神と仏は、必要かへの応援コメント
私も神だの仏だのを小説によく書いているし、神社仏閣などへは大喜びでお参りする派なのだが。
完全に無神論者でオカルトも全否定派である。
神の類というのは自然の擬人化ということもあろうが、それ以上に「運命の擬人化」なのだと思う。人間の力ではどうにもならないもの=運命を、「人のような形」「意思のある存在」としたのがつまり「神」だと。
もしも神などというものが存在するなら一柱残らず殺さねばならない。少なくとも私はそう思っている。なぜならそれは「人間へ、理不尽な運命を、明確な意思を持って強いる」存在だからである。
そんなムチャクチャな奴がいるならブチ殺さずにおれるわけがないが……実在しないならしょうがねえな、という感じでの無神論者なのである。あとフィクションとしての神話は大好きだし。
祈る対象としての神もまた「運命」「人間にはどうにもならないもの」なのであろう。
必要な人には神は見える。存在しなくとも。
思えば、「愛」だの「憎しみ」だのといったものもそれに近いのかもしれない。「そういう実体」が存在するわけでもないのに、人はそれを存在するかのように語る。その人に取って必要だから、あるように見えるのだろう。
別に「憎しみ」「悲しみ」など必要ではないのだが、人はそれが在るかのように見てしまう。神よ。
作者からの返信
「運命」、ですか。なるほど。
私は、神仏とはなにの擬人化であるかを考えたときに、「人間の言葉では表せない自然の猛威」と答えます。それは、自然(海、草、木、森、花、嵐などの気象)自体はこの世のもので人間の目に見えるものですし、しかし言葉にはできないときにそこに命を宿そうと考えております。
神々の擬人化が「運命」となると、こちらもまたスピリチュアル的になりますが、木下さんはスピリチュアルに関してはどのように考えておられますか?
私は、「運命」は木下さんのおっしゃるとおり神の一部としても考えますが、唯一人間が扱えるかもしれない(シャーマニズム)自然ではないかとも思います。
まあ、どうせなにかあったら神頼みなのが日本人なのですから、たとえ無神論者であろうが無宗教者であろうが、信じようが信じまいが、神仏は日本文化そのものの中に仕組まれているのではないかと考察します。
おお、神よ……。
死ぬと決意する夜は何度でもへの応援コメント
(この随筆の第4回に書いた感想からの続き)
さて、随筆に書かれてある件について、いい加減お小言も言われ飽きたであろう。私も言い飽きた。
なのでちょっと空気を入れ替えよう。――ちょっとした笑い噺に少々お付き合いを。
――え~、仏教、特に浄土宗や浄土真宗なんかでは人がお亡くなりになりますと仏様が迎えに来て下さる、いわゆるご来迎という信仰がございますが。
だいたい迎えに来て下さるのはなむあみだぶつでおなじみの阿弥陀様、阿弥陀如来と相場が決まってございます。
ところが世の中には色々な方がございまして、他の仏様にお迎えに来ていただきたい、という方もいらっしゃるようで。
あたくしなぞはぜひ弁天様、弁才天のようなきれいどころに来ていただきたいところでございますが。動物好きな方なら鳥の迦楼羅天(かるらてん)、狐にのった天女のダキニ天、象の顔をしました歓喜天といったところでも楽しいかもしれませんな。
おや、こちらの方はどうやら、武神にして福神、四天王の一角にして七福神の一尊として有名な毘沙門天様に来ていただきたいようで。
ですが先方、毘沙門天様のご都合はいかがでしょうかな――
毘沙門天「え!? オレ宛てに来迎の依頼入ってるって!?」
「ムリだよムリムリ! 今手一杯なんだよ福神部! 見て分かんだろ、俺だって四面八臂の刀八毘沙門天モードで働いてるっつーの! 顔四つの腕八本、一人で四台パソコン使ってもギリギリだっつーの!」
「大体死者のお迎えは来迎部の担当だろ、担当部署に回しとけ!」
「え、阿弥陀如来は五年待ち? じゃ観音菩薩か勢至菩薩に……あ~、観音は出張で勢至は有給か~」
「誰か代わりに暇そうな奴は……よし、あの仏に行ってもらえ!」
(あの世とこの世の狭間で)
主人公「や~、いよいよ毘沙門天様が来てくれるんだな~、楽しみ~!」
「あっ、なんか降りてきた! あれかな!」
来臨した仏「はいど~も~、お待たせいたしました~! お迎えに上がりました、毎度おなじみ大通智勝(だいつうちしょう)如来でございます~!」
「……誰?」
「はい、毎度おなじみ大通智勝(だいつうちしょう)如来でございま――」
「いや誰だよ、頼んでた毘沙門天どこいったんだよ」
「あー、そもそも毘沙門天さんは来迎の部署とは違いますしお忙しくてですね、代わりのこの! 毎度おなじみ大通智勝(だいつうちしょう)如来がですね――」
「いや、まず大通なんとか如来の名前が全然おなじみじゃねえよ、初めて聞いたわ」
「またまたご冗談を。数ある仏典の中でも唯一、法華経第三巻のみに登場することでおなじみ! 仏像の作例が日本全体で見ても愛媛県今治市にたった数例あるのみだと有名な! あの大通智勝(だいつうちしょう)如来でございますよ?」
「今の説明の中にまったくおなじみ要素がねえわ。何だよ唯一とかたった数例って」
「えー、まあともかくこの度は大変ご愁傷様で」
「自分に言われると何か変だなオイ。合ってんのかその使い方」
「それにしてもお若いのにこんな所へ来られて。非常なご苦労があったようでございますね」
「いやまあ……色々と」
「我々仏も、あなたの苦労を天界からずっと指をくわえて傍観していましたよ」
「言い方! ずっと見守ってましたよ、とかだろそこは。まあいいや、それより私、毘沙門天様にお迎え頼んだんですけど? どうなってんの」
「まあ基本的に担当課じゃないのと、やっぱりお忙しくてですね。まあ今回はあなたも、まだ生と死の狭間にいる段階ですので、現世に帰っていただいてですね。毘沙門天も『ちゃんと天寿をまっとうしてから来るのなら、特別に迎えに行ってやってもいい』って言ってましたよ」
「毘沙門天様……」
「え~、では今から千年後のお迎えご予約ということで」
「千年って何だよ!? ていうかあれだろ、毘沙門天がつかさどる伝説上の土地、北倶盧洲(ほっくるしゅう)の住民の寿命で計算してるだろそれ! 担当部署一歩も出る気ねえなあいつ! そしてこれにツッコめてる私も何なんだよ!」
「ほんと何なんですかね」
「うるせえよ! もう怒った、絶対今あの世行ってやるからな! 毘沙門天呼んでこいよ毘沙門天!」
「弱りましたな……我々としては今回のところは帰っていただくつもりでして。まあ落ち着いて、ちょっと腹ごしらえでもいたしませんか。こちら、あの世産米のおにぎりをどうぞ」
「いやそれ食べちゃダメなやつだろ! あの世の食べ物を食べたら現世に戻れなくなるって世界各地の民話にあるやつじゃねえか! 生かしたいのか死なせたいのかどっちなんだよ!?」
「ガムなら?」
「え?」
「あの世の食べ物を『食べたらダメ』……じゃああの世の『ガムを噛むのは』? ……はい、あの世産ミントガムどうぞ」
「……噛んだらどうなんの?」
「どうぞ」
「……だからどうなんの」
「さあどうぞ」
「いや逆に怖いわ、噛んだら死んでも死にきれなさそうだわ! いらねえよ!」
「まあそう言わずに、さあ……っ」
「だから生かしたいのか死なせたいのかどっちなんだよ!?」
「(着信音)おっとそうこうするうちに毘沙門天さんからメッセージが」
「何だったんだよ今のガムの下り!? ていうかあの世でも連絡スマホなんだ」
「えー何々、『今から昼休憩入るけどその後なら来迎行けます』」
「え、やった! 昼休憩ってことは1時間後ぐらい? すぐじゃん! っていうか昼休憩とか担当部署とか、あの世も会社とか役所みたいなんですね」
「最近は人間界基準に合わせてシステム化してますからねー。はい、じゃあ今日は現世にお帰りいただくということで」
「ちょっと待ってよ! 1時間で来てくれるんでしょ!?」
「『人間五十年、下天のうちを比ぶれば』――天部の世界の一日は人間世界の五十年。天界での一時間、つまり人間界での約二年後にお越し下さい」
「何だよそれ!? 時間も人間界基準に合わせとけよ!?」
(二年後)
「よーし、また来てやったぞ……! こんどこそ毘沙門天様が――」
「お待たせいたしました~! 毎度おなじみ大通智勝(だいつうちしょう)如来でございます」
「待ってもないしおなじみでもねえわ。お前はまず名前に毎回ふりがなが必要なことを反省しろ」
「で、二年後に来たけど? 毘沙門天様はどうしたのよ?」
「あ~、それがですね~。彼『すいまっせ~ん☆ 弁才天&ダキニ天スペシャルライブのチケットにキャンセル出て、急に席取れたから行ってきま~す♪』って言って、午後から有給取っちゃったんですよ」
「えっ。えーー!?」
「じゃ、じゃあ天界の明日までなしってこと!? それって――」
「はい、現在天界で午後一時、翌日午前十時より営業ですので天界で二十一時間後、人間界で約四十二年後――あっ!」
「今度は何」
「あっちゃぁ~~……忘れてた。天界、明日土曜日で休みでしたわ」
「それって……」
「土日挟みまして、しあさっての月曜午前十時からの営業となります。なので天界で六十九時間後、人間界でいいますと百三十八年後のご予約となりま~す」
「待てるかーーっ!!? 何だよそれ、突然予約放り出して休むんじゃねえよ毘沙門天! 自由すぎるだろ、Z世代気取りかよ!?」
「だいたいお前らも変な時に休み許可してんじゃねえよ!?」
「いやー、最近は人間界基準に合わせまして、働き方改革の波が押し寄せてまして。ちゃんと有給取らせないと」
「そんなとこだけ人間界基準に合わせてんじゃねえよ!? もうええわ!」
(ライブ会場外にて・電話中の毘沙門天)
「――そうですか、現世に帰っていきましたか。打ち合わせどおりやってくれてありがとうございます、大通智勝(だいつうちしょう)の兄貴」
「――ええ、言ったとおりスよ。あいつがもし天寿を、自身の運命の限りをまっとうして生きた後には……オレが、責任を持って迎えに行きます」
「――なぜそこまで、って? あいつ、オレのゆかりの寺に参ったとき結縁灌頂(けちえんかんじょう)の儀式に参加してましてね。オレと縁を結んだ、いわば家族です。ええ、家族は放っておけませんよ。……じゃあ」
「フッ……あいつめ、手のかかる家族だぜ」
四天王・増長天「おう毘沙門天! こんな所におったんか!」
四天王・広目天「探しましたよ、そろそろライブが始まります」
四天王・持国天「今日は楽しもうぜ! 俺たち四天王が集まるのも久し振りだからな!」
四天王・毘沙門天「ああ! オレたち……いや拙者たち! 親衛隊『弁天&ダキニLOVE☆四天王』の晴れの日でゴザルからな! ドゥフフフ……今こそ拙者らの全力で推すでゴザルよ同志たち! さあ……行くぞ!」
毘沙門天たち「L・O・V・E・sweet・honey・弁☆天―!! L・O・V・E・love・me・ダキ☆ニー!! Foooo!!」
(現世にて・主人公)
「…………あれ、私……帰ってきたんだ」
「なんか、夢の中で変な仏と会った気がするけど……何だかんだ、あの仏なりにしてくれてたんだろうな、あれ」
「ありがとう、忘れないよ……不在通知票(ふざいつうちひょう)如来」
(天界で見守る大通智勝(だいつうちしょう)如来)
「さっそく忘れてんじゃないよバカヤロー」
――ご存じ『毘沙門迎え』の一席でございました。お後が、よろしいようで――。
作者からの返信
返信は不要とのことでしたが、書かせてください。心から、お礼を申し上げたく存じます。
木下さんのことですから、いったいどんな怖いお説教が来るやらと内心ヒヤヒヤしておりました。
でも、木下さんは、木下さんらしく、いつものギャグ調子で、私を優しく叱ってくださったのですね。
またじっくり読み返したいと思います。一生の、いや何百年もの宝物にしようと思います。
正直、まだ死にたい気持ちのすべては拭えません。また、極端な思考に走って自分を殺めそうになるかもしれない。でも、そんなときにポッと思い出せる、私にとっての最高の「生きる理由」だと思います。
これをよりどころとしていいかどうかはわかりませんが、療養が必要な今は、木下さんの『毘沙門迎え』を繰り返し読もうと思います。
本日は、このようなコメントをたまわり、まことにありがとうございました。
命は、軽いへの応援コメント
ちょっとしたきっかけで物凄い強烈なつらい思いをすることってありますよね。
私もある人の一言がどうにも許せなくてつい先日まで10ヶ月ほど怒っていた。もはや相手がどうのこうの以前に自分がひたすらつらい。
だが、その辺りをモチーフにした小説を書き上げたらびっくりするぐらいぴたっと止まった。というかどうでも良くなった(どうでも良くなったのは怒ること自体であって、原因となった一言は百度言われれば百度怒るものである。私にとっては)。
というかそれよりひどいニュース(あなたの)を知ってどうでも良くなった部分も大きいと思う。
何にせよ万人にとっては何でもない表現で強烈に傷つく人というのはいるのだ。それを意識して生きることは他人にも、というか自分自身でも難しい。マジで不意に強烈な言葉が飛んでくることがあるのだ。
そして、他人にも同じことが起こったらと思うと、言葉をかけるのためらわれがちだ。特にあなたのような状態の人には。
だが、何か言わないことには良い影響というのもないだろう。
というわけで、あなたにかける言葉を自分なりに用意した。役に立つと期待して用意したがそうはならないかも知れず、かえって毒となる可能性もないわけではない。
この随筆の第2回の感想に入れておく。コメントは特に不要。本文も不愉快であれば消しておいていただきたい。
作者からの返信
私にも、ときには木下さんのような豪傑な方が必要です。
木下さんの言葉だからこそ、救われる心もあると思います。
前回もしかり、今回もです。
次回がないことを、私自身も祈っています。
なぜ「生きたい」と言えるのかへの応援コメント
お名前変わったんですね
いい名前ですね
今はゆっくり休んで
いつかまた書きたいと思えたときに
物語を読ませていただけたらうれしいです😃
作者からの返信
はい♪
実は以前、お付き合いしていた殿方がおりました。その殿方が、とても毘沙門天に似ていたもので。
今はお別れしてしまいましたが、未練タラタラが発動してこのペンネームになってしまいました(^◇^;)。
『毗沙門戦記』のストックはだいぶあります。続きの進捗に合わせながら、少しずつ更新していくつもりです。
今後とも、よろしくお願いいたします。そして、死にかけた私の拙作を愛読してくださり、ありがとうございます。
精神障害持ちの私のこれからの人生方針についてへの応援コメント
ぽんつく地蔵さんの作品が大好きで
今まで楽しく読ませていただきました
今はとてもつらい時期なのだと思います
大切な人との別れは苦しいものですよね
私もそういうことがあってつらかったことがありました
でもこれから先にもまだ出会っていない人や
今は想像できないような楽しいことが待っているかもしれません
今の彼との関係がこれからの人生のすべてではないと思います
今は無理に前向きになろうとせず、ご自身のことを大切に過ごしてほしいです
いつかぽんつく地蔵さんの作品を読める日が来たらうれしいです
いままで素敵な作品をありがとうございました
精神障害持ちの私のこれからの人生方針についてへの応援コメント
あちこちから書いててごめんね。でもオバチャンは心配なので何度でも書きます。
これを読んで思ったのは、どう生きるかはぽんつくさんが決めることで、彼が許可することじゃないよな、と思いました。
誰かに愛されて、自分にも愛される価値があるんだ、と確認したい気持ちはとてもわかります。私もそうだったから。でも、究極それは投影で、本当は自分が自分を愛して認めてあげたいのではないかと思います。そうできないから苦しいのではないでしょうか。
精神障害者というのは一つの括りであり、病院に行かなければそう分類されることもありませんよね。障害者という分類に入らなくても「コイツヤバいだろ」という人はいるし、障害者手帳を持っていてもごく普通に見える人もいる。障害者手帳をもらったからと言って、ぽんつくさんが突然別の人になるわけでもないですよね。
障害があったから、自分が重すぎたから。彼と上手く行かなかったのは、ぽんつくさんのせいではありません。お互いに求めるものが違っただけです。
私がぽんつくさんと同じ気持ちで悩んでいたときに得た気づきは、「まず自分が自分を愛そう。病気が治ったら、ステキな私になったら、愛すのではなくて、今このまま苦しんでいるままの自分を愛そう」ということでした。
「自分自身が好きじゃないと思うような自分を好きになる人はいないだろうな」
「自分は、自分の大切な人に『病気だからあなたを好きになれない』とか『ステキじゃないだからあなたを好きになれない』とか言うだろうか? そんな残酷なことは言わないはずなのに、なぜ自分にはそう言うのだろう? 自分が自分に対してそんなことを言ったら、私可哀想過ぎない?」
「あの人から『あんたは障害があるからダメなんだ』と言われたって、それはその人の考えであって、私がその考えを自分のものとして受け入れなくてもいい。私がこのままの私を受け入れてあげなくて、誰が受け入れるの?」
以前もお話したかと思いますが、人は思うほど自由意志を持っていません。そのときの気分や考え方は、生理学的な身体の造りに起因する部分が大半です。ぽんつくさんは疲れやすい体質なので、自分をどうやって看病していくかの戦略を立ててみてください。
全部が自分ごとになってしまうと却って苦しいので、少し自分を他人のように見てみるとちょっと冷静になれるかもしれないです。
とはいえ、これもまた私の考えややり方だし、ぽんつくさんが「ああ、そうか!」とか思うとも限らないし、ぽんつくさんにもっと適した方法もあるかもしれない。でも、苦しいぽんつくさんの何か助けにならないかと思って、いろいろ書いています。
苦しい、辛いと思う気持ちもわかるし、どうしたらそこから抜けられるの、と絶望する気持ちもわかると思っています。
でも、ぽんつくさんが「自分はこれじゃダメだ」と思ってるうちは、ぽんつくさんが別のものになろうとしているってことなので、その辛さは変わらないと思う。
ぽんつくさんが彼氏さんに言ってほしかったのは、「いいよ、障害があるままでいいよ。そのままで好きだよ」ってことですよね。
まず、それを自分で自分に言ってあげてください。
私は彼氏さんじゃないですけど、いいじゃないですか。障害があるままでいいですよ。ぽんつくさんに変わりはないじゃないですか。私はぽんつくさんが好きです。
それでも辛さが残っていたとしても、生きる期間が限定されていれば、何かやりたいことは残ってるんですよね。次のエッセイでやりたいことをリストアップしてみてください。どうやったら実現できるか一緒に考えていきませんか。
作者からの返信
イカワさんへ
「障害者でも、そのままのぽんつくが好き」
確かに、その一言が欲しかったです。
でも、他人の評価に身を委ねてきた私には、自分を自分で認めてあげることはなかなか難しい……。
それでも、イカワさんのこの言葉にどれだけ救われたことか。
ここ数日、オーバードーズの影響で体調を崩しており、なかなか返信できずすみませんでした。
大丈夫です、私は生きております。
そして、まだ死にたい気持ちは拭えませんが、せめて『毗沙門戦記』を書き終わるまでは生きたい。コレを書き終えても、またネタが思い浮かぶだろうから、きっと寿命まで生きてしまうのではないでしょうかね( ;´Д`)。
Twitterは、「死にたい」人たちであふれているので、メンタル的に良くないと思い、アプリごと消してしまいました。
イカワさんのこと、私は尊敬しています。今はカクヨムを外れてしまいましたが、木下さんのことも親しんで接していました。
こんなしょうもない情けない自分ですが、また仲良くしてくれませんでしょうか?
そういえば、自殺に走ったとき、念持仏の小さな毘沙門さまを枕元に置いていました。
「これで永遠に一緒だね」なんてメンヘラな妄想をしていたんですが、結局こうして生きながらえてしまってですね。
毘沙門さんからはきっと、「死ぬな」って突っぱねられたんでしょうね笑
毘沙門さんらしい、人命救助だと思います。
またよろしければ、コメントよろしくお願いします。
精神障害持ちの私のこれからの人生方針についてへの応援コメント
こんばんは。貴重なお話を聞かせて(読ませて?)くださり、ありがとうございます。
僕も、何度も「死ぬことすらなくこの世から消え去ることができたらいいのに」と思ったことはあります。でもそこで希望になったのが「小説の執筆」だったんですよね。
ぽんつく地蔵さんも、熱中できる何か、吹っ切れて行える何かを見つけられたらいいな、と思います(^ω^)
あ、でもお暇がございましたら是非とも「I'll be back!!」してくださいね(笑)
精神障害持ちの私のこれからの人生方針についてへの応援コメント
また、会える日を願っております。
神と仏は、必要かへの応援コメント
こんにちは。僕も学生時代、そのあたりの講義は興味関心の範疇で受講していました。
だからといって、何かしら「人間とは?」「神仏とは?」などといったことに迫ったわけではなく、「人間の心理ってこういう風にはたらくのか! 勉強になるなあ」くらいの感覚でしたけれども……。
ただ、一つ講義の効用があったとすれば。
現在、僕は両親と同居しているのですが、リビングの仏壇(父方の祖父母・曾祖父母のため)に、父がずっと手を合わせているんですよね。
信仰だと言い張るのは堅苦しい気もしますが、そんな父をどこかで尊敬している自分がおります。
作者からの返信
神も仏も、人類の心理に比例してさまざまに変化していくものと考えていますので、興味本位で学んでみるだけでもかなりおもしろいかなと思います。
お仏壇に毎日お手を合わせるお父さま、学術的用語で言うと、先祖信仰でしょうか。亡くなられた方を、霊的存在としてこの世に「在る」ものとして考えることです。
その父を尊敬していらっしゃる岩井さんは、これまた専門用語を使うと、お父上のことを「現人神(あらひとがみ)」と思われているのかもしれませんね。
神さま仏さま、そしてご先祖さまは、大切にしたいところです。