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  • 「アイデア出し」と言っても、運営は、AIに全て丸投げするようなやり方ではなく、AIとの対話の中から生まれる「気づき」や「新しい視点」から着想を得ることを想定しているのではないでしょうか。
    たとえば、ほかの人と話しているときにいいアイデアに出会ったりしますよね。その話し相手を人間からAIに置き換えたと考えれば取り立てて問題視することでもない、というのが運営の解釈なのではないでしょうか。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    なるほど。AIに「アイディア出して」ではなく、さまざまな対話の中からの自然な「気づき」ということですね。

    運営さんには、AI 使用についての考えをもっと詳しく表明していただきたいですね。
    まだ法的な部分がはっきりしてない状況では表明しづらいのかもしれませんが、迷走しているユーザーも(私もですが)多いと思いますので。

  • 私も、公式の定義は逆じゃないかと思っていました。
    後者だと、どうしても思い入れが湧かないんですよね!

     『自分のアイディアのもと、自分でストーリーを考えて、それをAI に文章化してもらった作品』
    と
     『AI にアイディアを出してもらって、それをもとに自分で文章を書いた作品』
    の
    はたしてどちらのほうが、全てを自力で書いた作品に近いのだろうか?

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    思い入れが湧かないストーリーを書くのは、ただの苦行ですよね。
    試しにやってみますが...

    日本では完全に、文章>アイディア という流れになっていますが、世界的にはどうなのでしょうか。どうやって調べればいいかわかりませんが。

  • はじめまして
    私は主に校正に使ってます。
    ずっと書いてると、勢いで書いているところがあるからか
    細かい数字があやふやになって矛盾出てきちゃったり、
    その他用語とか諸々、一貫性があやしくなったりすることがあるので。

    そういうとき全体をチェックするのにとても便利です。

    ただの検索・置換でもいいのですが、どこがあやしいのか
    不明になってしまうと検索だけだと時間ばかりすぎちゃうんですよね。

    作者からの返信

    はじめまして。コメントありがとうございます。

    結局、AI は使い方次第ということでしょうか。
    便利に使えている人と、そうでない人で、時間効率が全然違うようですね。

    AI に本文を書かせると矛盾だらけなので、それを私がチェックしてますが、自分で書くより時間がかかってます。
    ほぼ、全改稿になったりして(笑)

    私も今度、校正に使ってみます。


  •  くろーどさんは、ちょっとメンドクセーやつだね。「一言」って言ってるだろが!!
    →きっと芸術性について、熱く語りたかったんでしょう。(笑)

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    くろーどさん、人間くさくて笑えました。

    編集済

  • 編集済

    アイデア出しに使うのは、ひょっとしたら
    「ニュースの話題から構想を得た」
    「この登場人物のモデルは筆者の友人」
    「旅行先が素晴らしかったから次回作の舞台にしたい」
    に近いのかな?と勝手に想像しています。

    実在のものから着想を得るのと同じで、
    AIとの対話から着想を得て、
    紡ぎ手や主導権はあくまで自分、
    という感覚でしょうか。

    作者からの返信

    ニュースや経験などから着想を得ることと、AI との対話から着想を得ることは同じ。
    そうですよね。
    AIを友人や相談相手として利用している人などは、AIとの会話は人との会話と同じだと感じてるのだと思います。
    それを考えると、友人との会話から着想を得ることは良くて、AIとの会話から着想を得ることはダメというのはおかしいです。
    また、物書きだけでなく、あらゆる創作者が、人や動物、あるいは機械などからも影響を受けているわけで...
    それらから着想を得ることがダメなら、全ての人の全ての作品がダメになってしまいますよね。
    生まれてから現在までの全ての経験という土台の上に、その人の『作品』が生まれるのだと思います。

  • 第2話 脳汁への応援コメント

    コメント失礼します……!

    調べ物や推敲に一定の便利さは享受しつつも、
    書くこと自体に喜びを見出す質です。
    得られる喜びまで手渡したくはないので
    執筆自体は自力です。
    近々自分のエッセイでも語りたいなぁと思っていたので
    「脳汁」のパワーワードに共感の嵐でした。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    「脳汁」イコール「脳内麻薬」なのでしょうか。
    それは、経験したものにしかわかりませんよね。
    お互いに執筆頑張りましょう!

  • アイデア出しにAIを使いまくっています!
    「こういうアイデア、出てきた」
    と、とにかく思いついたことはAIに投げて色々回答をしてもらっています。

    そして、大体無視します笑
    たまにグッドな提案や抜けていた視点を示してくれたりします。

    詰まった時は「詰まったんだよね」と正直に言います。
    色々提案が来ますが、A、Bの案を聞くとCを思いつくことがとても多いです。

    私はこの工程をとても大事にしていて、大体一週間以上かけています。
    悩む時間は大分少ないですが、脳疲労はエグいことになります笑

    作者からの返信

     コメントありがとうございます。
     なるほど、A、B案を聞くとCを思いつく...
     そうですよね。他の人の小説とか、漫画とかを読んでいて、突然ネタが浮かんだりしますよね。

     著名人の数名が、全ての人間が模倣しているのに、AIが模倣するのは何でダメなんだ的なことを言っていますが、まさにその通りだと思っています。
     
     脳疲労がエグい... 覚悟して、AI アイディアの作品を作りたいと思います。

  • 第1話 AI は敵か味方かへの応援コメント

     やっぱり、まだAI に本当の芸術作品は作れないと思うしね。
    →そうですね、私もそう思います。これからいくらAIが進歩しても、やっぱり本当の芸術作品は作れないような気がします。多分。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    AI には芸術作品は作れないかもしれない。だからこそ、どこまで出来るのかAI の(現在の)限界を試してみたいと考えています。

  • 第1話 AI は敵か味方かへの応援コメント

    この文章の読みどころは、AIを使う便利さと、自分の技術や経験を大切にしたい気持ちが、一人の中に同居している点にある。ただし、その実感を「道具は能力の差を無効化する」という一般論に広げるところでは、論理が粗くなる。共感できる心情と、確かめるべき主張が、軽快な語り口の中で一続きになっている。

    冒頭の「誰しも、今まで積み重ねてきたものを否定されるのはイヤだよね」は、読者を引き込む巧みな呼びかけだ。しかし、AIによって作業が簡単になることと、それまでの積み重ねが否定されることは同じではない。ここでは、技術の変化によって生じた感情が、その変化の意味そのものとして提示されている。「否定されたように感じる」という個人の経験なら説得力があるが、AIへの反発全般を説明するには足りない。

    続くそろばんと電卓の比喩も、同じ構造を持つ。苦労して技術を身につけた人の隣で、別の人が機械を使って容易に成果を出す。その悔しさは想像しやすい。ただ、この比喩に沿って読むと、AIへの異論は「自分の努力を手放せない人の感情」として理解されやすくなる。出力の正確さや利用の条件を問題にしている人まで、この説明に収まるわけではない。作者は反対する人に共感を示しながら、その反対理由を狭く設定してしまっている。

    「便利なんだから使うべきなはず」にも飛躍がある。便利であることは、使う理由の一つにはなる。しかし、それだけで「使うべき」という結論は出ない。何を目的にし、何を大切にするかによって、道具の選択は変わる。完成までの速さを求める人と、自分で制作する過程を楽しむ人では、同じ道具の価値も違う。

    とりわけ検討が必要なのは、「道具は能力の差を無効化する」という断言だ。道具によって、ある技能の優位が小さくなることはある。だが、それは能力全体の差が消えることを意味しない。文章を容易に出力できても、内容の誤りや平凡さを見抜き、目的に合うように直す判断は別に残る。作者自身の「それなりのものがね」という一言も、生成できることと、出来のよい作品を作れることの隔たりを認めている。この留保は、むしろ「能力の差は無効になる」という主張を内側から揺さぶっている。

    また、洗濯機と芸術を並べることで、異なる種類の評価が混ざっている。洗濯では、汚れを落とすという比較的共有しやすい目的がある。一方、芸術では、何を表現し、どんな経験を受け手にもたらすかという目的自体が一様ではない。文章や画像が短時間で出来上がることだけでは、その作品の価値まで説明できない。洗濯機の比喩は省力化の説明には働くが、芸術についての結論まで支えるには弱い。

    終盤の「肯定派にとっては味方」「否定派にとっては敵」という整理も、問いを解いたというより、立場を言い換えたものに近い。むしろ、この単純な二分法を超えているのが作者自身だ。AIを「ガンガン使っている」のに、AI不使用の作者にも惹かれる。この揺れこそが、題名の「敵か味方か」よりも豊かな問題を含んでいる。

    ただし、「ラストサムライみたいでカッコいい」という魅力と、「本当の芸術作品」という評価は分けて考える必要がある。前者は制作姿勢への好みとして十分に成り立つ。後者には、何をもって「本当」とするのかという基準が必要だ。その基準が示されないままでは、人間の作品にもAIの作品にも、同じ物差しを当てられない。

    最後の「ちなみに、この文章はAI不使用です」は、そうした揺れを短く印象づける結びである。制作方法を明かす一文であると同時に、直前に語った「AI不使用」への好感を、この文章自身にも呼び込む働きがある。ただし、AI不使用という来歴は、ここまでの主張の正しさを保証しない。

    この文章は、AIに対する複雑な気持ちを語る随筆としては親しみやすい。一方、AIと能力、芸術の関係を論じる文章として読むなら、比喩によって納得させている部分を問い直す必要がある。「そうだね」と感じた、その次に「本当にそう言えるか」と立ち止まる。人間が書いた文章にも、その読み方は必要なのである。

    作者からの返信

    わお!
    コメントありがとうございます。

    とても参考になりました。

    ご指摘を踏まえて、今後もAI 使用の是非について真剣に考えていきたいと思います。