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ぬぼこ山神社と吉備の石上布都魂神社の繋がりの不思議

◇ ぬぼこ山神社の起源

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出典:https://www.google.com/maps/

町田市内の竹林にたたずむ「瓊寶庫山本宮(ぬぼこやまほんぐう)」は、昭和8年(1933年)に創建された由緒ある神社です。
ぬぼこ山本宮は、小田急線「玉川学園前駅」より徒歩4分の場所にあります。

社伝によると、石上神宮は日本最古の神宮と言われています。
その軌跡をたどると、吉備石上神宮との歴史的な結びつきがあるようです。
この吉備石神神宮は「石上布都魂神社」のことではないかと推察されていますが、一時を堺に祭典が途絶え、神様が宿る場所と言われる御神蹟(ごしんせき)の在り処が不明になったと言われています。
しかし、抜剣影山流宗家である故宮崎雲丹先聖が研究を続けた結果、御神蹟を発見したそうです。
そして、町田の地に神社を建てて、途絶えていた祭典を復興させたのが「ぬぼこ山本宮」の始まりだとされています。

ぬぼこ山本宮の御祭神は、次の6柱です。
神社のご利益は、厄除けや除災招福のほかに、健康成就・病気平癒・商売繁盛・起業成就・良縁祈願などがあります。

・天御中主命(あめのみなかぬし)
・高御産巣日神/高皇産霊神 (たかみむすび)
・神産巣日神/神皇産霊尊(かみむすび)
・素戔嗚尊/須佐之男命(すさのお)
・大国主命(おおくにぬし)
・伊勢津彦尊(いせつひこ)

町田の「ぬぼこ山本宮」には高天原の神様がいる?
https://www.odakyu-life.jp/entry/003603.html
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ニライカナイの夏 坂崎文明
https://kakuyomu.jp/works/16818792435868700849


 東京都町田市の「ぬぼこ山本宮」の起源が吉備石神神宮(現在の岡山県赤磐市の備前一ノ宮の石上布都魂神社ではないか)にあり、神様が宿る場所と言われる御神蹟(ごしんせき)が僕の家から近い岡山県岡山市南区藤田のぬぼこ山にあるという不思議な事態にちょっと驚いた。

 備前一ノ宮の石上布都魂神社は毎年のように初詣とかには行ってる。
 今は代替わりしたが、ここのおじいちゃん宮司さん(数年前に旧姓の物部に戻した)は参拝客を拝殿の隣の休憩所でお茶とお菓子でもてなしてくれて、かつて、ここにあったスサノオの使ったという十握剣(とつかのつるぎ)の木製のレプリカを見せてくれたりした。
 今はこの十握剣は奈良の石上神宮に移されてしまっている。
 大和朝廷による吉備侵略により、鉄の剣を作る技術者である吉備の山部が大和朝廷に移動した結果だ。
 桃太郎(吉備津彦=四道将軍である孝霊天皇の皇子)の話にでてくる鬼は、吉備では百済の皇子のの温羅(うら)と呼ばれていて、吉備側から見ると地元の産業振興の英雄である。
 鬼が島の宝とは吉備の山部が持つ鉄の剣を作る技術だった。

 東京都町田市は「ニライカナイの夏」の舞台になってる学園がある場所で、エタってる前作の「パンデミック・チルドレン」からの設定である。
 学園の近くの神社を現実のマップで検索したら、「ぬぼこ山本宮」に行きつき、しかも、スサノオ系の神社でびっくりした。
 まあ、スサノオ系の神社は多いですが、本当は沖縄の「竜宮城編」に行こうかと思ってたのに、「ぬぼこ山本宮」の影響で蛇神様系の「大物主(オオモノヌシ)編」のエピソードを挟むことになった。
 アニメの「ダンダダン」の二期でも蛇神様系の話になっているので被らないようにw、オオモノヌシ(出雲の大国主と関係する古事記に出て来る謎の蛇神様)にしてみた。
 「ダンダダン」の蛇神様もひとひねりしてるしメインは邪視だし。

 神様が宿る場所と言われる御神蹟(ごしんせき)がある岡山県岡山市南区藤田のぬぼこ山も探してみたが、田園地帯なのでそれっぽい山はなくて、もう取り壊されて祠があるみたいな感じになってるの可能性が高い。
 地元の高齢者に訊けば、言い伝えぐらいは残ってるかも。

 小説や文章を書いたり、神社巡りしてると、突然、何かに気づくことがある。
 和気神社の狛猪の正体が秦氏だったとかは、岡山県真庭市湯原の社八社という神社の祭神の由来を調べてたら、秦氏が県北でタタラ製鉄してた事が分かって気づいたし。
 和気清麻呂が九州に道鏡(天皇になろうとした仏教僧)から配流された際、九州の山で猪が出て来て清麻呂を守ったというエピソードから猪イコール秦氏であると察しがついた。
 天皇家から分かれた和気清麻呂の配下でたたら製鉄を担当してたのが秦氏(物部氏も絡む?)であり、それが後の備前刀、備前焼になっていく。
 深草秦氏(伏見稲荷神社)の土御門兼嗣氏の話では秦氏の本拠地は九州の熊襲の地だったらしく、その領地は西日本の太平洋側にも広がっていたようだ。
 ということで、大体、話が繋がってくる。


社 (やしろ) 。式内八社 (しきないはっしゃ) 岡山県真庭市湯原
https://higeojisan-lab.com/yasiro-sikinai-hassha-shrine/

『鬼滅の刃』の聖地?岡山「和氣神社」の狛猪や隠れモチーフをレポート!
https://www.okayama-kanko.jp/okatabi/1474/page

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和気清麻呂とイノシシの伝説

和気清麻呂には、イノシシにまつわる有名な伝説があります。
清麻呂が大隅国への配流の途中、道鏡の刺客に襲われそうになったとき、突然現れた300頭ものイノシシが、清麻呂の駕籠を守るように周りを歩いたというのです。

また、清麻呂が宇佐八幡宮に参拝した際にも、イノシシが現れて清麻呂を案内したと言われています。
この時、清麻呂は足が不自由で歩くことができませんでしたが、参拝後には奇跡的に歩けるようになったと伝えられています。

イノシシの現れは、清麻呂に対する八幡神の加護の表れとされ、彼の神聖さを示す逸話として広く知られるようになりました。
この伝説をきっかけに、清麻呂ゆかりの神社では、狛犬の代わりに「狛イノシシ」が置かれるようになったのだとか

和気清麻呂は何した人?平安京との関係や子孫は?簡単にわかりやすく解説
https://historynavi.com/wakenokiyomaro/#index_id11
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秦氏のトップが語る日本の起源と地球の未来とは?!
https://youtu.be/bIeSo36Wj4o?si=ztqTk2LQWIUPF6FE


4件のコメント

  • 神󠄀社󠄁(おやしろ)の守り神は、犬やキツネだとよく聞きますが、イノシシは初めて知りました。さぞかし霊験あらたかな守り神なのでしょうね。
  • 2025年8月25日 13:29
    >神崎 小太郎さん

    僕も狛猪は初めてで、ここは藤の花の棚も有名な神社で、鬼滅の刃の設定とちょっと重なります。
    季節に行くと、本当に藤棚は綺麗です。

    宇佐八幡宮神託事件(道鏡事件)で天皇家を守った和気清麻呂(皇室から分かれた氏族)の神社なので、それなりにご利益あるようです。

    >拝殿前には全国的にも珍しい狛亥(イノシシ)があり、これは猪が清麻呂の宇佐神宮参拝の際に護衛を行ったり、足を患った際に霊泉に案内したとされ、以来、猪は清麻呂の守護とされてきたことに由来しています。ご神徳は足腰・健康の守護、厄除開運・災い除けなどです。
    https://wake-jinjya.com/

     猪はやたらに出て来るし、九州で300匹のイノシシが暗殺者から清麻呂の守護したというのは、どう考えても秦氏の侍軍団(陰陽師も兼ねていて、本拠は熊襲で鹿児島)だと思う。

     伏見稲荷大社の土御門兼続氏によると、秦氏の侍軍団は500騎いて、蛤御門(御所まで数十メートル)の変の際、完全武装の長州兵を籠手だけでの素手の体術だけで防ぎ、西郷隆盛の到着まで持ちこたえたといいます。
     あまりに強すぎたので政府に解体されて沖縄に流され、たぶん、沖縄空手の源流になったと思います。


    侍と武士は違う 秦氏 土御門兼嗣 公式チャンネル Samurai-Training スピリチュアル 體術 古神道 陰陽道
    https://youtu.be/92oKWTX0f1s?si=9X96W0RobMMWNEYV
  • >土御門
    蛤御門の変の時は、所謂徳川家慶喜とか、あるいは西郷隆盛らが並んでいましたけれども、守っているものがずれていたので、長州が攻め込む時、手薄の方の門に殺到するんですね。

    それでその時にはもう攻められていますから、軍が動かせない状態だったんです。ちょうど無防備なところに・・・蛤御門もそうですし、乾門とかも。

    見ていただくと分かりますが、垣根があって、人が蹴破れば穴が開いてしまうような門に殺到したということす。

    面白いことに、そんなに殺到しているのに、そこから1歩も中に入れていないんです。それで時間をかけずに西郷と徳川が来て、横から詰めて撃退させるという流れがあるんですね。

    それでは、誰がその時にその門を守り続けたのかというと、ここに私たちが関わっていたんですね。表上全部そこの資料を消されています。

    日矛
    実際、実行部隊としていざという時に動けるというのは、日頃心身を鍛錬していないと絶対できないですよね。

    土御門
    そうですね。当時、サムライが常時最大500名警護していました。同時に各全国に散らばって、それぞれ情報交換していたんですね。

    ですから、不穏な動きがあると定期的にそれが分かるんで、そういう状態の時には 各自の判断で集結してくるという流れがありました。

    誰かが指揮したわけではなく、各自「ここが危ない」と判断して集まってきた連中で、部隊を率いて防衛するという流れができていたんです。

    大体4000から5000人前後ですか。その10%ぐらいが実動部隊として組み込まれていました。

    秦氏の末裔・ラストサムライ/土御門兼嗣さん
    https://amenohihoko.com/%E7%A7%A6%E6%B0%8F%E3%81%AE%E6%9C%AB%E8%A3%94%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%B5%E3%83%A0%E3%83%A9%E3%82%A4%EF%BC%8F%E5%9C%9F%E5%BE%A1%E9%96%80%E5%85%BC%E5%97%A3%E3%81%95%E3%82%93/
  • >日矛
    それが全国に散っていて、いざという時の警護なりをしていたんですね。

    それが、明治維新の時ですか?解散させられたという話でしたよね。

    土御門
    そうですね。明治2年の3月頃に、全部憲兵隊に検挙されまして、島流しにされています。

    あの当時の主要な神社さんは、結構そのようなことがあって、あちらこちらに分散されていますね。私の知りあいの宮司さんなんかも、やはりそういった経験を家としてされています。

    ある日突然政府が来て、その役職を解任されて遠方の神社に飛ばされたり、全然違う場所に飛ばされたり・・・。

    つまり、京都から全部追い出されてしまった状態ですね。そういう家は確認しています。
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