第39話夜間図書館にて

 俺たちは心身ともにすっきりした気分で本部に帰りついた。


 両開きの扉を開けて食堂に入ると、トゥリーが声をかけてきた。

「あのガキはどうした?」

「あ、すっかり忘れてた」

 俺は魔剣ペルチオーネを、しっかりと鞘に納めた。

 黒と銀のワンピースに身を包み、銀のウサミミリボンをつけたペルチオーネが出現する。

 腰に手を当て、頬を膨らませていた。

 ご機嫌斜めのようだ。

 ペルチオーネはそっぽを向いたまま、唐突に始めた。

「あんっあんっ、タネツケそこ、そこいい。もっと突いて」


 一瞬、なにを言い始めたのかと思ったが。

 これはさっきラブパレスで運動中にマトイが発した言葉だった。

 ペルチオーネが続ける。

「あんっあんっ、腰が勝手に……」

 マトイが燃え上がらんばかりに赤面した。

「ちょっと! なに言ってるのっ!」

 悲鳴のように声を上げて、ペルチオーネにつかみかかる。

 ペルチオーネのほうは素早く避けた。

「ちょっと! 触らないでよっ!」

「だったら黙りなさい!」

「あんっあんっ!」

「許さないから!」


 ドタバタと追いかけっこが始まった。

 マトイは素早い動きで手を伸ばすが、ペルチオーネも動きに切れがある。

 体格差があまりないのも勝負を長引かせそうだ。

 ペルチオーネは実体を消していても、剣の周囲の出来事を感知するらしい。

 前からそんなことを言っていたが、これではっきりした。

 いそしむ際には剣を別の場所へ置いておかなければならないようだ。


 走り回る二人を気にした様子もなく、団長が声をかけてきた。

「それで、首尾のほうはどうだったんだ?」

「それが……」

 俺は大した成果がなかったことを伝えた。

 だが、予想に反して団長は目を輝かせた。

「ザッカラントがアルコータスにいるのが確実だというなら、それだけで十分な情報だ。我々にはそれさえ確かめる方法がなかったのだからな」


 ☆☆☆


 アルバの待機時間が終わって午後になると、全員でパトロールに出ることになった。

 ここで団長とトゥリーは眉間にシワを寄せた。

 パトロールにはペルチオーネも参加させたい。

 ザッカラントの探知のかけてはもっとも頼りになる存在だ。

 だが、俺とペルチオーネは一緒でなければならない。

 ペルチオーネは本体である剣からあまり離れられないようだった。

 俺がバイクも車も運転できないこともあり、車両配分に頭をひねった。

 みなを交えて話し合った結果、次のようになった。


 まず、アデーレとクラウパー。

 この二人はいつも通り。

 離さないほうがいいと判断された。


 次はマトイとヒサメ。

 運転は慣れているマトイだ。


 俺とペルチオーネには小型トラックがあてがわれた。

 ナムリッドが運転手を務める。


 団長はトゥリーのバイクの後ろに乗り、関係各所を巡ることになった。


 ペルチオーネが入ったことで、車両不足が決定的となった。

 今日明日にも予備のバイクを購入することも決まった。

 主に俺とペルチオーネが乗るための車両だ。

 空いた時間があれば、マトイを先生として運転の練習をしなければならない。


 組み分けが決まると、俺たちはパトロールに出た。

 それから四時間、アルコータスの中をぐるぐるぐるぐると。

 ザッカラントは見つからない。

 ナムリッドとおしゃべりドライブしてたようなものだった。

 アルコータスの地理にちょっと詳しくなった。

 誰もザッカラントが見つかるとは思っていなかった。

 ただ、目を光らせることで身動きしにくくしてやることが主目的だったのだ。


 帰ってくると、運転の練習をした。

 この世界の乗り物にはアクセルがない。

 動力源は人間の使う魔法、マナ・ファクツだ。

 手首につけたリングから、注ぎ込む力を調節してスピードを変える。

 ブレーキはもちろん、変速器もある。

 ただし、変速器のほうは使わなくてもよい。

 スピードを上げるぶんには、自動的にギアが切り替わった。

 微妙な減速をしたいときだけ、マニュアル操作するらしい。

 マナ・ファクツの扱いさえコツをつかんでしまえば、あとは簡単だった。

 運転するだけなら、もう平気だ。


 ☆☆☆


 夕食が終わって自室に戻ると、ペルチオーネはタブレット端末をいじり始めた。

 この正式にはなんていうのか知らないタブレットは、ヒサメに借りっぱなしだった。

 そろそろ返さなくてはならない。

 とはいえ、いま取り上げると何をしでかすかわかったもんじゃなかった。

 明日にでも、自分のものを買ってこなければならないだろう。

 ぽんと買えるような値段だといいが。


 入浴の準備をしようとして、俺はふと気になった。

 ペルチオーネは入浴させなくても大丈夫だろうかと。

 ペルチオーネのそばへ行き、そのプラチナブロンドの匂いをかいでみる。

 かすかにフローラルの香りがした。

 うん、これなら大丈夫そうだ。

 生物のように垢は出さないのだろう。


 タブレットに夢中だったペルチオーネが、こちらを見上げる。

「なぁに、マスター……?」

「いや、ペルチオーネは風呂に入らなくても臭くならないのか気になったんだ」

 ペルチオーネは妖しげな流し目をくれた。

「え~、一緒に入りたいなら、そう言ってくれればいいのにぃ~」

「入る必要があるなら一人で入れよ」

「身体洗ってくれるなら入るっ!」

「身体洗ってあげないから、入らなくていいと思うよ」

 胸の平らなペルチオーネの裸なんか見てもなんとも思わないが、こちらの裸を見せることによって、なにか悪影響があるかもしれない。

 もちろん、俺にとって。

 ペルチオーネが髪をこすりつけてくる。

「マスター、頭洗って~」

「やだよ、面倒くさい」


 俺たちがじゃれていると、ドアがノックされた。

 ちょっとご無沙汰だったが、ナムリッドかもしれない。

 俺は返事した。

「ナムリッドか? 開いてるよ」

「こんばんはー」

 ドアを開けたのは、やはりナムリッドだった。

 わずかに頬を赤らめ、ちらちらとペルチオーネに目をやりながら口を開く。

「少し間があいたけど、そろそろ勉強を再開しないと授業に遅れちゃうと思うの」

 アルバの女性陣はたくましい。

 一人で国を滅ぼす男がどこに潜んでいるとも限らないのに、いつもの調子を崩さない。

 俺は感心しつつ答える。

「そうだな、日進月歩だしな、保健体育は」

「じゃ、図書館いきましょうか……?」

 その言葉にペルチオーネが反応した。

「あたちも行く! 図書館!」

「そうか」

 俺はそう言いながら、机の上の魔剣を取る。

 ナムリッドが顔を赤くして慌てた。

「ちょ、ちょっとタケツネ! その子も連れてくの?!」

 だが、俺は剣をわずかに引き抜く。

「あっ、ずるい!」

 そう叫んでペルチオーネは消えた。

 俺は机の上に剣をそっと置き、言葉をかける。

「大人はずるく、そして勉強熱心だ……」

 ナムリッドがほっとしたような声を出す。

「ああよかった。タケツネが変な趣味に目覚めたのかと思った。この前の裸リボンパーティーのせいで。あれはちょっとやり過ぎだったって、内心反省してたのよねー」

「あれ以来、イリアンがまともに口をきいてくれないんだぞ」

 俺たちはペルチオーネを残して部屋を後にした。


 ☆☆☆


 夜間図書館に着くと、いつもの銀髪メイドさんが赤い唇でにこりと笑顔を見せてくれる。

「今宵もようこそ、ナムリッドさま。いつものお部屋でよろしいですか」

「うん!」

 支払いを済ませ、部屋へ向かう。

 ふかふか絨毯の部屋へ入ると、ナムリッドは上機嫌で言った。

「二人っきりは久しぶりだから、まず礼儀作法の勉強をやりなおさないと。師匠のほうが上だってことをきっちり教えこんであげるから」

「はいはい」

「じゃ、まずは尊敬を込めたファスナーのおろしかたよ」

 ナムリッドがくるりと背中を向ける。

 よくはわからないが、尊敬を込めねばならないようだ。

 俺は慎重に、花がらワンピースのファスナーに手を伸ばした。


 そのとき。


 どこから聞こえるのか、音源はわからないが切迫した声が響いた。

「緊急事態が発生しました! 個室のお客さまはお部屋にとどまってください。ドアをこちらでロックします!」

 声は続けた。

「アルバのお客さま、至急受付まで! ご助力を」

 唐突に途切れた。


 俺とナムリッドは顔を見合わせる。

「どういうことだ」

「とにかく行ってみなくちゃ!」

 俺たちの部屋はロックされていなかった。

 扉を開けると、男女の悲鳴が聞こえた。

 俺たちは急いで廊下を走り、階段を下りた。

 最初に目に入ったのは、紅蓮の炎だった。

 図書空間の隅から炎が吹き上がり、天井と書棚をなめる。

 しかし、どこにも火はつかなかった。

 銀髪のメイドさんが踊り出てきて、炎の源らしい方向へ向かって言う。

「ここは不燃の場。無駄よ!」

 そう声を挙げながら、指のあいだにあった光るものを投げつける。

 投げつけた直後、メイドさんはこちらへ飛び退く。

 そこへ炎が吹き寄せ、さらに尾を引く光の弾が三発続いた。

 光の弾は書棚を吹き飛ばし、床に穴を開ける。


 俺はその光の弾に見覚えがあった。


「燃やせないとしても、破壊できないわけではあるまい」

 その声とともに、書棚の向こうにゆらめく影がぬっと首を出す。

 それは竜の形をしていた。

 影のドラゴンッ!

 ドラゴンが歩を進めるのに合わせて、白いスーツの男も姿を現した。

 ザッカラントだ!

 左腕に分厚い本を抱えている。

 ザッカラントは俺たちのほうへ向き、右の拳を突き出した。

「見たくない顔があるな」

 来るッ!

「メイドさん、こっちへ!」

 俺はそう言いながら、ラウンドシールドを発動させた。

「魔力障壁!」

 ナムリッドが叫ぶのと、メイドさんがこっちへ飛び込んでくるのは同時だった。

 氷の壁のような魔力障壁が発生し、ザッカラントの弾丸を防いだ。

「つまらんヤツらだッ!」

 ザッカラントはそう言い捨てて、出口に向かう。

 その背中へ、メイドさんが指のあいだに出現させた針状の光を投げつける。

 光の針は、ドラゴンのゆらめく尾の一振りで打ち落とされてしまった。

「くっ!」

 メイドさんは呻いたあと、俺たちに言う。

「出口には結界を張りました。簡単には出られません。ここであの男を食い止めましょう!」 

「やるしかないか!」


 俺たち三人はザッカラント追い、受付ロビーに入っていった。

 ザッカラントは調度品の向こう、落ち着いた様子で出口の前に立っている。

 いくぶん小さくなった影のドラゴンが、扉に触れる前の空間に牙を立て、見えないなにかを齧り取ろうとしていた。


 ロビーに入ると、メイドさんがカウンターの上のボタンを押す。

 俺たちの入ってきた、図書室へ続くドアがバタリと閉じた。

 メイドさんがザッカラントに向かって言う。

「空間を閉じました。もうあなたはこのロビーから出ることはできません!」

 ザッカラントは物憂げに首を回して、静かに口を開く。

「それはつまり、おまえたちの逃げ場がなくなったということだ」

 メイドさんが返す。

「こちらは三人、あなたに勝ち目はありません」


 果たしてそうだろうか?


 勢いで飛び込んでしまったものの、俺もナムリッドも丸腰だ。

 実績があるとはいえ、メイドさんは俺たちを買いかぶっている。

 希望があるとすれば、このメイドさんの力と、ザッカラントのほうも丸腰に見えるところだった。


 俺は虚勢を張った。

「こっちは一度おまえをやっつけているんだ。また痛い目に遭いたくなければ、本を返せ。そうすれば見逃してやる!」

 ザッカラントは俺へ向き直り、目に怒りの色をたたえ始めた。

「あのときは、おまえみたいなカスなど見えてなかっただけだ」

 ザッカラントの白いスーツがぼこぼこと泡立ち、色と姿を変えていく。

 一秒も経たずに、変化が終わった。

 白いスーツは黒と緑の全身鎧と化していた。

 筋肉を模したようなデザインで、ザッカラントの身体にぴったりしている。

 本来、鎧の弱点である関節の隙もなかった。

 右手の甲から光の刃を出現させて、ザッカラントは口を歪めた。

「今は見ているぞ、両の眼でな……」

 右手の光刃を持ち上げて続ける。

「結末は変わらない。いますぐ扉が開くか、おまえたちが死んだあとに開くかだ」


 俺は透明なラウンドシールドをつけた左手で、ナムリッドを下がらせながら、メイドさんに聞く。

「何か武器はないのか? こっちには盾しかない」

 メイドさんは申し訳なさそうに言う。

「あいにくと。わたくしどもが武器のようなものなので」


 嘲るような態度で、ザッカラントが話しかけてきた。

「どうした? 打つ手なしか? ならば俺にアイデアがある」

 ザッカラントは俺に向かって手招きした。

「タネツケ、という名らしいな。おまえが結界を解け。そして俺についてこい。カスといえども使い道がある。働けば世界の半分をくれてやろう」

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