本編への応援コメント
当企画へご参加くださりありがとうございます。
いなくなってしまった“あの人”。満ちていたはずの時間が欠けたまま過ごす日々に、訪れる月の満ちが、その欠けた時間を満たすように縋る姿が何とも心に響くお話でした。
少し技巧的なお話で恐縮ですが、日常はとても肌触りがありますよね。擬音語、擬態語まで重ねられていてしっかり伝わります。玉砂利を踏む音、紙が擦れる音、お酒を飛ばす音、醤油が跳ねる音。それから時計の音、水の音。
でも“私”の気持ちの描写は繊細です。夫婦用の湯呑みを勧められて買わないこと、若い夫婦を見て「いいなぁ」と漏らす、自分でない人が書いた古いレシピを見る、向かいの空席に声をかける、手の震えが止まらない。
こうした気持ちの描写がすべて間接的な表現で、それでいて全部を合わせるとひとつの形が見えてくるのです。日常の肌触り感と、この気持ちの距離が対比されていて、それもまた読み味になっていて良かったです。
“私”が“あの人”へ馳せる想いは、読者が“あの人”を想像する余白と重なり、これが余韻となり面白いとも思いました。
作者からの返信
ありがとうございます😊
実はこのお話はたねありけさんのXでのポスト(マグカップ)から着想を得たものなんです。
ちょうど昨日陶器市に行ってたこともあり、書くことができました。
私も足場があってこその間接表現というたねありけさんの意見に完全同意です。それを踏まえた上で、あえて「show don’t tell」を積み重ねて気持ちを表現してみました。情景描写が過剰かなとも思いましたが(実際AIに読ませると必ず過剰と言われます)、なかなか面白い試みができました。
それにしても間接表現ばかりだと文字数ばかりが増えていきますね。やっぱりバランスが大事ですね(笑)
本編への応援コメント
読ませていただきました。
最近では珍しいゆったりと読める作品に出会えて、とても良い心地になりました。
説明がない部分は想像力で埋めるという作業。久しぶりに楽しめました。