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★感謝❤&独り言:作者≠主人公、百合/BLの定義?的な話

まずは、一応最新作のBL短編(微下ネタあり)に関するお礼から。

◆大人になった瞬間は
https://kakuyomu.jp/works/16817330660864533135

琴音様、★評価と応援コメントいただきありがとうございます。

コメントを頂いて、ふと思ったのが、作者と作中人物との関係についてです。特に主人公。真野は自作のキャラクターに自分を重ねるケースは稀です(例外はあります)。

上の『大人に~』の先輩然り、百合短編『こわれものを抱いて』の翠子然り、「この人となら友達になってもいいかな」という(謎の上から目線)キャラクターに描いているつもりです。

そもそも「自分が百合/BLの当事者になってしまったら、それはもう百合/BLではない」というこだわりがありまして、常に傍観者スタンスで書いています。創造神の力でくっつけようとはしますけど!

これは男女CPでも同じで、『マレビト来たりてヘヴィメタる!』の献慈と澪も趣味趣向は作者と一部重なりますが、性格は完全に憧れや理想です。リアルの真野は喜太郎(澪にボコられた不良)みたいな奴です。モブ雑魚です。

とにかく、作者の人格と作中の人物は切り離さないとお話が破綻してしまいます。でないと、掌編集『狭間の記憶』なんて人格を分裂させないと書けなくなってしまいますし(着想自体は伝聞や実体験です)。

ですが、逆説的に考えると、作中人物はすべて作者の別人格といえるのかもしれないと思いました。なお、この話にオチはございません。


以下は名前が出た作品の宣伝です。

【百合短編】
◆こわれものを抱いて
https://kakuyomu.jp/works/16817330653052407548


【和風ファンタジー】
◆マレビト来たりてヘヴィメタる!
https://kakuyomu.jp/works/16817139558812462217


【掌編集】
◆狭間の記憶
https://kakuyomu.jp/works/16817330647993813687

4件のコメント

  •  あーわかります。自分をモデルに書く「私小説」みたいなものは、私にも書けません。「別人格」というのは、なるほどそのとおりだと思います。
  • 呼ばれて出て参りました。私は、自身、神でもないので、文章から自己の人格を完全に払しょくすることはできないと考えています。私小説という意味ではなく、主人公の考えには、自身が考えたことが混入し、完全分離は不可能だと思っています。真野様の説に対抗するのではございませんが、偽善ぶることも偽悪ぶることも不可能なのが小説だと信じています。偽善は偽善、偽悪は偽悪という人格が出ます。というわけで、優しい方が書いた小説は優しいですよ。って、言いたかっただけだったりします。だから、真野さんの小説は、優しかったんです。ご本人がどう思われようと、その優しさは書かれた真野さんの人格から出ていると私は感じました。私見です。流して下さってかまいません。
  • @windrain様

    確かに、ミステリだとお話を俯瞰的に見なければいけない度合いが増すので、登場人物と作者との距離は遠くなるかもしれませんね。

    真野も私小説は書けそうにありませんが、詩の中には比較的自分そのままのものが紛れていたりします。
  • 琴音様

    わざわざご反応くださり恐縮です。
    上で述べたのは飽くまでも登場人物に対する「向き合い方」なので、結果的に自分が投影されてしまっているケースは沢山あるのでしょう。なので、琴音様の感じられた通りで正解なのだと思います。

    真野が優しいかどうかはともかく、露悪的な文章がすごく書きづらいのは確かです。多分、今でも悲劇やバッドエンドは書けません。意見を頂いて、改めて自覚しました。
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