライカから離れると、腕を組んで彼を睨んだ。


「んで、まだ懲りねぇの?」

「よく考えたら、俺がここに来る理由を話してなかったし」


 地走りと呼ばれている少年サラギは天を仰ぐ。


「うわぉ、お前根性だけは立派だよ、ほんと」


 パンパンと手をはたくと、彼はそのまま背を向けた。


「もう好きにしな、二度は助けないからな」

「ごめん、ありがとう」


 ライカの謝罪と礼にいらえはなく、少年はそのまま立ち去ったようだった。


「あいつらがあたいを呼びに来たんだ」


 セヌがぽつりと言った。


「まぁあいつらにはあいつらの事情があるんだろうけどね」

「そっか、みんなに助けてもらったね」


 彼女は少しうつむくと呟くように言う。


「あのさ、あたいに遠慮とかしないでいいからさ、嫌ならもう来なくていいんだよ」

「嫌じゃないよ」


 セヌはむっとしたように顔を上げたが、ライカのやや変色しかかった顔を見て笑った。


「そんな顔で愛想笑いしても可笑しいだけだよ」

「そんなに変?店でなんか言われるかな?」

「そりゃ言われるよ、そもそもあんたそれで働く気?」

「うん」


 セヌははぁっと声に出して息を吐いた。


「その、あたいから持ちかけててなんだけどさ、あんたって変なやつだよね」

「お化けみたいになってる?」

「いや、それじゃなくて、その、どうでもいいことだろ?あたいらの事なんかさ」


 ライカは立ち上がってセヌに手を差し伸べる。

 ひびが入ったらしい肩がやや痛んだが、ライカは気にしない事にした。


「どうでも良くはないだろ?セヌはさ、俺を信頼してくれたから頼みごとをしてくれたんだろ?」

「そうかな?」


 セヌの小さな手がライカの手の中に当たり前のように収まる。


「それって友達になってくれたって事だろ?だったらどうでもよくないよ」


 繋がった少女の手にぎゅっと力が篭もる。


「あんたみたいな馬鹿見た事ないよ」


 互いに手を繋いだまま二人はゆっくりと路地を歩く。

 セヌは暫く顔を上げる事なく、ただぎゅっと自分よりずっと大きい手を握っていた。

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