と、今なら思ってしまう。
そんな小話。
普段お世話になっている、千織氏が怪しい企画を立てていたのでw
アテクシ、こそこそと覗きに行きましたよ✨️
https://kakuyomu.jp/user_events/16818622177282164224ほうほう、「ごんぎつね」とな?
物語の概要はよく知ったものだ。
主人公の兵十は、病床の母に精の付くうなぎを食わせてやりたいと、河でうなぎを採っていたのだが、いたずら好きの「ごん」がそのうなぎを盗んでしまう。
その後、母は亡くなり罪悪感を感じたごんが、盗んだ魚やら樹の実やらを兵十の家に届けていたのだが、その姿を見た兵十はごんがまた家にいたずらをしに来たのだと思い、猟銃で射殺する、というそんな物語。
件の企画というのは、その老若男女に知られた名作ごんぎつねの続編を考えよう、というものw
あいかわらず、ぶっ飛んでおるのぅw✨️
久しぶりに好奇心を刺激されたアテクシは、早速物語を思考……、の前に。
概略は知っていても、もう一度ちゃんと内容を確認せねばなるまい。企画の要件には、シナリオを変えないこと、という文言がある。つまり、ごんが撃ち殺された後の話ということになる。ここを変えて、実は生きてました、とかそういうんじゃないということだろう。
青空文庫で、熟読………。
うーん……。
小学校でこんなもん読ませてたのか??
いや、アテクシも読んだことはあるはずだが、ここまで重苦しい気持ちになったことは無かったと記憶する。
この物語、いわゆる単純なカタルシスとか教訓めいたものとか、そういう「正解」が一切用意されていない物語なのだ。
田舎の風習や生活様式などが、子どもに読ませるには少々過剰なほど描かれており、特に母のお葬式の描写なんかは映画の世界に片足突っ込んでるような濃密さを感じる……。そこまで描いておいて、ズドンと一発で仕留めて、銃口に煙の残る銃をぱたりと取り落とす、という結末。
最期に、ごんは小さく頷いているのが、申し訳程度の情感を誘うくらいで、これはかなり解釈に困る内容である。はっきり言って私自身、今読んでみて湧き上がる感情のあまりの奔流に「これ、どないせぇと?」という気持ちである。子どもたちは一体どんな気持ちでこれを読んでいたのだろう。
学芸会の劇の題材としては、今も人気でよく採用されているらしい。
しかし昨今の「子供は全員平等に!」 というコンプラに阻まれて、「村人1」とか「木」とかいう脇役は全て排除され、兵十以外は全員狐の役で──クライマックスは、総勢20匹からなる狐の集団が兵十の家に侵入するところを、コマンドーのように銃で全て殲滅する恐ろしいラストシーンになっていたとか、まあいろいろあるみたいっすよ。
ネット界隈では、「母の仇を討てて嬉しかっただろう」という答えを書いた子どもが先生に怒られてたとか、母の葬式のシーンで村の女達が大きな鍋でぐつぐつ煮ていたのは何か、と云う問いに母の死体を煮ていた、消毒のため、とかそんなものまであるようだが……
まぁ、ね。
子どもに素直で健やかに育ってほしいという気持ちはよくわかりますが、教えてる大人が汚れまくってるのに子どもにだけイノセントを求めたって、そりゃあ無理がありますよ。……え、そう言う話じゃない?
しかし、この話難しいんですよ……。
実際、ごんの存在を擬人化された人格ではなく、「自然のあるがままの現象」として捉えて農民視点で考えれば害獣は排除されて然るべきだし、作中にあるように一人ぼっちのごん、というものを生態系的観点で捉えれば、親ぎつねから人間に接近する危険性を教えられていなかったごんは、謂わば「Z世代の狐」ということにもなるだろう。(近年、クマが市街地に出没するのは、クマのZ世代化が一つの要因である)
知らずに撃ち殺してしまった罪悪感、とか、ごんの贖罪とか、そういう答えを求めているのは分かりますが、結末から言えばもうこれ、「どうしようもない状態」なんですよね。
兵十は軽率に引き金を引くべきではなかった、友の忠告をもっと深く解釈し、ごんの存在も神の意志だと思えばよかった、とか。ごんも人格持ってるならきちんと兵十に正面から謝罪するべきだったとか、まぁ、玉虫色の見解を述べればそうなるかもしれませんけど……。
これ、むずかしくありません? 特に小学生には……
みなさん、どう読み解きます??
考える過程が大事なんだというのは分かりますが、仮に大人並みにしっかり考えられる子どもならトラウマになりそうな内容でもありますよね。
というわけで、続編どころか本編の解釈で躓いてしまったアテクシには、この企画は難しすぎるということがわかりました……ごめん、ちおりん💦