第21話 癒しの場所

『もうすぐ夜明けだ。ここの世話人は夜明けと同時にやって来る。そろそろ起きた方がいいのではないかな?』


 歌うように低い声が耳に響く。

 ライカはその慣れた振動にもぞりと動くと、腕で巨大な足を押しのけた。


『また、兄貴ぶって偉そうに起こすのはやめなよ』


 ぼんやりした口調で呟いた途端、ライカはばっと立ち上がり、自らの口を押さえて真っ赤になった。

 数歩後ずさりながら上目使いで何かを確認するかのようにアルファルスを見る。

 アルファルスは身をよじって体を細かく震わせていたが、こらえきれず低く地に響くような笑いを漏らした。


『くは、は、安心するがいい、名を呼んではいない、そうか兄弟がいたのか』

『う、あ、あの失礼します!また来ますね!』


 真っ赤な顔のまま、ライカは慌しく挨拶をすると小さい入り口から飛び出した。その後ろからアルファルスの笑っていると思われる振動がびりびりと伝わってくる。


(うっかりしてた、寝るつもりは無かったのに)


 そうは言っても竜舎へ来てからさほど時間が経った訳ではなさそうだった。寝ていたとしても、うたた寝程度の事だろうとライカは判断する。

 外はまだ夜明け前の独特の暗さと冷え冷えとした空気に満ちていた。

 だが、小さな鳥達の呼び交わす声が既に空に響いているし、夜明けが迫って来ている気配はある。

 見張りの兵士達があくびをしながらなにやら同僚と話し、周囲への警戒は解かないまでも堅くなった体をほぐすように小さく足踏みをしていた。

 その内一人がしきりに頭上を透かし見るような様子を見せている。その落ち着かないそぶりからすると、交代直前なのかもしれない。

 さすがにそんなにそわそわした状態の相手の前を派手に移動して見破られない自信はないライカは、暗さを幸い、道を逸れると、建物に沿ったレンガの上を裸足でゆっくりと音もなく歩いて彼らの目をやり過ごした。

 無価値のまじないは、普段変化のない、当たり前のものが当たり前にある事を無意識に受け入れて、新しい情報を入れないという人間の特性を利用している術であり、相手が普段と違う事をしている場合には効きにくいという弱点がある。

 だからこそ使う側としては普段と違う状態をなるべく引き起こさないようにする配慮が必要だ。

 そういう理屈は分かってはいても、実際に人に対して使うのはまだ二回目なので、微妙なさじ加減がライカには難しい。

 なにしろぶっつけで使っているのだから失敗したらそれまでなのだ。

 何千年も生きている竜王がコツコツ作り上げた、世のことわり自体に干渉する術なので、それなりに強力なのは確かだが、彼らの場合はこの術が破られようと、本来自身が持っている力でいかようにも切り抜けられる。

 そんな裏ワザを持たないライカは、出来るだけ冒険を避けてひっそりと移動した。

 その慎重さのせいで、ライカが治療所が見える場所まで辿り着いた頃には、既に夜明けの光が山間から差し込んで来ていたのである。

 もう少しすれば、一日の最初の鐘である四点鐘も鳴る筈だ。


「そこに誰かおるのか?」


 ライカはぎくりとして身を竦めた。

 もはや周囲は暗闇ではない。

 術を解いた訳ではないとしても、何かを見つけようとしている者に見つかる危険性は十分にあった。

 仕方なく、そっと声の方を窺うと、そこにあったのは祖父の姿だった。


「あ、ジィジィ」


 ライカは慌てて術を解くと祖父に駆け寄った。

 自分が抜け出したベットを見て心配して探していたのだとすぐに思い至り、申し訳ない気持ちになったのである。


「なんじゃ、どこへ行っておった?ならず者どもに殴られて倒れたと聞いてワシがどれだけ心配したか分かっておるのか?勝手に起き出してどっかでまた倒れておるんじゃないかと身も凍る思いじゃったわ」


 早朝の辺りへの気遣いなどどこにもなく怒りにわめく祖父に、ライカは殊勝に頭を下げた。


「ごめんなさい、なんだか外の空気が吸いたかったんでつい」

「つい、じゃない!そういう時はわしを起こすもんじゃ」

「だってジィジィ寝てたし」

「寝てたから起こすんじゃろうが!ええか!たった一人の身内を心配するのはわしの権利じゃ!起こされたら当然小言も言うし、説教もする。だが、知らない間に文句も言わせずに事を終わらせてしまえばその機会は失われてしまうじゃろうが。お前が勝手に考えてわしの権利を奪っちゃいかんのじゃ」

「ええっと……?」


 ライカは叱られている内容に混乱して思わず祖父の顔を見た。


「分からんか?心配して世話を焼くのが家族の権利よ、お前のようなひよっこには分からんかもしれんがの。ええか!今後はわしに言ってから無茶はするんじゃ!一度しこたま文句を言われてみると少しは懲りるじゃろうからな」


 皺だらけのゴツゴツの手が、叱る言葉と裏腹に、ライカの顔を柔らかく包む。

 その手に祖父の温もりを感じて、ライカはそのまま祖父に抱きついた。


「ごめんなさい、ジィジィ」

「お前は素直すぎて話にならん!もうちょっと、こう、腐れジジィ!とかカチカチ頭とか言って喧嘩ぐらいしてみせてもええんじゃぞ」

「それ、父さんの話?」


 懐でクスクス笑い出した少年を、もう一度強い力で抱き寄せて、祖父はそうじゃ、と憮然とした口調で告げた。


「あの、おじいさん。感動の場面は終わりましたでしょうか?」


 騒ぎに起こされたのだろう、気付けば治療所の療法師であるユーゼイックが近くに佇んでいる。


「なんじゃ!おまえさんにおじいさんなどと呼ばれる覚えはないぞ!この中身のない葦の葉っぱめ」

「ジィジィ、なに失礼な事言ってるんだよ。昨日お世話になったのに」

「だからじゃ、こやつがちゃんと治療出来てなかったからお前が倒れたんじゃろうが!」


 ライカはその祖父の暴言に驚いて目を見張ると、ユーゼイックの方を見た。

 基本的に穏やかな気質なのか、彼は困ったように苦笑しているのみで、別段腹を立てている風ではない。

 おそらくそういう謗りを初めて受けた訳でもないのだろう。


「ジィジィ違うよ、怪我をして倒れた訳じゃないし、先生は悪くないよ」

「じゃあなんで倒れたんじゃ!自分で分かっとるとでも言うのか!」

「え……?それはきっと、色々考え過ぎたからじゃないかと」


 どう言っていいのか分らずにライカは口ごもる。


「そんな話、聞いた事もないわい」


 当然祖父は納得しなかった。


「まぁまぁおじいさん」

「貴様のじいさんではないと言っておろうが!」


 ユーゼイックはいきり立つ祖父を宥めるように微笑むと、ゆっくりと言った。


「とにかくちゃんと調べてみないと、ライカさんの体にまた障りがあるといけませんから。一度中へ入りませんか?」

「そうだよジィジィ、それにこんな朝っぱらから外で騒いだらお城の人に迷惑だろうし」

「こんな厚い石の壁の向こうに声が通るもんか!」


 まぁまぁ、そう言わずにと、二人掛かりで引っ張られ、なんとか全員が移動して治療所に戻った。


「じゃあ、ちょっともう一度診させてもらいますね」


 ゆったりとしたクッションの上に寝かせられて、繊細で柔らかい感触を再び感じ、ライカは心の中でユーゼイックに対する申し訳なさで頭を下げる。

 彼の診立てに誤りがあったはずもない事をライカは知っていた。ひたすら自分が悪いのである。


「ふむ、やっぱり体の内部に問題はありませんね」

「ならなんで倒れたんじゃ」

「これは勝手な推測でしかありませんが、もしかすると精神的な痛手があったのかもしれません」

「なんじゃと、そういえば、坊主も考えすぎたとかなんとか言っておったな」

「大人から一方的な暴力を振るわれた事が初めてだったのではないでしょうか?」

「おのれ!警備隊のやつらがボヤボヤしておるからじゃ!」


 どちらにしろ誰かに怒りをぶつけなければいられないらしい祖父に、ライカは苦笑してふと思い出した。

 アルファルスの話では祖父は警備隊の班長とこの調子で大喧嘩をしでかしたらしい。


「せんせい、本当にご迷惑をおかけして申し訳ありません」


 色々な人に迷惑を掛けてしまったなと、ライカは意気消沈した。


「それは違いますよ。この街の人達が無事に元気に生活していけるようにするのが私たちの仕事ですし、私はそれに誇りも持っています。ですから、遠慮などされて体調を悪くされる方が私には辛い事なのですよ」


 ユーゼイックはそう言うと、ライカの手首から掌へと二本の指でやや強めに圧迫を掛けた。その直後少し体が温かくなったのを感じて、ライカは問うように彼を見る。


「昨日午後から食事や水分を摂ってないので内臓が少し弱っているようですから、ちょっとだけ血の流れを良くしておきました。何か暖かくて消化の良いものを作らせますので、それまで苦くない香り茶で我慢しておいてくださいね」

「本当に色々ありがとうございます」


 さりげない気遣いに心も温かくなると同時に、そういえばと自分が半日以上食事をしていない事に初めて気付く。

 自分が気付かない体の状態を他人が察して癒してくれるというのは不思議な事だと、ライカはどこかくすぐったいような思いで感じていた。

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