終章
エピローグ①
目を覚ますと、木製の天井が目に入った。見覚えのない景色に少し戸惑ったが、鼻をつく独特の匂いを嗅いで今いる場所が分かった。ウィストさんの見舞いをしに、病院に行ったときに嗅いだ薬品の匂いだった。
身体全体を優しく包み込む柔らかい感触は、数ヶ月ぶりの布団の感触だった。身体を起こして周りを見渡すと、ベッドは僕が寝ているものしかなかった。どうやら一人用の病室のようだ。
ふと視界に妙なものが目に入った。赤色の髪を持つ頭が、ベッドに顔を伏せるようにして身体を預けていた。
落ち着いて観察すると、その頭はとても見覚えのあるものだった。毎日のように見ている、フィネさんの頭だった。
僕が起きたことに気づいたのか、フィネさんはゆっくりと頭を起こして、眠たそうな目で僕を見た。しかし僕の顔を見た直後、泣きそうな顔で僕に抱きついて来た。
「良かった……本当に良かったです……」
涙声の言葉が耳に届いた。いきなり抱きつかれて驚いたものの、その声を聞いて実感できた。
やっと戻って来れた。それを十分に感じられる言葉だった。
「そっかー。まぁかなり心配してたから仕方ないね」
お見舞いに来たウィストさんが、最初と同じようにベッドの身体を預けて寝ているフィネさんを見てそう言った。
僕の姿を見て安心したフィネさんが眠ったあと、ウィストさんがお見舞いに来た。抱きつかれたまま眠られたので、どかせるのに少し苦労した。
「けど私も心配してたんだよ? ミノタウロスの斧をまともに喰らってたから、死んだって思ったわよ」
あの後の事を、ウィストさんは話してくれた。
ミノタウロスは僕を攻撃した後、また倒れたらしい。どうやら最後の力を振り絞って攻撃したようだった。
その最後の攻撃を受けた僕は遠くまで吹き飛ばされて、そのまま気を失った。
斧で斬りつけられたが、不幸中の幸いで斧の刃が錆びていたため切り傷は付かず、腹部に痣が残っただけだった。ただ、吹き飛ばされた拍子に頭部を打ったので、念のために入院することになった。
馬車周辺のモンスターは、ソランさんが片付けてくれた。護衛していた冒険者のなかで怪我人が出たので不安の声が依頼人から出たが、ソランさんが護衛をするというと不安を抱く者はいなくなった。むしろ喜ぶ人がいたほどだったようだ。
マイルスに戻るとヒランさんが出迎えてくれて、怪我人を病院に連れて行き、入院することとなった。しかも入院費はギルド持ちだ。気を失っていた僕はもちろん、他の冒険者も入院した。彼らは治療のため数日入院することになったが、僕は気を失っていただけで入院する程の怪我は負っていなかった。だから明日にでも退院できるとのことだ。
たいした被害が無いことを聞けて安心できた。最悪の結果にならなくて済んでなによりだ。
「けどびっくりしたよ。ヴィックにあんな動きが出来たなんて。お手本を見たって言ったけど、いったい誰の動きを見たの?」
「エンブだよ。ダンジョンで遭遇して、そのときのエンブの動きを真似たんだ」
「……ホントに?! 危険指定生物でしょ?! なんで下級ダンジョンにいるの?」
そのことを、今度は僕がウィストさんに説明した。今回の事件がフェイルとゲノアスによって企てられたもの、途中でエンブに遭ったこと、ソランさんに会って一緒に馬に乗ったことを。あとそのときに、壊れた盾の代用としてソランさんから盾を借りていたことも話した。
ウィストさんは様々な表情を見せながら話を聞いた。話を聞き終えると、「凄いね」と感想を漏らす。
「ほんと、この二日間は凄いことがたくさん起こって大変だったよ。しばらくはゆっくりしたい気分だ」
「そうじゃなくて、ヴィックの事だよ」
「……僕?」
ウィストさんは頷いて答える。何も特別な事をした覚えは無いのだが?
「エンブの動きを真似して、それをすぐに実践に使ったんでしょ? 新しいやり方を試す時は、何度か練習して試したりするもんだよ。それで自分の身体に慣らしていくの。なのに、見ただけであそこまで動けるなんてたいしたものだよ」
くすぐったくなるような褒め言葉だった。
あのときは他に手段が無かったので無我夢中だった。必死に立ち向かったから、結果に繋がったのだと思う。
「あのときのヴィックは、正直、凄く頼もしかったよ。ありがとう」
笑顔でウィストさんにお礼を言われた。それは、僕が一番聞きたかった言葉だった。
嬉しさがこみ上がってきたが、その気持ちを抑え込む。先に、するべきことがあるからだ。
決意を固めて、ウィストさんを真っ直ぐと見つめた。
「ウィストさん。ちょっと、聞いて欲しいことがあるんだ」
僕の顔を見て察したウィストさんは、少し真面目な表情になる
「ん、なに?」
「前に八つ当たりした事と上級ダンジョンに行ったときの事なんだけど……」
「あー、あのときの事ね。それがどうしたの?」
「病院でそのことを謝ったんだけど……なんか、こう、納得できなかったんだ」
「納得?」
ウィストさんが不思議がる表情をする。
「あのとき、僕はとりあえず謝るべきだって思っただけなんだ。もちろん本気で悪いことをしたと感じたから真剣に謝ったよ。けど、これで終わっても良いのかって思ったんだ……」
「どういうこと?」
「これじゃあ、何も変わらないんじゃないかって」
当時の僕は、罪悪感から逃れたい気持ちが強かった。けど謝ったにもかかわらず、罪悪感は消えなかった。そして、今もまだ残っている。
「嫉妬してウィストにきつく当たったり、一時の感情で馬鹿な真似をしたのは、僕が何もできない弱い人間だったから。そこが変わらなければまた同じことの繰り返しになる。そう思ったんだ。
あのとき僕は、凄く惨めな気持ちになった。そんな気持ちには、もうなりたくなかった。それに僕の巻き添えになって誰かが傷つくところも見たくなかった。
だから……変わろうって決めた」
「変わるって、どんな風に変わりたかったの?」
「……ウィストさんの隣に立って、戦えるようになろうと思った」
「私の隣に? 私より強くて凄い人はたくさんいるよ? ソランさんやヒランさんのような人がいるのに、何で私なの?」
たしかにウィストさんの言う通りだ。ウィストさんは優れた冒険者だが、あくまで下級冒険者だ。経験豊富で実力のある冒険者はたくさんいる。
だが僕には、ウィストさんを目標とする大きな理由があった。
一呼吸おいて、僕ははその理由を言った。
「ウィストさんに惚れたからだよ」
「………………え?」
間の抜けた声が、ウィストさんの声から出た。数秒待つと、何故か慌てるような素振りを見せる。
「えっと、ちょっと待って。いきなりそんなことを言われても」
少し動揺している様なので、話を続けて聞かせるようにする。
「上級ダンジョンで僕を助けてくれたとき、あれほど大きいモンスターを相手に、たかが顔見知りの僕を助けに来てくれた。勝てるはずがない、絶望的な状況なのに身を張ってくれた。その姿はまるで救世主のように見えたんだ。僕と同じ下級冒険者で体格もそう変わらない女の子が、凄くかっこよく見えた。
それに病院で話したとき、ウィストさんが努力をして今の自分になったって事を知った。なりたいもののために努力をする。そういうことを僕は今までしたことが無かったから、それが出来ているウィストさんに憧れた。
簡単に言うと、ウィストさんの生き様に惚れちゃったってこと」
一度ウィストさんの様子を窺う。話を聞いているうちに冷静さを取り戻したのか、今は落ち着いているように見える。
「近くて遠い、そんな存在だと感じていた。けど努力をして今の力を得たと知ったら、そんな事は言ってられなくなった。努力すれば同等……は無理かもしれないけど、足を引っ張らないくらいにはなれると思った。いや、なりたいと思った。
それぐらいにならないと、変われたとは言えないから」
そのために、僕は必死に強くなろうとした。
宿に住む料金と食費を節約するために、野宿をしたり食料をダンジョン内で調達した。衣服費も惜しんで服も買わず、それで周囲からは顔をしかめられた。挙句の果てに、勘違いとはいえハイエナと呼ばれるようになった。サリオ村に居たとき以上の、劣悪な環境だった。
だが目標があったから頑張れた。
そしてその努力は、少しだけ報われたと思う。
ワーラットを単独で討ち、フィネさんを助けることができた。ミノタウロスを相手に、ウィストさんと協力して戦って、勝つことができた。両方とも、以前のままの僕ならできなかったことだ。
だから僕は、少しは変われたと思っていた。
「ミノタウロスを相手に一緒に戦って、少しは自信がついたんだ。そんな今だからこそ、言っときたいことがあるんだ」
「……言ってみて」
ウィストさんが真っ直ぐと僕の目を見つめ返した。僕の次の言葉を待っているようだ。
その想いに答えるため、深呼吸をして心を落ち着かせた後、ずっと抱いていた願いを口にした。
「僕と、友達になってください」
ウィストさんの隣に立てるほどの自信を持つまで、口に出さなかった言葉だった。
彼女の隣に立って一緒に戦いたい。いわば戦友になりたかった。
そうなるためには実力が必要で、今は相応の実力が自分にはあると思った。
だから今なら、友達になれると信じていた。
しかし、何故かウィストさんは呆気に取られてぽかんとしていた。まるで全く予想していなかった言葉を聞いて驚いているみたいだ。
「……えっと、どういうこと?」
やっと口を開いたかと思えば、疑問の言葉を返された。
「え? そのまんまの意味なんだけど……」
友達になりたい。ただそれだけなのだが、妙な事にそれを理解していないようだった。ウィストさんなら分かってくれると思っていたのだが。
どう伝えればいいか考えていると、先にウィストさんが口を開いた。
「もしかしてヴィックは、今まで私の事を友達だと思っていなかったの?」
その言葉を聞いて、嫌な予感がした。念のために僕も聞き返す。
「……友達だと思ってくれてたの?」
ウィストさんが頷いて返した。頭痛がしたのは初めてだった。気まずい空気が部屋に漂った。
その空気に耐えられなかったのか、先にウィストさんが喋り出す。
「ずっと前から思ってたよ? というか、友達っていうのはそんな畏まった風になるんじゃなくて、自然になるものなの」
「……そういうものなの?」
「そういうものよ」
断定するような言葉を聞いて、肩の力が抜けた。
今まではウィストさんの友達になりたいがために、相応しい力を身に付けようとした。今になってやっと自信を持てるほどの実力がついて、友達になろうと思った。
しかし、そもそもの前提が間違っていたようだった。
ウィストさんと友達になるためにはそういうことは必要なく、むしろとっくに友達になっていた。友達になりたいという想いだけで十分であり、それ以外に必要な事は無い。今までの努力は無駄だったということか?
いや、それは違う。
僕は改めてウィストさんに向き直る。
「ウィストさんとはそういう自然にじゃなくて、ちゃんと面と向かって友達になりたいって言いたかったんだ。散々迷惑をかけちゃったことのけじめというか、礼儀というか……」
「うん。それで?」
「さっきの答えを、聞かせてほしい」
ウィストさんからすれば、その答えはとうに言っていることだ。
しかし、それじゃだめだ。なぁなぁな感じで友達になるのは、ウィストさんに対する甘えだ。今はそれに縋って、怠ける訳にはいかない。
僕はじっとウィストさんの答えを待った。数秒待つと、ウィストさんは答えを口にした。
「もちろん。これからもよろしくね、ヴィック」
笑顔で答えたウィストさんの表情を見て、胸のつかえが取れた気がした。
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